僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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プロメテア

プロメテア 1 (ShoPro Books)

PROMETHEA
著:アラン・ムーア(作)
 J・H・ウィリアムズIII(画)
訳:柳下毅一郎
刊:DC/VERTIGO 小学館集英社プロダクション ShoProBooks 全3巻
アメコミ 2014-19年
収録:PROMETHEA #1-32(1999-2005)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

宇多丸氏、驚嘆!!
グラフィック・ノベルという形式(フォーマット)から極限の可能性を
引き出してみせる、アラン・ムーアの魔術的偉業!
こうして、理想的邦訳がきっちり最終巻まで刊行されたこと自体の幸福を、
我々は噛み締めなければならない。
――ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ

 

18世紀の叙事詩、新聞連載漫画、パルプ雑誌、都市伝説……
歴史上のさまざまな語りの中に登場し、痕跡を残してきた女神プロメテア。
レポート執筆のため、プロメテアを取材していた平凡な女子大生ソフィーは、
ひょんなことからプロメテアに変身する能力を得てしまう。
やがて“生ける物語”プロメテアに、魔の眷属が次々と襲いかかり……?

2001年にアイズナー賞、2006年にハーベイ賞を受賞した
アラン・ムーア渾身のニューエイジコミックがついに登場!!

 

 

実は以前に1巻の途中までは読んでたのですが、途中で放置。アラン・ムーアですから一筋縄で行く訳もなく、サクッと軽く読めるようなはずもなく、入院の有り余る時間で何を読もうかと考えた時に真っ先に頭に思い浮かんだのがこの作品。

 

何か2巻だけ増刷されずにプレミアついてるっぽいですが、私はその都度買うだけは買っておいたのでその点は問題無し。ただ、プレミアついても買う価値のある本ですし、そうでなくとも今後10年20年とか、再販される可能性は十分にあるのかなという気はします。

 

誤解を恐れずにハッキリ言います。多分、この世の中にあるコミック、何十年と言う歴史もありますし、その多様さは勿論あるとは思いますが、多分これは全てのコミック・漫画、そういったものの一番上の作品だと思われます。コミックと言う分野の頂点にある作品と言っても過言では無いはず。

 

以前、何かの記事の時も書きましたけど、私はアラン・ムーア作「ウォッチメン」の呪いにかけられてます。1998年だったかな?初の邦訳が出て、それを読んで以来、これを超える漫画は世の中には存在しないんじゃなかろうか?と思わされてしまい、まあ実際今の今までウォッチメンを超えるコミックには出会った事が無かった。

 

いや、面白い漫画やコミックなんて山ほどあるし、そういうものに価値が無いとかそういう言い方はしたくないのですが、私にとって面白いというのは、漫画や映画に関わらず、「楽しい」とか「好き」とかだけを重視して考えて無いんです。「文化的価値」「芸術的価値」「社会的価値」そういった多角的な視点で物事の価値は判断します。

 

今回「プロメテア」を読んでて、ああこれはやばい遂に「ウォッチメン」を超えて来たかと。アラン・ムーアアラン・ムーア自身でしか超えられないという展開。まあそれでも、正直に言えば「ウォッチメン」の方が読んでて話としては面白いし、ウォッチメンはこれまで数回読み返しましたけど、「プロメテア」は今後読み返すかな?と考えたら、そういう面白味では無いかもしれない。

 

ムーアの「フロム・ヘル」と比べたら読み返す可能性はゼロでは無い気はするけど。「フロム・ヘル」あまりの難解さに絶対に2度と読み返す事は無いです。そこら辺から「プロメテア」へ継続してるテーマもあると感じたので、そこは後ほど少し語ります。

 

そんなプロメテア、世間的には魔術書の入門編的な読まれ方をされてるらしいのですが、個人的にはその前段階の部分。「想像界」という所を掘り下げてある辺りが、好みのポイントだったでしょうか。

 

我々が存在している現実世界・物質世界の更に上位概念として「想像界」というのが存在するという体で話が作られている。想像力とかイマジネーションが大事、みたいなのはそれこ古今東西の物語で描かれてきた定番の話ですし、私もそういうの好きですが、そこから更に推し進めて、想像界という世界が現存するという踏み込み方をしている。

 

マトリックス」なんかでもベースとされた孔子の「胡蝶の夢」なんかにも近い部分がありますし、少し捻ったタイプの話なんかだと、神様は人間の願望が生みだしたものだから、想像が生み出した概念が故に、存在もするし、それを証明する事は可能である、みたいなのもたまにあるじゃないですか。「神様」を「UFO」に置き換えてもいい、集団幻想と言ってしまえばそれが正体なんだけど、その想像が世界をそう作り変えてしまうというか。

 


アラン・ムーア作「フロム・ヘル」って私は1回しか読んで無いし、あまり自分と同じような解釈は見た事が無いので、もしかしたら間違ってるかもしれませんが、要はあの話って、ガル博士=切り裂きジャック劇場型犯罪をする事によって、この世界に呪いをかけた。殺人事件を娯楽的に消費するメディアもそうだし、そこに惹かれる犯罪者もあれば、そこに賛を唱えなくとも、逆にそこに怯える気持ちを植えつけられただけでも、それはその人の精神に影響を与えたという事でもある。あの事件を境に、世界は自覚があるかどうかは別として、変化が起きた。あれが世界にとってのターニングポイントでもあり、それは実はガル博士が意図的に仕掛けた魔術的行為であり、犯罪の世紀を呼び起こすものであったのだ。地獄の蓋はガル博士によって開け放たれた。この世界=地獄へようこそ。フロム・ヘル

 

・・・という話だったと私は解釈してるんですけど、それで合ってます?
ああ、勿論映画版はそんな要素1ミリも無いけど。あくまでムーア先生が描いた原作の話。

 

今回の「プロメテア」も構造としては少し似ていると言うか、そういったムーア先生の至高の次の段階。「想像界」というのは勿論、コミックの世界の話であり、そこに留まらず、フィクションや芸術全般でもあり、果てはそのロジックで行けば、文化や宗教、神という概念でさえ、想像界の階層の一つでしか無いという事になる。実際に作中でもイエス・キリストの誕生や概念に触れ、そんなのはあくまで序の口だとして、そこからさらに踏み込むというか、上位概念まで描き始める。(ちゃっかり番外編でクゥトゥルーまで語っちゃうのがムーア先生のお茶目な所)

 

ユダヤ教カバラではセフィロトの木とも呼ばれる生命の樹、宇宙万物を解析する為の象徴図を一つ一つの世界としてそこを巡っていく物語が描かれ、それこそ、この宇宙の全てを解き明かして?読者に説明して行く。

 

「セフィロトの木」とかってさぁ、「エヴァンゲリオン」でもOPとかで使われてたけど、要はあれってカッコいいからそれっぽいものを引用し使ってるだけであって、意味は無いんですよね。勿論、こじつけでそれっぽく設定は作ってあるんだろうけど、やっぱりあれはコピーでしかない。
ムーア先生の凄い所は、ムーア先生も引用というのは多用するんだけど、そこをきちんと調べて全て理解した上で、自分の作品でそれを再定義させて、新しい物を生みだすという事をやってるのが凄い。

 

まあそれを読者が理解出来るのかというはまた別問題だとして(私もとてもじゃないけど全部は理解出来ませんでしたし)少なくとも、ムーア先生の中ではきちっと全てのつじつまが合うように描いてあるのでしょう。

 

全ての文化、宗教、神、学問や科学、人間が想像で生みだせるもの全てをここに集約させて、ついには終末を向かえる。ムーア先生の凄い所は、それを読書体験に重ね合わせて描いてある所。宇宙万物の全ての根源をちゃんとこの物語では描き切りましたよ、それを受けて何か変化があるとすれば、それはこの本を読んだあなたです、というメタ体験を突き付けてくる。

 

いやこれね、「ウォッチメン」における、ラストでロールシャッハの日誌を受け取るシーモアじゃないですか?お前みたいな何の役にも立たないクズでも、一生に一度くらいは誰かに誇れる価値のある仕事をしてみろ!っていう。

 

かつてはガル博士が世界にかけた呪いを、今度は解放させてみろと。想像力の生み出す力、人間の知力はこの宇宙の概念さえも作り変える事が出来ると主張するのだ。

 

いやもう何か凄いとしか言いようが無い。人間の「想像力」をテーマにして、ここまで風呂敷を広げてくるとはまさに夢にも思いませんでした。

 

ちょいと最後に、私らしい感想も付け加えておきましょうか。
訳者の柳下毅一郎さん、プロメテアは魔女っ子物なので日本で言えばプリキュアみたいなもんですよ、みたいな事を言ってたりしました。まあネタ的に言ってるだけだと思うし、そもそも柳下はプリキュアとか見ない人だと思うので、プリオタの私が面白い補足をしておきましょう。

初代プリキュア、最終決戦でピンチに陥った時に、「自分の心の中は誰からも自由。想像力は誰も縛ったりは出来ない」的な発想が反撃の切っ掛けになったりしてます。

え~!?うん、はい。嘘みたいな話ですが、あながち「プロメテアはプリキュアみたいなもん」っていう言い方も間違っては居ないのかも。

 

そして、このムーア先生の異常とも言える頭の中を、ちゃんと絵として表現しきるJ・H・ウィリアムズ3世さんのアートも正直言って異常を通り越してるレベルです。なんでも、難解かつ高尚過ぎてほとんどの人がついていけないこのシナリオをアートへの興味で惹きつけたJ・H・ウィリアムズのセンスこそ評価すべきって声も多いようで、それも実際に読んでるとそれもその通りだと納得出来ます。

 

決して万人が楽しめるような漫画ではありませんが、総合芸術としての漫画・コミックという面では、間違い無く歴史に残る1作ですし。一つの頂点でしょう。
帯のライムスター宇多丸のコメントにもあるように、これが邦訳版できっちり刊行されたのは物凄い価値です。

 

例えば漫画論的な物を語る機会があるとして、「ウォッチメン」とか「プロメテア」に一切触れずに漫画とは何かを語ってたら、それにどれほどの価値や意味が見いだせるのか?ってなっちゃいますよね。だって一つの究極レベルの形がここにあるわけだし。プロメテアは日本に入ってきてないからねぇ・・・って言い訳はもう通用しないという状況になっちゃった。

 

私は「ウォッチメン」の方が思い入れもあって好きですが、まさかのあれを超える物が生きてる内に読めるとは思って無かったので、そういう意味では貴重すぎる読書体験でした。

プロメテア 2 (ShoPro Books)

プロメテア 3 (ShoPro Books)

 

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