僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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魔法つかいプリキュア!オフィシャルコンプリートブック

 

魔法つかいプリキュア! オフィシャルコンプリートブック (Gakken Mook)

刊:学研 Gakken Mook
2017年
☆☆☆☆

 

しばらく間に「ハートキャッチ」関連の記事が続いたのでちょっと時間が経ってしまいましたが、流れ的にまほプリのまとめをやってなかったので再開してこちらも。

 

纏め本として出る学研のオフィシャルコンプリートブックです。「スマイル」以降出ているこちらの本、この充実した内容でこの値段で良いの?もっと値上げしてもいいのに!と毎回思うムック本ですが、今回のまほぷりのみちょっと難ありです。

 

メインキャラ4人(プリキュア+モフルン)のインタビューはこれまで通り載ってるのですが、今回、サブキャラのキャストのページが、一応あるにはあるんですけど、色紙へのコメント的なものになってて、一言+サインだけになっちゃってる。いやいやいやいや!これはメチャメチャ残念な部分です。

 

これまでだと文字量は決まって無かったようで、人によっては割と簡素なコメントのみの人も中には居ましたけど、もうビッシリ細かい字になるくらい長くコメントしてくれる人も多くて、それぞれの自分の担当したキャラや、プリキュアに対する愛情とか物凄く語ってくれてたんですね。そこが無いのがショックでした。

 

確か私これ改善してほしいって同封のハガキ送った気が。幸いな事に、次のプリアラからはこれまで通りのスタイルに戻ってたんですけど、まほプリだけはこの状態なのがとても残念。メインのプリキュアを演じた人達のインタビューは色々な所で読めるけど、敵とかサブキャラとかはそこ読める機会が極端に少ないので、凄く貴重なのです。他の部分はこれまでと変わりないのですが、そこだけ本当に残念でした。

 

といった所で、ここからまとめ的に私の個人的なまほプリの思い入れを語ります。

 

ええ~と、実は「まほプリ」、最初はちょっと苦手でした。いや苦手っていうのも違うのかな?普通にリアルタイムで毎週見てましたし。

 

「スマイル」からプリキュアをきちんと見るようになって、そこからそれ以前のシリーズとかも全部見ました。そんな中で、前作の「Go!プリンセスプリキュア」が、もう死ぬほど面白かったんですね。ヒーロー物として圧倒的に面白いし、その上、私の好きなメタ要素とかも含めたテーマも描かれていて、プリキュアってこんなに凄い作品なのか、というのを改めて感じさせてくれる作品でした。

 

どのシリーズも面白いし、私はプリキュアシリーズ全部好きですけど、「ゴープリ」は飛びぬけてこれはちょっと凄い作品だぞ!?と思わせてくれたんですね。プリキュア、本気ですげーなこれ、こんなに凄い作品を作ってくれるんだから、もうこれは本気で応援していくしかねーな、と「ゴープリ」を最終回まで見て思ったんです。

 

でもってそこからの「まほプリ」に実はちょっと落差を感じてしまった。つまんないって思ったんじゃないんです。主人公のみらいちゃんがね、ものすご~く幼い感じがした。

 

いやそれ当たり前なんです。メインターゲットは小さい子供達なんですから。子供達が共感出来る、或いはあこがれる存在として描くわけですから、そりゃあ子供っぽい方が親近感が湧くだろうし、そこは何も間違って無い。

 

「ゴープリ」が大人の目線で見てもこれ凄い面白いじゃん!と思わせてくれる半面、今冷静に思いかえして見ると、逆に子供達にとってはちょっと魅力が伝わりにくい作品だったかも?とも思う。夢中になって見てたので、案外そこは気付いてなかったりした流れの上での「まほプリ」だったので、あ、なんだか凄く子供っぽいと感じてしまったのです。

 

子供が夢中になる奴を、大の大人が夢中になって見てどうするのよ?
と、ふと我に返ってしまったんですね。

 

そりゃまあ子供が見る奴だからな、それが当り前だろうと。でも自分はプリキュアをこれからも応援し続けるぞ!って決めたばっかりだし、まあ一応追っていくか、みたいな感覚が序盤の方は正直ありました。

 

これね、いくつか理由があるんです。
プリキュアの、特にピンクの主人公キャラって、割とファッションが幼い感じなんですよね。設定上は中学生ですが、なんか小学生が着るような服だよなっていうのはこれまでも度々感じてはいました。いや実際の小学生や中学生の女の子のファッションがどんなものなのか私よく知りませんけれど、ピンクの子って大概パステルカラーっぽい服を着てて、小学生感が強い印象が私の中ではありました。

 

そこは目線とか感覚を小さい子供達に合わせてるんだろうな、と思っていて、ピンク以外の子は割と普通な感じはします。

 

目線という部分で言えば、全部の作品では無いにせよ、所謂「妖精」枠が精神年齢的にはそこより更に幼く設定されている事が多く、それは見ている子供達が、私はこの子よりはお姉さんね、っていう優越感だったり、プリキュアと一緒に自分もこの子達を守ってあげなければ、という感覚を持たせているというのは何のシリーズかは忘れましたがスタッフインタビューで読みました。今回の「まほプリ」で言えばまさしくモフルンがそんな感じですよね。

 

そこ行くとプリキュアは基本的にはあこがれのお姉さん。自分もこうなりたいって思わせる存在なのですが、そこであまり差を作りすぎないように、主人公は中学生という設定でありながら、ちょっと小学生くらいの感じのファッションだったりする。

 

ファッション面で言えば面白いのが、キャラデザインが男性の場合、大概は「ティーン向けのファッション雑誌を見て一生懸命勉強した」みたいな涙ぐましいコメントをしがちなのに対して、女性のキャラデザインの人の場合だと、そこを自然に書いちゃうんですよね。今はこういうトレンドがあるからそれを取り入れてみた、とかそういうコメントの方が多い。その差がちょっと面白かったりします。

 

変身後のプリキュアの姿だと、そもそも現実感はあまり無いデザインなのでそこに差はあんまり感じませんが、変身前の服装や髪型だと、そこに結構な差が出る印象。個人的に男性女性どちらの方が良いとかはありませんが、(どっちも可愛いですしね)私服のファッションとかは女性に任せた方が良い気はします。私服のセンスは男性が考えると、一生懸命考えました!感がちょっと出ちゃってて、あんまり自然な感じではなかったりするので。いや勿論個人の感想ですけど。

 

まほプリのキャラデザインは宮本絵美子さんで女性なので、そこは変じゃ無いはずなのですが、それでもみらいちゃんは中学生にしては幼すぎる印象。

 

実はそこもちゃんと理由があって、「まほプリ」って変身すると頭身が上がる設定なんですね。劇中ではこの設定って正直ほとんど生かされて無くて、勝木さんに正体がバレそうになった時、でもプリキュアは背も高かったしなぁ、みたいな感じになるとこくらいしか無かった気が。多分、普通に見てる人は、その設定に気付かない人も結構居るのではないかと。

 

で、何でまほプリはそんな設定になってるかというと、過去の魔女っ子物(あえて「魔法少女」という言葉は私は使いません。世間的に通じる単語なんですけど、実は定義が曖昧なので私は安易に使わないので)へのオマージュかと思われます。

 

私もそのジャンル全般に詳しいわけでは無いので多少曖昧な部分もありますが、昔の魔女っ子ものは、変身アイテムを使って、大人の姿になって問題を解決するみたいなのが多かった記憶があります。そこは男児向けのロボットアニメで、ロボットに乗る事で大人の力にも拮抗する事が出来る、子供のままで大人の世界にも入る事が出来るっていうのと対になってるんじゃないかと。

 

大人には勝てない悔しさとか、早く一人前に見られたい的なものがかつてのロボット物とか魔女っ子物のバックグラウンドにあったけど、時代は変わって多分今はそういう感覚が薄くなってるので、そういうものがかつての時代よりは廃れつつある、という気はしなくもない。腕時計型とかケータイ、スマホ型の変身アイテム(女の子向けならコンパクトも)が人気なのは、大人が使ってるものを自分も使いたいって言う理由があるとされていますので、全く無くなったわけでも無いとは思うけれど。

 

まあそういう文脈があって、これまではプリキュア魔法少女ではないとされてきた(作り手がそこを否定していたので)中で、初めて魔法をストレートにモチーフとした「まほプリ」ですし、東映アニメーションとしても魔女っ子物は色々と手掛けてきてますので、そこに対するオマージュとして変身すると成長した姿になるっていう設定を取り入れてはいるものの、やっぱり時代が違うのでそこは生かし切れなかった、という所でしょうか。

 

そんな部分もあって、おそらくはその変化を強調する為に変身前のみらいちゃんは、より幼く描かれている・・・はず。この辺はインタビューとかで言ってた部分とかじゃなく、おそらくはそうであろうという私なりの解釈ですけれど。

 

変身後のキュアミラクルとしてのデザインも、特別に大人っぽい感じでは無く基本的には普通に美少女って感じのデザインなので、変身前を極端に幼くする事でギャップをつけるデザインになってる。

 

ルビースタイルがガーターベルトっぽいデザインになってて若干アダルトな要素も無くは無いけど、キャラで言えばむしろマジカルの方がお姉さんタイプですし、そこも多人数チームの中のお姉さんキャラ的な程には上に振って無いので、バランスの上での差別化っていうより、もう単純にみらいちゃん幼い感じだな~ってとこだけやけに印象的でした。

 

まあそんな感じで、序盤はちょっと入りきれない部分がどこかにある状態で見てました。でもそこで思ったんですよ、これは女児向けのシリーズなんだから、それが普通、それが当たり前なんだって。
「俺達が見たいプリキュアはこういうのじゃないんだ!」的な発言をする方が場違いもいいとこなんです。そこの分別はつけられました。
その辺のね、立場や身分の違いはわきまえておかないと、っていうのはプリキュアを見る上での最低限のマナーかと思います。

 

だから私は大人向けのプリキュアやってほしいとかそういうのに対しては確固たる「NO」を突き付けます。勿論、そういう気持ちもわからなくはないけれど、そういうのが見たければ深夜アニメの美少女変身物とかそういうのを見てればいいわけで、プリキュアの名前を使って無いだけで、プリキュアだってシリーズが変われば世界観も設定もキャラデザから何まで全部変わるんですから、深夜アニメを大人向けのプリキュアと思って見てれば済む話。特に「魔法少女」って言われるものは、大人がなんとなくのイメージで想像する曖昧な魔女っ子物の総称から生まれてるような部分もあるので、私はその言葉に良くないイメージ持ってますし(つーか言葉のロジック面での話でジャンル自体は別に嫌いでは無い)そこはそこでいつか「まどマギ」語りでもする時に触れるかもしれません。

 

まほプリに話を戻すと、そういう感じに割り切って、本来の女児向け作品らしさが逆に面白さでもあるんだなというのも見えて来ます。

 

まほプリの世界って、いわゆる「攻撃魔法」みたいなものが存在しない魔法なんですね。そりゃあ過去の魔女っ子物だって炎の魔法とか使わんでしょ?って話ですが、プリキュアは同時にバトルヒロインの系譜も引き継いでるわけです。魔法ではないけれど、過去のシリーズでは必殺技に炎とか水とか氷とか雷とかそういう属性がついてるものはいっぱいありました。そんなプリキュアが魔法を使えるというのなら、普通に炎の魔法とか使いそうじゃないですか。でもそういう事はやらない。

 

まほプリも過去のプリキュアと同じく、パンチやキックとか肉弾戦で戦いますけど、実はこの時期のプリキュア、色々とメタ的な問題を抱えていて、一番大きな部分では、売り上げが低迷してた時期です。11作目「ハピネスチャージ」辺りから売り上げが下降線を辿っていて、12作目「ゴープリ」が最低売り上げだったと。「アイカツ」とか「プリティシリーズ」とか「ディズニープリンセス」とか他の女子向けが大きく伸びてきた時期でもあるし、男児のみならず女児にも人気が波及した「妖怪ウォッチ」なんかの要因もあるのでしょう。

 

この辺、理由は色々あるんでしょうけど、その分析の一つとしてプリキュアの戦闘シーンを怖がる層も一定数居る、という所に東映は囚われました。まほプリは普通に肉弾戦あるんですけど、次の「キラキラプリキュアアラモード」では肉弾戦を封印してしまうという作をとってきます。「女の子だって暴れたい」というコンセプトから始まったプリキュアですから、ここはシリーズの根底に関わるアイデンティティーの問題です。

 

私はプリオタですし、ファンですけど、別に東映の社員でも何でもないので、ヘンな話ですけど、そういう部分も逆に面白いなと思ってしまう部分。

 

確かシリーズ構成の山村さんだったっけかな?何かのインタビューで、子供達がプリキュアごっこをしてるんだけど、そこでパンチやキックで敵を倒すとかじゃなく、「キュアップラパパ!」と変身前の魔法の真似をしていて、そこを見てまほプリは上手く行ったと確信できたみたいな事を言ってました。

 

そこがね、凄く面白いなと。プリキュアだからってバトル部分に力を入れなくても良いし、今作で言えば「魔法つかい」、前作なら「プリンセス」だし、次作なら「お菓子作り(パティスリー)」とか、作品のモチーフやコンセプトを明確に打ち出してきた時期でもあるので、プリキュアは「女の子向けのスーパーヒーロー物」という所からの脱却を図ろうとしている作品でもあって、そこがシリーズとしてのプリキュアの強みだなというのが凄くわかるのもまた面白いポイントです。

 

いや、作る方は凄く大変だろうなって思うんですけど、一番最初に持っていたコンセプトに縛られ続けるんじゃなくて、時代に合わせて変わって行けるものって、やっぱり強いわけです。


十年一昔とは良く言ったもので、10年経てばそりゃ世の中もいくらかは変わります。10年前20年前の価値観にいつまでも縛られてては、それは単純に古い物になっていっちゃうけど、時代に合わせてアップデートして行く事で、その時代にも受け入れられるものにしていくっていうのがプリキュアが長く続いている秘訣でもあります。

 

これまで何度か書いてるはずですけど、プリキュアは初代の時点で、過去に囚われず、前例が無かろうがまずは挑戦してみるっていうコンセプトがあったのが大きい。だったら10年経った今また新しく挑戦してみようっていう土壌があるんですね。


誰か特定の原作者が居るわけでもないし(原作者居るとその人が神になっちゃうので、その人が変わらないと作品も変わらないと言う足枷にもなる)一応のプリキュアの父とされている鷲尾Pも「女の子が自分の足で凛々しく立つ」そのコンセプトさえ失わなければ何を変えても構わないっていうスタンスです。

 

前作の「ゴープリ」ある種極まった感がありました。シリーズの中で最もアニメとしての完成度が高いっていうのも頷ける面白さです。でも、外的要因や世相もあるとは言え、それが子供達の心をガッチリ掴んだかと言えば、売上的には低迷したという結果もまたあったりする。(そこだけで良いか悪いかとかどうこう言うものでは無いですが)

 

ここは変化の節目、過渡期でもあるなら、もっと違うアプローチをしてみようっていう作風がまほプリの特徴でもある。で、そんな中でバトル描写を子供達は怖がって見ない子も居るらしいっていうのに注目して、「まほプリ」「プリアラ」はそこを抑え気味に描いてみようかとはなったものの、ぶっちゃけそこは要因の一つではあったかもしれないけれど、大局的にはそこまで大きくなかったと判断したのか、その次の「HUG」以降は割と今まで通りのバトル描写に戻ります。まあ「HUG」は15周年記念作品と言う事で、初代に再びスポットライトを当てるとかの作風もあったので、その部分に関しては必要な要素だったのですが、そこをきっかけに「一部の子供はプリキュアのバトル描写を怖がって見ない」問題は結局あやふやなままです。何だったんだ、あれ。

 

そんな感じで、新しい物を作ろうというコンセプトがまほプリの良い所で、個人的にはその「新しさ」の部分じゃ無く、「色々頑張って工夫して考えてますよ」という部分が私は好きです。うん、最初は「う~ん、ちょっと受け入れにくいな」とか言ってたくせに、そういうとこを見始めたら、もういつのまにか普通にファンですよ。

 

やっぱりね「工夫」が伝わってくるのって私は好きなのです。ただ絵が超絶に綺麗とか、アニメがヌルヌル動くとかもそりゃあ素晴らしい部分ですが、そういう表面的なとこよりも、いかに工夫して作ってあるか、いかに考えて作っているか、っていう部分の方に私は惹かれるんですよね。そこで「なるほどこういう事なのか」っていうのが私はとても好き。

 

例えばおもちゃ。プリキュアの一番売れる玩具は、当たり前っちゃあ当たり前ですが、例年「変身アイテム」です。変身なりきり遊びがしたいのでしょう。その次の売れ筋が、「お世話系の妖精」アイテムなんだそうな。正直、私はプリキュアの妖精ってそんなに重視してませんが、玩具会社にとっては売れ筋の必須要素なのです。

 

じゃあまほプリをそこの視点で見てみると、まほプリの変身アイテムはモフルンです。妖精であるモフルンの胸の所にリンクルストーンをセットして変身する。売れ筋の1位と2位を纏めて売ってしまえ!という、ある意味、そこまで追い詰められてなりふり構わない大勝負に出たと見るべきか、両方の要素を兼ねてたら嬉しいよねっていう工夫なのか、そこはどっちだったのかまでは私は知りません。でもおかげさまで変身モフルンは大ヒットしました。嗚呼、良かったね。確かプリキュア大投票でもサブキャラ枠でモフルン1位とかだった気が。

 

また別の部分では、敵幹部の問題は前作「ゴープリ」」から引き継いでいて、大人が見る分には敵幹部も作品の魅力を支える大きな要素だけど、子供はそこって見て無いし、商品展開もしない部分なので、アニメでそこに力を入れるのはいかがなものか、っていう問題がありました。「ゴープリ」は最初は敵幹部は容赦なく退場という予定でスタートしたものの、結局は描いて行く内にやっぱり愛着が湧いてしまって、ドラマの中核として描く事になってしまった。

 

それを受けての「まほプリ」でしたので、敵幹部の描写はなるべく薄く描くし、感情移入しにくいように瞳の無いデザインになってたりしました。(後半の闇の眷属は瞳ありのデザインだったけど、そっちは人外要素を強めてある)そこもね、大人のファンからしたら、物足りない要素ではあるんです。やっぱりプリキュアの敵幹部って面白い部分だから。

 

でもその分、みらいとリコの日常描写により多くの尺を割けたし、追加戦士枠のフェリーチェを含めて最終プリキュア3人という人数の少なさも相まって、逆にみらいやリコ達の周りの人達の描写も多めに描く事が出来た。かなちゃんとかリズ先生とか補修メイトとか含めてやっぱり私は好きですし。

 

でもってそんな積み重ねだったわけですよ。まほプリって。


そしてこれはもうまほプリ好きな人は全員ここだろって言うとこですけど、例に漏れず私も言います。まほプリと言えばの伝説の49話ですよ。

 

出会いがあれば別れもあるのが必然で、最後はお互いに二つの元の世界に戻っちゃうんだろうな、でもプリキュアだし、ビターな終わり方にはしないはずだよな、とも思ってはいました。

 

でも・・・でもね。

 

いや私リアルタイムで49話見た時、もう全身が震えた。

 

こんな経験したの先にも後にも1回だけです。
ただ涙したとかなんて、私は日常茶飯事です。プリキュア見てて泣いた事なんか何十回もありますし、映画とか漫画とかでも割と私はよく泣く方です。これを書いてる本日も、「ゼンカイジャー」でお父さんを取り戻す話で泣いてしまいました。私はすぐ泣くのです。

 

いやでもさ~、まほプリの49話はホントに全身が震えたの。魂が揺さぶられたとかなんでしょうか?その時しか経験した事の無い事だったので、今も憶えてるんですよね。

 

なんだこれ、やっぱプリキュアすげーぞ、まほプリ最高じゃん!
ってならざるを得ませんよね。

 

吊り橋効果みたいなものもあるのかな?もしかしたら私は大人になったみらいちゃんに恋をしたのかもしれません。いや現実で漫画みたいに電気が走るような感覚を恋とかでした事無いのでそれと同じものなのかはわかりませんけれど、電気が走ったみたいにビリっと来たってもしかしてこういう事?と後から考えたりしましたが、ホントの所はどうかよくわかりません。

 

とにかくさ、大人みらいちゃんなんです。大学生の設定のはずだから18か19くらいなのかな?最初の印象の、みらいちゃん子供っぽくて苦手な感じだな~っていう印象があったから、よりギャップが引き立ったっていうのもあるのでしょう。


「ゴープリ」でもプリキュアが後に大人になった姿とか描かれましたが、後ろ姿とか顔は見えない描き方だったので、プリキュアが大人になった姿をストレートに描かれた初めてのケースだったっていうのもあるかもしれません。(一応ドキプリ映画とかでもちょっとあったけど)

 

なんだろうね?あとは、劇中ではやっぱりどこまでも「子供」っていう感覚で見てるプリキュア達が、自分達と同じ(と言って良いのかはわかりませんが)大人っていう所に居る姿を見た事で、どういう解釈をしたら良いのか脳内がパニックをおこしたっていう可能性も捨てきれません。

 

理由はどうあれ、私はそんな経験からか、大人になったみらいちゃんが死ぬほど好きです。プリキュア姿とは違う視点になるので、番外的な位置かもしれませんけど、プリキュアシリーズで一番好きなのは大人みらいちゃんかも?と思えるくらい凄いインパクトを受けました。

 

そうか、今回は子供向けでいくんだな、っていう序盤から、子供向けって色々と工夫して作ってるもんなんだよな、という感覚で見るようになって、最後の最後に大人がグッと来る部分をちょっとだけ入れてくるという、これはまいった、お見事!と言いたくなるのが私の「まほプリ」の全体の印象です。

 

という事で「まほプリ」は今回で一区切りなので次からは「プリアラ」語りに入ります。ドリームスターズ先に書いちゃったけど、他のはどこまで拾うかは検討中。

 

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