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The JOJOLands (1)出発(DEPARTURE)

ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ
The JOJOLands JoJo's Bizarre Adventure Part 9
著:荒木飛呂彦
刊:集英社 ジャンプ・コミックス 既刊1~(2023)
☆☆☆☆

 

とある日本人が600万ドルのダイヤモンドを持ってハワイ島に入国した。オアフ島に暮らす少年ジョディオ・ジョースターは、標的のダイヤを盗み出すため、仲間達と共に潜在先の別荘を訪れる。そこで一同が遭遇する謎とは…!?


ジョジョ第9部開幕。まだ1巻の時点ではプロローグすら終わって無い感じですが、テーマ設定的な所が面白いなと感じたので、せっかくなのでまずここの時点での雑感を記しておく。

 

いやだってねぇ、「ジョジョリオン」って10年もやってたんですよ。今回だって多分それに近いくらいはかかるでしょうきっと。

 

1巻の時点ではケイパー物(オーシャンズシリーズとかああいう泥棒物)っぽい開幕ですが、まあそこは最初だけかなと。
スティールボールランも最初はレース物としてのスタートでしたけど、あんまり後半はその辺の面白さじゃなくなっていきましたし、そこはね、荒木先生の中でその時に盛り上がってる映画とかそういうの次第。

前にも書いた気がするけど、漫画・アニメ好きでそこがメインの人はあまり意識して無い人も多いけど、映画好きな人なら割と元ネタはわかりやすかったりするので、ジョジョはそういう楽しみ方もある。

 

とはいえ、今回の元ネタはこれだよねっていう話をしたいわけじゃなく、昔からジョジョは「人間賛歌」を描いているという本人の言葉を鵜呑みにしてる人も多いけど、途中からそれは「運命論」みたいなテーマに変わってきてますよね。

 

勿論、最初のテーマである「血筋」も「逃れられない物」という所に起因していて、運命どうのもそこから変化して行ったテーマの一つ。

 

具体的には5部のエピローグの「眠れる奴隷」からだと思うのですが、運命というのはもう既に決まっていて、人間はただそこに向かうだけなのでは?という割とありがちな問いに対して、普通だと自由意思がどうのという話になるんだけど、荒木は例え運命というものがあったとして、自分の意思で前に進む事に事に意味があるんだ的な割と独特の答えを見出す。

 

アバッキオの最後なんかもそうでしたし、「終わりの無いのが終わり」というゴールドエクスペリエンスレクイエムの「結果にたどり着けない」事こそがバッドエンドなんだという決着を描いた。

 

そこからの6部「ストーンオーシャン
ここはやはりプッチ神父の「覚悟がある事が幸福」という、これまたちょっと不思議な荒木テイスト、荒木先生らしい答えが描かれました。
例えこの先に不幸があったとしても、それを先に知る事で受け入れる覚悟が出来る。恐怖や不安に苛まれずに済むんだ、という独特の発想で世界を一巡させた。

 

で、次が7部「スティール・ボール・ラン
じゃあその運命は誰が決めるんだ?ネットにひっかかったボールが右と左にどちらに落ちるかは、そもそも誰が決めているのか?それは神の采配なのか?なら、それを自分で決めるには神に近づかなくてはならない、という発想から「聖人」の遺体とか、奇跡とかを求める人達を描いた。

 

そこから8部「ジョジョリオン
ここはやっぱりちょっと特別で、東日本大震災の後での震災文学・芸術の領域になってるんだけど、勿論そこはジョジョ。テーマ的に過去の積み重ねもありきでの話になってました。

 

いくら幸せを手に入れたり、追い求めても結局は「災厄」が全てを飲み込んでしまうじゃないか。まさしく「水の泡」として消えてしまう。災厄こそが人間にとっての最大の敵じゃないか?という発想ですよね。

 

そこに対して、ゴー・ビヨンド、そこを越えて行け。人間にはそんな災厄さえも超えていける力があるんじゃないか。あってほしい、そういう願いが描かれたのが「ジョジョリオン」という作品でした。10年かけて震災と、向き合った荒木先生はやっぱり凄いなと思いましたもの。

 

震災後のチャリティーコミックとか、有名な漫画家さんも沢山参加されてたりしましたけど、じゃあ自分の連載作品を通して、10年かけて自分なりのメッセージや向き合い方を発信した作品って、他に何かあります?多分あれがきっかけで作風やメッセージが変わった作品は中にはあると思うんですけど、その中の最大の例の一つと言っても過言ではない・・・はず。(その辺は漫画マニアの人に色々教えてほしいです)

 


でもって9部。今回の「ジョジョランズ」です。
『これは亜熱帯の島々でひとりの少年が大富豪になっていく物語』


それは普遍的でたとえ敵が居ても最初からすでに勝っているんだ。
「仕組み(メカニズム)」は奪われたり崩れたりもしない、富が流れ込んでくるこの世の「理(ことわり)」
「システム」という言葉よりやはり「仕組み(メカニズム)」と言いたい。それは生態系に似てるから。
「仕組み」の頂点だ。

 

いや~、なんという荒木イズム。
メチャメチャ面白いですよねぇ。

 

ゴー、ビヨンド、それを越えて行けって言った次の話です。運命や人がどうしても抗えない災厄さえも超えていく先に必要なのはこの世の理。

 

この世界のメカニズムそのものを理解すれば、その中での勝ち筋を自分で選びとる事が出来る。

 

経済不況、災害、疫病、戦争と不幸しか広がらなくなった世界に対して、こう抗えという話になるのでしょう。

 

これがね、日本が舞台。いやむしろ世界という意味ではアメリカのニューヨークとかを舞台にして、富豪として成り上がる話でもテーマ的には差異はそんなに無いと思うけど、それをやるとメカニズムの中の一つの「キャピタリズム」の話になっちゃうはず。

 

ストレートに経済の話やっちゃうとね。多分、専門家からの突っ込みが激しいし、荒木もそういうのを描きたいわけじゃないので、ハワイ諸島、小さい島国のその中でのシステムを描く事にしたんだろうなと想像出来る。

 

例えリアリズムが無いとか突っ込まれても、いやこれは端っこの小さい島国の独特の文化として描いてるだけだからって言い訳もできますしね。

 

社会の仕組みってね、まさしく「社会学」という学問がそれをやってるんです。

 

魔法少女まどかマギカ」が、私たちが幸せになれないのはこの世界の仕組みが間違ってるからだ。その根本から変えてしまわないと私たちは幸せにはなれないんだよ、っていうのを描いていたのと、結構近づいてきたなと感じます。

 

運命がどうの、神がどうのと結構突飛でフワフワした事を言ってた人がね、いやそこじゃないんだ。社会の仕組みこそが人が幸せになれるかどうかの鍵なんだ、っていう地に足がついたテーマにようやく辿りついたので、メチャメチャ面白くないですか?

 

でも、じゃあね。荒木が必死こいて社会学を勉強したのかと言えば、多分そうじゃない。それは「まどマギ」もそうだったんですけど、自分で独自の思考錯誤を重ねてきた結果、あくまで結果としてそこに辿りついた、という話だと思います。

 

なので、ここから社会学という学問をベースにした物語を描くのかと言えばそこはそうじゃない。ここから荒木先生独自の、荒木理論的なものがスタートするわけです。なんかすげぇワクワクしません?

 

さてここから10年。10年も経てばまた社会のありようも色々と変化はしていくでしょう。そういった所も含めて、「ジョジョランズ」がどういう所に着地するのか見ものです。

 

完結した時に、改めてこの記事を見て、結構良い線行ってるじゃん?となるのか、すげぇマト外れな事言ってるなぁ、となるのかどっちでしょう?

いやその時にこのブログと記事が残ってるかは知らんけども。

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