www.youtube.com原題:SPIDER-MAN:ACROSS THE SPIDER-VERSE
監督:ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・K・トンプソン
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2023年
☆☆☆☆☆☆
いやいやいや、マジか。前作を余裕で越えてきたぞこれ。
アニメーション技術の最前線、まさしく現時点での世界最高峰のアニメ技術じゃないですか。
いやあのね、前作の時点でそうだったんです。ちょっとこれは過去に無いレベルのアニメ技術だぞ?理論的にはわからんでもないが、実際にこのクオリティで2時間映画を作るって正気の沙汰じゃないぞ?2分間のプロモーションアニメとかじゃないんだよ?・・・というレベルの作品でした。
勿論、技術の蓄積や進歩はあるでしょう。でも、前作はファミコンやスーファミがメインの時代に、いきなりPS2レベルが出現したようなインパクトでした。今回はクオリティアップと言ってもせいぜいそんなPS2が今度はPS3になる程度の差くらいだろうと。そこまでビジュアルに差がつけられない分、話とかそっちに力を入れてそこが面白ければ十分と私は思ってました。
そんな素人考えを吹き飛ばす開幕5分ですよ。正直唖然としました。口あんぐりってやつです。
冒頭、スパイダーグウェンの話から始まります。原作と同じアース65の世界です。・・・って!こんなアース65ねえわ!
原作のスパイダーグウェンの水彩画っぽいカバーアートの世界がそのまま動くんですよ?
原作ではこのビジュアルはあくまでカバーアートです。1枚絵だからクオリティの高い
絵になってるだけで、コミック本編は割と普通の一般的なアメコミと同じ程度の絵柄です。色彩とかは近いイメージで独特のビジュアルにはなってるけど、水彩画風なのはあくまで表紙のみ。でも今回の映画、あのカバーアートの世界をそのままアニメで動かしちゃうんですよ?何だこれ。
今回の映画、そのアース65のみならず、どのキャラ、どの世界でも鼻筋が結構目立つ形になってて、知らないなりに技術を想像すると、基本の3Dにエフェクトをかけてそれっぽい絵柄に画風を統一して、さらに1コマづつ違和感のある部分を修正してより自然なクオリティにしていくみたいな事をやってるんだろうなとは思うんです。
前作も基本はそうだったんでしょうし。手間をかければその分のクオリティアップを望めると言うのは理論上ではわかっても、実際に地道な作業でここまでのものを作って見せつけられたら、もうぐうの音も出ない。
私はねぇ、よく映画全体の話で言われる、邦画もハリウッド並みの予算を使えれば負けないくらいのものが作れる。予算の違いがクオリティの違いなんだよ的に言う人結構居ると思うんですが、ああこの人は映画を何も分かって無いからこんな事を言うんだなぁとこの手の話を見る度毎回思ってきたのでした。お金の違いとか素人かよって。
でも今回のアクロスザ・スパイダーバースを見せられると、確かにお金でクオリティアップ出来るのも一面としては間違って無いよなぁと、つい言ってしまいたくもなりました。
なんかねぇ、本国の方でもオープニングの興行成績が前作の3倍の勢いみたいな話を耳にしました。日本でも多分そうだったと思うけど、スパイダーマンの映画と言ってもアニメ映画なのか?わざわざアニメ版までは見なくても良いかなっていう層はきっと多かったのでしょう。でもただのアニメ映画と侮れないと口コミも広がり、更にはアカデミー賞長編アニメ部門までもを受賞する実績を残す。え?そんなに凄いなら一応見ておいた方が良いのかな?的に、きっと後追いで見た人も多かったのでしょう。そしてこれは劇場で見るべき作品だったと、今回のヒットにも繋がるし、作る方も前作以上の予算をつぎ込んできて、更なるクオリティの高さを追及してきた。
そしてそこでマイルス・モラレス版スパイダーマンという所が重要。
え?ピーターパーカーのスパイダーマンじゃないの?黒人のスパイダーマン?言ってしまえばそれって亜流だよね?
え?こんどのスパイダーマン映画、実写じゃなくアニメなの?MCU版スパイダーマンは成功してるのに、アニメ版とか亜流だよね?
そんな2番煎じのスパイダーマンなんて面白いの?所詮はスピンオフ。どうせポリコレで無理矢理に黒人とか女版とかにしてるだけでしょ?そんなのパチモンじゃん?本物のスパイダーマンじゃないよね?
という世間の声をしっかりメタ的にストーリーに組み込む。マイルス・モラレスは本物のスパイダーマンとは認められないイレギュラーな模造品なんじゃないか?という話を今回やってきやがった。
いやそこはもう流石に「レゴムービー」のクリス・ミラー&フィル・ロードのコンビですよね。作品と言うのはメタ要素まで含めたものが作品ですし、一番面白いのは作品内に意識してそれを取り入れてある事。
B級ヴィランに見えて、予想外の活躍を見せるスポットもちゃんと作品のテーマにリンクさせてくる。本物ではない何かの副産物とされる自分はじゃあ一体何者なのか?自己のアイデンティティを追及する存在として描かれる。
いくら凄いものを作った所で、「こんなのスパイダーマンじゃ無い」という心無い言葉はこれからもどんどん投げつづけられる事でしょう。黒人が、女が、という差別意識は残念ながら世の中から完全に無くなる事は無いだろうし、無意識的なものも含めて、ネガティブなものは絶対にゼロにはならない。でもそれ以上に、自分の価値は自分で決める。自分の居場所は自分で作ってしまえば良い。
それが「スパイダーマン:スパイダーバース」という映画ですよね。
本物かどうかなんて誰が決めるんだ?
運命なんか、世界なんか自分で切り開いてしまえば良いのだと。
カノンがなければエアーでもクラナドでも良いじゃない?(違う)
そんなマイルスよりも、ちょっとだけ大人なグウェン。これも運命なんだと、あきらめて受け入れる事で大人の世界へ一歩先に進もうとしている中で・・・という感じで、ほぼW主人公みたいになってる所も良かった。
どのユニバースでもグウェン・ステーシーはスパイダーマンと恋に落ちる。けれど必ず悲劇に終わる。それが運命なんだって言うけれど、マイルスはそこで言うんですよね。「何事にも始まりはあるよ」って。そう、過去に前例が無いからそれが何だ?いつだって最初の一歩を踏み出せる人がヒーローと呼ばれるんじゃないかと。
思えばグウェン・ステーシーも、かつてはアメコミ界の悲劇のヒロインの代表格的な存在だった彼女。色々と設定とかも付け加えられたりはしたけれど、基本的には清楚ヒロインのポジションですよね。スーパーマンで言えば、現代的なキャリアウーマン的なロイス・レインじゃなく田舎に留まったラナ・ラングのポジション。勿論、スパイダーマンなら今風の強い女性として描かれるのはしばらくの間はMJことメリージェーン・ワトソンの方でした。
私自身もそうですし、昔ながらの童貞こじらせたようなオタクは、きっとMJよりもグウェン派だった事でしょう。でもきっと、女性の視点で言ってしまえば、悲劇のヒロインを押しつけられるのなんか良い気分はしないはず。だからこそロイスやMJという存在が、時にヒーロー以上に時代を表す表現として変化してきた。そしてその先に更に変化が起こったのがスパイダーグウェン。今の世の中のジェンダー感であれば、もう男性(ピーター・パーカー)と立場が逆転してたって何もおかしくないでしょ?というのを体現したキャラ。
ただのマイルス・モラレススパイダーマンのヒロインポジションとしてではなく、もう一人の主人公、あくまでW主人公みたいなものですよ、として描いてあったのが結構グッと来る感じでした。まるでねぇ、スパイダーグウェンっていう1クール分くらいのアニメシリーズが本当にあって今回はその総集編要素も含みますよ的に見えました。
そしてラスト。
1作目の色々なスパイダーマンは今回はグウェンとピーターB(ベン)以外出番無し。同じキャラ出すよりも、また新しいキャラを紹介するから今回は今回で新キャラを楽しんでね!新キャラの商品もいっぱい出るから的な大人の事情も含んだ判断なのかと思ってました。そしたら最後、まさかこんな展開になるとは。思わず劇場で叫び声出そうになりましたよ。
ツイッターとか見ると、前後編なの知らない人も結構多くてビックリ」しましたが、最初に発表された時点でパート1パート2だったので、ファンで情報を仕入れてる人ならその辺は最初から知ってたはず。勿論、クリフハンガーで終わるのか、それなりにキリの良い所でまとめて、次回予告的なオチを持ってくるのかまでは不明でしたけども。
それをねぇ、まさかこう来たかと。私的には予想の範疇外でしたので、何と観客の心を弄ぶのが上手いのかと感心してしまいました。
次回、ビヨンド・ザ・スパイダーバース楽しみで仕方ありません。
これがまた3年後とかでは無く、1年後には見れるというのがありがたい。
関連記事