僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

ビフォア・ウォッチメン:コメディアン/ロールシャッハ

ビフォア・ウォッチメン:コメディアン/ロールシャッハ (DC COMICS)

BEFORE WATCHMEN:COMEDIAN・RORSCHACH
著:ブライアン・アザレロ(ライター)
  J.G.ジョーンズ、リー・ベルメホ(アーティスト)
刊:DC ヴィレッジブックス ビフォア・ウォッチメンシリーズ1(全4巻)
アメコミ 2013
収録:BEFORE WATCHMEN:COMEDIAN #1-6 :RORSCHACH #1-4(2012-13)
☆☆

 

アメコミ界の金字塔、アラン・ムーアデイブ・ギボンズによる「ウォッチメン」が世に出たのは1986年。日本語版は1998年に一度メディアワークスから出て、絶版プレミア化。その後小プロより再刊行。

 

98年の日本語版ウォッチメンを読んで以来。私はウォッチメンに呪われました。今まで読んだ漫画の中でウォッチメンはぶっちぎりで最高の作品でした。で、それから20年経ってもそれは変わってません。世の中の全ての漫画の中で最も優れた作品はウォッチメンです。

 

勿論それは「私の中で」の話であって、世にある全ての漫画を読んではいません。例えばギャグ漫画とかジャンルの違うものと比べたってそこに意味あんのか?とも思います。ただの与太話以上の物ではありませんが、98年に読んで以来、私の中ではウォッチメン以上に凄いと思える作品は20年出会えませんでした。いや、面白い漫画でもアメコミでも沢山あるんだよ。でもウォッチメン基準みたいなのが出来ちゃって、最高に面白いけどウォッチメンは越えてないな、とか思うようになってしまいました。別に、そこの基準には届かないから面白くないなとかではないのですけど。それが私のウォッチメンの呪いです。

 

まあ、世の中の漫画の頂点かどうかはさておき、歴史に残る1冊である事は変わりません。そういうものの続編を、しかも元の作者でも無く全くの他者が書くのはいかがなものなのか?という疑念は拭いきれません。

 

続編なんか絶対に書いてはいけない物だ、というのは作っている方も百も承知でそれでも挑戦してみたくなるのはクリエイターのサガでしょうか?ウォッチメンは特に「あの時代だからこそ」という時代性みたいなのも重要なファクターですし、30年経っても越えられないというのもそれはそれでおかしい、今の時代なりに描けるものもあるのでは?という挑戦もしたくなる作品ではあるのかなとは思います。

 

正直な所、実際に「ビフォアウォッチメン」はそれほど話題にもなりませんでしたし、私も買うだけ買って、まあいつか読もうぐらいで積んでました。ただ、来月かな?「マクガイヤーチャンネル」でドラマ版ウォッチメンの特集をやるので、残念ながらドラマはまだ見てないのですが、この辺のネタも出るかなぁと思って重い腰を上げたしだい。無料の前半1時間は原作とアラン・ムーアの話だけで終わるのは目に見えてますしね。楽しみです。

 

という事で読み始めた本作。
まずは

 

■コメディアン編
この世の中は不条理であって、それこそが本当の条理であると気がついてしまったが故に、じゃあ自分がその時代の体現者、おかしい人間の代表なんだとコメディアンを名乗る、でしたっけか?そういう意味じゃジョーカーと似たタイプ。というかジョーカーを「キリングジョーク」でそういうキャラにムーアが描いたって事ですけども。

 

ベトナム戦の極限においてと、後は帰国後に政府の雇われ裏仕事で倫理や理性がおかしくなっていく、みたいな感じが描かれるのですが、この辺はその背景にある政治事情とかを知らないとわかりにくい。ってかゴメン、私は全然わかんなかった。色々な映画を見て少しは知ってる部分はあっても、全体像みたいなのまでは前々私把握しきれてないなぁというのを痛感。

 

正しくとまではいかなくても、せめて自分なりにでもそういった所を飲み込めていれば、色々と読んでて楽しめるのかなと思ったのですが(例えばあの事件や人物をこういう解釈にしたのか!とかね)残念ながら今の私にはわからず。

 

ひたすら続く戦争の残酷描写だけを見て、この狂気の世界が彼を変えていったんだとか言いたいんでしょ?はいリアルリアル、つーかグリムアンドッグリッティ面白い?なーんて安易な答えを言ってしまえる以前に、まず話すらよく飲み込めてないという始末。つかケネディ一家なんでこんな何人も居るのよ。誰が誰だかよくわからん。

 

ブライアン・アザレロ版「ジョーカー」も、ん?狂気ってこういうもんなの?みたいなよくわからん感想しか持てませんでしたが、ちょっとそれに近いものを感じました。

 

 

ロールシャッハ
ウォッチメン一の人気キャラのシャッハさん。解説で「弱いのが少し気になる人も居るかもしれないが」とか書いてますが、私の中ではボコボコにされるロールシャッハはむしろ「らしい」と感じました。本編の方だとそういうシーン無かったっけかな?確かにチンピラを軽くあしらってはいましたが、絶対に勝てない相手にも屈しないというのがロールシャッハではあったので、その編に共通点を感じたのかも。

 

ダイナーでのやりとりなんかも、非常にロールシャッハらしい。
タクシードライバー」とのリンクも文芸全般の引用が大きなウェイトを占めていたウォッチメンならでは、という感じがする。

 

う~ん、でも「なんとなくそれっぽい」印象以上では無かったかなぁ?一度本編を読み返してからこっちの方が良かったかも?ただ、確か少なくとも4回くらいは読みなおしてるはずですが、1日2日でサクッと読み返せるものじゃないからウォッチメンはちょっと大変なんですよね。

 

とりあえず次もこのまま行きます。
2巻目は「ミニッツメン/シルクスペクター」編。
お、先日「ニューフロンティア」読んだばかりのダーウィン・クックですね。


という所で2巻に続く。

時をかける少女

時をかける少女 角川映画 THE BEST [DVD]

監督:大林宣彦
原作:筒井康隆
日本映画 1983年
☆☆★

 

<ストーリー>
高校生の芳山和子は、学校の実験室で白い煙とともに立ちのぼったラベンダーの香りをかいだ瞬間、意識を失い倒れてしまう。それ以来、時間を移動してしまうような不思議な現象に悩まされるようになった和子は、同級生の深町一夫に相談するが……。


時かけ」多分、初めて観ました。アニメ映画がヒットしたので、今だと多分そっちの方が有名かと思いますが、原田知世主演の角川映画の方です。何度も映像化されてるようですが、他のバージョン含め、一度も見て無いと思います。主題歌だけは流石に知ってるかな?ぐらい。

 

映画好きとか言ってるくせに、こういう有名だけど見た事無いものなんて山ほどあります。大林宣彦は2008年の「その日のまえに」ってのを見たくらい?映画雑誌とかは普段から読んでるので大林監督の「尾道3部作」とかそういうのは知識…というか字面は幾度も目にしていましたが、実際に見るのは今回が初めてです。

 

自己擁護みたいに聞こえるかもしれませんが、「ファンならこれ見て(読んで)て当然!」みたいなのは全く気にしません。タイミングなんて人それぞれですし、もし見て無い作品があったらこれから見ればいいだけの話。


先日の「今日は一日ガンダム三昧」ってラジオがあって、アシスタントの方が前々ガンダム知らなくて、仕事に合わせてファースト劇場版3部作を見たくらいという事でしたが、司会者やゲストが、じゃあこれから楽しめる物がいっぱいあっていいね!って言ってて、やっぱそうありたいなと私も思いました。

 

映画好きなんて尚更そうです。昔の作品でも、これから見るものなんて山ほどある!こんなに楽しい事は無い。

 

と言う事で、初「時かけ」ですが、タイムリープ物なのは流石に知ってましたが「バックトゥザフューチャー」みたいに、過去に戻って未来を変える、みたいな話なのか、「シュタインズゲート」とか「ミッション8ミニッツ」みたいに今風のループ系みたいなものなのか等、一口にタイムリープと言っても色々と種類があります。さて時かけは・・・ん~?んん~???

 

一応言っておきますが、基本ネタバレで感想を書きます。


これがなかなかタイムリープしない!
自分の知ってるのとは違って、時間軸がちょっとおかしい所をミステリーみたいに解き明かしていくみたいな意味でのタイムリープなのか?とちょっと焦ってしまいました。全体の半分くらいになった所でやっとタイムリープするんですねこれ。

 

そこからやっと不思議な世界みたいにSFっぽくなって、2度くらい繰り返した後に、色々と謎が解き明かされる事になる。

 

ああでもなるほど。これ「まどマギ」のほむらちゃんみたいに時間遡行者だから「時をかける少女」じゃなくて、エピローグみたいな、あの数年後こそが時をかける少女になってるわけか。へぇ~凝ってて面白い。

 

タイムトラベラーが作った新しい時間軸で、その人に恋をしてしまうと。で、自分はこの時間軸の人間じゃなくて、本当のあなたは別の人と恋をして結ばれるんだよ、と言ってその人は去って行く。でも主人公はその恋が忘れられずに、永遠に結ばれる事は無い世界で、ただただ再会することを夢見て待ち続ける。彼女は時間に翻弄され、時の迷い人になってしまったのだ、という意味での「時をかける少女(の心)」みたいな感じでしょうか。

 

原作小説とは色々変えているらしいですが、そういう二段落ちみたいなのは元々あるものなのかな?そこはSFとして面白い。

 

でもこれ、自分が思春期の時とかにもし見てたら、いつか二人は再会して結ばれる可能性だってあるはずだ!とか夢見そうですが、こうして映画オタクになって最後のシーンはそれぞれ違う方向に歩いてるんだから、それは道が交わる事は無いという示唆をセリフや説明で無く画で表しているんだ!と、あのカットの意味とか読めちゃう辺りが良くも悪くも大人になったなと思いました。

 

うん、でもこれ当時ならではなのかもしれませんが、男は現実的で、主人公の女の子は夢見がち、みたいになってるのって、今ならそれ逆かなぁと思ってしまいました。女の方が現実的で、むしろ男の方が夢を見続けたい、みたいな方がしっくり来ます。まあそんな事言っちゃうと、そもそも男だから女だからとかジェンダーでひと括りにする方がおかしい、そんなのその人しだいでしょ?って結局はなってしまうのですが。

 

アニメ版の方もいつか見ておきたいと思います。そっちは男が夢見がちで女が現実的という感覚が逆になってると予想。

 

あとはそのエピローグの後のエンドロール。原田知世が素直に可愛い。私は「アイドル」って子供のころから全く興味の無いジャンルで、そこは今もそうなのですが、映画には「アイドル映画」っていうジャンルもある。その辺も正直よくわかんねえな~って感覚でいるのですが、それこそ同じ角川映画で薬師丸ひろこの「探偵物語」を数年前に見た時、凄いこれ今見ても薬師丸ひろこ可愛い。こういうのがアイドル映画なのか、とか思った事がありました。

 

今回の「時かけ」も同じジャンルなはずだしな、みたいな感覚で見てたのですが、これがなかなか案外原田知世が可愛く見えない。う~んどうしたものかと思ったのですが、エンドロールのとこは素直に可愛かった。
99%の虚構の中に、1%だけ見えるリアルがあってその瞬間こそがアイドル映画なんだって以前どこかで聞いた事があるのですが、そういう意味では十分にアイドル映画にはなってました。

 

ここからは映画とはちょっと外れた話。
大林宣彦、或いは尾道3部作ってメチャメチャ有名ですので、そこから他の作品に与えた影響も大きい。

 

テガミバチ」の浅田弘幸。私は「BADだねヨシオくん!」「眠兎」「蓮華」辺りの初期の作品しか読んで無いのですが、大林宣彦が好きで、漫画の最初に「A COMIC」って入れるのは大林監督の「A MOVIE」の真似ですって言ってたので、実際に見ておおこれかって思ったり。(今もやってんでしょうか?)

 

主人公がタイムリープし始めたとこの朝食のシーンが、あれこれもしかして「ジョジョ」4部の川尻早人がバイッツァダストで朝を繰り返すってこのシーンのオマージュだった?って思ったり。

 

桃栗3年柿8年って歌、これ筋肉少女帯大槻ケンヂが歌ってたけどこれが元ネタでこの映画のシーンを再現してたのね、と色々発見がありました。


時をかける少女 「愛のためいき」


筋肉少女帯 愛のためいき

後の作品に影響を与えた元ネタっていうだけでも十分に見た甲斐があったかなと。

色々とツッコミ所も多く、素直に面白い作品かと言えば若干微妙ですが、同じくツッコミ所は多いタイムリープ物の作品でクリストファー・リーブ主演の「ある日どこかで」って映画が私はとても好きなので、あまりとやかくは言えません。

 

予告編


時をかける少女

映画 プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ!

映画プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ!【特装版】 [DVD]

監督:大塚隆史 脚本:村山功
日本映画 2010
☆☆☆★

 

プリキュア映画8作目。春のオールスターズ映画としては2作目。TVシリーズ7作目「ハートキャッチプリキュア」の新人研修映画です。17人のプリキュア全員集合。

 

オールスターズ1作目「DX」は企画の上では一度だけのスペシャルな特別編。・・・のはずでしたが、これが単発の秋映画以上の大ヒット。ヒットした以上は、そりゃあ続編の話が出るのは必然でしょうけど、1作目の時点ではあくまでお祭り企画として次の予定はしていなかったので、2作目はかなり短いスケジュールになったような事がスタッフインタビューで語られています。

 

2を作っている時点では、ならば上手くまたヒットしてくれれば、おそらく3もあってキリ良く3部作みたいな形で行ければ、というイメージはあったそうですが、プリキュア映画の場合、単独の秋映画よりも春のオールスター物の方が興行成績が良かったりするので、これ以降も毎年の春の定番となっていきます。

 

一つの挑戦が身を結び、結果的にそれが定番のものとして、あって当たり前になる程まで定着するに至る。こういった所も非常にプリキュアらしい部分です。

 

何度でも書きますけど、初代プリキュアは女児アニメとしては異質なものとしてスタートして、今やプリキュアこそが女児アニメのスタンダードになってしまうというこの流れ。女児向けアニメとして単独で映画をやる事が挑戦だったものが、今や年に2回も映画を見れるまでになるプリキュア映画の挑戦。それは決して当たり前で普通の事なんかじゃないのです。

 

今年の春映画「プリキュアラクルリープ」、一度は5月に変更とアナウンスされましたが、TV放送の中断と共に再度公開日未定になりました。当たり前じゃない日常がホントにもどかしい。いかに今が、非日常になってしまったかが本当に身につまされます。いつかまた当たり前の日常に戻れるって、わたし信じてる。

 

春映画と秋映画を比べると、好みの差は当然あるものの単純に出来の良さでは秋の方が話やテーマも練られていて面白かったりするのですが、やはり1シリーズだけでなくそれ以前の作品も参加してるのは大きい。例え現行のシリーズを見ていなくても、前のプリキュアの活躍が見たいからと、世代の幅を多く取れるのはやっぱり強みです。

それはドル箱になるべくしてなったのだろうと結果を見てから言うのは簡単ですが、そこもまた工夫や試行錯誤の積み重ねがあってこそですし、そんな所もまた見所でもあり面白い部分です。

 

まず一つ目。前作「DX1」の時点でも、プリキュア新人研修のいわゆる「引き継ぎ」要素はありました。ただ、前作の時点ではあくまで一度きりの全員集合。作品の公開時期の都合上、フレッシュプリキュアプリキュアになったばかりの新人の時期でしたので、前年までのプリキュアと比べた時に、まだまだ経験が浅いだけであくまでプリキュア全員集合のクロスオーバー作品として、同列の存在として全員が初対面。初代とSS、SSと5ではまだオールスター作品が無かった為に、その世代間でも特に引き継ぎというものはされてきませんでした。

 

そこ実は中の人、声優さんでも同じのようです。中にはお仕事上、他の作品の収録現場で個々にお会いするケースもあったかと思いますが、SSの二人が初代の二人に会ったのは、オールスターズの現場が初めてで、TVシリーズで初代からSSになっる時にはこれといった引き継ぎ的な物はなかったと言う事です。

 

ただ、前の作品で脇役をやっていた人が後の作品でプリキュア役をやる、例えばミルキィローズ仙台エリさんは初代でなぎさの友達の久保田志穂もやってましたし、キュアルージュ竹内順子さんはSSで咲らのクラスメイトの星野健太役です。キュアピーチ沖佳苗さんは5では新人として名前も無いようなモブ役を多数やってました。

 

他にもベローネ学園(初代の中学校)はプリキュア排出校だったとファンの間では言われるくらいに他の例も多数。今回から参加の「ハートキャッチプリキュア」来海えりか/キュアマリン役、水沢史絵さんも以前の「マックスハート」ではひかりと友達になる加賀山美羽役でセミレギュラーでした。

 

そういう所で、前に脇役で出ていたプリキュア作品のメインを今度は自分がやる、といったような個々の精神的な面での引き継ぎはあったにせよ、前作「DX1」で実際に別々の作品が出会うという場がまず作られ、その続編を作る事になった際に、明確に「継承」をテーマとして作られたのがこの「DX2」になります。1作目の作風から逆算して「出会い」→「継承」→「別れ」という形で3部作になりそうなテーマだったから、と後に大塚監督が語っています。

 

この「継承」が毎年新しく仕切り直しをやるプリキュアというコンテンツの流れと非常に相性が良く、オールスターズDX3部作以降も、前年のシリーズから、始まったばかりの新シリーズへの引き継ぎという明確な役割が与えられ、恒例事項として定着していく形になります。ただ漠然としたものでなく、役割が明確になっているのはやっぱり大きい。

 

ただ、世界観・ストーリー・キャラはTVシリーズ上は設定として繋がっていないので、あくまで映画だけのお祭り特別編という位置付けは今でも変わっていません。プリキュア初心者の方には、その辺りが最初わかりにくいかもしれませんが、そこはお祭り映画なのだと割り切りましょう。

 

プリキュア映画のDVDやBDは特装版の方だと特典として試写会か初日の舞台挨拶が収録されています。レンタル版は不明。一部収録されて無いものもあるのですが(前作のDX1は入って無い。残念)このDX2に収録されている声優舞台あいさつを見ても、その継承・引き継ぎが演じる声優さんにとっても凄く意識されている事が見てとれます。

 

先輩達が引き継いできたバトンを引き継いで、また次の世代にちゃんと渡せるようにしていきたい、そう語る緊張気味の水沢史絵。(確か後に恒例になるバトン渡しの写真をSNSに上げ始めたのも水沢さんからでしたっけ?調べて無いので間違ってたらごめんなさい)そして先輩ピンクプリキュア4人の温かい言葉。ドリーム役の三瓶さんはもう涙ながらに語ってます。

 

初代で雪城さなえ役の野沢雅子が言ったという「10年続けましょう」そして「AKBじゃないけど目指せプリキュア50」と語るブラック役の本名さん。どちらも達成した今の時代にこれを見ると、ますます感慨深いです。


1000円くらいしか変わらないので、プリキュア映画のソフトを買う時は絶対に特装版を買いましょう。この辺を見たくて私はソフトを買ってると言っても過言では無いくらい楽しみにしてる部分です。特に声優ファンとかやってるわけではないですが、毎回のこれのおかげでプリキュアの声優さんに対しては思い入れ120%になります。作品だけでなく、そういった背景まで含めてプリキュアはより面白く見れます。

 

とまあ割とまとまりのない雑文はここまでにして、こっから映画本編を語ります。

 

ファンの間では定番のネタになってますが、今回から参加の「ハートキャッチ」組。つぼみとえりかのキャラが本編とあきらかに違います。

 

キュアブロッサム/つぼみが天然ボケキャラで、キュアマリン/えりかが常識人でツッコミ役。TVシリーズを見るとわかりますが、本来はその役どころが真逆です。


プリキュア界の珍獣として今後のTVシリーズ数々の伝説を残し、オールスターズのシリーズとしても、しばらくはコメディリリーフとしてマリンだけ必ず特別な見せ場(ギャグシーン)が容易されるなど、全プリキュア中でもその特異なキャラで圧倒的なインパクトを残し、「NHKプリキュア大投票」でもレジェンドな初代の1・2位に続く3位に入る、キュアマリン/来海えりかのキャラがこの作品のみちょっと違うキャラ付けがされています。

 

これは単純にキャラ崩壊と批判してしまうのは憚られる複雑なプリキュアの制作背景事情があります。プリキュアの流れとしては2月の頭にTVスタート。3月中旬にオールスターズ公開。という形になります。

 

まず視聴者側。ただアニメを見てる分には、5話か6話くらいまで見た次にオールスターズを見る、という流れになっています。

 

次に声優側。3話くらいまで収録した後にオールスターズの収録。映画のアフレコは2日間でやってるようなのですが、前シリーズの最終回がTV放送される1月の最終日曜日にオールスター映画の収録をやるのが毎年の決まったスケジュールになっているようです。


朝に最終回の放送を見てからアフレコに望むのか、感極まって通常の演技が出来なくなってしまう為、あえて見ずに収録に望むのか、声優さんによってそこは分かれる所のようで、前述の舞台挨拶映像とか、ムック本などのインタビューでこの辺はほぼ毎年語られるプリキュアでは定番の話になってます。人数の多いチームでは、実はTVより先に映画の方が変身シーン先だったとか、5人の合わせセリフや合わせ必殺技を映画で初めてやった、というのもセットで。


つまりそこでTVと映画で順番通りに収録されてるわけではないという事がわかります。そりゃそうだろうという話ですが、アフレコは基本的に映画完成の終盤。制作上はその前に、絵を描いて、アニメを作り、さらにその前に話や脚本がある。TVと映画では、基本的に違うスタッフがほぼ同時進行で同じキャラクターを描かなければならないという、よくよく考えてみると、相当にトリッキーで難易度の高い制作状況ですよね。

 

じゃあ次は制作側。基本になるTVシリーズの1話2話が完成したのを見てから作り始める、ぐらいならまだしも、まだそれすら無い状態。インタビューなどによれば、大体6~7話くらいまでの脚本とコンテを読んで、その上で脚本を書かなければならないのだそうな。


(それが露骨にわかるのが「ドキドキ」の時でした。自己中はダメぇ~っ!ってTVで序盤に一度だけ使ったセリフを春映画ではまるで決めゼリフであるかのように的に使ってました)

 

まだアニメが出来あがっていない状態の脚本の段階で、キャラクター性がようやく見えてきたかどうかという所で、そのキャラを中心にした映画の話を作らなきゃならない。よくよく考えると、相当に難易度高いですよね。

 

なので春映画は毎回同じような新人研修話に終始していて、あまり物語性が無いのはそういった背景もあり、作品のテーマを重視したりキャラクターの個性が掴めた上で物語性も強い秋映画に比べると、映画の完成度的に多少なりとも劣ってしまうのは仕方のない部分なのかなと思います。(逆にそういった時期や背景を考えると秋映画は追加戦士の扱いが難しいのですが)

 

そういう所も踏まえて見れば、この映画におけるつぼみとえりかのキャラクターがTVとは違和感のあるものになっていたりする理由もわかりますし、逆に言えばわかった上で見るなら、常識人のえりかがとても面白く思えてきたりします。

 

マリンがこの後TVシリーズでいかにイロモノキャラとして肉付けされていったのかというのも面白い部分ですし、次の「DX3」では特にそのキャラ付けがハートキャッチらしい他の作品との差別化がなされていたのかが浮き彫りになりますよね。

 

これ以前のシリーズだと、基本的に全ての作品で「ピンクが天然キャラ」相棒の「白とか青が常識人でツッコミ役」でした。「初代」のなぎさとほのか、「SS」の咲と舞、「5」だとのぞみと青のかれんさんと言うより長馴染みのりんちゃんが相棒役でツッコミポジションでした。「フレッシュ」のラブとミキタンも大体そんな役割。

 

そこが「ハートキャッチ」だとピンクのつぼみが常識人で、青のえりかがボケ役というこれまでとは逆の立ち位置。そこを序盤の脚本だけでは読み切れずに、DX2ではこれまでと同じ感じで脚本を書いてしまったのではないかと思います。実際えりかも一番最初はちょっとシリアスな悩み抱えてたりしましたしね。

 

あとはハトの場合、TVの方でも「史上最弱のプリキュア」という感じから始まったので、圧倒的な強さを持つ先輩プリキュアに背中を押してもらう、というのが上手く「継承」というテーマに合ってたのも大きい。映画の構成として、ハトの二人が順番に先輩プリキュアの助けを借りて、ボスの所までたどり着く、という形になってるのでストレートに継承が絵としても描かれています。

 

他にも単純に過去シリーズも含めてファンをやっていると、DX2はいわゆる敵幹部の復活がメチャメチャ嬉しいし楽しい部分。

 

きっと大人のプリキュアファンなら10人中10人が頷いてくれる事でしょう。レギュラーの敵幹部も主人公のプリキュア達と同じように愛してますよね。基本的に商品展開こそされないものの、プリキュアと対峙する敵側のレギュラーキャラも作品としてメチャメチャ大きい魅力です。

 

ファンなら「どのプリキュアが好き?」と同じくらいに「どの敵幹部が好き?」も同じくらいの熱量で語ってしまえるくらいにプリキュアという作品の魅力の一部です。まあ流石にメイン視聴者の子供達もそう思ってるのかは若干微妙ですけど。

 

で、今回はTVシリーズの敵幹部が再生怪人的に登場。ちゃんと元と同じ人がCVも担当してくれてるのが最高です。
「MH」からウラガノス
「SS」からカレハーンにモエルンバにミズシタターレにキントレスキー。
「5」からアラクネアとハデーニャ
「5GoGo」からネバタコスとムカーディア
「フレ」からはノーザ

 

ドロドロン以外の五行幹部が4人も出てるSSはホントに敵キャラも個性的で面白いんですよね。(ドロドロンは中の人も含めカオスな役なので出すと収拾つかなくなるとの判断でしょう)鷲尾期以降は敵幹部も割と和解路線になっちゃうので、再生怪人的に扱うのは難しいでしょうけど、またいつかこういうのはやってほしいネタです。やっぱりプリキュアは敵キャラもまた魅力的なの多い作品ですので。

 

例えばスーパー戦隊みたいに「10イヤーズアフター」みたいなのもしプリキュアでやったとしたら、何なら別に戦わなくてもいいのでやっぱ敵幹部とかも出てきてわちゃわちゃしてほしいよね。

 

ホンの少しだけでもキントレスキーVSブラックとかピーチみたいな夢のカードが見れるDX2はこれはこれで貴重だしとても楽しい作品です。


初代「ふたりはプリキュア」があって「スプラッシュスター」からプリキュアシリーズという形になって(ガンダムで言えば「Z」があったからこそ世界観を広げられるようになったっていう見方と同じです)最初の特別な「オールスターズDX」があって「DX2」からプリキュアは「継承」していくものだという流れが生まれました。

 

一度目のお祭りから、あれ?これって楽しいだけじゃなくて、ちゃんと作品を作る意味や役割があるよね、というのに気付いたのが「DX2」という作品なのです。


プリキュアという歴史においても割と重要なこの作品、是非楽しんでいただければ。へぇ~こんな背景があったんだ?ってよりプリキュアをもっともっと好きになってもらえたらこれ幸いです。舞台挨拶を見るだけで泣ける作品なのです。

 

さて次はハト映画の前にまたミュージカルの方に行きます。
フレのミュージカルは最初だったので書く事いっぱいありましたが、ハトはどうでしょう?今までの奴は見る前からあれ書こうこれ書こうとネタは山ほどある上で見てたのですが、次はちょっと未知数ですけどよろしかったらおつきあい願えればと思います。

 

長々と語ってしまいましたが「海より深い私の心もここらが我慢の限界よ」と言わずに読んでいただけましたでしょうか。限界を突破するのもまたプリキュアですよ。
みんなのハートをキャッチできてたら嬉しい。


Pretty Cure All Stars DX2 1

 


HD プリキュアオールスターズDX2 エンディング・コンプリートバージョン

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DC:ニューフロンティア

DC:ニューフロンティア 上 (DC COMICS)

DC:The New Frontier
著:ダーウィン・クック
刊:DC ヴィレッジブックス 全2巻(上下巻)
アメコミ 2015
収録:DC:THE NEW FRONTIER #1-6(2004)
☆☆☆☆

 

1953年、赤狩り朝鮮戦争をへ経て、アメリカは新たな時代へと突入しようとしていた。その一方で、戦後、わずか一握りを残して姿を消したヒーロー達にも、新世代が生まれようとしていた。アメリカが向かう新時代とは、その時代を担う新たなヒーロー達とは……時代は今、新たな地平へと向かって動き始める。

 

1960年、米国大統領選挙に立候補したジョン・F・ケネディのニューフロンティア演説に絡めてDCコミックスのシルバーエイジを描きアイズナー賞、ハーベイ賞を受賞。

 

アメコミにおけるゴールデンエイジは1938年のスーパーマン初登場から戦前くらいまで。世界初のスーパーヒーローの登場とその後に続くバットマンワンダーウーマンのヒットに伴い、他社もそれに倣い、次々とスーパーヒーローを誕生させ、後にコミックの黄金時代と言われるほどにブームを巻き起こす。

 

が、第二次大戦辺りでスーパーマンバットマンワンダーウーマンらのメジャーヒーロー以外はほぼ姿を消し、スーパーヒーローコミックは一時的に下火になり、戦記物等他のジャンルに活路を見出そうとするも全体的に業界が沈んでいく。

 

その後1953年の「フラッシュ」をきっかけに「グリーンランタン」等、ゴールデンエイジ時代のヒーローを人物設定含め全てをリニューアルして新しい時代のヒーローとして再生させ、再度スーパーヒーロー物がコミックの中心に返り咲いていったというのがシルバーエイジ。

 

丁度この頃に後のライバル関係になるマーベルの方でもスタン・リーが「ファンタスティックフォー」を皮切りに「スパイダーマン」や「ハルク」等を次々と生み出し、新しいファン層を獲得していきました。DCだけでなく、そういった他社の台頭も含めてコミック業界やアメコミ全体の流れとしてゴールデンエイジやシルバーエイジという呼称、分類分けが後の時代になってからつけられた。・・・だったはず。
その辺の解説は確かマーヴルクロスに載ってましたので、詳しく知りたければ中古本を探そう。

うん、まあ今ならネットで調べた方が早いし情報量はずっと多いとは思うけど、90年代からアメコミにハマった人はまずマーヴルクロス読んでそこで勉強した、というだけの話です。コミックだけでなくそういう解説やコラムも充実してたので。

 

でもって今回の「ニューフロンティア」はそんなヒーローコミックの復権という時代だったシルバーエイジのDCユニバースと、現実のアメリカの1950~60年代に実際にあった事などを重ねて描いた作品。

 

解説にも明確に書いてありますが、映画で言えば「ライトスタッフ」とかで描かれたあの辺の時代。フィクションのヒーローを現実の歴史に合わせるという意味では何と言ってもやはり「ウォッチメン」なわけですが、実際やってる事は割と近い部分はあります。近いアプローチはありつつも(ドィームズデイクロックまで出て来ますしね)向かっていた時代やそれに伴うテーマ性、作風は勿論別物。

 

JFKがこれから大統領になるぞっていう所でのニューフロンティア演説がこの作品の最終章に重ねられて来ますので、JFK暗殺が物語の冒頭に来る「ウォッチメン」は時間軸的にはこの後。続けて読むのも悪くない気はしますが、そうすると暗い未来になっちゃうので、まあそこは分別をつけて楽しむ所かな。

因みにニューフロンティア演説というのは、要約すると地理的な面での開拓はもう頭打ちでこれ以上に開拓していく場所は無い。けどそういう地図の上での開拓では無く、政治や経済、科学や人権問題とか、いくらでもこれから解決していかなけれならない問題はいくらでもある。今度はそっちをアメリカが開拓していくんだ、みたいな感じです。

 

時代性という意味では、9.11同時多発テロが2001年ですので、その直後はやはりコミック業界も落ち込みました。現実でこんな悲惨な事が起きているのに、コミックでヒーローが悪人を倒すだけに何の意味があるの?所詮絵空事じゃん。という風になってしまい、クリエイター側も何をヒーローコミックで描くべきなのかわからなくなる。

 

で、そこから2~3年経って少しは感情を抑え気持ちも冷静になり、現実を救う事は出来ないけど、スーパーヒーローコミックなりに描ける事はあるはず。ヒーローは希望を描く象徴になりえるはずだ、というような流れが生まれ、この作品もそういう流れを作った中の一本・・・のはず。ヒロイックエイジって呼称を使ってたのはマーベルだけだったっけかな?とにかく、ヒーローがヒーローらしく再生していった時代。

 

ヒーローの復権という部分で、作中のシルバーエイジと現実世界でのコミックの流れとでリンクしている作品になっていて、そんな同時代性?が高く評価された要因の一つになっているのかなと思います。作中は古い時代の話ですが、今の世の中ともちゃんと通じるものがある、という事です。ただのノスタルジーじゃないよ、っていう。

 

当時は黒人ヒーロー居なかったけど、歴史の表に出なかっただけで、裏にはちゃんと居たよ、っていう設定の改定とかも今の時代に合うように作ってあるし、その代わりではないんでしょうけど、スーパーマンは象徴としてあまりいじれない分、ジョン・ジョーンズをもう一人の異邦人、裏のスーパーマン的な位置付けにして、空から人々を見おろすのではなく、地面に足をつけて下から空を見上げるキャラクター配置になってる辺りがとても面白い。ってかジョン・ジョーンズがかわいい。確かアレックス・ロスもジョン好きなんでしたっけ?愛されキャラですよね。

 

明るく楽しいバットマンはとりあえずスルーしたり、ワンダーウーマンは女性の人権問題の象徴としての役割もある分、ちょっと特殊な描き方をされてたり、ライトスタッフを描くならそりゃハル・ジョーダンを話に絡めたくなるよね、と面白い部分が沢山あります。

 

1巻が戦記コミックのヒーローとかを中心にしてあって、レトロ風味なだけの話なのかな?と最初は心配しましたが、ちゃんと2巻でこれぞスーパーヒーローコミック!という展開になってくれました。

 

アニメ版もあるので、そちらもいずれ見てみたいと思います。

DC:ニューフロンティア 下 (DC COMICS)

高慢と偏見とゾンビ

高慢と偏見とゾンビ [DVD]

原題:Pride and Prejudice and Zombies
監督・脚本:バー・スティアーズ
原作:セス・グレアム=スミス
アメリカ・イギリス合作映画 2016年
☆☆★

 

<ストーリー>
18世紀末、イギリス。謎のウイルスが蔓延し、感染した者はゾンビとなって人々を襲っていた。片田舎で暮らすベネット家の5人姉妹は得意のカンフーでゾンビと戦う毎日だが、姉妹の母親は娘たちを早くお金持ちと結婚させなければと焦っていた。
 そんな時、近所に資産家のビングリーが引っ越してきて、友人の大富豪で高潔な騎士ダーシーも出入りするようになる。折しも舞踏会が開かれ、ビングリーとベネット家の長女ジェインはひと目で恋におちる。一方、次女のエリザベスはダーシーの高慢な態度に腹を立てながら、彼のことが気になって仕方ない。ダーシーも戦う姿が勇ましい彼女に惹かれていくが、身分の違いを乗り越えることができないでいた。
 ところが突然、ビングリーがジェインを置いてロンドンへ帰ってしまう。ダーシーが二人を引き裂いたと聞いたエリザベスは激怒し、ダーシーが一世一代の決意で臨んだプロポーズを拒絶してしまう。そんな中、遂に人類とゾンビの最終戦争が始まり、エリザベスとダーシーは共に戦うことに。果たして、すれ違う恋と、人類滅亡の行方は─?


ジェイン・オースティン作「高慢と偏見」にゾンビをミックス。高慢と偏見」は確かキーラ・ナイトレイが出てる「プライドと偏見」は確か見たはず。何となくコリン・ファースのイメージもあったけど、それはTV版だったようで多分見て無い。「ブリジットジョーンズの日記」で同じ役名のダーシーだったし、プライドが高くてとっつきにくい男性、という「高慢と偏見」をベースにした感じの役柄だったので、そのイメージかも。

 

文芸作品にゾンビを混ぜる、というネタだけで面白そうなのですが、ゾンビの描写が普通にしゃべって、人間の脳みそを食べる、という「バタリアン」オマージュ。あ~、そっち方向なのか。私はゾンビ好きだけど、コメディ寄りのバタリアンはちょっと・・・という人なので、その時点で若干気持ちが萎える。

 

ロメロリスペクトな私は、ゾンビでコメディやられるとあまり乗れない方。ロメロファンにも認められてる「ショーンオブザデッド」ですら、あんま好きじゃないくらいなので、コメディ方向に舵が切られると、楽しいのは楽しいんだけどあんまり真剣に作品と向き合えなくなってしまう。


同じ笑えるでも、あくまでゾンビはアイロニーであってほしい、みたいな気持ちを未だに持ってたりするので、コメディでありつつそういうアイロニーがちゃんとある「ゾンビーノ」なんかは悪くなかったのですが、せっかく文芸とゾンビをミックスさせるのであれば、もっと大真面目に作ってほしかったかなぁというのが正直な所。

 

ただ、パロディと割り切って見る分にはそれなりに面白いです。ゾンビに対抗するため女性は日本か中国に行ってカンフーを学ぶ、というのがバカバカしくも面白いし、アクションの絵面としてゾンビVSカンフーは悪くない。女性がただ逃げ惑うんじゃなくて、自ら戦う姿はカッコいいし面白い。

 

が、なんかそこも前半だけでその要素すら若干中途半端。ああ、これはアクション映画なのね、と前半は思ったのですが、何故か後半はその要素が薄れてしまう。

 

ゾンビ化しても人間の意識は保っていて、とりあえず人間じゃ無く豚の脳みそとかで衝動を抑えてゾンビ化した人なりのコミュニティを作って、人間側と取引しようとする、みたいな政治的要素は新しいし面白いなと思ったのですが、何とまたしてもそこ後半は中途半端になってしまう。

 

結局この作品は何をやりたいのかがよくわからず、ただのパロディ以上のものにはなってない感じが、凄く勿体無かった。

 

ダーシー演じる仏頂面のサム・ライリーの見た目は良かったし、ジェームズ・フランコ似で、先日見た「メアリーの総て」にも出てたダグラス・ブースも悪くないし、コメディリリーフのあの最後には神父さん役をやる事になるあの人も悪くなかった。女性陣や、歴史物らしい美術も良いだけに、ガワは上手く行ってる感じがまた勿体無いな~って感情に拍車をかける。

 

確かこれ「ワールドウォーZ」あたりと同じで、原作が出た時点でゾンビファンの間では割と騒いでた記憶があります。最初はナタリー・ポートマン主演とかで映画化するとか言ってたような。それが結局制作に回るくらいになってしまって、特にスター俳優も出ていない小作品になっちゃったのはどういった経緯なのかな。原作の時点でパロディ以上のものにはなってないって気付いたのかしら。まあブラピが出てる大作だろうが「ワールドウォーZ」は単純につまんなかったですけど。

 

作家によってはここに十分なテーマ性とかアイロニーを入れられそうなネタなだけに、ちょっと「惜しい作品」になっちゃったかなと思います。面白い部分もあるだけにちょっと残念。

 

↓予告編の作りは面白いです


『高慢と偏見とゾンビ』 予告編

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ゲッターロボ デヴォリューション ―宇宙最後の3分間―

ゲッターロボデヴォリューションー宇宙最後の3分間ー 1 (少年チャンピオン・コミックスエクストラ)

GETTER ROBOT DEVOLUTION -THE LAST 3MINUTES FOR UNIVERSE-
漫画:清水栄一×下口智裕
刊:秋田書店 少年チャンピオン・コミックス・エクストラ 全5巻(2016-19)
☆☆☆★

 

鉄のラインバレル」「ULTRAMAN」の清水栄一×下口智裕が描く独自解釈のゲッターロボ漫画。

 

ええと「ゲッターロボ」自体は特別思い入れがあるという程ではありませんが、ゲッターロボサーガとして纏められた石川賢の漫画版の文庫は持ってて、初代から最終作のアークまで読んでます。アニメは「チェンゲ」と「ネオゲ」を見たくらい?「新」は確か見てません。

 

漫画版がやっぱり強烈で、いきなり学生運動の話とかから始まるわ、永井豪と同じく石川賢も風呂敷広げるだけ広げて未完、といういつものお約束のままその後に石川先生もお亡くなりになりましたが、これはこれで独特の面白さはあるな、とそれなりに好きなコンテンツではあります。

 

編集者として石川賢を担当していた事もあって、中島かずきが「天元突破グレンラガン」としてゲッターロボのその魂を引き継ぐような形で、あくまで別作品ではありますが一応の完結みたいな感覚はありました。

 

が、まあマジンガーとゲッターはガンダム以前のスーパーロボット物の代表作と言えるような存在ですので、石川賢が亡くなった後でもコンテンツとしては生きてたりしますので、そんな流れの作品の一つ。

 

単純に現代的なアップデートとしてリニューアル、という作りではなく、一応の最終作だったアークの流れを引き継ぐ形で、ゲッターエンペラー、或いはゲッター線の真相に迫って行く、という内容。

 

メディアや作品によって設定がバラバラなのがゲッターロボでしたが、それを並列世界として、その果てにある作品という位置づけ。物凄くメタフィクション要素が強いですが、今の時代だと別ユニバースとかはあまり珍しいものではなくなってるので、そこの目新しさが無い分、いかに収集をつけるか、というのが見所.

 

なのですが・・・このパターン、「ゲッターロボ」でなく「マジンガー」の方で、同じく秋田書店絡みでやってた「真マジンガーZERO」が相当にレベルの高い感じで先にやっちゃってるんですよね。マジンガーどころか、ガンダムエヴァガオガイガーや果てはパシフィックリムまで巨大ロボット=鉄の城の歴史は全てマジンガーから魂が引き継がれていったのだ、みたいなメタ話をやってました。これが凄く面白くてね、どうしても今回の「ゲッターデヴォ」と比べてしまうと、「マジンガーZERO」の方が面白かったよなぁとなってしまいます。

 

消費されていく数々の作品の中で、このゲッターエヴォにも一つの作品として意味があるんだ!っていう主張が入っている辺りは抜け目のない作りで、自分達がやっている事にもちゃんと意味があるんだよ、っていう作者の意地みたいなのは感じられる部分はあるのですが、全体的にそつなくまとめちゃったというか、こうすればつじつまとか整合性はとれるでしょ?みたいな方に終始してしまった印象は拭えず。

 

例えば映画の「マジンガーZインフィニティ」の、とりあえずの並行世界。映画じゃ無くて原作の方の「スパイダーバース」と、並列世界では無いものの、「ガンダムUC」でのこうすればつじつま合うでしょ?の感覚に近いと言うか過去作品を拾ってくる部分はワクワクして面白いんだけど、整合性を出すための新解釈の部分は、う~んちょっとそこは素直に面白かったとは言い難いなぁという感覚に凄く近いです。

 

設定上のつじつまは合ってるのかもしれないけど、作者が自分はこの作品でこれを主張したいんだ!みたいなものがあまり感じられず、そこが微妙かなぁと。「マジンガーZERO]はそこが抜群に面白いし、新しさと圧倒されるものがありました。

 

この作品を描く事になった経緯は知らないのですが、ゲッターの版権使っていいから何か新しいの書いてよって依頼されて、そこから頑張って話を考えました、みたいに作られたものなのかなぁと邪推してしまいたくなる感じ。

 

作品の情報量とこの分量の割に、意外とサクっと読めてしまう辺りは良い部分だと思ったし、つまらなかったという感じでは全然無くて、むしろ凄く面白かった方ですが、手堅くまとめちゃったなぁという感じでした。

 

ゲッターロボ的には更にこの先も、あくまでこの作品もまた平行宇宙の一つでしか無かった、真のエンペラーの意図とは!?ゲッター線の真実は・・・そうか、そういう事だったのか!ってもっともっとひっくり返して広げられなくもない気がします。そんな事をやる人が今後出てくるのかわかりませんけれど。

ゲッターロボDEVOLUTION~宇宙最後の3分間~(5) (少年チャンピオン・コミックス・エクストラ)

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン(1) (角川コミックス・エース)

MOBILE SUIT GUNDAM CHAR'S COUNTERTTACK BELTORCHIKA CHILDREN
漫画:さびしうろあき×柳瀬敬之
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全7巻(2014-18年連載)
☆☆☆☆

 

現在「閃光のハサウェイ」連載中のさびしうろあき×柳瀬敬之の富野小説「ベルトーチカ・チルドレン」コミカライズ版。

 

単行本買って初めて知りましたが、さびしうろあき氏ってその前にガンダムAで「ガンオタの女」連載してた人が改名してこの名義になったのね。ダムAは今でも毎月買ってますけど、基本的には単行本派なのでインタビュー記事とか以外はサラッと流し読みするくらい。ギャグ物以外は基本的にガンダム漫画はほぼ収集してる、というスタンスなので「ガンオタの女」は少し流し読みした程度かな~?今やってる「HGに恋する二人」みたいなのと似たような感じでしたっけか。

 

一応初心者向けに説明。
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」は小説版が二つあって、一つは「ハイ・ストリーマー」全3巻で、もう一つが「ベルトーチカ・チルドレン」全1巻。どちらも富野由悠季著。ベルトーチカ・チルドレンの方は映画脚本の第一稿がベースになっていてチェーン・アギの変わりに「Z」の時代からずっと付き合っているという設定でベルトーチカ・イルマが登場。

 

あとは一部名称が事なっていて、
ナナイ・ミゲル → メスタ・メスア
ギュネイ・ガス → グラーブ・ガス
サザビー → ナイチンゲール
ヤクトドーガ → サイコドーガ
辺りが、役割は同じものの、名称だけ違う。

 

有名なHi-νガンダムは作中では普通にνガンダムとしか呼ばれず、小説版も表紙は普通にνガンダムでしたが、挿絵でメカデザの出渕裕が独自にアレンジして書いたものが、後に別機体としてHi-νガンダムになったと。イラストのみで設定画は無かったものの、プラモでマスターグレードの発売に合わせて出渕が再アレンジ。今回作中で描かれてるのもそのバージョン。

 

ただ、そのアレンジ版があまり評判がよろくし無かったのでその後にカトキが元のイラスト基準で再々アレンジとかしてたり、Hi-νからHWS(ヘビーウエポンシステム)対応させたりと、色々と複雑。
さらに言えばハイ・ストリーマー版のνガンダムも星野版とちまき版と全くデザインの異なるνガンダムがあるので、νガンダムはバージョンが色々ありすぎるものの、まあその辺はこの漫画とはまた別のお話。

 

ガンダム=メカという人は、出渕リファイン版のHi-νガンダムナイチンゲールとサイコドーガの活躍が見れるのがこの漫画版というくらいの認識で良いかと。

 

個人的には富野ファンですので、富野小説をベースにしてるこちらはその辺りの富野独特の言い回しとかが採用されてるので、そこが見所。話の流れは基本的には逆襲のシャアの映画と細部が違うだけで大筋の所は変わらないので、それを全7巻というダイジェストにならないボリュームで読めるので、物凄く楽しめました。

 

ある程度、設定はもう把握してるのと、本の中でも地理的な説明が入ってたりするので、状況背景や地形空間がスムーズに読み取れて、とても入りやすくて凄く良いですこれ。

 

気になったのはイデオンバリアくらいかなぁ?ベルトーチカが子供を身籠っている、ってなってからビームまで弾くバリアが張られちゃう描写があるんですよねこれ。「Vガン」でもマーベットさんが身籠って、そのおかげで助かるみたいなのありましたけど、物理的なバリアとかじゃなかったはず。変なプレッシャーとか違和感で、手元が来るって外した、みたいなアレンジにしてほしかったかも。

 

で、その子供なんですけど、映画だとヒーローが所帯じみてるのはいかがなものかと評判が悪くてその展開は無くなっちゃった、って感じだったと思うのですが、今回読んでてなるほど!と思った事が一つ。

 

アムロが「両親に見放された自分がまさか家族を持つ事になるとは」みたいな面白いセリフがあるのですが、要はちゃんと奥さんもらって子供も出来て(実際はそのちょっと前の段階なわけですが)一人前の大人になったのだと。

 

今の世の中の価値観で言えば、家庭を持つ事だけが一人前みたいな価値観はいかがなものかって言われたりするくらいに時代は変わっちゃいましたが、まあとりあえず「逆襲のシャア」が発表されたくらいの年代ならそういう考えが一般的でした。

 

で、逆にシャアは未だに世直しがどうとか夢見たりしてる上にクェスとか若い子をたぶらかしたりしてると。要は大人になったアムロと大人になれないシャアを対比として描いてある。

 

一応ティーン向けの「ガンダム」っていう作品の性質上、メスタ(ナナイ)をヒロインポジションにするわけにもいかず、アムロやシャアの次の世代って意味でクェスとハサウェイとかを仕込んで作品の見た目の上ではクェスをヒロインにせざるを得ない構造なので、30過ぎの大人が中学生くらいのクェスをたぶらかすっていう話になっちゃてるので「大佐はロリコンなんじゃないか」っていうグラーブ(ギュネイ)のセリフが出てくるんですねこれ。

 

原作は読んでますが、もう多分20年前とかになるので、当時はそのあたりに気づけませんでしたが、今回読んでて、ああそういう事だったのかと気づく事が出来ました。

 

男ってついつい若い娘に目が行きがちですけど、良い歳した大人がJKだのJCだのに気をとられてたら「お前ロリコンかよ!いい加減自分の歳考えろよ」って普通なっちゃいますよね。グラーブ(ギュネイ)はそこをメタ的に言わされてたのか。

 

映画の時からシャア=ロリコン呼ばわりされてるのって、少し違和感があって今だにララァを引きづってるからかな?みたいな解釈を自分なりにしてたりしたのですが、「ジョニー・ライデンの帰還」」か「トワイライトアクシズ」だかでシャアはロリコンじゃなくてファミリーコンプレックスなんだよってわざわざ違う解釈を描いてたじゃないですか。なんかその辺も再解釈が必要になってきそう。ロリコン発言は単純にお前いい加減に大人になれよ、ぐらいの意味だったんだなと、ようやく腑に落ちました。

 

20年とか30年後に新しい解釈が生まれる面白さ。いやぁ富野はホント面白い。DVD持ってるのでまた「逆シャア」見返そう。

 

あとは単純に絵とかそっち方面の話ですが、映画には無いメガバズーカランチャーをアムロが撃つシーンがあるのですが、小説の時は描写はあれど特にデザインも無く、今回の漫画版で初めて設定画がおこされてて、これがまたバカでかい。


百式とかZのメガランチャーの比じゃなく、ホントに超巨大砲みたいになってます。ファンネルバリアがあるとは言え、これ抱えて被弾しないよう守りながら戦うっていくらアムロの腕があろうと、結構ヒヤヒヤします。その辺りはビジュアル化された漫画ならではの面白さかなぁと感じました。

 

逆にナイチンゲールに格闘させるのは体系的に無理がありましたが。(デカイファンネルコンテナのバーニアで目くらまししたり、隠し腕使ったりと工夫はしてるんだけど、あのお相撲さん体型なのは流石にキツイ)


柳瀬さんがメカ関係描いてるのもあってクオリティも高いし、キャラの方もそんなに癖が無くてとても読みやすいです。「閃光のハサウェイ」もますます楽しみになってきました。

 

アニメとは違う小説版のコミカライズという新しい流れも出来ましたし、せっかくならハイストリーマー版もいつか誰かに書いてほしい所。アニメ本編に入る前の前日譚部分も割とあれあるんですよね。可能なら星野版のメカで読みたい。こっちがナイチンゲールならあっちはザ・ナックで。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン(7) (角川コミックス・エース)

 

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