MOBILE SUIT GUNDAM CHAR'S COUNTERTTACK
まんが:ときた洸一
刊:講談社 BOMBOMCOMICS 全1巻(1999)
☆★
「BEYOND THE TIME」「ベルトーチカ・チルドレン」と読んだので、せっかくなので逆シャア関係でこちらも。古参のガノタとは切っても切り離せない「コミックボンボン」に連載の逆シャアコミカライズ版。ただこれ、映画に合わせてリアルタイムに連載されたものじゃありません。
私が持ってる一番最初に刊行された奴の帯を見るとPS1のゲーム版の「逆襲のシャア」に合わせて映画公開からは10年くらい経ってから(98-99年)の連載。何度か再販されてて、そっちの方には連載の経緯みたいなのが少し載ってた気がします。(後から出た方のは持ってません)
丁度ボンボン本誌でリアルガンダムの連載が無かった時期で、何本か企画が上がった中から、ときた氏が逆シャアのコミカライズやりたいって選んだような話だったでしょうか?最初から単行本1冊分と決まっていたので、短い分量でどう構成するか苦労した、という経緯が書いてあったような。
ほぼ同じ話を丁寧にやった「ベルトーチカチルドレン」が単行本7冊ですから、それを1冊でやっている、という辺りでお察し下さい。「逆シャア」の話の流れを一応再現しました、ぐらいのもので、じっくりテーマやドラマの掘り下げみたいなのはやってる余裕無し。
意外とダイジェスト感は少ないので、その辺りは上手くやってるとは思いますが、これを読んで映画と同じくらいの感覚を味わえるかと言えば、流石にそれはちょっと難しい。
しかもボンボンでの連載ですし、読者層を考えればある程度作風も限られてくるというもの。「νガンダムは伊達じゃない」を決めゼリフっぽくクライマックス見開き2ページでやるセンス。う~ん、いかにもときた洸一のガンダム漫画だなぁという感じです。
「PXオーバードライブ!俺が決めるぜ!」っていうのと同じノリです。
せっかくなのでボンボンとガンダム漫画の系譜をここでちょっとおさらい。
ボンボンでガンダム漫画と言えばそこはやはり「プラモ狂四朗」なわけですが、ちょいとそこは変化球なのでひとまず置いておきます。(ガンプラバトルとして後にビルドシリーズにも系譜としては繋がるのでそれはそれで意味あるのですが)
最初は恐らく近藤和久の「MS戦記」だと思われます。ジオン側の少年兵から見たファーストガンダムのサイドストーリー。独特のパネルラインでディティールアップされてますが、後の近藤版と呼ばれるような奇形MSではなかった。
で、それが好評を博して、「Zガンダム」放送時にリアルタイムでコミカライズも担当する事になる。ここで一気に暴走します。ボンボンの読者層など気にせずに、割と好き勝手やってしまう。
私はZ世代なので、これリアルタイムで知ってましたが、かと言ってTVで「Zガンダム」をちゃんと見てたかと言えば、そこまでではなく、プラモを作ったりする程度でした。その程度でしたが、それでも漫画の奴はちょっと大人っぽい感じで、TVとの違和感はありました。しかもチャイカだのゲードライだのアニメとは違うMSが出てて、一体これ何だ?と。
今考えると、よく近藤版Zは許されたもんだなと思います。もしかして許されなかったからそれ以降は他の人に変わったのかも。「ZZ」からはボンボン作家を使ったいかにもボンボンらしいコミカライズになっていきます。で、その後はSDガンダムの全盛期が始まり、私もどちらかと言えばガンダム詳しくなったのはSDガンダムの方からだったような気がします。
時は流れてVガンの次の「Gガンダム」。流石にもうボンボン読んでませんでしたし、後からコミックスを買っただけですが、Gガンから次の「W」「X」とちょっと間があいて「∀ガンダム」までときた洸一がボンボンでコミカライズを担当するようになる。
それだけ長く続いたという事は、好評だったのでしょう。私は正直ときた洸一の漫画ってガンダムエース連載以降も含めて面白いと思った事無いのですが、大人になると色々と事情ってのも理解できるようになります。
TVアニメの放送に合わせてリアルタイムに月刊誌に連載するって、そもそも無理がある。毎月4週分くらいのアニメの先のプロットもらって、それを30ページくらいの1話に纏める。しかもどの部分が重要なのかとかもよくわからない。う~ん、これはツライ。そんなんを1年分続けてそれっぽい形で終わらせなきゃならない。うん、無理。
TV放送とかに合わせずに、単純に1話づつ丁寧にやってるような、後からのコミカライズ版とリアルタイム連載でのコミカライズはちょっと別物と考えるべきだなと。単純にコミカライズ版つまんねーなと一蹴してしまうのも、それはそれで違うのかなっていう気がします。
そこ考えると、ときたさんは何年もそれやってて、そういう所が上手い作家なんだなと思います。「当時はアニメを見て、それと同じ奴をまた漫画で読めるのが良かった」的な感想や評価が多いのも頷けます。
近藤和久が最初にちょっと変わった事をやってしまって、次にそれを何とか他のボンボン家が戻して、その上で無難だろうが何だろうが、アニメに近いものを連載するっていう形にブラッシュアップしたのがときた。そういった功績という部分では、やっぱり大きいのかなとは思います。
そういう作家だからこそ、今回の「逆襲のシャア」もおのずとそういう作風になる。(せっかくなのでリアルタイムで連載されてた方の逆シャアコミカライズ版も次回とりあげます。あれはあれで貴重なので)
「アストレイ」以降は基本的に脚本が別についてますので、そっちもつまんない作品ばっかなのはそもそも原作がつまらんからとでも思っておこう。でもときた作品で脚本ついてないのって旧「G-UNIT」と「W」のスコーピオが出る奴くらい?う~ん、結局どれも微妙・・・。
でも、これだけ仕事が途切れず続けられるのは、手が早いのと(多分、連載落とした事無いんじゃ?)、人が良いんじゃないかなぁと。
社会に出て、立場的にも役職ついたりして人を使うようになると、いくら突出した能力があろうが、時間を守らなかったり人付き合いが上手くない人とかよりも、例え能力的には凡人でもちゃんと信用できて人付き合いが出来る人の方に仕事を回しちゃうんですよね。勝手な想像ですが、ときたさんって後者のタイプなんではないかと。
ときた版「逆シャア」を読んでそんな事を考える。
あ、あと富野セリフをマイルドにして必死にわかりやすいセリフにおきかえてある辺りが以外と面白い部分です。話がそもそもわかり難いんだから、せめてセリフくらい少しはボンボン読者にもわかりやすくしてあげよう、みたいなセンスに人柄が出てる気がします。
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