僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

魔法少女はなぜ世界を救えなかったのか?

魔法少女はなぜ世界を救えなかったのか?

著:ペク・ソルフィ、 ホン・スミン
訳:渡辺麻土香 
刊:晶文社 2023年(原書:韓国 2022年)
☆☆☆★

 

魔法戦士に変身して戦う姿は少女に自信を与えるのか、
それともミニスカートにハイヒール姿の性役割を植えつけるのか?
少女文化コンテンツがもつ二面性への問いを発端とし、
ディズニープリンセス、おもちゃ、外遊び、ゲーム、魔法少女アニメ、文学、K-POPアイドルまで、
子どもたちが触れるコンテンツが内包するジレンマ、問題点を洗い出す。

 

たまたま本屋で見かけて、あら面白そうなタイトル。
手にとってパラパラめくってみると、私の好きな「プリキュア」にも多少触れてる部分もあるようでしたし、作者がそもそも韓国のかたで、あちらで出版されたものをわざわざ翻訳して出してるんだから、中身薄っぺらで読む価値も無いような研究書じゃなかろうと、そのまま購入。

 

作者の一人のホン・スミンさんは埼玉の大学に在席していたようで、そこで「東映魔法少女アニメーション50年史」という論文を書きあげたそうな。むしろ私はそっちの方も読みたいぞ。

 

そういった経緯もあり、基本は韓国の文化をベースに語られますが、日本の文化も「海の向こうから見た日本文化」ではなく、ちゃんと日本で研究した上で語られてるようで、その辺りは興味深く読めました。

 

基本、フェミニズム視点での文化論ですが、基礎が児童文化・消費文化軸のようですので、結論としても「結局ただの消費文化じゃないか」というのがおおまかな結論。

 

各分野、それぞれの項目で面白い部分は沢山あったのですが、まずプリオタな私的にはまずその辺りに関しての感想とかツッコミ。

 

国産TVアニメ最初の作品(短編や単品ではなく、TVで毎週流す30分番組という枠での話)は「鉄腕アトム」というのは割と知ってる人は知ってる知識。
日本特集のリミテッドアニメ(ディズニーとかがやってた秒間24コマのフルアニメーションに対してのリミテッドです)が生まれた瞬間で、同時に今現在へと続くアニメーターは安月給で働かされるという悪しき習慣まで作った、今にして思えば誕生の瞬間から闇を抱えた文化でもありました。

 

それはさておき、じゃあ国産TVアニメで女児向けの一番最初の作品って何だったんでしょう?


私もあらためてそういうのは調べた事無かったなと思ったけど、1966年「魔法使いサリー」だったんですね。今回初めて知りました。

魔法少女」という言葉はずっと後年になってから生まれた言葉ですけど、それに属するものが国産女児アニメの元祖だったのか。

 

「アトム」から1年近く後ですが、それでも同年(1963)内に「エイトマン」「鉄人28号」が放送されたりしてますし、もうアニメ史誕生の瞬間から「男はロボ」「女は魔法」みたいにレールが敷かれていたというのは面白い話ですね。あ、ちなみにロボどうのとかはこの本には書かれてません、そこはあくまで私が勝手に解釈した部分です。

 

ただその「魔法使いサリー」魔法の力を人間に見られてしまったら、魔法界に帰らなければならないため、常に力を隠さなければならない。力を行使して敵を倒したり出世して行くような貴種流離譚・ヒーローストーリーとはベクトルが全く異なり、それはもし女性が力を持っていたのだとしても常に男性を立てて女性は男性の後ろをついていくのが女性らしさとされていたような当時の男女感が表れているのではないかと。

 

いや絶対原作者の横山光輝先生はそんな事を考えて無いと思うけど、文学や文化評論の現代的な基礎としては「作者がこう考えている」とかではなく純粋に「例え作者が意図していなくても作品からこう読みとれる」の方が評論としては重視されるものなので、こういう読み方もそれはそれで面白いんじゃないかと思います。

 

「男の子は派手で暴力的なものを好むけど、女の子はおしとやかな物の方が好きだよね」という発想自体が無意識の上での差別意識となるわけです。

 

昔と違って読書感想文は「作者の考え方を述べよ」ではなく「作品の描写からこういう解釈が出来る。こう読みとれる」というのが今の時代は基本なんですよ。
たまに「作ってる方は絶対そんな事考えてねーだろ」って言う人居ますけど、そこが重要なんじゃないんですよ。結果として描写から何が読み取れるかが重要。意図していないからこそ、無意識に潜む本質や問題が浮かび上がってくるわけです。

 

そして、「サリー」が放送されるまでの「アトム」以降3年間はTVアニメの主人公は全員男だった事になる。じゃあそこで何故サリーちゃんが生まれたのかと言えば、それは当然、他の作品との差別化であり、マーケティングの産物という事になる。

 

今までは男の子向けばかりだったけど、じゃあ今度は女の子向けに作ったら、男の子向けと同じくらいにヒットするだろうという目論見だったんだろうなと思います。

 

勿論、サリーちゃんはヒットこそしましたが、ここでまた今に至るまでのマーケティングの問題点がこの時点で誕生する。

 

男の子が主人公の物語は、男の子も女の子も見る。
女の子が主人公の物語は、女の子は見るけど男の子は見ない。

数字の上では50対50のイーブンではなく、100対50になるという、ある種のマジック!魔法少女だけに!いやそれ違うか。

 

マーケティングの上では、女の子物は男の子向けよりは弱いという判断をされてしまう。ここ、面白いですよね。いや世の中の女性にとってはザケンナコラ!って感じかも?

 

そんな「魔法使いサリー」から3年後、「ひみつのアッコちゃん」が登場。テクマクマヤコンテクマクマヤコンってやつですね。こちらも原作は赤塚不二夫だったりしますが、ここでの最重要ポイントは変身コンパクト。サリーちゃんにはそういうのが無かった(魔法のほうきとかはアイテムっぽいですけどねぇえ)

 

ここで作者はこれぞという事を言ってくれてます
「アニメに登場する魔法のアイテムとそっくりなおもちゃを手にすることで、現実とアニメの境界を崩せるという点が子どもたちの心をつかんだのです。」

そうそうこれこれ!私もプリキュアの変身アイテムいくつか持ってますが、自分もプリキュアに変身したい!とかよりも、彼女達はこれで変身してたのか、みたいに思えるのがなんか楽しいんですよね。ただアニメを見るだけでなく、劇中で使っていたアイテムと同じものを手にすることで親近感や現実感が湧く面白さがあるというか。その辺りはフィギュアやキャラクターグッズともまた違う良さだと私は思ってます。

 

で、そこからの衰退期は一気に飛ばして(本文中では多少はその間も触れられてはいます)、次が90年代の「セーラームーン」ですよ。国内のみならず、世界中で大ヒット。歴史的な記録を打ち立てます。「ディズニープリンセス」とかが明確にブランド化する前の時代ですから、女の子向けコンテンツではセーラームーンが世界で一番売れていた時期があったそう。

 

そんな新時代の女性のシンボルみたいな存在が生まれて世界は変わったのか?

 

「こうして強力な女性ヒーローがテレビに登場したばかりか、全世界の市場まで席巻したのですから、新世紀における日本の女性たちの社会的地位には何かしらの変化が訪れるのではないかと思われました。ところが・・・」

世界男女格差レポート(ジェンダーギャップ指数。
2006年は115カ国の中で79位
2021年は156カ国の中で120位

 

そうそう、フェミニズム論でこのジェンダーギャップってよく数字出されますけど、日本って他国に比べて女性の地位が異常なほど低いんですよね。まあ政治家の発言とかもヤバいレベルのものがメチャメチャ多いし、最近TVを賑わせてる芸能のゴシップとかもね、酷い事この上ない。

 

世界を制覇した「セーラームーン」を生みだした日本の女性の地位の現実はどうなの?一度は頂点に立ったのに、何故世界を。女性達を救ってくれなかったの?っていう論調です。

 

例えばアメコミならDCの「ワンダーウーマン」、マーベルなら「キャプテンマーベル(初登場時はミズ・マーベル)なんかがフェミニズム文化と密接に結びついたキャラクターで、最近はここにハーレイクインなんかも加わる感じでしょう(勿論、旧設定のジョーカーの情婦という所から脱却した後)。

 

セーラームーンがそういう意図で生み出されたキャラクターでは無いにせよ、そういった辺りと肩を並べる、或いはそこより上に一時は登りつめたわけです。で、その結果は?っていう事なのでしょう。

 

作者的にはそこに生まれたのは「市場フェミニズム」でしかなかったと。女性の消費欲求、自分達のための存在という所だけを刺激されて、結局現実の問題には向き合わない消費文化でしかなかったと。

 

プリキュアセーラームーンの後に少し触れられてる程度ですが、「女の子も暴れたい」とか「男の子も女の子も本質は変わらない」的な綺麗事を並べて煽っておいて、アニメのヒロインに近づきたければ、何十種類もの玩具を買わなければ変身できませんよ、という商業主義に染まった上っ面だけのアニメだと、プリキュアに対しては思いっきり批判してます。

 

しかもTVシリーズで女性に監督をまかせたのは17作目の「ヒーリングっどプリキュア」が初めてで、そんな古い考えがずっと続いているシリーズだと散々な言い方をしてます。

 

東映アニメ50年史」とかいう論文を書いてる人なら、当然もっと詳しい所まで調べてるに決まってますし、そこは知った上でわざとこういう自分の論拠に導く為に都合の良い情報だけを抜き出してるんでしょうけど、わざわざ「TVシリーズ」と肩書きをつけているのは、当然他のは違う例もあるわけで、劇場作品として「映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?」は松本理恵監督で、プリキュアにおける女性監督は割と早めに出てますし、その翌年のスイート映画だって、それこそヒープリ監督の池田洋子氏が担当してます。

 

しかも松本理恵監督って、後の「ハケンアニメ」でも主人公のモデル、イメージソースになってるのが松本理恵監督だって公にされてるようですし、それは業界内でもちゃんと注目されてたって事だろうし、プリキュアに詳しい人なら、女児アニメならもっと女性の感覚を生かすべきっていう部分での監督以外でのスタッフ起用とか色々あるの知ってるはずだし、この本におけるプリキュアの扱いはほんの少しのみですから仕方ないとは言え、プリオタとしては色々と言いたくなる部分ではある。

 

プリキュアじゃなくてもね、東映アニメ史における女性スタッフうんぬんっていう部分ね、少しでも調べたら関弘美プロデューサーの事を知らないはずもないでしょう。
ママレード・ボーイ」以降の少女漫画アニメ枠の立役者ですし

news.mynavi.jp

プリキュアの一つ前の「明日のナージャ」だって、関さんがキャリア初期からずっと温めてきた、自分の企画だったという事じゃないですか。

spice.eplus.jp

デジモン」「どれみ」だって関プロデューサーあってこそだろうし

www.excite.co.jp

mantan-web.jp

 

そういうのを知ってる上であえて無視するのもいかがなものだろうかとは思う。勿論、この本が東映アニメ史を語る本では無く、世界のジェンダー史におけるその中の一つの例として「セーラームーン」を一部分取り上げているというだけの話なので、そこはいたしかたないのでしょうけれど。

 

本に限らずですが、こういうのものは全て「一視点では」みたいなの前提なので、とりたててこの本がおかしいとか悪意があるとかではないのですが、本とか普段読まないタイプの人だとね、「本に書いてあった」とか結構何でも鵜呑みにしちゃう人も結構居る印象なので、その辺りは気をつけたい所。
今の年配の方だと「TVでそういってた」とか、ニュースとか新聞で言ってる事を安易に鵜呑みにしがちなのと同じ感じで、そういう人って結構居ません?そこら辺はリテラシーの問題なんですけども。

 

そういう意味ではね、アイドル(主に取り上げられているのはKポップアイドルですが)の項目の部分で、「アイカツ」や「プリティーシリーズ」にちょっとだけ触れてる部分があって、これはAKB以降の日本のグループアイドル文化の系譜を女児コンテンツに落とし込んだものなんだけど、ミニスカートをローアングルからなめるようなカメラワークまで子供向けコンテンツに何も考えず移植してあるとはいかがなものか、的な事をこの本では主張してたりします。

 

いやぁ、この辺ってどうなんでしょうね。私はアイドルはもう完全に専門外で興味の無いジャンルですし、例に上がってるようなアニメもプリティーシリーズの一つの「プリパラ」だけ好きで見てたんですが、ジャンル全体としては全く詳しくないので、そこに関してどうこう突っ込める知識や思想も無いです。

 

ああ、プリパラに関してはメインキャラ6人の内の一人が、男の子設定なので、プリキュア以上に多様性の面では先進性があるって論調で語られるケースも割とあるのですが、基本的には「そういう設定」なだけで、劇中内でそこが物語的に語られたりするケースはほぼ無いので、(私が記憶してる上では4年分の内、1~2回しか無かった気が)あれはあれで素晴らしい作品だし、意義深さもあるんだけど、作品としての主張はそれほど強く打ち出していたわけではないと思う。後半の方で普通に男子アイドルとかもライバル枠?として出たりしたけど、ぶっちゃけ最後まで影薄かったですし、そこに特別レオナが絡むわけではないし。

 

まあ、詳しくないのを前提で掘り下げても仕方ないのですが、そんなアニメやアイドルに関わらず、例えばの話ですが「ミニスカート」って可愛いじゃないですか?それを性的消費うんぬんみたいな視点で考えたときに、どう受け止めたら良いのか、っていうのは私も割と昔からの疑問としてある。

 

男性目線で、ミニスカートにうひょー!とかなっちゃうのって、助平な目線が全く無いと言えばそれはそれで嘘な気もするんですよね。別に露骨にそんな目線でばかり見てるわけじゃないと思うけれど。
でも、女性から見てもミニスカート可愛いとかはあるじゃないですか?あれって下心がある感じでは無いと思うんだけど、あれって何なのでしょう。


例えば親になって、子供が居たとして、小さい子供がミニスカート可愛いから履きたいとなった時、親目線ではきっと少し心配もするじゃないですか?可愛いけど、下着とか見えちゃったら困るからあんまり履かせたくは無いとかそういうの。
じゃあまた別の視点、子供は別に男性を誘惑したいからとか、そういう発想なんかそこにはあるわけないですよね?

 

なら、ミニスカート可愛いって言うのはどこから生まれたもの?メディアの植え付け?これは他の項目でも出てきた女性=ピンクが好き、みたいな問題と多分同じで、いやそれは押しつけだろう、みたいな「トクサツガガガ」でもやってた問題にも共通するけど、女性向けだから何でもピンクにしておけっていうような安易さには辟易するけど、同時にピンクでかわいい~って言ってしまう客も居るのは事実で、もはやそこはどこからどこまでが自己判断なのかわからない、みたいなのもあるんですよね。

 

個人的に「アイドル」は苦手意識がある分、勝手にフィルター掛けちゃってるのも自分でわかるんですけど、性的消費されるの前提な割に、女の子も同性のアイドルにあこがれるし、自分もあんな風になりたいって思う辺りが私にはよくわからない世界です。

 

他にも、最近よくCMで耳にするアンコンシャスバイアスみたいな部分にも通じるのかな?「スターウォーズ」の新3部作の方で、レイっていう女主人公になったけど、女のアクションフィギュアなんか売れないから、ハズブロ社は主役だけ出さないで他のキャラやメカだけ玩具を出すといういびつな商品展開になってた事をこれみよがしに糾弾したり、それでいて近年のマテル社のバービーの多様性重視の商業展開による成功例を対比として上げてたりするので、映画の「バービー」やっぱり見ておけば良かったと思う反面、文学に関する項目では「若草物語」の事も取り上げつつ、韓国の結構カオスな状況(昔は正式なライセンスとらずに出版してたとか)なんかも知れて、なかなかに面白い。

 


基本的にはね、商業主義に対する批判が全体的な論調・主張になってましたが、個人的にはそこを批判するのはあんまり好きではない。
いや、私もよく「仮面ライダー」の商業主義を批判したりするけれど、じゃあ主義や主張を掲げる為にありとあらゆる作品は作られるべきなのかと言えば、それこそ夢物語というか現実的じゃないわけで、商業ベースではあるんだけど、その中で伝えて行ったり考えて行ったりする事も同時にしていく所に私は価値を見出す方。

 

だってさ~「ひろプリ」で男の子プリキュアを出して、そのコスチュームが商品化されていない事で色々ニュースを賑わせたりしてたんですが、それが出来ないなら最初から男プリキュアとか出すべきでないとか言われたらさ、もう何も出来なくなっちゃうじゃん。その方が私はずっと保守的なものが続いて停滞する原因になると思うんですけどね。いきなり100かゼロかどっちか選べとか、そういう事では無いんじゃないの?と思うので、安易な商業主義批判もいかがなものかと思ったりします。

 

玩具買っても1年間しか遊べないとか言いたい事もわからんではないけれど、1年ごとに更新して行く事で、毎回新しい個性を肯定してあげられるのは素敵な事なんじゃないかと気付いたって、それこそヒープリの悠木碧も言ってたし、ネガティブな面だけを強調して、多面的な部分に目が届かないのもそれはそれで問題。

 

とまあ、一つ一つを取り上げていくにはちょっと掘り下げ不足な感は否めませんが、全体的には面白い部分もたくさん読めて、満足度は決して低くは無いです。

 

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