僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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PLAN 75

PLAN75

監督・脚本:早川千絵
日本・フランス・フィリピン・カタール合作映画 2022年
☆☆☆☆☆

 

<ストーリー>
夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は<プラン75>の申請を検討し始める。一方、市役所の<プラン75>の申請窓口で働くヒロム、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶子(河合優実)は、このシステムの存在に強い疑問を抱いていく。また、フィリピンから単身来日した介護職のマリア(ステファニー・アリアン)は幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給の<プラン75>関連施設に転職。利用者の遺品処理など、複雑な思いを抱えて作業に勤しむ日々を送る。
果たして、<プラン75>に翻弄される人々が最後に見出した答えとは―――。 

 

 

劇場公開時にも気になって見るつもりではいたのですが、タイミングが合わずに結局見れず。今回、アマプラに入ってたのでようやく見れました。

 

いやぁあああああ~もう何と言うか、これ、私の母親にメチャメチャ重ね合わせて見てしまったのもあって、異常なほどに引き込まれてしまった。
あと、若者の方のメインキャストで出ている磯村勇斗君。彼は「仮面ライダーゴースト」のネクロムことアラン君ですよね。ゴースト、実は飛び飛びでしか見て無いので全部は知らなかったりするんですけど、その時の役もね、フミばあさんに救われて、たこ焼き食って涙してた彼を彷彿とさせてね、グッと来てしまった。

 

まずね、この「プラン75」というシステム。とても絵空事とは思えない。
75歳になったら、希望者に対しては国が永眠させてくれるという、なかなかに恐ろしいシステムです。
ここでポイントなのは、「希望者の選択」という点。個人の尊厳は守っていますよ、あくまで希望者のみですよ、という体である部分。これがね、いやまだ自分は元気で動けるしそんな選択は関係無いよ、と言えるなら良いのです。

 

本人はまだ働けるしと思っていても、そもそも雇ってくれる所が無い。居場所や尊厳が、自然と失われて行く。しかもCMは若者のためにその選択を選ぶ事は尊い事なんですよ、日本人は国のために犠牲になる事は名誉だと嘯く。そして何より、日本人が独特と言われる「同調圧力」が世間に働きます。

いわゆる「空気読めよ」っていう事です。
「みんながそうしている」「みんなが選んだ決断」「それが普通」
そういった空気の中で、もしかして間違っているのは自分なのかな?自分が言ってる事はただのわがままなのかな?なんて、自分を疑わせてしまう空気。
ここがとにかく恐ろしい。

 

そしてこのシステム。登録すると準備金として10万円が支給されるらしい。旅立つ前の準備、或いは旅立つ前に美味しいものでも思い出にどうぞ的な、恩赦のように思える。そこがメチャメチャリアルだ。実際に国の政策としては、そんな気遣いなんかじゃないのは明白。生産性の無い人間が生き続けて補償とかで国が財政を負担するより、10万円渡してそれで終わりにするなら、その方がずっとコストが浮く。そんな計算が裏にあるのを知ってか知らずか、自由に使える10万円を貰って、それを有難いと思ってしまう老人。ヤバい。人間をコストで計算する世の中。

 

これを映画のファンタジーとして楽しめる人間が居たら、相当にまずいと思う。
いや、ファンタジーどころかこういう未来を作っていこうとかいう学者まで居るのが現実。少し前から、経済学者の成田悠輔氏の「老人は集団自決せよ」という発言が世界中で炎上してますが、まさにこの映画みたいなシステムを作るべきだよねって話ですよね。(本人は何故か「ミッドサマー」とかを例に出してましたが)

 

そういう発想自体はね、個人の考えとして別に悪いとは思わない。そこは個々の考え方ってありますし。ただそれをどういう場で言ったら良いのかとか、自分はこう思うんだけど、これ言うとこういう反論があって、自分の考えにはこういう問題点もあるんですけど的な謙虚さでもあればね、まだいくらか許容できるけど、子供相手にドヤ顔するとか、えらそうにコメンテーター気取りでわざと挑発的な言い方したりとかさ、それはちょっとなと思う。

 

例えば、富野由悠季なんかは昔から老害とかバカは皆殺しにしろとか作品で描いてるけど、結局アムロアクシズ止めさせたりとか、本人がこれからは俺達の時代だとか40年前に言ってた人が、今は本人そのものが老害になってたりとかギャグみたいなオチがつくからまだ許せるんですよ。コロナで沢山人が死んで人減らしが出来て良かったねとか言ってるのは流石に笑えませんでしたが。

 

あのね、例えば実際に「プラン75」的なものが現実に制定されたとしましょう。
実際75にならないとわからないけれど、私は多分、死を選ぶと思う。


いやぁ~、マーベル映画とガンダムプリキュアが終わらないからまだ死ねないんだよ、とか言ってるかも知れませんが、まあそれはそれでどうかと思うぞ。(あながち冗談とも思えない辺りが怖いけど)

 

でもこれってさ、映画の中でも、「後々はプラン65まで推し進めたい」的なニュースが入ったりしてましたが、こういうのは一度制定されたら歯止めがきかなくなります。いずれプラン55になり、プラン50になるのは目に見えてます。
そこまで行けば、今度はまだ若くても社会的価値の無い人間なんかが排除されて行くのでしょう。学校の1クラス30人中、成績の低い10人は排除されます。そこはもう年齢とかじゃ無く、資源やコストが目減りする中、優秀な人間のみが生存できるのがこの世の中という事になる。

 

この作品の冒頭のシーンもそうですが、相模原の障害者施設での事件を彷彿とさせます。障害者は社会のお荷物だから、彼ら彼女らは排除しても良い。自分は良い行いをしたんだ。そんな主張を加害者は掲げていました。
成田悠輔氏の発言も、世界から「ナチズムと同じ」と批判されました。ドイツ人と比べてユダヤ人は遺伝子上の能力から劣る、というトンデモ学説の優生政策がホロコーストを(当時は)正当化させていました。

 

人間として能力が劣る、生産性の低い人間は価値が無い。
そんな考え方がまかり通ったらさ、私なんて75を待たずに今すぐ排除されますよ。
でも逆に「人間をコストでしか見る事が出来ないような人」は大丈夫な人なんでしょうか?

 

私はね、子供の頃からそうでしたよ。かけっこをしても一番後ろ。かといって勉強も出来ない。友達も居ないし、みんなの嫌われ者でした。自分は生きてる価値なんか無いと思って生きてた。このままじゃ親にも迷惑かけちゃって申し訳ないと思い、電車に飛びこもうとしましたよ。小学生の頃。でも流石小学生ですよね、日中は迷惑かけちゃいけないと思って夜中に家を出たんですけど、田舎の線路は夜中に電車なんか走って無かったのを知りませんでした。いくら待ってもこないので、別の日にしようと思って帰ってきちゃいました。そしたら何かバカバカしくなちゃってね、もういいやとふっきれた。

 

世の中の皆様ごめんなさい。こんな価値の無い人間が生きててスミマセン。社会の隅っこで、なるべく皆には迷惑かけないように振る舞うから、生きるのくらいは許して下さいって思ったのよ、小学生の時に。

 

いやねぇ、その後は「他人に迷惑かけなきゃ別にいいや」的な考えでその後生きてきて(実際色々と迷惑はおかけして生きてますけどね)、そういうのがオタクになった要因でもあるし、そのまま大人になったらなったでね、今度は「ただのオタク」なんて世の中の価値ねーなとか思っちゃって、今度は大人になった時にもまた死んでしまうかとも思った事はあったけれど、オタクとして生きてる分には楽しかったし、じゃあ今度は価値のあるオタクになろうと勉強したり社会参加してる内に今の私になったりしてます。


今でも落ち込む事はしょっちゅうあるけれど、まあ図太く生きてやろうという歳相応のものは得られましたし、それこそ気分が落ち込んだ時はプリキュアに救われたりとかしてるわけですが、根っこの部分がそういうのを抱えて生きてきたので、もし「プラン75」的な物があればね、それを選ぶのも悪くはないのかな?という風にも思ったりする。

 

・・・思ったりもするけどさ、それと同時に「社会の役にたたない奴は生きてる価値が無い」そんな人をコストで計算するような考え方ってそもそも正しいの?
つーかさ、いいじゃん「ただ生きてるだけ」の人が居たって。それくらい許容しろよって思う。ただおしゃべりしてるだけでも楽しい時間を過ごせたりする。それって価値が無いの?コスト的に合わないから無駄なの?「人の価値」なんて、それは誰が決めるのさ?

 

世界的人権とか基本的人権とかそういうのあるじゃん。この国はただ生きるのにもライセンスとか必要なんでしたっけ?そんなのが必要になってくる世の中って何なの?まさしくディストピアSFじゃん。本当に能力があるのなら、本当に頭が良いのならさ、まるごと救ってよ。あんたらが言ってるのは自分だけが生き残る道じゃんか。

 

SF映画とかでもよくあるけどさ、じゃああなたが仮に事故か何かにあって能力が無い人間の方に入れられたらさ、どうすんのよ?っていう問いに対して、大体二つのパターンがある。自分がそうなるわけがない、という根拠の無い自信だけがあるパターン。もう一つは、それこそ自分が望んだ結末だ!的に最初から死にたかったパターン。

 

とはいえこの映画はそんなディストピアSFを目指したわけじゃない。これは今の問題。今の現実。この映画で提示される答えはもっと曖昧なものだ。けれど、そこが素晴らしいと思った。言葉では語らない。解釈も人によってきっと様々でしょう。でも、それが人じゃ無い?何故彼はあの場でこんな行動をとったんだろう。何故彼女はあんな表情を見せたんだろう。きっと答えや選ぶべき道はいくつもある。けれど、こんな未来になってほしいと思う?そんな問いかけ。私はこんな未来は嫌だ。

 

なんかさぁ、「アベンジャーズ」で、意外と「サノスの手段は否定しきれない」とか言う人が多かった印象があるんですよね。個人の考え方なので、それはそれで別に良いとは思うんですけど、やっぱり私は嫌だなぁと思ったの。ランダムで全ては平等だつったって、人を消してしまう事に変わりはないわけじゃん。それしか道は無いんだって思いこむのは、強さでもあるけれど、同時にそれはやっぱり怖いし嫌だなと私は感じた。

 

この映画、見終わって決して「ああ楽しかったな」と思うような作品では無いけれど、それこそ現実じゃ無い物を架空の歴史や世界として、さも現実にあるかのように見せてくれるって、映画の利点だと思うんですよね。それこそ怪獣映画でもファンタジー映画でも、現実には無いんだけど、もしあったらこうじゃないかという世界を、まるで目の前にあるかのように見せてくれる。そこは映画の面白さじゃないかと思う。
そんな意味ではさ、「プラン75」楽しい映画ではなかったけれど、メチャメチャ面白い映画ではありました。

 

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