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ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー(MCUその40)

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原題:BLACK PANTHER:WAKANDA FOREVER
監督・脚本:ライアン・クーグラー
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2022年
☆☆☆☆★

 

マーベル・シネマティック・ユニバース最新作。
映画としてはこれがフェイズ5のラストで、次のアントマン3からがフェイズ6という扱いのようです。(ドラマは次のガーディアンズのホリデイスペシャルまでがフェイズ5)

ブラックパンサーとしては2作目。が、御存じの通り主演のチャドウィック・ボーズマンが亡くなられ、ティチャラ役は代役を立てずに、CGなどで出番を作ったりもせず、劇中でもティチャラを失ったという設定で続ける形になりました。

 

御存じの通りなんて書きましたけど、ファンなら当たり前の事と知ってても、映画を見る人全員が知ってるのかと言えば、多分そうではないと思われます。
これがアメリカなら話がまた違う。単独ながらアベンジャーズと同等かそれ以上の成績を残し、黒人文化とのリンクもあって社会現象とされるまでに特別な作品になった前作。知名度という部分では十分かと思われますが、じゃあ日本も同じかと言えば流石にそこはね、私みたいなクソオタクしか喜んで無かった10年前20年前のアメコミ文化と比べたら天と地ほどの差があるくらいに知名度は上がったものの、全世界でトップをとってもガラパゴスな日本じゃあそうはいかないというのもまた現実です。

 

クレジットの最後に「故チャドウィック・ボーズマンに捧げる」とか出るレベルじゃ無い、作品そのものがお葬式というか、追悼作品としか言いようの無い普通のヒーロー映画とは大分毛色の違った作品かと思いますが(それ故に作品背景を知らない人にはピンと来なさそう)逆に言えば、こういう事が出来るのもまたMCUなのかなという気もします。

 

だって「エンドゲーム」の時も「ノーウェイホーム」の時も散々言われてたじゃん。これを普通の映画と同じ土俵に上げて語って良いものか?的なの私は散々目にしました。普通に考えてみて下さいな、ドラマも含めてMCUってこれで40作品目ですよ。それを普通の映画の視点で語ろうとする方がそれは無理があるんじゃないの?と私は思ってたりする。例えスコセッシが批判しようが、いやまあそりゃそうだろうねぇとしか思わない。これまでの映画文法と違うものを作ってるのがMCUなのでは?

 

と考えると、今回みたいな特殊なケースもまたMCUだからこそだよな、と感じました。悲しさに溢れた作品ではあるけど、そんな今までにない作りが面白くもあった。

 

原作でもシュリがブラックパンサーを引き継ぐストーリーもあるので、そこは既定路線ではあたんですけど、同時に心配もありました。原作でもシュリはマーベル新世代ヒロイン的に括られる事も多く、決して歴史が長いキャラでは無いながら、近年は目立つ存在ではありました。でも映画前作もそうなんですけど、あくまでティチャラのブラックパンサーありきで、それに対して生意気な妹キャラで、兄に対して茶々入れるようなイメージが強かった。(パンフレットでも前作のシュリはコメディリリーフだったと書いてありましたし)

 

古い風習を嫌い、科学こそが自分の、そして未来を切り開く力だと盲信してるような部分があるキャラクター。原作と映画とでは結構違ってますが、原作では非常に勝気な性格で、兄よりも自分の能力の方が上だと証明したい的な自己顕示欲もあり、例え優秀でもそういった精神性がブラックパンサーを引き継ぐには値しないとされて、一度は失格の烙印を押されたりしてました。後に、自分の為では無く民の為にというのに気が付きパンサーを継承するという展開です。

 

映画でも近い要素はありつつ、そのままでは無かったですが、変化や葛藤、その他モロモロ。「好奇心旺盛な可愛い妹」が、やがては最終的に王を引き継ぐに値するまでに成長する、という姿が丁寧に描かれて、凄く見応えがありました。映画の最初と最後でシュリの顔つき、たたずまいが全く違うものに変化する。望んだ形では無いけれど、こうして少女は大人へと成長していったのだ的な話としてね、凄く良く描けていたんじゃないかと。

 

今回登場のアイアンハートことリリ・ウィリアムズ。彼女はアイアンマンの後継者では無く、少女時代のシュリの後継者なのでしょう。もうあのポジションにシュリは戻れなくなったからこそ、アイアンハートというちょうどそこにおさまるキャラが出てくる。この辺りは上手く考えた配置だったなと感心します。

 

そして物語のもう一人の主人公かと思ったくらい物凄い存在感を放っていたのがラモンダ女王。とにかく凄かった。

というか、ティチャラのみならず、彼女まで失ってしまうって、あまりにもシュリに背負わせすぎじゃないか?と正直思ってしまったけれど、実はそこって兄ティチャラのオリジン話と重ね合わせてリフレインさせてるのでしょう。父を失い、その復讐心からパンサーを引き継ぎ、そして復讐では何も救えぬと知るまでが1作目でした。ティチャラが父と息子の話なら、同じ事を今回は母と娘の話としてあえて同じように描いている。2度目のオリジンストーリーだったんだなと。

受け入れて、前に進む事。そうティチャラは教えてくれたじゃないかと。なら我々もまたそうするべきだ、そんな話の組み立て方が面白い。

 

そんなワカンダ周りのみならず、今回のヴィランはタロカン王国。いやぁ、耳馴染みが無い。でも面白い。マーベルユニバースでも最古参キャラのネイモアが遂に登場です。原作ではアトランティスの王です。つまりはDCの「アクアマン」とモロ被り。

 

「アクアマン」映画はとても面白かったし、ビジュアルインパクトも抜群でした。いやこれマーベルがサブマリナー映画に出しても、二番煎じ感が強くなるんじゃない?なかなかあのレベルを超えるの難しいのでは?と内心思ってました。

それ故に、今回のアレンジ具合が非常に面白い。空飛ぶ蛇の神様、ククルカンと、その民タロカン。いやこのアトランティス人、どう見てもジェームズ・キャメロンアバター」への嫌がらせなんじゃないかって気がしてきますが(丁度良く予告もやってるし)「アクアマン」が、みんなが想像する海底帝国アトランティスを、そうそうこれこれこんなイメージだよねってのを120%ビシッと具現化してくれたのなら、こっちのアトランティスことタロカンは、まさしくワカンダと同じく「秘境」感が強く、これはこれで妙なリアリティがあるぞ、と思わせてくれたのが最高に嬉しい。


まさに名前の通りマーベルユニバース=驚異の世界という感じがして、素直にワクワクしました。

 

ちなみにネイモアのキャラがちょっと変なのは、原作でもひと癖ふた癖あって何だこいつっていうキャラなので(そこはアクアマンとは明らかに違う)映画のネイモアも頭おかしい感が何気に良かった。時代やストーリーによって相当に描き方が変わるキャラなので、もし映画では普通の人になってたらどうしよう?と思いましたが、頭おかしくて良かった。一応の同盟を結んだ形ですが、絶対こいつとは同盟なんか成立しない。

 

あとはオコエとナキアも良かったですし、決して「キャプテンマーベル」みたいにジェンダーをテーマにした作品を作ろうと言う意図では無かったにせよ、ワカンダ側、エムバク以外はメイン女性ばっかなんですよね。そこも時代性を繁栄してるようで面白かったなぁ。
ただ、ワカンダにしてもタロカンにしても、王制・君主制って色々と問題もあるよなと、単純にワカンダを称えよとはいかず、一筋縄ではいかない感じがまた面白く、あっという間の2時間40分でした。

 

ワカンダフォーエバー!ワカンダよ、これからもどうか末永くあれ!

 

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