MOBILE SUIT GUNDAM Cucuruz Doan's Island
監督:安彦良和
原案:機動戦士ガンダム TVシリーズ 15話
日本映画 2022年
☆☆☆★
割と評判も良さげで、これは面白そうと結構期待してましたが・・・、う~ん、まあ正直「ジ・オリジン」のアニメシリーズと同じ感じ。
リブート、リメイクとしてはこんな感じだろうなって言う安彦さんのセンスはわかるんだけど、どうしても旧作のイメージを引っ張ったまま見ちゃうと、違和感が結構大きい。それは「ジ・オリジン」にしても今回の「ククルスドアン」にしても同じです。
暴言チックですが、偽らざる気持ちなので、ストレートに言ってしまいましょう。ホワイトベースのクルー、アムロも含めて、誰一人私が知ってるあの人達ではなく、名前とビジュアルだけ似た、ファーストガンダムとはかけ離れた全くの別人しか居なかった。私の知ってるガンダムのキャラが一人も出てこない。名前と見た目だけ同じで、中身は会った事無い人達ばかり。
今回はね、タイトルにこそ「THE ORIGIN」ってつけてませんが、設定上も当然オリジン基準。あくまで安彦版ガンダムなのは百も承知です。そこをね、富野由悠季のアニメとは違うんじゃないかっていうのは、筋違いな部分があるというのは自分でも理解してるし、あんまりそこのフィルターをかけすぎてもね、どうかなって自分でも思う。
でも長年慣れ親しんできた物と、似て事なるって違和感が相当に大きい。それは勿論、OVA版のオリジンの時からそういう部分はありました。
具体例を挙げてみましょう。
TVシリーズor劇場版、ベルファストでカイがホワイトベースを降りる決断をした時の話です。
「カイさん。僕はあなたの全部が好きと言うわけではありません。でも、一緒に戦ってきた仲間じゃないですか」
「へっ、そういう言い方好きだぜ、アムロ」
こんな感じのセリフのやり取りがあったかと思います。
これがね、私はメチャメチャ富野チックで面白いなと。
別に親友とか言うような間柄ではない。かといって極端に敵対してるかと言えばそうでもなく、あなたの全部が好きと言うわけではないけれど、それでもここで降りてしまうのは残念。しかもアムロはカイに自分の工具箱を渡すんですよね。売るなり仕事に役立てるなり、自由にしてくれてかまわないからと。
こんな関係性の描き方する人、富野由悠季以外に居ます?私は見た事無いです。変な関係や描き方だけど、こういう気持ちってわかる。これが富野的なリアルだって思えて、私はそういうのがメチャメチャ面白い部分なんです。
今回、アムロがガンダムと共に島で一度消息を絶つ。将軍の命令でホワイトベースは出港しなければならない。アムロを置いて行くのか?ってなった時に、カイやハヤトやジョブさん、スレッガーとかが軍法会議物の違反を犯してもアムロを探しに行く。
いやいやいやいや、貴方たちそんなにアムロと仲良かったっけ?フラウなんて泣きだす始末。え?そんなキャラだっけ?ブライトもミライもセイラさんも、本当に全員が違和感しかなかった。
なんかさぁ、それが安彦版ガンダムの世界なんだって言われたらそうなんだけど、そんな単純な感情とかで動くキャラだっけ?ガンダムって。
あのね、昔安彦さんが言ってました。
富野監督から「顔では笑って心では泣いている」ここはそういう感情の芝居をさせて欲しいという指示が絵コンテに書いてあった。アニメでこんな事を描こうとする人は過去に誰も居なかったし、だったら自分が絵で芝居をさせてやると逆に自分を本気にさせたと。
そういうとこがね、ガンダムの面白い所だと私は思ってるし、富野信者になったのは、そういう所に面白味を感じたから。
でも安彦さん、怒った時には怒った顔をさせるし、悲しい時は悲しい顔をさせる。喜怒哀楽をストレートに表現してしまう。それはアニメの絵柄でもちゃんと喜怒哀楽を表現出来るんだよって言う、アニメーターとしての意地みたいなもんなんだろうし、そういうものをアニメーションの動きの面白さだと恐らくは思ってるんだろうなとは思うんだけど、違う、そうじゃない。
ガンダムって言うのは、富野由悠季の演出って言うのはそこの先にある。そういう所に面白味を感じてた身としては、どうしても劣化ガンダムに見えてしまう。
そんな中でね、あえてぼかした部分もある。終盤でアムロがガンダムに乗りこんだ直後のシーン。恐らくはあそこって、演じた古谷徹でさえ戸惑っただろうと思う。
インタビューとかでね、あれはどういった意図だったんですか?とか聞いたら絶対ダメな奴です。富野だったらあなたバカなんですかって言うし、安彦さんだって、それ言っちゃったら野暮でしょっていう部分だと思う。
あれね、わざわざお母さんのカマリアとの別れ「再会、母よ」を回想で入れたりしてるんだから、この作品に置いてきちんと意味のあるテーマとしてやってる部分です。勿論、そこがドアンとの対比でもあり、物語の締めにまさかのマ・クベを持ってくるセンス。ここに関してはもう褒めるしかない面白い演出でした。「パリは燃えているか?」ですよ。
マ・クベって、ランバ・ラルと同じくオリジンによってよりキャラクターに深みが加わったキャラかと思いますけど、この作品単発においてはマ・クベ=安彦良和と言っても過言ではないでしょう。この作品の文化的価値を一人だけ理解しているという立ち位置。
TV版におけるドアンって、あれはただの脱走兵だと思うんだけど、今回は残地諜者という設定にしてある。ただ勿論、根っこにあるのはヒューマニズムだろうからそこはおそらく変えてはいない。「地獄の黙示録」が発想の原点にあったみたいですが、そこはあくまで脱走兵というだけの話で、ドアン=カーツ大佐ではない。
で、そんなヒューマニズムを持つドアンの対極に居るのがアムロですよ。彼は人ならざる者。こっちはあからさまに「フルメタルジャケット」でした。
安彦さんがニュータイプ嫌いなのは有名ですが、まさかこんな仕打ちというか皮肉を込めてくるというのは流石に意外。けど、むしろそこが面白い部分でもあり、安彦さんの密かな恨みがえしにも思えて、やるな安彦とつい言ってしまいたくなる。
あのね、安彦さんは当然こんな「ククルスドアンの島」なんかじゃなく、オリジン本編をスタートさせたかったんですよ。
自分で最後までやれるかは別として、スタッフワークみたいなものが出来あがっていれば、自分が居なくなってもやれるだろうと。OVA全6章は話だけでなく、コンテンツとしても序章のつもりでやってたのでしょう。が!残念ながら結果として想定以下の数字しか出せず、始動編はスタートできませんと。そのかわり、1本だけなら作ってもいいですよ、というのが今回の作品。
そういう意味では富野の「Gレコ劇場版」と同じ位置付けでしょう。
富野由悠季、安彦良和、どちらも偉大すぎるガンダムの立役者です。でも偉大すぎるが故に、誰も彼らに意見を言えなくなってしまったというのが色々と問題。どちらも偉大なクリエイターですし、今でもその功績は称えられてしかるべきです。「Gレコ劇場版」も「ククルスドアン」もなかなか並のクリエイターでは表現できない部分は大いにある。
と同時に、二人とも老害的な部分もやっぱりあるよな、と思わざるを得ない。「富野さん、ここの演出変ですよ」「安彦さん、こういう表現はちょっと古く無いですか?」とか、誰も言える人が居ないよね。だからどちらの作品も、ある種独りよがり的な部分が
見えてきてしまう。そこが「閃光のハサウェイ」との差の気がする。
今回設定された「サザンクロス隊」とかさ、プラモのバリエーションを増やす以上の価値なんて無いじゃん。どう考えても安彦さんも適当にしか作って無いし興味も無さそう。それだったら島の子供達の方が気持ち入れて描いてるよね、あれ。
メカ的な部分で言えば、作画崩壊ザクは正直見ていて全然違いは感じ無かったし、それはどうでも良いんですが、ルッグンにぶら下がるザクっていうのはアリなんだと個人的にはそこの方が色々と考える部分が大きかった。
ルッグン、意外と大きいんですね。偵察機としての価値しか無いと思ってたから、TVシリーズでもルッグンにぶら下がるザクって流石にそれは無いんじゃないの?と思ってたのですが、コアブースターをサブフライトシステム的に使うジムとか、う~ん、そこありなのかぁ?
「サンダーボルト」でもね、コルベットブースターで自由に空をかけるジムを見て、う~んこれは世界観を壊しかねないなと思ったんですけど、「ギレンノの野望」とかでもね、ジムにコルベットブースター装備させちゃうと、異常な程の行動範囲になって、もうあからさまにジムとは違う別ユニットになるんですよね。
せめて1年戦争の時くらいは、あんまりMSには空飛んでほしくないというのが本音です。
この作品ならではの見所は沢山あるし、これを駄作と一蹴してしまうには惜しい作品ですが、好みで言えば正直ちょっと・・・な部分の方が大きかったかな?私は安彦派じゃなく富野派っていうのも凄く大きいですし。
という事で次は「Gレコ4部」です。そっちの方が楽しみ。
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