原題:IRON MAN 3
監督:シェーン・ブラック
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2013年
☆☆☆
MCUフェイズ2の1作目にしてアイアンマン単独タイトルの最終作。MCUではアイアンマンが看板背負ってるって印象も強いので、フェイズ2の1本目でもう最後って、今だとあれそうだったっけ?みたいな感じもしますね。
「アベンジャーズ」タイトルとシビルウォーにスパイダーマンとその後も出るので特にこれが最後って言う感覚は薄いものの、作品としては一応アイアンマン3部作の締め、という感じには作ってある。
公開時の印象としては、アイアンマンの代表的なアークヴィランであるマンダリンが遂に登場!だったのですけど、実はニセモノでしたっていうオチと、じゃあ本当の敵として出てきたアルドリッチ・キリアンが変な溶岩人間みたいなものだったので、正直な所、う~ん物足りないなぁという印象でした。
でも、今見直すと思ったよりは面白かった。「アイアムアイアンマン!」で終わった1作目に対して、3作目の最後は「アイアムトニー・スターク」で脚本上は終わる予定だったけど、結局は1作目と同じになってます。勿論、これがエンドゲームにまで響いてくるので、結果悪くは無かったとは思いますが、ストーリー上はやっぱりアイアンマンを捨ててトニー・スタークに戻る、という作りになっている。
1作目2作目のジョン・ファブロー監督が方向性の違いから監督を降りてしまい(だた、ハッピー・ホーガン役としてはちゃんと続投)本来なら原作の有名エピソード(ただし日本語版は無し)の「デーモンインアボトル」をベースにアルコールに溺れるトニーを描きたかったものの、ヒーローがアルコール中毒になるのはイメージ的にちょっと、とストップがかかってしまい、「アベンジャーズ」での戦いでPTSDにかかってしまったと変更。悪の黒幕も本来なら、マヤ・ハンセンの予定が、女性の悪役はおもちゃが売れないと出番や役割が変更。
公開時はそういった背景は知りえませんでしたが、後にその辺りの事が明かされます。今でこそMCUは才能重視で、有名フランチャイズ作品でありながら、その監督の作家性も十分に生かされる、稀有で尚且つ攻めた作りという印象ですが、この作品の時期は色々と問題が出始めてきた時期でした。エドガー・ライトがアントマンから降りちゃったり、ソー2もパティ・ジェンキンスで準備してたものが結果降りてしまったりと色々ありますね。
複数の作品が一つに収束するという目標を掲げ、「アベンジャーズ」で遂にその夢のプロジェクトが結実。じゃあ次は何をするのか?というのがちょっと曖昧になったのがフェーズ2。という感じでしょうか。
アイアンマンはここで引退。アイアンマンからトニー・スタークに戻りましたよ、っていう話ですが、いやいやまだまだMCUは続けるんだし引退とかさせないから!というスタジオ側の意向とのせめぎ合いが見てとれる。
どうしてもそういうネガティブな要素が頭を過りますが、今回見直して、最初に見た時は全然わからず、今だからこそ面白いなって部分が一つありました。実はそれはペッパー・ポッツ。
キリアンがペッパーにすり寄ろうとするも、そんな簡単になびいたりはしないペッパーはついに拉致されてしまう。で、そこで言うのは「私はトロフィー?」。これって俗に言う「トロフィーワイフ」って奴の事を言ってるんですよね。
「パラサイト」でも描いてましたけど、トロフィーワイフっていうのは年収や地位の高い男性が、自分はこんなに凄い女を嫁にしたんだぜっていう自己顕示欲を示す形の事です。ようはトロフィーと同じく飾っておいて自分の地位や名誉を誇る為だけの結婚。よく大金持ちの資産家が芸能人とかと結婚したりするやつですよね。
で、ペッパーはそれを拒否して結局エクストリミス改造されてしまうわけですが、ラストバトルでトニーがペッパーを救えずに死なせてしまった!・・・かと思いきや、改造されていたペッパーが逆にトニーを救う形になる。
序盤、トニーの家が襲撃された時も、ペッパーはただ守られる存在でした。物語の構造上はトニーがヒーローで、ペッパーが所謂お姫様ポジション。ただヒーローのピンチを呼び込んでしまい助けられる為だけに存在するヒロイン。トニーとペッパーの関係はトロフィーワイフという感じでは無いにせよ、主役が最後に獲得する景品=トロフィーみたいな存在だとも言えるわけです。
で、それを見事にクライマックスでブチ壊してくれます。ペッパーはエクストリミスに耐えられる力がたまたまあって~だとか、その後は上手くトニーが治療してあげて元に戻りました、だとかそういうとこはご都合主義というか、ただ単に思いっきり雑に見えてしまうのは難点かとは思いますが、女性=ヒロインをただ救いを待って守られる為だけの存在にせず、男性=ヒーローが唖然とするくらいに自立した存在である事をクライマックスに入れてあるって、ちょっと凄いと思いません?
まるでこの後のMCUにおける女性ヒーローの台頭を示唆してるみたいに感じました。MCUは今後より「多様性」を重視した作風になっていきますし、その描き方も単純に「女だって男に負けない力を持っている」みたいな感じでは無くて、男女とかの性差でも人種の差でもなくて、それぞれの「個」が個であって良い、みたいな描き方じゃないですか。後に「キャプテンマーベル」で結実する、そういう女性の個としての在り方みたいなものの、原点のように感じました。なんかそれだけでも見返した価値は十分にあったかなと。
エンドゲームを見た後だと、ハーレイ君どんなだったっけ?と思ったら、可愛そうな子ではあるけど、結構うざいガキだったり(でも最後は良かったよ)
アイアンマンスーツがないなら自作すればいいじゃない、とばかりにホームセンターでスーツ未満のビックリドッキリメカを自作するトニーのDIY感覚が、やっぱトニーの魅力ってこうだよなと思わせてくれたり
アイアンマンの仮面が無くても、ダウニーjrの俳優としての力や存在感が大きくなっちゃったから、あまりスーツ着ないで生身で戦うのかな?ちょっと残念・・・と思ってた所で最終決戦で大量のアーマー投入とか
飛行機から投げ出された人達を間一髪で救うシーンとか、ちゃんとヒーローらしいと感じる部分を入れてあるとか
私の中で「3」って大体こんなもんだったよなぁと、ややネガティブな印象を見事にすっとばしてくれるくらいには面白く見れました。
やっぱり敵が微妙なのと、マンダリンをこういう役にしちゃってるのは残念なのは以前の印象とは残念ながら変わりませんでしたけれども。(シャンチーで本物のマンダリン出るのかなぁ?)
「ソー」の1作目を再観した時と似てるかな?そんなに面白くなかったはずと思ってたけど、意外と面白いじゃねーか、みたいな感じでした。
うーん、MCUはどの作品も味があってやはり面白いです。
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