僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

www.youtube.com監督:古賀豪 
脚本:吉野弘幸
原作:水木しげる
日本映画 2023年
☆☆☆☆★

 

映画オタクの間でも高評価で話題になってた作品なので、見たいと思ってはいたのですが、一番近くの映画感だと上映が年明け。来年まで待つかとも思ってたけど、今年の映画だし今年の内に見ておきたいかなと思い、一つ離れた(大して遠くは無い)方で結局年内最後に見る事に。

 

2018年から2020年までやってた第6シリーズの劇場版という位置付けですが、鬼太郎が主人公じゃ無く、鬼太郎が生まれる前のエピソードゼロ的な奴なので、その辺りは特に気にする必要は無し。

 

6期は割と社会問題を取り上げる話が多くて話題になってたし、気にはなってたんだけど結局全然見て無い。

 

「鬼太郎」私が子供の頃に見てたのは戸田恵子が声やってたやつだから第3シリーズってやつのはず。ファミコン版とかも出てた時期。夢子ちゃんっていうサブキャラが居たのは多分そのシリーズだけなのかな?
あとSDガンダムのおかげで私はボンボン派だったので、そこで連載してた水木先生の鬼太郎もそこそこ馴染みはあるんですよね。点描とかちょっと怖かったけど、基本的にはアニメ版のイメージありきで見てたので、妖怪バトル物と当時は思ってました。オカリナを剣にして使うのも第3期アニメくらいなんでしたっけ?

 

その後は大人になってから、水木先生の劇画関係を文庫で2~3冊読んだっけかなぁ?くらいで、正直そんなに通ってはきていない。

 

あと、何故かは知らないけど私の姉が鬼太郎好きで、鳥取県にそれ目的で何度か旅行に行ったりしてて、おみやげとかもらった記憶があるな。

 

鬼太郎は物語に社会性が反映される事も多いので、その時代その時代に合わせた話が作りやすい。同じ妖怪の話でも各シリーズで別バージョンが作られたりして面白いんだよ的な事はそれこそ6期が話題になってた時に聞こえてきた話。

 

というか鬼太郎は昔から東映ですから、その話題になった6期の監督をやってた小川さんが今の「ひろがるスカイ!プリキュア」の監督ですし、今回の映画版の古賀監督は何なら「ドキドキプリキュア」の監督です。
作画のクオリティコントロールとかはいかにも東映イズムでしたね。映画だからって全編をヌルヌルに動かすんじゃなく、ここぞというアクションシーンさえ動かせば良いという考えが東映なので。予算もあるし、緩急もあえて入れるのが東映アニメのメソッドとしてある。

 

アニメーションとしての動きとかで売るんじゃなく、内容で勝負という所ですが、いやよくこの企画通したなという、かなり攻めた企画。

 

鬼太郎の世界を使って「犬神家の一族」的な横溝正史的な物語をやりつつ、そこは鬼太郎ですから妖怪をきちんと絡めた上で、更に水木イズムを根底で描くという結構な離れ業をやってくれました。

 

特に最後の「イズム」を残すって実は物凄く大事な部分だと思うんですけど、ストーリーや絵という表層を再現する事を重視しちゃって、この作者が考えている根本の思想とは何か?みたいなものを見据えて作るってほとんどの作品でやってないんですよね。映画とか90分~2時間に纏めるんですから、原作のエッセンスを散りばめつつ、その根っこにある本当に伝えたいものは何か、みたいなのを残すって物凄く真っ当なやり方だと思うんだけど(マーベル作品なんかは原作が無限にある分、そういう作り方をして成功した)これがなかなかみんな表面ばかり気にするので上手くやってる作品は少ない。今回はそんな少ない中の上手く行った例じゃないかと。

 

私見て無いけど「ゴジラマイナスワン」福原遥主演「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」そして先日観た「窓ぎわのトットちゃん」今回の「ゲゲゲの謎」と同時期に戦前から戦後辺りの時期を描いた作品が集中してどれも話題になってるという変わった状況。

 

その中での「ゲゲゲ」の描き方の面白さ。
戦前も、戦中も、戦後も、そして今の時代の現代も、全部クソだって堂々と主張してくる。

 

昔は良かったなんて言わないんですよ。そして今の時代は良いなんて事も言わない。どっちもクソだし、人間は総じてみんなクズ。戦争を実際に体験した水木だからこそ言える、綺麗事なんか必要無いよというニヒリズムが根底にある。

 

一族が成り上がった謎の製剤「M」疲れを感じさせず、無限に人を動かすというのは当時の合法覚せい剤ヒロポンなんかを思い起こさせるけど、太平洋戦争以前の日清日露戦争時代から使ってて、死を恐れず襲いかかってくる日本兵の正体はそれだった的な歴史の解釈の面白さもあれば、更にですよ、戦後は資本主義社会で戦場がビジネス戦争に変わった。その新しい戦場でも覚せい剤が必要になるんだと。

 

この社会風刺がクッソ面白かった。だって覚せい剤じゃないけど、栄養ドリンクのCMで「24時間戦えますか?」ビジネスマ~ン!とか実際にやってたじゃないですか。
ブラック会社で肉体も精神も限界までこき使って過労死させるのを良しとするのが今の政治ですよね。それは弱者だから。社会的弱者は吸い取られるだけ吸い取られて捨てられるのが世の中の常。

 

ああそうそう、今回の主人公の一人の水木が務めてるのって血液銀行なんですよね。実は私、今回の映画で初めて知ったんですけど、血液銀行って実際に血液をお金に変える仕事で、昔は実際にあったものらしいです。
最初は弱者の血肉を吸うみたいな揶揄でそんな名前をつけてるのかなと思ったのですが、実際に当時は職が無い人とかが自分の血を売って生活してた人も居るようです。いや世の中本当にクソだな。

 

そして、権力者が弱いものから全て吸い上げるような世の中の構造って、今も実際何も変わってませんよね。

 

たまに私書いてますけど、何で政治家が弱者に目を向けた政策をとらないのかと言えば、政治家本人は何も困って無いからですよ。彼らは弱者じゃないから、弱者の気持なんかわからないし、そもそも彼らにはただの絞り尽くす材料なのであって弱者を人間だなんて思って無いからそういう事が出来る。

 

じゃあ彼らは悪魔のような人間なのかと言えば、そう言う事じゃ無くて、資本主義を選んでるのは国民の皆さんですよね?資本主義って言うのは弱肉強食の世界。勝者と敗者が分かれる前提の考え方、捨てられるのが嫌なら勝ちあがって下さい、競争社会を選んでるのはあたたたちなんですから、という考えが基本。

 

昔から言ってるけど、何で世の中はそんな考えの自民党を支持するのか、さっぱりわかりません。多分、大多数の人は自分が弱者側の人間だって認めるのが怖くてそこから目を背けてるのかなとは想像するけど、私はみんな生きられる世の中の方が良いと思うんだけどなぁ。

 

とまあ、「ゲゲゲ」で描かれるのは、そんな戦前から今の世の中まで、何も変わってないよね?これのどこに綺麗なものがあるの?という皮肉が本当に素晴らしい。

 

確かにそうだよ、人間は、社会は昔から今まで愚かだよ。それでもこんなクソみたいな世の中だって、信じられるものがあるじゃん、信じたいものがあるじゃん?ゲゲ郎が、そして水木がそんな「世の中」に背を向けたもの。

 

鬼太郎とはそういう存在。
弱者に寄り添う、人と闇の狭間に生きし者。
鬼太郎というある種のヒーローをこう再定義したセンスが圧倒的に凄い。

 

そして私はそこから更に感心したポイントがある。
最後のエンドクレジット時に流れる絵(漫画)あれってボロボロになったゲゲ郎と顔が崩れていた奥さんを見て、一度逃げ出してませんでした?でも思いとどまって戻ってくる。
奥さんを埋めて、墓場から鬼太郎が生まれてくる。こんな不吉な存在は今の内に仕留めてしまわなければと思うが、踏みとどまる。

 

思えば冒頭の列車のシーンもそうでした。
せきこむ子供が居る前で堂々と煙草に火をつけようとする。でもあそこ、結局吸わないんですよね。
沙代ちゃんと村から逃げようとする。でもゲゲ郎を助けに行かないと、と踏みとどまって戻ってくる。

 

人間は誰だってそうだ。悲惨なものに目をそむけて、一度はそこから逃げようとする。でもふと立ち止まって考える。これで本当に良いんだろうか?勇気を持ってまた戻ってやり直そうとする。それが出来るのもまた人間なんじゃないの?

この作品はそんな主張をしてるように思えた。

 

恐ろしいものから目をそむける、それは人として当たり前だ。けれど、考えてほしい、自分が何をすべきかを、何が大切かを。

 

いやメチャメチャツボな作品でした。間違いなく傑作。
と同時によくこんなトリッキーな企画、押し通したわと感心します。

 

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