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マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON -浅き夢の暁-

マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON-浅き夢の暁- 1(完全生産限定版) [DVD]

Magia Record: Puella Magi Madoka Magica Side Story Final season
総監督・シリーズ構成:劇団イヌカレー(泥犬)
TVアニメ 2022年 全4話
☆☆☆

 

アニメ「マギレコ」ファイナルシーズン公開。私はニコ生の一挙放送で見ました。
OPEDも2期のままって、あからさまに落とした奴を分割して3期とか言い張ってるだけじゃねーか。せめてそこくらい変えてほしかった。

 

毎回言ってますが、私はアプリゲームの方は一切触れてません。そしてこれまた毎回ですが、私はキャラとかストーリーより、そもそもこれは何を描いてる話なのか?ってとこが一番の興味どころ。
マミさんは大好きですが、まどマギ本編も何が面白かったって、やっぱりあの話は社会構造についての話なので、まどマギというのはそういうもの、という印象です。

 

表向きは分割してますが、実質セカンドシーズンの最後だけ後から放送しただけで、話はそのまま時間をおかずに繋がってるので、テーマも基本は同じ。

 

1期はキャラ紹介に終始した印象でしたが、2期は「弱者の救済」がストレートに語られるようになって、そこは面白いなと思った部分。そこからの延長の話なので、今回のファイナルシーズンは、物語の種明かしと同時に、ああこういう話だったのか、と納得が行きました。

 

ネタバレありきで語りますので、ネタバレ回避したい人はスルーしていただいて結構。

 

今回、1話分まるっと使って描かれてたクロエさんですが、アニメオリジナルキャラで、ゲームにはアニメの後から追加されたそうです。そこの話が面白くって、「何者にもなれない自分」みたいな事が描かれてました。

 

2期の時にも少し触れましたが、ああ、これは自分の事だなって思った人ってどれくらい居るものでしょうか?

 

要はこの話って、スマホゲームにこんな一生懸命になって課金してるお前らは弱者だって言ってるわけですよね?

 

そこをどう感じるかがこの「マギレコ」ってアニメの評価の別れ所かなぁと思う。そこでさ、「は?何言ってるの?意味分かんない」っていう人には、何やってるか意味分かんないアニメでしょうし、「痛たたた、いやあ、痛い所を突かれちゃったな」と思う人には、痛い所をついてくるアニメだし、「こっちは客だぞ!金払ってやってるのに、その客をバカにするのか!」って怒る人は、このアニメ見ても怒ると思う。

 

でも、やみくもにオタクをバカにしてるとかそういうのじゃなくて、灯花、ねむ、ういの3人ってきゅうべぇの能力のコピーだったわけですよね。そしてそれはきゅうべぇを研究して考え抜いたシステムだから、自分達がきゅうべぇのシステムの先を行けるんだという欺瞞。

 

つまりはこれって、虚淵・・・って別にオリジナルの「まどマギ」は虚淵一人で作ったものじゃあないけど、ここではわかりやすいので代表として挙げさせてもらうけど、きゅうべぇ=虚淵が作った「まどマギ」という作品に対して「マギレコ」は所詮劣化コピーでしかなかった、そのシステムを超えるつもりで必死に考えたけど、所詮そんなものは虚構でしか無く、オリジナルを超えるなんて出来なかったっていう、この作品そのものの敗北宣言として作品内でそういう自己批判として描くしか無かったって事ですよね。

 

勿論、スタッフやキャストは一生懸命頑張ってくれたのは間違いないし、彼女らを否定なんてしちゃいけないから、みかづき荘のメンバーは、それでもその先に希望があると信じてこれからも歩いて行く、という描き方をしている。

 

そういうメタ構造として見た時はなかなかに面白い感じではありました。

 

ただね、正直を言わせてもらうと、私はやっぱりきゅうべぇが喋ってるシーンが一番面白かった。この作品のやりたい事、目指したい所、頑張ってるのは凄くわかる。・・・でも、やっぱりきゅうべえのロジックには敵わないかなぁというのが。

 

テーマはすっごく良いんですよ。お前らは弱者だって言われて、頭に血がのぼる人も中には居るかもしれませんが、この分断社会において、ほとんどの人が弱者です。アニメ全般には詳しくないので、アニメではどういう描かれ方をしているのかはわかりませんが、映画の世界ではこの弱者を描く、あるいは分断社会を描くって、ここ数年の世界的なトレンドです。そういう映画が山ほどあって、社会的な評価を受けている。そういう視点で観た時の「まどマギ」なり「マギレコ」の面白さですよね。

 

セカンドシーズンの感想にも書いたけど、そんな社会の中でドッペルを暴走させる人が多発しながらも、なんとかコネクトしてこの世界を生きて行こうよっていう描き方は私は正しいと思う。

 

そんな社会の改革を描いたのが「まどマギ」本編だったわけですが、所謂その派生である「外伝」の名を冠した「マギレコ」はただの劣化コピーになってしまうのはある意味必然でもあり、でもその中で、親を超える何かを生みだせるのでは?と挑戦を試みた事は素晴らしいと思うし、結果、失敗に終わったのだとしても、そりゃあ外伝ですから、分家が本家を超えるって土台無理な話ですから、とも思うし、万が一超える可能性があったとしても、そこは配慮というか忖度というか、大人の選択肢は選んじゃっても仕方ないな、とは思います。

 

外伝である時点で、決して英雄にはなれない者の物語なわけで、表向きの主人公はいろはだけれど、自分達は所詮クロエでしかないよね、っていうのはすっごくわかる。

 

これは、歴史には残っていない物語である。彼らの物語は民間の伝承としてわずかに語られるのみだ、っていう「クロスボーン」ガンダムでやってたような、外伝としての定番の落とし所、これは歴史の陰に存在した者の記録(レコード)である、って締め方をしてあったのは嫌いじゃないです。

 

決して英雄にはなれない私たちって、むしろ人によっては英雄譚よりそっちの方が響く人の方が多いんじゃないかって気がするし。「アマデウス」で言えば、自分はモーツァルトじゃなくサリエリの方だ、っていう人、世の中にいっぱい居ません?
ガンダム」なら自分はアムロにはなれないので、カイの方が自分に近いとかいう人だらけですよ、実際の世の中って。

 

まどマギ」というか、きゅうべえの思想で凄く面白いなと思ったのは、十代の少女の希望から絶望へと変わる感情エネルギーが、この世界の理をこえるエントロピーを引き起こすものっていう発想。これ、すごく面白いですよね。戦後の復興の力は通常のロジックを超えるエネルギーに感じたのが「AKIRA」の超能力の発想だったっていうのの系譜として面白い。


でも、それを言うなら人間の負の感情とかだってそうじゃない?っていう発想が「マギレコ」ですよね。そのルサンチマン的感情を世間にぶつけてしまえ、世間は対価を払うべきだっていうマギウス計画と、だったら少女じゃ無くてもいんじゃね?男も女も老若男女関係無し、負の感情で世の中全部をぶっ壊してしまえっていうアリナの発想も、それはそれで面白かったりする。

 

とまあテーマとしては十分に面白いものがあったにも関わらず、そこに至るまでというか、全体の構成が細かく刻み過ぎていて、盛り上がりに欠けたのが非常に残念。個々のエピソードは光るものがあったと思うんだけど、元がゲームと言うのもあってか、キャラが多すぎて裁き切れて無いのが見てとれましたし、そこは元のゲームがある以上仕方なかったのかもしれませんが、ゲームを知らずにアニメだけ見た私にとっては、物凄くもどかしいものがありました。

 

ちゃんとテーマを軸に全体の構成を作って、ゲームからは数人だけピックアップする程度で作ってたなら、傑作になった可能性はあっただろうにな、と残念に思います。それでは今度はゲームのファンにとっては喜ばしい事では無いんだろうけど。

 

最初は、いろはとやちよが、「もう一つのまどかとほむら」みたいな存在で、まどマギ本編で描かれなかった別の形みたいになるのかな?と思ってたけど、そこは全然違ってて、前半はやちよが裏主人公っぽく思えたけど、最後は正直ただのモブでしたし、そういう部分に関しては何これ?感が強かった。

 

う~ん、ちょっと勿体無かった。でもメタ的には面白い部分も多くて、観終わって見れば、そんなに嫌いにはなれない作品だったかも。

 

ゲームはこの後も第2部として続いてるらしく、多少は気になるものの、同じような感じでしかやれないなら、アニメはもういいかな?っていう感じです。いや、もしやってくれるなら見るけどさ。


「反逆の物語」も次は作ってるんですよね?そっちに期待。

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