僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

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HUGっと!プリキュア オフィシャルコンプリートブック

HUGっと! プリキュア オフィシャルコンプリートブック (学研ムック)

HUGTTO!PRECURE Official Complete Book
刊刊:学研 Gakken Mook
2019年
☆☆☆☆☆

 

毎度おなじみプリキュアのコンプリートブックシリーズ。
驚きの低価格に対しての内容の充実っぷりは今回も同様。

 

ただ、「HUGプリ」という作品に関しては、15周年記念作品というのもあってか、良くも悪くも毎週のようにネット上では色々な話題を振りまいた作品でしたので、そういう部分に関して一つ一つを丁寧に掘り下げるという内容でも無いので、そこを期待しちゃうとちょっとムック本としては弱いかも?とも思わなくもない。本としては毎度おなじみの通常営業スタイルなので。

 

まあその分では無いですけど先に紹介した15周年記念本の「アニバーサリーブック」と「コスチュームクロニクル」が歴史を振り返る的な意味でのスペシャルイシューとして読み応えがあるのでそちらも是非に。

 

話題性という部分では、HUGはとにかく若宮アンリ君のキュアアンフィニが語られがちですが、スタッフインタビューとかでは作り手の意図とは少し違う感じで話題になってしまったと語られてます。

 

ここは後の「ヒープリ」でも同じような事を言ってるケースがありました。近年のプリキュア史ではちょっとファンの間でも荒れた反応が多かった二つの例でしょうかね?個人的にはその二つとも、何でそんなに拒否反応を起こす人が多いのか、と思ってしまう反面。ネガティブな言葉が飛び交うのは私も良くは思いませんが、話題性があるというのは悪い事じゃ無いとも思ってたりします。

 

特にHUGプリに関しては、映画の方もそうでしたけど、話題になってるからちょっと見てみようか、っていう人が多かった印象。

 

あくまで印象なだけで、そういうデータがあるとかではないですし、インタビューでもネットや大人の意見みたいなのは惑わされないようにしているって作ってる方も語ってますが、15年続けて来た事で、女の子向けアニメの王道と言われる地位を築き上げてきたのがプリキュアですし、私もプリキュアシリーズには途中から入った人なので、最初は「プリキュア」ってブランドの大衆性に着目して、こんなに大衆性を持つに至った理由や原因って何なんだろう?それを知りたい、みたいな視点で見始めたので、話題性があるって面白い部分なんです。

 

だって考えてみて下さいよ、「TVアニメ」なんて今や星の数ほどあるんですよ。商売でやってるんだからどの作品だって話題にしてほしいと思ってるに決まってますよね。でもその大半がさほど話題にもならず、ファードアウトしていくだけ。

今度「ハケンアニメ」なんて映画もあるみたいですが(多分私も見て来ます。予告編だけでは最高につまならそうな感じでしたが)、そんな感じでせいぜいアニメファンという狭いパイの中でちょっと話題になれば恩の字。頑張っても1年後には誰も話題にしなくなるような世界。そういう中で、例えネットの中だけとは言え、ネットニュースとかにも取り上げられるくらいには話題になったのって、それはそれで凄いと思いません?

 

プリキュアは「子供向けの有名な奴」くらいは知ってても、実際はちゃんと見た事も無いし、なんか結構話題になってるからちょっと見てみるかな?とか思わせたのなら、それって実は結構凄い。

 

子供向けと侮るなかれ、見てみると結構面白いんですよ。って言われたって、なかなか普通はね、興味が無いと難しいものです。「HUG」の一つ前の「プリアラ」、逆に一つ後の「スタプリ」と比べても、やっぱりちょっとHUGの話題性は頭一つ抜けてた印象があります。

 

サプライズで初代登場とか、TV版オールズターズやってりとか、15周年記念作品で話題性を売りにしてたんだから、実際話題になったのは作り手としては本望でしょう。せっかく話題にしてもらうと思ったのに思ったほど反応が無かったっていうよりはずっとマシだと思いますしね。

 

だってプリキュア以外の女の子向けアニメだって今はいくつもあるのに、なかなか話題にならないのは、そっちの方を作ってる人はきっと悔しいでしょう。毎週ニチアサがトレンドワードに入るツイッターもそれはそれでちょっと日本大丈夫か?って思う面もありますけれど。ツイッターが世間の全てじゃ無くて、ツイッターなんて世間の極一部の狭い世界と思ってた方が健全。

 

それはともかく、私はBDとか所持してるので今回ちょっとラスト3話くらい見返したのですが、まあ正直最終決戦で通常回とはまた別枠とは思いつつ、HUGの根っこにあるものはここかな?というのを改めて感じた部分がありました。

 

色々とそこに至るまでの枝葉の部分が話題になりつつも、HUGプリの根本にあるのは「夢や理想、希望を語る事を否定するな」って事ですよね。所詮は綺麗事だって言われるかもしれないけど、理想を語るのは大事な事だし、そこを否定しちゃったら未来に進めなくなるよって事かと。

 

作中では明確にされませんでしたが、ラスボスのジョージ・クライは、彼の時間軸では奥さん=未来のはなちゃんを理不尽な形で亡くしています。だから過去の時間軸に戻って、そこで時を止めてしまおうとする。未来に幸せなんか無いんだよ、だったらまだ幸せがあった時のままで止まってしまえばつらい経験をせずにまだマシなんだよっていう事を主張してくる。

 

キュアエール/はなちゃんって、最後に出産して子供も生まれて、未来があるように描かれてますが、同時に表立っては描かないながら、その先に「死」(とまでは確実な断定はできませんが)が待っているというのを匂わせる異質な描き方で、今回見返してもなんかちょっと複雑な感情になってしまった。いや、未来は変えられるっていう主張なんだから、また今後ループして運命は変わらなかったとは言わないとは思うんだけど、「生」の対比として「死」の臭いも感じてしまう。そこが物凄く異質。多分見てる子供はわからないと思うし、意図的にわからないように作ってあるはずだけど。

 

逆に言えばラスボスとしてのジョージ・クライだけが何か作品に馴染んで無かった感も否めません。チャラリートとかパップルさんとかの「大人だって何でも出来る、何でもなれる」は素直に受け入れられたんですけど、なんかジョージさんの最後だけ違和感がありました。

 

メタ視点で言えばね、「プリキュアなんて子供向けじゃん。あんなのガキ向けに綺麗事を並べてるだけの幼稚なもの」として、子供の頃に夢中になって見てた人もこういうのからは離れて言っちゃうわけじゃないですか。卒業しちゃうというか。そこってまさにシニシズムなんだと思っていて、卒業する人の個々の感情や理由は色々あるのかもしれないけど、「子供向け番組を見てる事が恥ずかしい」であったり、「子供向け番組に面白味を感じなくなる」だったりとかも、若干違う面もありますが、大まかには全部シニシズムに含めて良いんじゃないかなと思う。

 

でも、脚本の坪田文さんのインタビューのこれ
(「HUGプリ」じゃなく、プリティーシリーズの方の「プリマジ」記事ですが)

i-voce.jp

子供向けだろうと夢や希望、理想を語る事は大切なんだよ、っていうの信じてらっしゃるんだと思う。

 

オタクじゃない一般の普通の人はね、子供の頃に見てたアニメとかヒーローなんて、一度卒業したらそこには戻ってこないのが普通だと思う。でも何の因果か偶然か、たまたま戻ってくる切っ掛けがあって、こういうのも面白いんだなって思える機会が得られた人って、まさに坪田さんみたいな感覚なんだと思うんですよね。ガキ向けなんて下らないと思ってたけど、意外と面白いものなんだな、意外と大切なものだったんだなって気づけると、またファンになったりする可能性も生まれてくるんだと思うんだけど、まさに「HUGプリ」はそれをやってたわけですよね。

 

初代やってた15年前は小学生だった人とかが親になったり、あるいは社会に出たりしてて、へぇ~昔子供の頃に自分が見てた奴がまた新しいのに出てるんだ?なつかしいからちょっとだけ見てみようかな?って思わせる仕掛けをHUGプリはしていました。

 

そこで「何だこれ今改めてプリキュア見ると凄いんだな」と思わせる作品にしてある。坪田さんがHUGのシリーズ構成(メインライター)になったのはたまたまの巡り合わせとかもあるんでしょうけど、作品としての仕掛けは意図的なものです。

 

そして最終決戦では大人だって、男だろうが年寄りだろうが老若男女プリキュアになれるっていうのを描いちゃうんだから、記念作品で注目度のある作品でそれをやれたのって、相当に大きい。同じ話を他のシリーズでやったとして、その効果はきっとまた違ってたと思う。そこ考えるとね、HUGプリのある種偶発的な面、意図した面と、どっちの視点で見ても面白いなっていう。そこをやれたのは本当に凄いと思う。

 


枝葉の部分で言えばね、アンリ君に関しては、私は過去記事でも何度か触れた気がするのですが、「スイート」の勇者音吉さんが私の中ではあれってプリキュアでしょ?という扱いになってるので、特に言う事は無いです。

 

他にも「頑張ってる奴に頑張ってる言うのは酷やで」とか「帝王切開はつまずきじゃない」とか色々と話題になりましたが、個人的には後者の方と同じ話のまさしく「インターネットだけが全てじゃ無い」と諭されるさあやがメチャメチャ好きでした。

 

さあやも頭の良い子なので、先生に対して失礼だし自分も間違ってるかもしれませんが、って感じでちょっと自信無さ気に言うんですよね、お産についてネットにはそう書いてありましたって。でも、ネットに書いてあるのはその患者さんの事じゃ無い、一人一人違うから、ちゃんとその一人一人と向き合って、その人に合わせた対応をしなきゃいけない、それがこの仕事なんだよ、って先生に言われるの。

 

そこのシーンが凄く好きでね、そう!仕事ってそういう事なんだよ!!!!!と私は思いましたもの。ええ、自分も助産師じゃないけど、客商売だから仕事やっててこういうケースは山ほどある。

ネットで調べて助かったケースは私も山ほどあるし、普通に使うけれども、それだけが世の中の全てじゃ無いっていうのは常に頭の片隅には入れておきたい所。

 

あとはチャラリート戦の「今必要なのは剣じゃ無い」もやっぱり好きだし、(アンジュハープと言い張るセンスはどうかというツッコミも含め)パップル戦もね、「貴方はルールーに酷い事を言いました。だから貴方の事は好きではありません。でもあなたはあなただ」っていうのも凄ければ、「きれい事ね。でも、届いたら、ぶっとびね」っていうのがまたさぁ(涙)

 

とまあそんな感じで思い出せばHUGプリはいくらでも思い出が出てくる。テーマが散漫で、あちこちの方向にそれっぽい事を言ってるだけで、一つ一つを丁寧に掘り下げたわけじゃないっていう批判もわかるんだけど、同じく荒れた「ヒープリ」の例ともまた違う感じで、これはこれでその綺麗事や理想を語るのがまた良いと思うんですよね。

 

女の子だって暴れたいというコンセプトがあった初代から15年経って、男の子もお姫様になったって良いじゃないを描く意味、これまた何度も書いてきたけど、ディズニーの変化とタメ張れるものが日本のオリジナルアニメでやってるんだからさ。その革新性の凄さや価値、そこは誇るべきものだと思うんですけどね。まあ私は保守の右じゃなく革新の左派っていうのもあるんでしょうけど。

 

でその保守とかのバランス面に関しても、スタッフワークの配置が面白くって、HUGはシリーズディレクターが二人制。佐藤順一は「セーラームーン」「どれみ」東映以外でも数々の女児向けを作ってる重鎮ながら、プリキュアは初参加という面白い位置付け。もう一人の座古さんは「フレッシュ」でもシリーズD務めてるし、各シリーズで演出で長くやってるプリキュアではお馴染みの人。シリーズ構成(脚本)の坪田さんは「まほプリ」「プリアラ」から参加で、全体を総括するシリーズ構成としては初、というような形。

 

作品のカラーとしては坪田さんの色が一番色濃く出たのかなと言う印象ですが、例えば最初に作品のテーマとして提示された「子育て」と「お仕事」で、自分は子育ての経験が無いからそこは躊躇したとの話ですが、監督二人とプロデュサーは経験者なので、そこでフォローするから大丈夫、という形で入ったと。

 

逆にそこが良かったと思うんですよね。経験が無いからこそ、女児向けアニメのキラキラした「理想」をストレートにぶつけられたわけで、そこを最初から地に足がついた形で経験者だからこそわかる事感じる事を軸にしちゃってたら、それこそ物凄く現実的な方向に行ってしまうわけで、理想は理想として描いて、監督二人なり、Pなりがここはこういう描き方の方が良いってジャッジしてくれるわけで、その中で「プリキュアは知らないけど女児向けはベテラン」の佐藤監督と、「シリーズとしてプリキュアを熟知している」座古監督が居て、そのバランスは凄く面白い方向に働いたように思う。

 

坪田さんも自分でプリキュアの脚本がやりたいって手を挙げた人なので、自分がこれまで溜めこんできた描きたい事をとにかく詰め込んだはずだし(だから色々なテーマが混在してる)、座古監督がプリキュアならこんな感じっていうのがあれば、プリキュア初心者の佐藤監督が、え?そうなの?この方が良くない?みたいなある種外部のフラットな意見が出せる。

 

一応、ルールーも「アンドロイドの感情の芽生えって赤ちゃんと同じようなもの」だから、というテーマありきで入れたそうですけど、アンドロイドの自我とかまで普通詰め込まないだろうと素人的には思っちゃいますよね。流石にそれは別作品でやった方が良いんじゃないの?って。でもそれを組み込むのが野心的で面白い。

 

初期の頃と比べて恋愛要素が薄まってきたプリキュアの中で、ほまれとハリーとかちゃっかり入れてくるし、いやほんどにどんだけ詰め込んでるんだよって感じもしますが、それくらい情報過多なのも今風のアニメなのかもって気はする。おかげで飽きずに見られるのは確かですしね。

 

とりとめのない話が続くので、今回はこの辺にしておきますが、改めてHUGプリ、夢や希望を諦めないっていう綺麗事を堂々と描き切ってくれた事に感謝したいし、そこにこそ価値はあるんだよっていうのを肯定してくれる作品なので、その主張はファンとしても誇りに思う物です。

 

一応言っておくけど、私はどっちかと言えば物事を斜に構える方のタイプ。みんなに「お前ひねくれてるな」って言われるし「変わり者」って認められてるような人です。でも、そんな人にも「プリキュアは素晴らしい」って心から思わせてくれるし、プリキュア大好きおじさんである事に誇りを持てるのは、ちゃんとこうしてプリキュアと言う作品がいかに優れたものであるのかを自分なりに理解している(つもりなだけかもしれませんが)からこそで、そんな主張が籠められてるHUGプリは、改めて凄い作品だなと思ったしだい。

 

唯一の心残りはキュアアンジュのプリキュアーツ出してよ!って事くらいです。

 

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