僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

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VIOLET EVERGARDEN The movie
監督:石立太一
原作:暁佳奈
日本映画 2020年
☆☆★


<ストーリー>
人々に深い傷を負わせた戦争が終結して数年。
新しい技術の開発によって生活は変わり、人々は前を向いて進んでいこうとしていた。
しかし、ヴァイオレットはどこかでギルベルトが生きていることを信じ、ただ彼を想う日々を過ごす。
──親愛なるギルベルト少佐。また今日も少佐のことを思い出してしまいました。
ヴァイオレットの強い願いは、静かに夜の闇に溶けていく。

ギルベルトの母親の月命日に、
ヴァイオレットは彼の代わりを担うかのように花を手向けていた。
ある日、彼の兄・ディートフリート大佐と鉢合わせる。
ディートフリートは、ギルベルトのことはもう忘れるべきだと訴えるが、
ヴァイオレットはまっすぐ答えるだけだった。「忘れることは、できません」と。

そんな折、ヴァイオレットへ依頼の電話がかかってくる。依頼人はユリスという少年。
一方、郵便社の倉庫で一通の宛先不明の手紙が見つかり……。

 

という訳でゲキバイオレット・・・じゃなかったシリーズ最終章の「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」です。


え゛ええええええ~っ!これは酷い。


う~ん、なんでこんな風に描いちゃったんだろう?
クオリティに関しては折り紙つきですが、終盤の展開がビックリする方向で、凄く残念映画になってしまった。
TVシリーズの方で上手く完結させて、その後の劇場版でちょっと蛇足な感じになる作品もたまにありますが、なんかこれ、TV版の方まで貶める作品になってないか?

 

正直言って物凄く残念で、勿体無いな~って思ってしまった。
ただその分、なるほどヴァイオレットエヴァーガーデンってこういう作品だったのね、というのは腑に落ちた感じはしたかな?TVシリーズ、特別編集版、外伝と3つ感想を書いて来ましたけど、なんだか本質的な所がよく掴めず、モヤモヤする的な事を言ってますが、ああ、こういう作品だったのか、というのは何と無くですが理解出来た気がします。そういう意味じゃ完結編の役割は十分に果たして居たかなとは思います。

 

ネタバレアリで単刀直入に言いますが、何が「ええ~っ?」だったのかと言いますと、ギルベルト少佐の気持ちですよ。

 

ギルベルトのヴァイオレットに対する「愛してる」は異性への恋愛対象としての愛してるだったのか。

「ずっとこうしたかった」とか言いながらヴァイオレットを抱きしめる姿を見た瞬間に、思いっきり気持ちが醒めました。

 

う~ん、私も別にそういうの嫌いでは無いですよ。オタクですから。TVシリーズの方の感想でも書いてますけど、少佐の気持ちは、恋愛対象としての愛してるなのか、親とか保護者としての家族的や特別な繋がり的な愛してるなのか、解釈次第でどちらにも受け取れるように描いてあるのが素晴らしいなと、そう思ったんです。

 

あくまでフィクションの物語として、10歳くらいの子に対してでもね、アニメの年齢なんて実際あって無いようなものですから、悲劇の恋愛話みたいな感じでね、これはそういうお話ですからっていうのは別に嫌いじゃないし、その時点で受け入れがたいって程では無かったんです。

 

ただ、この作品って、愛の形とか、愛してるの言葉は、単純に恋愛感情とかだけじゃないですよっていうのを色々な形で描いてたわけじゃないですか。恋愛の話もあったけど、親子の話だったリ、兄弟とかかけがえのない家族であったりとか。だからその積み重ねが「愛してる」の言葉の意味を少しづつヴァイオレットが知っていくという積み重ねにもなってた。

そこは今回の映画も同じで、ユリスの話とか、社長が過保護すぎるとかそういう積み重ねを描いてました。

 

なので私はずっとギルベルト少佐の「愛してる」は決して恋愛対象的な意味での愛してるではなくて、保護者、あるいは家族としての愛してるだと思ってたし、TVシリーズは、あえてどちらの意味で解釈しても大丈夫なように、余白というか、明確にはしない事で幅をとっているんだなと思えたし、それはとても粋な描き方で、面白い部分だなと、凄く評価した部分でした。

 

いやそれが今回の劇場版最終章で、ヴァイオレットを抱きしめて「ずっとこうしたかった」ですよ?何だそれ?って一気に気持ちが萎えてしまった。

 

え?少佐は10歳の何も知らない女の子を欲望の眼差しで見てたの?それを我慢してたって事?TVシリーズも含めてヴァイオレットエヴァーガーデンってそういう事を描いてたのか、と、ビックリしたし、何か凄く嫌な気持ちにさせられました。

 

これ、ヴァイオレット側の視点からなら別に良いと思うんですよ。途中で「気持ち悪いですか」とか言ってましたが、別にそんな事は無いと思うんですよね。

 

身寄りも無く、ただの道具として使われてた自分に、生きる希望を与えてくれた、それこそみちしるべを示してくれた恩人ですよね。ただその人が死んでしまって、居なくなってしまっても、ずっとその人を思いつづける、何をしていてもその人を思いだしてしまう。

 

幼い頃はその人だけが自分の全てだと思っていたけど、その後多くの人と触れあって、自分なりに色々な事を学んだ、より多くの世界を見た。あの人だけが世界の全てでは無いけれど(ユリスの為に一度島から戻るっていう選択をしようとしたヴェイオレットは素晴らしいですよね。凄く成長が見えて嬉しかったです)でも、それでも特別な思いはずっと抱え続けている。自分は少佐を愛しているんだ、っていうのは別に変な事では無い。ここまでの経験や旅を重ねて、成長してなお良く知る事が出来た気持ちですから。

 

だからヴァイオレット側から見たら全然変な事では無いし、気持ち悪いとかじゃ無いと思うのです。10歳の頃に命令して下さいって言ってた時は変だったけれど、その後ヴァイオレットは成長して自分の人格みたいなものが形成されたわけですし。

 

でもギルベルト少佐の方の視点になると、そこがとたんに怪しくなる。せめて、抱きしめる時に子供のヴァイオレットの回想シーン入れなきゃまだ良かった気もするのですが、そこが入るって事は、その時から恋愛感情を抱いていたって事ですよね。ヴァイオレットにまともな人格が形成される前の時点から。

 

う~ん、それこそ正直「気持ち悪い」って思ってしまった。仮にヴァイオレットでなく、少佐の方に「気持ち悪くないですか」ってセリフを言わせたとしましょう。うん、率直に気持ち悪いです。

 

自分でも反省はしてたけど、そんな感情を抱きながらも、ヴァイオレットを便利な兵士として使ってたわけですよね。子供が戦場に居るのはおかしいって一応の倫理観は持ってたし、流石に性的搾取とかそういう所までは行って無いとは思うのですが、良くない事だと知りつつ、そんなヴァイオレットを使ってたと。しかも自分の好みに合うように育てながらですよ。それ、すげぇ気持ち悪くないですか?

 

戦争の罪悪感に苛まれて、戦後は贖罪として違う道を歩む、ヴァイオレットに対しても、合わせる顔が無いから会えないっていう選択肢をとろうとするのもわかります。

でもさ~、そこは心から謝ろうよ。自分は自分の都合で、良くないとか言いながらあなたを搾取してきたんだって。

 

その上で、ヴァイオレットが、自分は搾取されたなんて思って無いし、むしろ生きる道しるべを作ってくれたのだから感謝している。そんなあなたを愛しているから、そんなに苦しんでいるのならば、今度は自分が少佐を助けたい、だから側に居たいんです、みたいな流れになった上で、ただの空っぽ、或いは無垢な存在では無く、自分の人格をちゃんと持ったヴァイオレットと向き合っていく中で、そこでやっと本当の恋愛感情に目覚めたり、恋愛関係みたいなものを築いて行く、というのならそれなりに納得出来た気がします。


そういう流れの上で、末永く二人は幸せに暮らしましたとさ、くらいならそんなに気にならなかったのかも。

 

それがねぇ、相思相愛だと知った瞬間に抱きしめて、子供時代を回想しながらずっとこうしたかったってあなた・・・そりゃあドン引きも良いとこですよ。

 

もしかしたらね、男性の女性搾取と、女性の自立みたいな「ブラックウィドウ」みたいな裏テーマもあるのかもしれないですよ?もしそうならもう少し別の視点でもこの作品を見る事も出来そうですが、その辺りってどうなんでしょう?教えてファンの人。

 

なんかねぇ、私も昔はKeyのゲームとかやってたのもあって、感動の搾取、まあ感動ポルノとか言われる類ですね。そんな感じの印象が凄く強いのです。ああ、あの系譜の奴かっていう。

 

あらかじめお断りしておきますが、私は「ヴァイオレットエヴァーガーデン」に関しては思いっきり初心者ですし、京都アニメーションの系譜とかも全然わかりません。スタッフの過去作とかそういう文脈も全く知りません。

 

ただ、何と無く「死」で感動を売るような作品の系譜にも思えたり、そもそもオタクの欲望が詰まった最強の戦闘美少女みたいな部分もヴァイオレットは持ってるわけじゃないですか。オタクはこういうの好きだよね?それでいて泣けるアニメとか最高じゃん!みたいな部分もやっぱりあるのかなぁ?って気もしてきてしまうんですよ。

 

「特別編集版」の方でヴァイオレットの終盤の戦闘シーンとか全部削ってたじゃないですか。あれってTVの映画枠という部分を考えて、よそ行きというか、普通の一般視聴者層に向けて、これは名作劇場的な感動作名ですよ、っていうフリをしたかったのかなぁという気もして来ました。オタクの欲望が詰まった部分を巧妙に隠そうとしたというか。

 

その時の感想にも書きましたが、割とその「ちょっと名作劇場っぽく見える」って面白い部分かなと思っていて、京都アニメーションが本気で世界名作劇場みたいなのを作ったら、物凄い物が出来そうだなっていう気がするんです。

 

「オタクなんで自分らこういうの好きなんすよ~」みたいな気持ちを控えめにしてさ、本当に一般層に向けた大衆が楽しめるようなものを、このクオリティで作ったらジブリなんか超えられるんじゃねーの?とか思わなくもない。

 

京アニのクオリティの高さって凄く評価されてる部分ですし、私も今回初めてかなくらいで見てみたわけですが、なんだこの実写レベルの背景は!とか、キャラクターもこんな繊細な絵をアニメで動かすんだって素直にそこは感動したわけです。


でもキャラクター性とかその内面とかが、悪い意味でのアニメ臭さがあって、まさしくそんな部分が、私は「う~んこれはいかがなものか」って思ってしまった要因でもあると言えるのですが、その絵のクオリティを人物像のリアルさにも持たせられたら、これはもっと凄い物が出来るんじゃないの?っていう勿体無さとか残念さも同時に感じたと。

 

例えば私が好きな作品だと「ガンダム」も「プリキュア」もそうなんですが、実際にそれが上手く出来てるのかどうかは別として、世界観とか設定は現実離れした嘘っぱちの世界だけど、だからこそ感情とかは嘘の無いリアルさを描かないと、全部が絵空事になってしまう的な事をよく作り手の方がおっしゃっています。

 

別にそんなのばかりが正しくて、ヴェイオレット~みたいな作品はダメだね、的な事を言いたいわけではないのですが、そういう、それぞれの作品なり作り手のコンセプトとか、色々な方向性があるんだなとは改めて感じました。

 

ヴァイオレット~とは全く関係の無い話をしますが、実は今「アイの歌声を聴かせて」見ようかどうか迷ってるんですよ。ネットでは凄く評判が良くてそこが気になった理由なんですけど、褒めてるのって基本アニメ界隈なだけの印象で、映画界隈ではなんか全然話題になって無い。その辺が「この世界の片隅に」とか「若おかみは小学生」とかとは違うのかなと。そこも評判になってるから見たパターンなんですけど、やっぱり物凄い作品でしたし、メチャメチャ面白かったんです。でもそこって、明らかにアニメファンとかは目線に入って無い作り方ですよね。

 

そんな感覚で言えば、やっぱり「ヴァイオレットエヴァーガーデン」って、外向きじゃなく内向きの作品かなっていう印象はどうしてもあって、そこって凄くもどかしいなぁと。京アニが外向きにちゃんとした映画作ったら凄い物が出来そうなのに、ちょっと勿体無い。

 

あと気になったのはTVから60年後で、回想の形で描かれるっていう部分ですけど、最初と最後はまだわかるとして、途中のは入れなくても良かったのでは?TVシリーズの映像もちょこちょこ使ってるから、回想中の回想とか、結構変な事になっちゃってる。なんかそこは欲張りすぎ。

 

少佐の最後の部分で違和感があったので、そこばっか書いちゃいましたけど、電話とか、灯台の電報?(モールス信号みたいなやつ)とか、そういう時代の変化もちゃんと書いてあって、単純に手紙だけを持ちあげるんじゃ無く、それぞれの良さを描きつつ、大切なのは気持ちを伝える事、みたいな所描き方をしてるのは、凄く良いと思った部分でした。

あとユリス君。水橋かおり好きなので(っていうかマミさんと扇ちゃんが好き)そこは良かったよ。

 

という事で、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はこれにて終了。
終わりよければ全て良し、の逆を行く感じだったかも。
全体としてはそれなりに面白かったし、決して見て損したとかそんな感じは無いのですけど、この終わり方は凄く残念でした。

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