KINNIKUMAN
著:ゆでたまご
刊:集英社 集英社文庫 全18巻 1999年(連載1979-87)
☆☆☆
キン肉マン、新アニメ化決まりました。
まあ「II世」の方のアニメもやってましたし、東映的には有名IPの一つですし、機会があれば可能性はあるのかなとは思ってました。
「ダイの大冒険」みたいにまた1からではなく、恐らくは新キン肉マンからやるんだろうなとは思うけど、新しいシリーズってあのキャラが再登場!みたいな所が魅力なので、その辺を考慮すると知ってる人向けの続編という印象が強い。
果たして新しいファンは増えるのか、はたまた昔のは知ってるけど、今のを知らない人向けに作るのか微妙な線ではある。
そんなアニメの話はともかく、作者の本とか読んでる内に、「II世」とか「タッグ編」とか飛び飛びでしか読んで無いから、いつかちゃんと読みたいなとか思いつつ、せっかくだからと更にその前、初代から読み返そうかと思い、ブクオフ巡りしてる時に、1冊くらいづつ文庫版を確保してました。ジャンプコミックス版は36巻で古い奴は終わりなので、文庫は丁度2巻分収録してるようですね。
文庫3巻までだと、1巻が初期の怪獣退治編。2巻が最初の超人オリンピック編。3巻がアメリカ遠征編と丁度良い区切り。
初期のギャグも子供に人気が出たけど、超人オリンピックで自分の好きなプロレスを作品に生かしたらそっから更に人気が伸ばせた的な事は「生たまご」で言ってました。
ただ、元々プロレス好きなだけあって、ギャグとしては初期からプロレスネタをやってるんだなぁと改めて感じたし、逆にアメリカ遠征編はプロレスのマニアックな所に踏み込んで一気に人気が落ちたという話でしたので、色々と今見ても興味深い。
そして「今の視点」で言うなら、キン肉マンってスーパーヒーロー物のパロディでスタートしてるんですけど、ウルトラマンとかそこら辺に絡めつつ、ちょこちょこアメコミヒーローも出てたりするんですよね。
映画の「スーパーマン」よりは後ですが、バットマンとかマーベルキャラも何気にパロディしてたりする。当時はその辺はまだ知名度無かっただけに、今読むと時代が追いついた感があって面白い。いや、話が面白いわけじゃありませんが。
後の、ゆで理論的な所までネタにされて、トンデモ漫画としても愛されてるキン肉マンですけど、私も連載中はずっと好きでしたが、この辺りの作品からは一時離れた時期もありました。こんな子供騙しじゃなく、大人の鑑賞にも耐えられるものこそが本物の面白さなんだ、みたいに思ってた時期がね、私にも正直ありました。
だからこそ富野作品だったり、アメコミヒーロー物にハマったりした。でも一度離れて戻ってきてもさ、愛着やノスタルジーもありつつ、それこそ先日の「生たまご」みたいな本を読んだ後なら尚更、これはこれで必死に作者が頑張って描いたものなんだよなというのはよくわかるし、大人の目線で否定したって仕方ないなと思う。
いやだってさぁ、高校卒業と同時にジャンプで連載スタートさせてるんですよ。そこまではただの漫画が大好きだった少年が、その延長でいきなり自分の作品を描き始める。そこ考えたらさ、そもそもが深くて立派な作品なんて描けるわけが無いじゃん。
もしかしたら中には居るかもしれませんよ、中高くらいで文学作品にハマって、早熟ながら人生の何たるかを理解してしまうような人も全くいないとは言い切れないです。でも大概の高校生なんて、ただのアホでガキじゃん。それがいきなり立派な物なんか描けるはずが無いのよ。しかも週刊連載で休む余裕もないままそれが何年も続くんですよ?必死に10年続けたら、もう30手前ですけど、多分頭の中なんてそんなに成長していない。
私、音楽の方のアーティストとかにも昔から疑問を感じてて嫌だった理由があるんですけど、きちんとした教養や知識、アカデミックな根拠もないただの薄っぺらい言葉で百万人にメッセージを発信してるのってどうなの?
自分はそこに欺瞞を感じて、結果として音楽からは距離をとるようになっちゃったんですけど(アニソンしか聴かない)考えてみるとみんなそうなんですよね。
高学歴の人だっているし、ちゃんと音楽の勉強をして根拠や理論に基づいた上で表現をしてる人だって中にはちゃんと居るでしょうけど、大概はね、学校を出てあとはそこから自分の好きな音楽で食っていくので必死みたいな人が大半なのでしょう。そこに何を求めてるのかと。
自分だってそうでした、このままじゃいけないと思いはじめて、勉強や知識に走ったのって30手前くらいからですよ。そこまではクソの役にも立たないただのオタク以下の存在でした。そんなのと同じじゃあないのかと。
まだ右も左もわからぬまま、ただ必死にやってる人を相手にさ、何をそんなに多くを求める必要があるのかと。今ならそう思います。だからこそ漫画って担当編集者とかが物凄く重要になる。ちゃんとした大人の導き手にならなければならない。そういった所まで含めて読むと、単純に序盤はつまらんのよねって流してしまうだけでなく、色々な物がその背後から読み取れて非常に興味深い。
そしてもう一つ、今回改めて思ったのは、ロビンマスクもラーメンマンも読者応募から生まれたキャラクター。一説によると、キン肉マン、テリーマン、ウルフマン以外は全部読者が考えたデザインらしい。
現代的な視点で、デザインの著作権とか権利うんぬん言い出したら色々困る話じゃないのかとか思いつつ、何気にそれってキン肉マンにおける相当に重要なポイントの一つなのかもしれないと思った。
モブで使われる程度ならまあわかるけど、人気キャラとかになったら、これ自分が考えたキャラなんだぜって、凄く嬉しいだろうなと思いつつ、もうちょい別の視点で考えると、こういう何百人にもなる超人のデザインって、実際に絵を描く中井先生にせよ、アイデアを出す嶋田先生にせよ、2人だけでは絶対にこんなにバリエーション作れませんよね?
ロボットアニメのメカデザインなんかを見てていつも思うのは、たまに新しい人が出てきて、これは今までにない新しいデザインだなってその時は思っても、何作もその人が作品を重ねると、いっつも似たようなものしか出てこない事に気付く。
多くたって10種類も違うの出せませんよね?せいぜい2~3パターンが限度な気がする。ディテールやバランスとか勿論全部は違うんだけど、パーツ構成やラインのとり方とかは基本同じ。
そこを考えたらさ、キン肉マンの超人だって、最終的な仕上げは中井先生がやるとしても、元のデザインは読者が勝手に自分のセンスで描いてくるわけだから、それって無限に近いデザインになるんじゃないかと。
だからこそ、次はどんな超人が出てくるんだ?とワクワクさせられたり、キン消しだって毎回違う超人が出てくるからバリエーションも広がるし、その中でお目当てのキャラが欲しいとかになるからあんなブームになったのかなとも思ったりする。
主要キャラまで読者にブン投げてるのか?と驚いてしまう反面、いやそこが逆に作品を支える大きな魅力の一つなんだよ、作者二人だけじゃきっとこんなに多様な超人は生み出せなかったのでは?とか考えると、何気にそこもキン肉マンのユニークな部分であり、面白さの秘密とも言えるじゃないでしょうか?
あと今回読み返してて、テリーマンが何気にカッコいい。
子供の頃はロビンとかラーメンマンの方が好きでしたけど、改めてテリーマン、良いなぁと。II世の時でしたっけ?キッドが、親父に対して、キン肉マンのパートナーの位置に甘んじてた親父が許せない!みたいな、いかにもな反抗期っぽい事言ってた事がありました。子供にはわかりませんが、主人公だけが全てじゃ無い、脇は脇で大事な存在なんだよっての、大人になるとわかりますよねぇ。
という辺りで次へ。ようやく「キン肉マン」らしくなってくる2回目の超人オリンピックへ続く。
youtubeで丁度単行本のふりかえりをやってらっしゃる方が居て、面白くて気に行ってます。最初のジャンプコミックス版なので区切りは違いますが、今回取り上げたとこまで。
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