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ニュー・シネマ・パラダイス


【永遠の名作】映画『ニュー・シネマ・パラダイス』予告編

原題:Nuovo Cinema Paradiso
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
イタリア映画 1989年
☆☆☆☆

 

<ストーリー>
映画監督として成功をおさめたサルバトーレのもとに、老いたアルフレードの死の知らせが届く。彼の脳裏に、「トト」と呼ばれた少年時代や多くの時間を過ごした「パラダイス座」、映写技師アルフレードとの友情がよみがえってくる。

 


エンニオ・モリコーネ追悼上映という事で足を運んできました。
多分、これで3回目かな?勿論、リアルタイムとかでは見ていなくて、色々と映画を見るようになってから、映画好きの間ではもう不朽の名作として語られている作品ですので、じゃあ見てみるかというのが1回目。で、これ見ちゃうと絶対映画館でも見たくなるじゃないですか?その後、何かの再上映企画の時に映画館でも確か一度見てるはず。ブログ再開してみて、正直書くのはとても大変で時間とられるのですが、まさに防備録として記録に残しておけるのは良いなと思ってるのですが、ブログ書いてなかった時期、昔のブログも残しておければ良かったなぁと今さらながらに思います。

 

今回の目的もそうなんですが、要はこれを劇場で見たいのは、あのラストシーンと、あとは少年時代もかな、トトが映画館でスクリーンを眺める姿と自分を重ねたいからに他なりません。コスプレではないけど、シチュエーション再現と言うか、ある種のなりきりみたいなもんです。

 

基本的に映画は映画館で観るもの。家で観たりするのは映画を見た内には入らない、くらいに思ってますが(いや実際家で観た奴もちゃんとカウントに入れるけどさ)やっぱり「ニューシネマパラダイス」こそが映画館で観たい映画ナンバーワンかも。

 

よくある質問で、何でわざわざ映画館に足を運んでまで映画見るの?というお約束に対しては、そもそも映画って映画館で観る為に作られてるものだから、と答えるようにしている私ですが、この作品に関してだけは、あのシチュエーションを再現したいからに他ならない。

 

よく他人に言われるのは、やっぱり映画館だと迫力あるからなの?って言われる事が多いのですが、私は迫力とかさっぱり気にしたこと無いので、それよりはどちらかと言えば外界から隔離されたあの空間でどっぷり映画に浸りたいから、とかの方が重要。家でも沢山見てますけど、映画のみに集中は出来ないというのが正直なとこです。

 

で、そんな感じの3度目のニューシネマパラダイスですが、1989年制作で、そこまで昔の映画じゃ無かったんだっけかと改めて思いました。いや89年って十分に古いだろうと言われるとそうなんですが、作中はモノクロ映画が中心で、後半になるとちょこっとカラーが出てくる感じなので、作品としてもその辺りだったかなというイメージだったんですけど、中年になったトトの時代でも映画館は斜陽産業で今はもうTVの時代だからって展開ですし、思ってたよりはずっと今に近かった。

 

アルフレードが別れの際に言う言葉「人生はお前が観た映画とは違う、もっと困難なものだ!」ここにはもう戻ってくるなって言って送り出すんですよね。ノスタルジーでなく、ちゃんと今を生きろっていうの。

 

アルフレードも絶対ずっとトトと一緒に居たかったはず。でもお前は自分の人生をちゃんと生きろよって送り出す姿はやっぱりグッと来ます。

 

で、あの最後の神父さんの指示でカットされたフィルムを繋ぎ合わせた奴。ああ、言い忘れた。見たのは3度とも普通の劇場公開版です。長尺の完全版は一度も見た事ありません。完全版だとトトの人生の方に焦点があてられるのであれ意味合い変わってくると思うのですが、短い尺の通常版だと、あの繋ぎ合わせたフィルムの内容自体にはそんな意味が無いはずなんですよね。キスシーンとかお色気シーンばっか繋げた奴ですし。でもそこでトトは涙を流す。

 

そう、映画って見る人がそこに勝手に意味を見出すものでもある。勿論、映画の中だけの話やテーマ、その中の芸術性とかだけを見るのもそれはそれで映画の面白さや楽しみ方ではあるのですが、あんな意味の無い繋げただけのフィルムでも、観る人によってはその背景にあるものを見てるわけですよね。

 

トトはあのフィルムを見ながら、アルフレードとの思い出や、少年の頃に夢中になって見た映画やあの映画館の雰囲気、学校の友達や村の人達。淡い初恋とその後の無情な別離、映画に掲げた情熱やら家族やら何やら、とにかくその背後に色々なものを見てる。やっぱりそこもまた映画だよね、と私は思う。

 

Jポップの手法で、「あの日あの時あの場所で君と会えなかったら」とか曖昧にしておけば、聴いた人が勝手に自分のケースを当てはめて聴いて、この曲は自分の事に凄く重なる、と錯覚してしまうとか、或いは占いでどうとでも解釈できるような事を適当に並べると、聞いた人が勝手に当たってると思いこむ、みたいなものにも近いのかもしれませんが、目に見えるものだけが全てじゃ無く、その背後にあるものまで含めて作品って言うのは含まれる、と私は思ってます。

 

トトがあのフィルムを見て自分の過去を振り返って涙するのと同じように、映画好きな人はこの「ニューシネマパラダイス」を見て、少年トトと共に子供の頃にあの映画を夢中になって見たな、であるとか、映画館が取り壊されるシーンを目の当たりにして、(そこが駐車場になるっていう辺りがやたらリアル)昔はあそこにも映画館あったんだよな、なんて時代の移り変わりを重ねたり、それはもう映画好きな人に絶対刺さる作品だよね、と思います。

 

友達と話してて、それ納得したって言われた事あるんですけど、映画をテーマにした映画だから、映画好きな人はこれ絶対刺さるし、あまり文句は言いたくない映画です。逆に言うと、そんな特別に映画に拘りがある人じゃ無い場合、なんか凄く評価の高い映画だけど、それほどでもなかったかも?みたいになる可能性は十分にあるのではないかと。

 

あと、全然関係ないけど、3度目の今だからこその感想。
トトが一目ぼれする子、エレナっていうんですね。話しかける時、「チャオ、エレナ」とか言ってるもんだから、プリキュア脳の私は、え?もしかして「スタプリ」のエレナさんの元ネタ?とか思ってしまった。トトとアルフレードの歳の離れた関係性とかも、ひかるとりょう爺みたいだな~とか。まあそんな感じで、見た人が自分の持ってるものを勝手に重ねてみるのもそれはそれでアリなんじゃないかと。

 

よく、年齢を重ねると見え方が変わって見えるとかありますけど、見る視点によって作品なんていくらでも変わるものですしね、映画って素晴らしいな、と見る度に何度でも思わせてくれる作品です。

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