僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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機動戦士ガンダムF91

U.C.ガンダムBlu-rayライブラリーズ 機動戦士ガンダムF91

MOBILE SUIT GUNDAM Formula 91
監督・脚本・原作:富野由悠季
日本映画 1991年
☆☆☆☆☆☆


YouTubeの公式ガンダムチャンネルで『Gundam Songs Night at GUNDAM CHANNEL』を見る。
盆休みの最後にやってたようですが、気付かずに後からの配信で観ました。今月いっぱい無料公開されてるようですので、是非。森口博子はやっぱり凄い。好きな4文字熟女は「森口博子」ってネタが素敵です。納得出来すぎる。


森口博子『Gundam Songs Night at GUNDAM CHANNEL』

で、こんなのを見ちゃったらまた「F91」見たくなっちゃうじゃないですか。


劇場公開以来、もう何度見た事か。何が切っ掛けかは忘れましたが、確か去年も見た。直撃世代なのもあって、実は「逆襲のシャア」より「F91」の方が好きかも知れません。

ガノタにはありがちですが、私はコロコロよりボンボン派でした。もうそれは単純にガンダムが載ってるから。

 

勿論、子供の頃はSDガンダムとかから入って、MSがカッコいいとかそんな程度でしたし、F91を初めて観た時だって、話なんかほぼ理解してなかったと思います。そこから何時の間にか富野信者になり、もっと大人に(というかオッサンに)なり彼が言う事成すこと全てが正しいわけじゃないよ、というのは理解できるようになりましたが、それでもやっぱり最高に面白いおじいちゃんです。私にとって富野由悠季はそんなクリエイター。

 

で、F91ですよ。映画1000本以上も見た上で、これが非の打ちようもない超名作とか言うつもりはありません。でも10回見ても20回見てもやっぱり圧倒的に面白いのです。

 

絵的には、こっからさらに10年前の「めぐりあい宇宙」とか「イデオン発動篇」の方がむしろクオリティ高いんじゃないか?と思える感じではあります。ラストシーンのめぐりあい宇宙オマージュのシーブックとセシリーとか一部クオリティも凄い所はあるものの(あそこ村瀬さんでしたっけ?)全体的にはTVシリーズとそんなにはかわらないくらい。

 

単純に絵としてはそうなんですけど、富野はやっぱり演出の人ですよね。もう全てのカットと言っても良いくらい、どのシーンもどのカットも、凄く富野くさい、これちょっと他の人は真似できない発想だなっていうものの連続で、何度見ても、すご~~~く「見応え」があるのです。

 

例えばですね、完全版で言う所の9分くらいの所。
いきなり戦場と化したコロニー内で逃げ惑う子供達。連邦のGキャノンから出た薬莢が逃げている親子のお母さんの頭に直撃して死んでしまうっていうシーンありますよね。

 

ええと、このシーンって例えば一つづつの要素ならまだ他の監督でも描けるシーンなんだと思います。

 

モビルスーツが実弾で攻撃すれば、発射する弾丸に伴って薬莢というものも発生する。そこはメカとしてのリアルっぽさなわけです。「逆襲のシャア」の特報フィルムでνガンダムが頭部バルカンを撃ってるとそれに伴い薬莢も排出されるという描写があって、当時は映画のガンダムはこんなリアルな描写があるのか!と当時は驚いたとされている、というような話を聞いた事があります。

 

スーパーロボットが無限に攻撃してるのに対して、残弾や、それに付随する補給やマガジンの交換と言う概念をちゃんと「ザンボット3」の時点で富野は導入して描いてました。初代「ガンダム」なんかもその延長にありますよね。

 

私はミリタリー方面には全く詳しくないので、ガンダムでの設定の例えば銃の口径とか現実的に考えるとちょと変な部分とかは結構あるらしいのですが、それはさておき、なんとなくではあっても「リアルっぽい描写」になっているわけです。ただそこは本物のリアルではない、所謂「っぽさ」が重要。あんまりリアル求めすぎるとそりゃ今度はMSって変じゃね?に行きついてしまいますので。

 

ただし、それくらいのリアルさなら別に富野でなくとも描けるし、むしろミリオタとかそっち要素に明るい人の方がもっとリアルっぽく描けると思います。

 

富野演出のの真骨頂はここから。コロニー内の街中でMSが戦闘を始めて、その足元に逃げ惑う一般市民が居る。そしてその薬莢に当たって人が死んでしまうと。

 

流れ弾みたいなので死ぬんじゃないんですよ。薬莢が頭に当たってしまって死ぬんです。

しかもそれは一応の敵と呼べるクロスボーンバンガード側で無く、連邦軍のMSから排出されたものです。もうこの時点でふた捻りくらいありますよね。

 

戦争で巻き込まれて一般市民が死ぬ。またもその一部分だけだったら誰でも思いつく描写かもしれません。一つ目の捻り直接の攻撃では無い事。二つ目の捻りは攻めてきた敵では無く、守る方の連邦側のMSが原因である事。

 

流石の富野演出ですが、そんな程度では終わりません。不運にも亡くなったのは小さい子供を抱きかかえたお母さんです。バタっと倒れた母の死を理解など出来るはずもなく、子供は動かなくなった母に対して「ママァ」とか言います。これはちょっと悲惨な状況です。

 

ここは別に親子でなく、普通の一般市民一人でもかまわないはずで(勿論、作品全体に貫く親子と言うテーマに絡めた面もあるのでしょう)ここでもまた一つ捻りがあるわけです。

 

で、更に近くを走って逃げていた主人公仲間達の中で、セシリーだけその様子に気付きます。(アズマは気付かない。セシリーが気付くと言うのもキャラクター描写です)

子供だけでも助けてあげようと、セシリーが駆け寄り、子供を抱えます。で、ここ絶命した母親が目を見開いたまま死んでるのです。


人があっという間に死ぬというショッキングな描写。それでいて爆発に巻き込まれて、とかではないのでグロテスクな描写を直接は描かない。影になって顔が見えないとかではなく、目を見開いたまま死んでいる、という所は見せるというセンス。この辺りもまた富野らしい部分だと思いません?

 

その上、更に更にですよ?セシリーはその母親のまぶたを閉じてあげるのです。人としての尊厳みたいなものですよね。そしてそこで変に騒いだりせず、子供を抱きかかえてまたセシリーは逃げるのです。

 

この一連のシーンでおおむね15秒。これくらい濃いシーンがひっきりなしに2時間続く。絶対こんなの富野由悠季にしか作れねぇ。すごくね?

 

勿論、この後に割と有名な
「おい、おい、アーサー!アーサー!おい!!何してるんだよ…こんなところで!
おい、こら!冗談やってる時じゃないだろ?
アーサー!目を開けてくれ!お前みたいなのがいないと…みんなが困るだろ…?」
「やめなよ…もう楽にさせてやんなきゃ…」
「だってよ…アーサーなんだぜ?」


みたいな、ほぼ同じようなシークエンスや要素のあるシーンが入ってきて、そっちは変な話ですがじっくり描いてある。この演出の面白さ!

 

例えばこれがジブリおよび宮崎駿なら、あの人はアニメーションを重視してるので、動きの一挙手一投足を丁寧に描こうとするのですが、富野はアニメとか絵を信じて無いので、リミテッドアニメに慣れすぎていて、そこに富野節とか富野ゼリフ的なものが重なるわけです。

 

もうホントーに面白すぎる。なんだこのアニメ、こんなの見た事ねーぞ!とファンになってしまうというもの。


なんか1シーン1カットごとに止めて、ここはああだよねこうだよねって語りたくなる。そして私はそういう人と話がしたい。

 

TVシリーズでもこういう事は常にやってますが、F91を見ると、劇場映画作品という事で、その部分がより濃くなっているように見えます。単純な見た目のクオリティは低めですが、そういう意味では十二分過ぎるほどに富野的な劇場クオリティになってる作品だと思います。

 

一見わかりにくいと思えても、噛めば噛むほどいつまでも味が出る。こうやって30年噛み続けても味が無くならないという異常さ。私にとって「ガンダムF91」とはそういう作品なのです。

 

逆シャアで一応の区切りをつけて、ガンダムの新時代をスタートさせる、という目的があった分、映画としてのわかりやすさにも気を使っているもまた面白い部分。

 

貴族主義とかコスモバビロニアとかロナ家うんぬんとか、一見何がなんだかさっぱりわかりませんが、そういう所に富野の主義主張が見え隠れしつつも、そんなのはこの映画にとっては枝葉の部分でしかありません。

 

軸にあるのは親子の話、というのは見ててわかりますし、エンドロールにかぶるF91の顔と鉄仮面の顔というのも、シーブックとセシリーという二人の主人公の親が一体何を成したのか?の比較という事ですよね。

 

今回見て、今のご時世なんかも含めて特に思ったのは、シーブックのお母さんのモニカ・アノーさん。やっぱり彼女が素敵。自分の犯した過ちを認めて、子供に対してゴメンなさいねって謝れる凄さ。色々と理由があったのよ、とつい言いわけをしてしまうものの、でもそれは言いわけよね、と自分で認められるとか、実際なかなか出来ないですよ。

 

対するセシリーのお父さんは
「大人のやることに疑いを持つのは良くないな」
だの
「フハハハ…怖かろう」
「しかも脳波コントロールできる!」
「しかも手足を使わずにコントロールできるこのマシーンを使う私を
ナディアと同じように見下すとは!つくづく女というものは御し難いな!」
とか、いやもうそれはそれで最高なキャラでした。

 

「そうさせたのは、仮面をはずせないあなたでしょう!」
「まだ言うか!」
とかも含めて、富野セリフの応酬のなんと面白い事。

 

でね、森口博子も言ってたけど、宇宙空間に投げ出されたセシリーがいて、それを探すシーブックの手助けをするお母さんもまたいい。子供に対してちょっとした手助けをしつつも、
「機械なんて使う人しだいなのよ。あとはあなたの感性しだいね」
「・・・でも!何も感じられないんだ!」
「だったら引き寄せなさい。それが出来るのも人の生命の力なのよ」

 

という辺りがまた号泣。
F91を最強の兵器とかではなく、人の手助けをするマシン、という位置付けに持って行ったこのラストが私は大好きなのです。

 

後の「∀ガンダム」での
「人が作った物なら、人を救って見せろぉ~っ」ってとことか「洗濯出動です!」なんかにも繋がる、これもまた富野だなって思えてとても好きな部分です。

 

後は、予定ではこのままTVシリーズに繋げるつもりだった部分の名残か、シーブックの仲間達とか、スペースアークのクルーがやたら多かったり(逆シャアでのラー・カイラムのクルーで名前ありなんて何人居たと思います?)レアリー艦長代行が横尾まりだったりビルギットさんが塩屋翼だったりとか、脇の重要な所は信用してる人にまかせたんだなぁって部分とか、もう語り尽くせません。

 

TVで言えば1クール分を劇場用に作った感じかな?とか思いつつ、例え1クールでもアンナマリーとセシリーとか敵から2人も寝返るとか普通ねーよ!2時間映画で何やってんだ!とかも面白くて面白くて。

 

その二人の出撃時にレアリー艦長代行と交わすセリフも絶妙なのよね、と話は尽きない。

 

必ずまた見返す時は来るでしょう。その時はその時で新しい発見や見え方も絶対あるし、映画としての作りがおかしい部分まで含めて、もう面白くって仕方ない作品、それが私にとっての「機動戦士ガンダムF91」なのです。

 

5億点!


映画「機動戦士ガンダムF91」劇場予告HD

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