僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST

機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST(1) (角川コミックス・エース)

MOBILE SUIT CROSS BORN GUNDAM DUST
漫画:長谷川裕一
刊:角川書店 角川コミックス・エース 全13巻 2016-21年
☆☆☆☆☆

 

「ゴースト」に続いて「DUST」を一気読み。
ガンダムエースは毎月買ってるので、さらっと流し見くらいはしてたのですが、私は完結したものをきっちり読むのが好きな人なので、本腰を入れてきちんと読むのは今回が初です。

 

やべぇ、死ぬほど面白い。


「ゴースト」の時も完結してからまとめてきっちり読んで、もうゴーストガンダムにメチャメチャ痺れたのですが、「DUST」は割と間を空けずにすぐに始まって、正直、あまり乗れないなぁとは思ってたんです。

 

主役機のアンカーもイマイチだし、それ以上にミキシングビルドMSが凄く嫌でした。というか、今でもそこはハッキリ言って嫌いです。何が嫌かって、別にギラドーガにジェガンの腕をつけるくらいなら良いんですよ。でもDUSTのミキシングビルドって、キュベレイとかジオとかのネームドパイロットのワンオフ機とかのパーツも使ってるじゃないですか。そこはレプリカなんだってフォローは一応入れてあるんですけど、いやそれでも無くない?という感覚は拭えません。まず嫌いなポイントがそこで一つ。

 

もう一つちょっと受け入れにくいなっていう部分があって、「ゴースト」はUC0153で「Vガン」と同じ時代でした。今回の「DUST」はUC0169で、これまでアニメで描かれてきたガンダムシリーズの先の時代を描いてるわけじゃないですか。(一応まだこの先に「Gセイバー」と「ガイアギア」があるにせよ)宇宙世紀の未来って、こんな風になるものかな?っていう疑問は未だに拭えず。

 

Vガンの時代で宇宙戦国時代っていうのは元からある設定ですし、そこがより深くなっていったもの、というのはわかるんです。でもこんな、強力なMSをより多く持っていたものが勝者になれる世界って、いくらガンダムとは言え、そんな単純な世の中じゃ無くね?っていう疑問です。

 

「マッドマックス」的な世紀末ディストピア世界。まあ既存のガンダムシリーズなら「ガンダムX」がかろうじて近いかな?とは思うのですが、モビルスーツこそが作品の最も大きなファクターである事は否定しませんが、ガンダムって、同時に政治とかそういう方面も描いてきたからこそ、リアリティを感じられたし、そこもまた面白味だったわけじゃないですか。そこがあるからこそ、こういう未来にはならないんじゃないかなぁ?ゆるやかに停滞とかはするかもしれないけど、延々と、新しい時代に突入したら、そこでまた戦争が起きて、みたいなのを繰り返してきたからこそ、変な話、それが永遠に続くのが宇宙世紀なんじゃないかなぁ?という感覚が私の中であったわけです。

 

序盤の内は、そんな気分があったからこそ、なかなか乗り切れないでいたんですね。

 

が!

 

これがもう読んでる内に、やべぇ、これメチャメチャ面白いぞ!?


と、変わっていきました。ミキシグビルドは最後まで受け入れられませんでしたが、そんな事はどうでもいいと思えるくらいに話が面白いのです。

 

これ、言わば「宇宙世紀物語ガンダム」の最終回を描いてるわけです。宇宙世紀じゃ無い「ガンダムWエンドレスワルツ」とかでもありましたよね、確か「戦争・平和・革命の終わらないワルツが永遠に続く」でしたっけか。

 

ぶっちゃけガンダム見てる人は誰でも思う訳です。一つのシリーズが終わって、一応は平和になりました的に終わるけど、どうせ次のシリーズが始まったらまた戦争始まっちゃうんでしょ?って。そこを掲げたエンドレスワルツでさえ、次の「フローズンティアドロップ」とか続き作られちゃいましたしね。

 

でも、前作の「ゴースト」でも少し触れられてましたけど、戦争がこの世から無くなる事はないけど、せめて100年間、1世紀の間くらいなら実現出来るんじゃないの?もし100年平和が続くならさ、永久にとは言わないけど、そこを足がかりにそこから広がる世界とかも想像できるのでは?っていうのが描かれましたよね。今回の「DUST」はそこを再度テーマとしてもってきて、今度こそきっちり描き切るぞという目標に掲げて着手した作品になってる。

 

ファーストガンダムから続いてきた歴史は、言わば戦争の歴史とも言えるものであると。でもそこに今回は決着をつける。現在進行形の「閃光のハサウェイ」も、クロスボーンガンダムの無印も、過去の歴史の狭間の、これまで語られてこなかった歴史の1ページという枠組みです。。でも今回は違う。歴史書の最終ページを描いてやるぜっていう試み。これはちょっと凄い。いやちょっとどころでなく相当に凄い。

 

思えば過去の長谷川ガンダムの時にもコメントとしてそういった事は常に語ってきてました。毎回、これが最後というつもりで描いてる。或いは、この作品は「ガンダム」という作品に対しての自分なりのアンサーだと。「逆襲のギガンティス」の時もそうでした「Vガンダム外伝」の時もそう。「クロスボーン」無印だってそうですよね。ある意味での、一部分に関してはこれがガンダムという作品に対する最終回みたいなものですよっていう要素はあった。

 

今回は、満を持して、実際にガンダムの最終回を描いてしまえと。前述の通り、一応は「Gセイバー」「ガイアギア」というマイナー作品はある。でも、富野由悠季は今更もう宇宙世紀何年なんて全く興味も無くなって、そんな過去にいつまでもしがみついてるんじゃなく、新しい物を生みだす努力をしなさいよ、って言う人だし、商売的には[UC.NEXT100]とか言って、合間の歴史でまだまだ作品作ろうぜって楽しくやってる最中。

 

そんな中でね、Vガンダムの先?そんなの今の所は描く予定も無いし、「技術の革新」みたいなものを出さなければ自由にやってくれて良いですよ。え?むしろ技術は後退して既存のものしか使わない?じゃあどうぞどうぞ、とサンライズの許可もバッチリです。

 

・・・ええ、でも実際に完結した「DUST」を読んだら、サンライズの人はどう思うでしょうね?

 

 

やってくれたな長谷川裕一

 

 

と多分思ってるはずです。こいつとんでもない事をやらかしやがった!
って目を点にしてる事でしょう。

 

勿論、長谷川も立場をわきまえて、もし十数年後にこの時代でサンライズが正規に商売を始めようってなった時には、漫画だけのパラレル的なものですからって身を引くでしょう。もし今後「Bガンダム」がオフィシャルで出たら改名しますって言ってるのと同じ感じで。

 

でも今はやれる事をやりきっちゃおう、という意気込みで書いたわけだから、もうね、これは圧倒的な面白さです。

 

今回は最初からケツを決めて描き始めたとかじゃなく、ある程度キャラを配置して、そこからどう動くかをその都度描くっていう形にした事は本人も語ってます。前回は日本の戦国時代要素を入れたから、今回は三国志モチーフにしたって言ってますが、前半はそうなのでしょう。主人公のアッシュと共に最初からタガナスとカグヤの3人をキーパーソンっぽく配置してます。

 

でも、それが途中からあからさまに違う方向に話が進んでいく。前作主人公、フォント君は諸葛孔明ポジションだろうから、ある程度は織り込み済みだろうけど、首切り王が出てきてから雰囲気がぐっと変わってくる。

 

いや、多分違うな。アッシュとレオが多分この物語を作ったんだと思う。ここからは私の勝手な想像ですよ。お、オフィシャルではござらぬぞ。

 

アッシュって割と長谷川作品にしては珍しいタイプだと思う。女好きで面倒見の良い親分タイプ。多分ここ、トビアが最初の主人公という所で、アムロに見立てて、世の中にイライラしてすぐにキレたりはしないけど、頭でっかちという意味で、2番目の主人公のフォントをカミーユに見立てたんだと思う。そして3番目の主人公として、バイタリティ溢れるたくましい少年としてアッシュ=ジュドーだと思う。


ここは何も富野ガンダムをトレースしたとか、暗喩で重ねてるとかではなく、主人公キャラのバリエーションとしてこういうタイプ分けを参考にしたくらいかなとは思う(長谷川ガンダムジュドーから始まったって考えるとより面白いかもしれない)

 

で、バイタリテイありすぎだと、物語の中で成長を描くのが難しいから、その役割を担うキャラとしてレオを配置したんだと思う。(鋼鉄の7人で、トビアが成長しきってる分、少年漫画らしく成長の幅を描く為にドレックを配置したのと同じ)主人公の役割を分担させたからこそレオはアッシュの「心」と言ってるわけです。

 

運び屋としてレオの心を彼女が望む所に届ける。逆に言えばアッシュはレオの「体」であり、考えるのではなく「行動」をする人であると。

 

この「体」と「心」で何か思いだしませんか?そう、前作主人公のフォント君です。彼は体・・・というか頭かな?身体性・肉体と心が分散してしまいそうになってましたよね。そんな流れがあったからこそ、その役割を二人に分散させたというのもあるのでしょう。

 

トビアに対するキンケドゥが良い兄貴分になったのと同じく、フォント君に対するカーティスは良い兄貴分でした。でも今回、アッシュに対するフォント君って、一応は兄貴分的な部分も序盤にはあるにせよ、これまでと同じような関係性にはなりませんでしたよね。そう、アッシュはバイタリティがあまりにもありすぎるので、フォント君はコントロールしきれなくなっていくんですよね。

 

あれ?こいつならもしかして新しい時代を開けるんじゃないの?トビアもフォントも、過去のニュータイプとは違う道を行くって事を描いてきた主人公だったけど、それとはまた違う新しい主人公を作ってみたら、こいつこそが新しい時代の開拓者になりえるのでは?

 

しかも、おあつらえ向きに誰も描いた事の無い、宇宙世紀のその先。海賊の錨(いかり)でもあるアンカーをモチーフにしつつも、リレーの最終走者のアンカーも担ってもらおう。誰も見た事の無い先の宇宙世紀とは、混沌の未来では無く、これまでの戦争の歴史を終わらせる歴史の最終走者=アンカーでもあるのだ。

 

海賊の交わる骨(BONE)ではなく、それぞれが歩んできた道が交差し、生まれ変わる(BORN)それが新たなクロスボーン・ガンダム

 

宇宙世紀とは戦争の歴史、ならば対峙する敵は「死」そのものであるべき。平和を信じ、そこに邁進してきたが、裏切られ、生では無く死こそが世界の本質であると思うしか無かった首切り王。

 

世界は弱肉強食こそが心理と唱えたキゾに対し、フォントは何を成し得たのか、彼の言葉を覆す程の信念や理念が彼にはあったのか、そう、ただフォントは負けなかっただけなのだ。死を覚悟したジャックに「生きろ」と叫んだだけにしかすぎないのでは?

 

宇宙世紀の歴史は、宇宙と言う無限の世界に人間が進出する所から始まる。そこには新しい時代の新しい価値観が生まれるはずだった、それがニュータイプ思想だ。しかし、そこは決して天国ではなかった、人々は疲弊し、不満を募らせ、やがては戦争を始める。人類の希望の象徴であったスペースコロニーを落とすと言う最悪の手段で。それは希望が失意に変換してしまったという事の暗喩でもある。首切り王がしきりに「裏返す」と言葉にするのはその事を言っているのだ。

 

しかし、新たな時代の開拓者でもあり、歴史の最終走者(アンカー)のアッシュは、「運び屋」として、かつては戦争の引き金となったコロニー落としを生きる為に地球に着陸させる。(それに寄り添うザクにも注目!)これを「機動戦士ガンダム・完結編」と言わずして何を最終回と言うべきか。

 

ガンダムシリーズは「死」の歴史を描いてきたと仮定すると、だったら今回はそんな「死」に対する「生」をテーマとしてぶつけると。

 

そこ、長谷川ガンダムは最初から描いてきたテーマではあるんです。一番最初の「逆襲のギガンティス」でも「死んだものは何もしない、何も出来ない!だからこそ生きている一人一人が大切なんだ、大事なんだ!」的なのありましたよね。(実はこれ「ダイターン3」の引用らしいのですが)


そこからブレていないというか、長谷川的にはまた最初のテーマに戻ってきたと。だからこそ宇宙世紀は一周したんだって描けるわけですよね。

 

ヤバい。凄くないかこれ。つーか凄いんだよこれ。

とんでもない作品を描きやがった。


私はこれを評価しないはずがありません。
モビルスーツが好きとかどうかなんて、極めてどうでもいい話です。

 

あのね、ファーストガンダムの時はスペースコロニーとか最先端の科学だったの。そのまま実現出来るかどうかは別として、いずれそんな未来が来るかもしれないって誰でも思ってたんだよ。時代も高度成長経済の時代で、未来に希望を感じられた時代だったからね。

 

でもさ、今の頭で冷静に考えたら、スペースコロニーに人間が住めるわけ無いじゃん。全てが人工物の作り物、気を紛らわすために空を見上げても反対側は見えないように作られてるとか言ってもさ、そこで人生の一生を終えるなんて考えたくもないし、例え生命が維持できたとしても、それは頭がおかしくなっちゃうし、例えそれが当たり前になって疑問に感じないような世代が生まれてきたらさ、それはあまりにも価値観が違ってきて、そりゃ戦争になるわ。

 

「Vガン」でコロニー育ちのハイランドの子供達が、地球に降りてきて、こんな臭い所になんて住めないっていうし、「∀ガンダム」でそりゃあ地球帰還作戦も発動するわな、っていう。

 

このコロナ禍でさ、どこにも外出できないってなって、頭おかしくなりそうですよ。頑張って気を紛らわせて我慢はしてるけど、それも我慢の先があると思えればです。そのくせ政治家は自分の金の都合しか考えずに、アホみたいな政策しかとらない。カミーユじゃないけど「人の命を大事にしない世界を作って何になるんだ!」って叫びたい気分ですよ。

 

そういった社会性や時代性で言えばね、アッシュの元に人が集まってくるのって、彼は他人を肯定するからですよね。その力を役立ててほしい、それは君にしか出来ない事だって。

 

これね、承認欲求を満たしてくれるから彼は好かれるんですよね。自己肯定感の薄い人が世に溢れる今の世の中にとって、アッシュって物凄く魅力的な存在です。そりゃ女の子は誰でもアッシュの事好きになるし、男だって、こいつの為に力を貸してやろうってなるわ。自分の主義主張だけを相手に叩きつけがちなガンダムキャラの中では、物凄く珍しいと思うし、承認欲求の問題って、凄く現代的なテーマなので、そういう社会学的にも十分に納得の出来るキャラになってる。

 

ただ皆が皆アッシュみたいになれるわけもないですよ。でもね、だからこそアーノルドの弱さみたいな所も、ちゃんと描いてるわけだし、彼はフォント君と並走したっていうのは、前回の「ゴースト」で私が今時の若者を描こうとしてるけど、あまり上手く行って無いのでは?って指摘した部分ですよね。フォントと同じく理屈や頭だけで考えがちな所を、そこに本当の命があったんだっていうだけで、そこでやっと現実が見えてつい涙してしまう姿とか、滑稽だけど、決して笑えない部分じゃないですか。

 

アッシュのお父さんもそう。良い事をしているふりをしていて、実は悪どい事をしていたっていうのは、首切り王は許せなかったけど、アッシュも頭おかしくなる寸前まで行くけど最終的には、人間だからそういう事もあるさっていう受け入れ方をする。この描き方も凄い。

 

当初のプランの三国志要員であったであろう、タガナスはインフラというか食糧とか人が生きて行く為に必要なものを象徴するポジションに持って行ったし、カグヤの方は政治とか宗教とか、メンタルの方で人間とは?みたいなものを象徴する存在に役割を持たせたと。う~ん、ニコル君はもてあまし気味でしたが、一応はこれでクロボンの最後になった時の為のシリーズファンへのサービス要員として、とにかくかわいいし、ちゃんとトビアの血が受け継がれてるんだって部分だけでも良しとしましょう。

 

そうそう、食料と言えばMSとかコロニーを食べるっていうのだけ、流石に面食らって、受け入れて良いものかどうか未だにちょっと複雑な心境ですが、確かにね、化石資源である石油が原料のものが宇宙で当たり前に使われてる事なんてあるはずがないんです。コロニーで石油は絶対にとれないし、宇宙の資源衛星とかからとれるって事はありえない。(もし隕石から石油がとれたらそれは有機体がそこには以前あったっていう事になっちゃうからね。ガンダムの世界観がそれこそひっくりがえってしまう)


それ考えたらさ、石油から作るビニールとかゴムの素材は宇宙世紀だとバイオマス素材が使われてるっていうのは理屈に合ってるのよね。決して食料では無いし、美味くは無いけど、食えなくは無い、っていう。

う~ん・・・今の世の中で言えば合成じゃない本物の動物の皮を使った部分を調理して食べるとかでしょうか?・・・食いたくねぇ~っ。助けて師匠。

 

あと気になる所と言えば、話の流れとしては仕方ないし、これはクロボンとかガンダムに限った話じゃなく、富野とかも「ブレンパワード」とかでオーガニック的な何かとか過去に描いてきた所ではあるんですけど、精神的におかしくなったら、自然に帰ろう、ロハス生活で人は本来持ってる生きる力を回復するんだ、っていうの、ここしばらくずっと気になってます。

 

いや私もさ、都会のゴミゴミした所が苦手で、片田舎に住んでて、別に自然に溢れる程ではないけど、緑とか無いと落ち着かないな、っていうのはあるんですけど、「自然に帰ろう」みたいなのをエンタメとか物語でやられると、ちょっとありがちかなぁ?と思ってしまって、「シンエヴァ」とか見ててもちょっとひっかかった部分なんですね。


そういうものでしょって言われると反論は出来ないし、むしろ自分もそんな風に思ってる節はあるんだけど、ここって何か違う新しい価値観とか無い物なのかなとちょっと思ってしまう。うん、ちょっとだけね。

 

気になったのはそれくらいかなぁ?
バロックの物理で殴る。超物理。みたいなのは長谷川テイストで面白いなと思う部分ですし、ややIフィールドだのみだった過去作と比べて、そっちはコロニー着陸に使って、アンカーもドリルとかイカリマルとかとても好みでしたし、バロックに対抗する最後の一手もね、ある意味、身体もMSもぶっ壊れるまで我慢するというロジックなんだか強引な物理なんだかわからん感じがまた最高でした。

 

相変わらず長谷川は絵が下手だの何だの叩かれまくってますが、こんなに面白いMSの戦闘シーン描ける作家なんて他に居ないじゃん。それこそ本家の富野戦闘演出くらいしか無いでしょ。

 

という事でまた最初と同じ事を言いますが、今回の「DUST」は受け入れにくい部分も沢山あります。でもそんな気になる部分以上に、圧倒的に面白い部分の方がずっと大きかった。っていうか言葉通りに作品そのものに圧倒されてしまった。

 

これは「クロスボーンガンダム」(完)じゃない。
機動戦士ガンダム」(完)であり、「宇宙世紀物語」(完)という、今までに誰もやった事の無い終わりを見せてくれたとてつもなく凄い作品です。


いやはや素晴らしい!

 


ご愛読ありがとうございました。長谷川先生の次回作にご期待下さい。

 


次回作は「機動戦士クロスボーン・ガンダム X-11」になります。


ズコーっ!最終回じゃないんかーい

機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST(13) (角川コミックス・エース)

 

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グレンダイザーギガ

グレンダイザーギガ 1 (チャンピオンREDコミックス)

GRENDIZER GIGA
著:永井豪ダイナミックプロ
秋田書店刊 チャンピオンREDコミックス 全2巻
2015年(連載2014-15)
☆☆★

 

読む前はスパロボとかだと「マジンガーZ」から「マジンカイザー」へ、「ゲッターロボ」から「真ゲッター」へ乗り換えパワーアップ的なものがあるので、グレンダイザーはそれがないなぁという発想から「グレンダイザーギガ」とかとりあえず今風にアッパーバージョンを作ってしまえ、という所から生まれた企画なのかな?と思ったのですが、ちょっと違った感じ。

 

続編とかじゃなく、リメイク企画だったようです。「マジンカイザー」というより「Zマジンガー」とか「マジンサーガ」みたいなものか。割と有名な話ですが、アニメのグレンダイザーはフランスとかだっけかな?ヨーロッパで高視聴率作品としてメチャメチャ有名。イベントとかで今でもグレンダイザーの話をよくされるので、じゃあリメイクしてみようかな?みたいな企画のようです。

 

豪ちゃんファンには大変申し訳ないですが、ハッキリ言って永井豪のセンスはいくら今風にやろうと思っても、あまりにも古臭い。デザインのセンスも話も、絵も古い。

ただ、ちゃんと「永井豪ダイナミックプロ」って表記があるように、おそらく永井豪がちゃんと自分で描いてるであろう部分が半分か3分の1くらい。ぶっちゃけモブの方が絵が上手いという不思議な作品。多分これ、モブ書いてるのは「マジンガーZERO」の人ですよね。タッチが凄く似てる。怪獣も線のディティールがどちらかと言えば永井豪より石川賢の方に寄せてある。

 

でもね、それが「おいおい永井豪手抜きしてんじゃねーよ」ではなく、合作っぽい感じが、よりクオリティを上げていて、これ意外と悪くないんじゃないの?という感じでした。「ゴルゴ13」のさいとうたかをプロダクションみたいに、ほぼスタッフってわけじゃなく、割と永井豪って自分で描くことにこだわるタイプですので、似せてるだけで別人が描いてるってのではないと思うのですが、逆に私はね、全部まかせちゃっても良いんじゃないの?と思ったり。

 

永井豪はおおまかなラフとかプロットだけ出して、あとはダイナミックプロとしての作品ですよ、っていう形で出した方が、ビジュアル的にも話的にも面白くなるような気がする。突飛なアイデアをよりブラッシュアップして、今ならこういう描き方の方がより現代的になりますよ、ってしてくれた方が作品としては生きる気がするんですよね。

 

先日、何十年前の永井豪漫画版「グレンダイザー」を読んで、続けてこれ読んだものですから、そこの差が以外と面白かったというか、言葉は悪いですが、どうせまた永井豪なんでしょ?と思って読んだので、意外と面白いぞこれ?っていう感じでした。

 

兜光児の変わりに別キャラを出してサポートメカで援護させたりしてるものの、キャラ的にはさっぱり生かせてなかったり、例によって尻切れトンボで投げっぱなしエンドだし、果てはキューティーハニーまで味方として出してきたり、ダイザーの他にスペイザーの中にフロリアンビートとかいう女型ロボットを出してきたりしつつも、さっぱり活躍出来ないとか、いかにもガッカリな永井豪っぽい。

 

ああでもキューティーハニーは小型メカの等身大戦で同時に活躍出来たりと、意外と面白い使い方だったかも。おっぴろげ変身でうひゃ~とかは死ぬほど古臭いけど。

 

これがアニメ化するとは思えないけど、もしそんな企画があるとしたら、これをベースにあとは若い人たちが面白く作ってね、って投げるのも、それはそれでアリな気がする。スパロボ出演とか、何かしらの機会が無ければ多分これ単純に埋もれた作品になると思いますけど、ただの駄作と切り捨てるにはちょっと勿体無い部分も垣間見える作品でした。

グレンダイザーギガ 2 (チャンピオンREDコミックス)

 

PVなんてあるのねこれ


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ブラック・ウィドウ (MCUその27)

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原題:BLACK WIDOW
監督:ケイト・ショートランド
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2021年
☆☆☆☆☆


ま、待ちきれぬ!
普段は土曜の仕事終わりに映画館に行くのが通例なのですが、作品はとっくに完成しているにもかかわらず、コロナで1年以上の延期。じらされまくって、もうこれ以上待てぬ!と結局初日に観に行ってきました。

 

コロナ自粛期間中も、MCU作品再上映何本か観に行きました。ディズニープラスでのドラマも観てます。それでもね、このワクワク感ですよ。至福の2時間ちょっとを体感してきました。そんな気分的な所も含めて、もう最高としか言いようが無かった。

 

勿論、冷静に考えると、いくつか気になる部分もあるにはあるし、これが完璧で100点の映画かと言えばそうではないでしょう。でもね、何でこんなに面白いのよ?

 

ゴメン、私は割といつも偉そうにこの面白さの秘訣はここにある!とか勝手に分析して語りがちだけど、何でMCU映画はここまで面白い物を連発で出してくるのかがわからない。


マーベル全部が凄いとは言いません、ヴェノムとか微妙だったし、X-MENシリーズとかも面白い物もあれば微妙なのもあるって感じですよね。そこはライバルのDC映画なんかもそうだ。先日取り上げた「ゴジラVSコング」なんかもそう。毎回、全部が全部これ最高だなってなるわけじゃない。でも何故かMCU映画は毎回面白いんだよなぁ。

 

よく、邦画は予算が無いから面白い映画が作られにくいって言う人が居ますけど、予算を山ほどかけてもつまんない映画はつまんないし、お金じゃないんですよね。クリエイティブな所で、面白くするための何か秘訣みたいなものがあるとしか思えない。例えばピクサーは社内試写で問題点を徹底的に洗い出すとか知られてますよね。それであの完成度を保ってる。「アベンジャーズ」の監督を引っ張ってきて「ジャスティスリーグ」を作らせたとして、なかなかそうは上手くは行かない。そこは監督の素質とかそれだけじゃない何かが絶対にある。

 

今回の「ブラックウィドウ」の監督のケイト・ショートランドさんって、私は過去の作品を見た事ありません。スカーレット・ヨハンソンとかブラックウィドウっていうキャラクターとかも、まあ別に嫌いでは無いですが、そこまで特別な思い入れがあるという程では無かった。でもね、メチャメチャ面白いんだなこれが。

アメコミファンながら次の「シャン・チー」も「エターナルズ」も私は原作さっぱり知りません。でも、多分面白いんだろうなぁ。そこが凄いですわ。

 


という事で今回のお話。時代設定は遡り、「シビルウォーキャプテンアメリカ」と「アベンジャーズ:インフィニティウォー」の間のお話。これまでの映画の中で断片的に語られてきた、ナターシャ・ロマノフがスパイエージェント「ブラックウィドウ」として活動していた時期の過去が詳細に明かされ、そんな自分の過去と向き合う話。

 

妹、とされるエレーナ・ベロワとのシスターフッド映画の形になってました。スカヨハさんも、今の時代だから作れた話で、時系列順に、「アイアンマン2」で登場した後にすぐに単独映画とかは作れなかった、というのはよくわかる話です。

 

時代の寵児としてもてはやされたMCUシリーズですが、それでも、女性ヒーローの単独映画はシリーズ化して大分経った21作目の「キャプテンマーベル」でやっと実現。黒人が主役の「ブラックパンサー」も18本目でようやく実現。女性ヒーローも黒人ヒーローも初期の頃から登場はしていたものの、あくまでサイドキック的なポジション。

 

これまたスカヨハさんが言ってますが、アイアンマン2で初登場したブラックウィドウは、セクシーな女スパイという役割だったと。そこは確かに女性と言うのはこういう役割なんですよ、というある意味での偏見みたいなものは確かにありました。今回はね、そういう役割や要素とか、女だからみたいな部分を殊更意識する必要は無い。10年前じゃ無く今だから作れた作品なんだっていうのは、確かにそうだと思うし、そこは凄く面白く感じられた。

 

勿論、ゼロでは無いですよ。一人では無いウィドウ軍団の解放という部分は女性の搾取って問題を描いているのは確かだし、ライバルのあいつもある意味ではまだそういう呪縛というのはあるような気はします。

 

でもね、それでも十分に面白かったんだよ。女性ならではの部分とかではなく、ナターシャ・ロマノフの意志であり、一人の人間としてのけじめみたいなものに思えて、その高貴さがホントに素晴らしかった。

 

そして妹であるイリーナのサバサバした感じも非常に素晴らしい。同じ姉妹でありながら、ナターシャとイリーナでちょっと視点が違ってたり、性格や考え方も違って、それぞれの個性がちゃんと見えるんですよね。それでいて、反目しつつも、単純に同業だからとかではなく、姉妹っぽいじゃれあいというか、通じる部分もあったりする辺りが非常に面白い。スーパーヒーロー着地に突っ込むイリーナが楽しかった。

 

そしてウィドウならではというか、いわゆるスーパーパワーみたいな能力を持っていないからこそのアクションやシチュエーションも非常に秀逸。

確かにね、ビームや魔術が飛び交うような派手な画面ではないし、舞台も宇宙とか辺境の惑星とかでもない。それでもね、十二分すぎる程に面白いのよこれが。

 

私はもうアメコミ慣れしてるっていうのもあるんでしょうけど、それこそ映画とかからアメコミに入った人だと、未だに居るじゃないですか?キャプテン・アメリカとか地味じゃね?アイアンマンとかソーとかハルクと比べたら弱くないか?とかさぁ。あと、サノスより強い奴なんて居るの?とかそういうのも含めて。

 

サノスより強い奴なんていくらでもいるし、そもそもそういう強さのインフレとかパワー比べでは無い所にアメコミならではの面白さがあるんだよ!と私は思ってる人なので、まさしく今回の「ブラックウィドウ」みたいな作品を観ると、そう!面白さって単純なパワーとかそういうとこじゃないよね?これにはこれの面白さがあって、同時に別のとこで宇宙で戦ってたり、神様同士が戦ってたりするのと世界観が繋がってるのが面白いんだと。

 

いや確かにね、「インフィニティウォー」や「エンドゲーム」程の面白さなのかと言えば、冷静に考えればそうでは無いかもしれませんよ。でもね、観てる間はそんな風に1ミリも思わなかった。とにかくワクワクしたり、これをこういう設定にアレンジしてきたのか!とか、観ていてとにかく楽しいし、ドキドキしながら、ああ、今回も予想以上に面白かったなと。この満足感に、他の作品との差なんか、私の中では全く無かったです。

 

今回のヴィランであるドレイコフ。ライバルヴィラン的に凄くキャラが立った良い悪役だったなぁ、とは思いません。ただ、メチャメチャ憎たらしかった。今回は「ブラックウィドウ」という単作で過去の話だし、「2」が作られる事は無いでしょう。そういう作品の性質を考えた時には、あえてこういう役どころ、役回りにしたのかなと思うし、マグニートーとかドクタードームとか、あんな感じのヒーローにひけをとらない悪役が必要な作品では無いんじゃないかと。

 

そこ考えるとね、タスクマスターは少し惜しい使い方かなとは思ったし、原作とは全く違う設定を持ってきてたのはちょっと気になる所ではありますが、決して今後もう出られない結末では無いと思うので、そこは今後のアレンジしだいかも。原作でのタスキーの特殊な立ち位置は私好きなので、なんか面白い使い方をしてくれたら良いなと思います。

 

いやしかし待たされましたが、そんなモヤモヤを一気に吹き飛ばしてくれる爽快な1作になってて、私は非常に嬉しい。しかも今年はまだ3本もMCU映画が見れる。さらにドラマもあるしで、待った分、次々と新しい作品が見れるのがホント楽しみです。

 

いや私ね、ブームとしてはこの先は沈静化していくと思ってました。私はブーム以前からのファンだから今後も追いかけて行くけれども。

でもねぇ、このクオリティで行けるなら、もしかしてまだのびしろあるのかも?なんて思えるくらい、MCUの凄さを改めて突き付けられた。

 

いや~、面白かったし、満足度120%です。

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映画 魔法つかいプリキュア! 奇跡の変身!キュアモフルン!

映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン! DVD特装版

監督:田中裕太
脚本:田中仁
日本映画 2016年
☆☆☆☆

 

プリキュア映画21作目。
TVシリーズ13作目「魔法つかいプリキュア」秋の単独映画です。

 

監督はTVシリーズ前作「Go!プリンセスプリキュア」でシリーズディレクターを務めた田中裕太。準備期間を考えたら、ゴープリ終えてすぐこちらの方にとりかかったものと思われます。映画の方で監督を務めたのはこの作品が初監督で、後にTVシリーズ16作品目「スター☆トゥインクルプリキュア」の単独秋映画「星のうたに想いをこめて」も手掛ける事になるのですが、そこを系譜として見た時に見えてくるもの、というのがあって、個人的にはそこが面白い部分なので、その辺を軸に語ろうかな?

 

「まほプリ」全体の印象とか感想は例によってコンプリートブックに絡めて改めて語る事になると思います。

 

「ゴープリ」本編はプリキュアって何?というメタ構造が面白い部分でしたし、そこは「映画スタプリ」も引き継いでいて、映画スタプリは、プリキュアって何?映画って何?そもそも作品って何だろう?というのを描いた作品になっている。(と、いうのを語ってる人はほとんど見た事ありませんが)

 

じゃあその間にあるこの「映画まほプリ」もそういう流れがあるのかと言えば、映画って何だろう?っていうのは多分考えた上で作ってると思うのですが、似た系譜の先輩である大塚隆史(映画「プリキュアオールスターズDX」シリーズ、TV「スマイルプリキュア」監督)に習った部分なのかな?と思うのですが、まず映画と言うのは楽しい物であるべきだろう、みたいな感じが今回の作品からは見てとれる。

 

或いはTV「ゴープリ」が結構真面目な作りで、結果的にはであるものの、少々大人向けっぽくなってしまった反省を踏まえてなのか、まず子供達が楽しんでくれるものを、というのを意識してるのが凄く感じられる作品になってますよね。

 

田中監督ってツイッターとか見てる限りでは、決してシネフィルではなくて、多分名画とか100本1000本見てるとかいうタイプの人では無い感じ。なので映画とは何ぞや?みたいな事に関して持論を持ってるというよりは、実際に自分で映画の監督をやるにあたって、自己流に考えたのが今回の作品で、ここで1本作ったからこそ、次の「映画スタプリ」で次の段階に進めたんだろうな、というのがなんとなく見えてくる。

 

正確に言うと、映画スタプリの前にTV「HUGプリ」でTV版プリキュアオールスターズとかもやってるのですが、あれは正直プリキュアオタクがプリキュアファン向けに、本当に観たいクロスオーバーはこいうのだよね、っていう感じの作品になってました。(実際、俺たちの見たかったプリキュアオールスターズはこれだ!って感じになってました)

 

でも、真面目に映画と向き合ってるなぁと思うし、そんな気真面目さは「ゴープリ」から続いていて、そこは何でかっていうと、今回、敵キャラになるクマタをきちんと描いてある辺りからそこは見てとれる。

 

過去映画だと「フレッシュ」「ハートキャッチ」「スマイル」辺りはまだ描いてる方かな?ドラマって主人公と敵対する側の事情や感情をきちんと描かないとあんまり面白くならないものです。対比とか比較対象があって、逆にそれが主人公を引き立たせる役目にもなるから。

 

でもプリキュアは基本そこをあんまり描かない。描かないっていうより描けないというのが適切かな?プリキュアのメインターゲットはストーリーやドラマなんて理解して見てるわけじゃないし、そこの描写に時間を使うなら、プリキュアの姿を描かなきゃならないと。普通の映画なら変身バンクを2回も3回も流すなんてありえない描写なんですが、プリキュアはそれをやるような特殊なコンテンツです。

 

今回の映画、変身バンクは冒頭でいきなり流してしまう。そこはある意味では「つかみ」の部分かもしれないし、穿った見方をすればノルマ消化っぽく感じられて、「スーパー戦隊」でドラマ重視の回をやろうとした時に、冒頭からロボ戦を消化しちゃうのは今でもたまにありますが、ああいうのと近い印象。

 

勿論、そこは十分に気は使っていて、クマタの感情はドラマのクライマックスにもってきてはいるけど、その力の由来とかまでは描かずに、ちゃんと映画としてまともなドラマツルギーを成立させようとする部分と、プリキュア映画と言う特殊なコンテンツのあるべき姿のギリギリのバランスを保とうとしてるんだな、というのが凄くよくわかる。

 

そこはね、決して「俺は本当はプリキュア側では無く、敵側の主張を描きたいんだ!」とかそういうのじゃなく、映画として、ドラマとして最低限描くべき所を描かないと話が成立しないよね、っていう気真面目さだと思う。プリキュア映画だから仕方ないよね、的な妥協では無く、映画として筋は通したい、みたいな。

 

うん、多分そんなのわかんないよねって思うんだけど、私としてはそう言う所をちゃんとやってる所に面白味を感じる。で、それが次作の映画スタプリで別の形で昇華してくわけだし。

 

そんな少ないながらも頑張ったクマタの描写はともかくとして、今回はモフルンこそがメイン。モフルンは願いの石で叶えるべき願いが無い、そして同時にみらいも何を願ったら良いかわからない、というのが二人の関係性として面白い。

 

多分、みらいちゃんとしてはもう願いが叶ってるからなんだろうけど、ここはね、山ほどイチゴメロンパンが食べたいとかギャグ的にそっち方向に振る事も出来るキャラなんだけど、今回の映画ではそれをやらない、というのがまた面白味です。

 

多分、この時点ではTVのラストって知らされてない上で作ってると思うんだけど、そこ知ってると、結構面白くないですか?OPの歌詞の時点で示唆されてましたし、出会いがあればいずれ別れが訪れる事は話の流れで想像できる事ではあるけれど、みらいちゃんがね、何年も引きずったままになっちゃうというある意味重い話だったけど、それだけね、この瞬間が特別なものだったんだなぁと思うと、そりゃ叶えたい願いなんてないわなと。

 

リコ側の視点だと、魔法が当たり前にある世界だし、マホウ界側は、ナシマホウ界という世界がある事は元から認識されてるんですよね。けど、ナシマホウ界側のみらいにとってはそれこそ「今、魔法って言いました!?」っていう夢のような1年間だったわけで、確かにそんな経験したら、人生そこに引きづられるのはわかる気もする。

 

そしてモフルンはどうなのかな?元々のぬいぐるみ時代から魂が宿ってたのかはちょっと不明な部分はあるものの、子供の頃の思い出とかはモフルンも認識してたので、多分元からそこに魂みたいなものはあって、それが自由意思でしゃべれたり動けたりするようになったっていう感じでいいのかな。ずっとみらいを見てきたし、自分がぬいぐるみである事は認識しているので、みらいがしあわせならそれで自分は幸せ。

 

で、それがキュアモフルンになるんだけど、ここはモフルンもみらいたちみたいな人間になりたいと思っていた、とかじゃないんですよね。ずっと守られる立場だったモフルンが、大切なみらいやリコ達を守りたいという願いでキュアモフルンに変身する。ここがね、まごうことなき「プリキュア」だなぁと。

 

大切な誰かを守りたい、そんな気持ちがあれば誰だってプリキュアになれる。それがプリキュアシリーズで最初からずっと一貫して描かれてきた部分。

 

多分ね、映画の企画自体は目玉としてモフルンもプリキュア化させちゃおうか、ぐらいのネタだったとは思うんです。でもそれやるなら、ただの一発ネタとしてプリキュア化させるんじゃなく、ちゃんとプリキュアの本質を外さない形で描くべき、っていうこの生真面目さ。

 

1本の映画として筋の通ったきちんとしたものを作りたい。お祭り的な部分もあれど、プリキュアの本質もちゃんと外さないで描きたい。みたいなさ、作り手の真面目さがものすご~く見えてくる。ギャグシーンとかも、決してノリと勢いとかじゃなく、計算してこれ入れてるよね、と思ってしまうような、誠実かつ丁寧な作りになってる。

 

で、その上でモフルンの死というショッキングなシーンまで入れてくる。勿論、その後のフォローはあるけれど、楽しさだけが映画じゃないよ、って事ですよね。ここはTVシリーズの方のスタッフにちゃんと了承とって入れたそう。

 

そんな基本構造というか根っこみたいな部分の上に、プリキュアオタクらしい田中監督の、細かいデティールとか気配りが随所に散りばめられるのがまた面白い所。

 

まずTVシリーズのセミレギュラーだったマホウ界側のキャラが総出演。今回、そもそもがマホウ界での話なので、そこは普通に出てもおかしくはないのですが、レギュラーの校長先生はともかく、教頭先生、教頭先生、アイザックさん、魔法の水晶、リコのお姉さんのリズ、補修メイト3人に、フランソワさんまで登場。新井里美演じる魔法の水晶なんてセリフ1つだけですよ。映画版という特別な舞台にTVシリーズでサブとして関わってる人達もせっかくの機会なんだからと参加させてあげたかったんだろうな、と思う。

 

その証拠ではないですが、TVシリーズだとナシマホウ界側のサブキャラだった、まゆみちゃん、壮太君、ゆうと君も名前なしのモブながら映画に参加。勝木かなちゃん役の菊池美香のみ、クマタに声をかける小グマとちょっと目立つ役をもらえてます。田中監督、特撮(というかニチアサ枠)も好きな人なので「デカレン」優遇かも。

 

「まほプリ」の中でも映画と言う後々まで残るまさしくな記念作品なんだからTVのレギュラー陣も出してあげようっていう気の使い方。流石に敵側までとは行きませんでしたが、TVは前半後半で敵変わるし、制作期間を考えると流石にそこまではフォローしきれなかったのでしょう。

 

そしてオタクならではの気の使い方というか、まあファンが喜ぶ部分っていうのもあるんでしょうけど、まほプリならではの、フォームチェンジを全種類見せるという描き方。基本フォームのダイヤ、ルビー、サファイア、トパーズを全部出す、尚且つ、トパーズのオプション変形を使って同時に全フォーム出現させて「まほプリオールスターズ」を本家プリキュアオールスターズのカットに合わせて見せるサービス精神。

 

さらにキュアモフルンまでミラクル達に合わせてルビースタイル、トパーズスタイル、パワーアップしたアレキサンドライトまで。(正確には映画のはハートフルスタイルだそうだけど)モフルンのサファイアスタイルもちゃんと設定されてるものの、登場はコンマ1秒くらいなのでそこはこちらのアニメージュ増刊でフォローしておこう。

魔法つかいプリキュア! 2017年 01 月号 [雑誌]: アニメージュ 増刊

挿入歌4曲も監督のディレクションかと思ったら(TVシリーズで挿入歌回多くやってるし)そこはスポンサーからの要望だったそうで、「鮮烈!キュアモフルン」のみ監督が決めて、最初はコーラス入りの変身曲ぐらいだったものが、エスカレートして挿入歌になっちゃったそうな。

 

こういうサービス精神もまた田中監督らしい作風でしょう。ついで言えば、「ゴープリ」では基本、画面映えの為に使ってたレースの演出が、今回は魔法陣としてエフェクトに進化した感じなのも面白い所。まあゴープリでの最終決戦でもそんな感じでしたし、今回は魔法のほうきをファンネル扱いしてたりする辺りもマニアックで面白い部分でしょうか。

 

TVシリーズの初監督から、今度は映画の監督もやりたいとの事で、スケジュール的には厳しい中で、ここまで完成度の高い物を生みだして、じゃあ次はオールスターくらいしか無いじゃん、という流れで、先述の通りTVシリーズの中でではありましたが「HUG」でオールスターズ回も担当。ツイッターとかでは確か、もうプリキュアはやれること全部やったかも、的な発言もあったのですが、そこからよりテーマ性を掘り下げた「スタプリ秋映画」に繋がっていきます。

要はここで、スタプリの前に「映画って何だろう」っていうのをこのまほプリで一度きっちり考えているっていう事です。

 

当然、初監督作、いわば自分の作品とも言える「ゴープリ」には相当な思い入れがあるのはその後から今に至るまでのツイッターの発言とかで凄く良くわかります。春のクロスオーバー作でのレギュラー3年分も終えて、言ってしまえば過去の作品という形になっていく。その分、毎年新しいプリキュアシリーズが生まれて、その世代その世代の特別な作品にはなっていくし、それはシリーズとしてとても素敵な事ではあるものの、同時にどこか寂しさもある。

 

じゃあそれを作品のテーマにしてしまおう、というのが次の「映画スタプリ」なのです。作中のプリキュア達、いや登場人物の全ては、描かれた部分はきっと長い人生の中の一時でしか無い。彼女ら、彼等は人生と言う長い旅の途中であるのだと。

 

観ている人達は、いずれ忘れてしまうものかもしれない。いや、メインターゲットの子供達は、いずれプリキュアを卒業して、忘れて行くのが当たり前。逆にいつまでも卒業しないでそこにしがみついている方がむしろ不自然。(自分も含めてオタクはやっぱりちょっと不自然な生き物ですよ)なのでそれでいい、けれど、心の奥底にしまってある大切な宝物、ふと思い出してたまに聴きたくなるオルゴールのようなものになっていてくれたら。プリキュアがそんな存在でいてくれたらいいな、という作品に結実する。映画スタプリとはそういう作品です。

 

とまあ、ここら辺の流れをね、踏まえた上で、この映画まほプリを考えるというのもまた面白い観方なんじゃないかなぁと思います。

次はドラマCD・・・の前にせっかくだから映画シングルについてちょこっとだけ書こうかな。


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ああ、そう言えば今回も冒頭にCG短編映画もつくのですが、ディズニーピクサーにひけをとらないくらいビジュアルになってます。ただこれで全編CGの長編を作るとなると、制作期間的に1年では無理なんだと思われます。プリキュアは1年で次の作品になっちゃいますしね。

 

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スーパーマン:ラスト・サン

スーパーマン:ラスト・サン (ShoPro Books)

SUPERMAN: LAST SON
著:ジェフ・ジョーンズ、リチャード・ドナー(作)
 アダム・キューバート(画)
訳:高木亮
刊:DC 小学館集英社プロダクション ShoProBooks
アメコミ 2013年
収録:ACTION COMICS #844-846 #851(2006-7)
 ACTION COMICS ANNUAL #11(2008)
☆☆☆★


我々が抱いていた未来への希望は、地球の人々に託された。
その架け橋となるのは、
クリプトン最後の息子であるお前だ。

 

映画監督のリチャード・ドナーがお亡くなりになられたそうです。ドナーと言えば言わずと知れた1978年「スーパーマン」の監督さんです。
それ以前からスーパーヒーロー物の映像化はありましたが、やっぱり78年版「スーパーマン」こそが今も続くスーパーヒーロー映画の原点なのは間違いありません。それはDCのみならず、マーベル映画にとってもです(つーかケビン・ファイギってドナーの弟子だったのね。今回の報道があるまで知らなかった)

 

私もねぇ、ドナー版「スーパーマン」は大好きな映画で、今見るとなんだこのオチは?と突っ込み所は大いにある映画なんですけど、そんな部分まで含めてね、愛すべき映画なのです。どちらかと言えば、監督のリチャード・ドナーよりも、スーパーマンを演じたクリストファー・リーブの方が私にとっては特別な存在で、自伝とかも読みましたし、彼に影響を受けた部分もあったりする。でもリチャード・ドナーもね「オーメン」とか「グーニーズ」とか、その辺はやっぱり好きな映画ですし、映画「スーパーマン」を生みだした功績は、本当に計り知れないほど特別な功績なのは間違いありません。

 

追悼として近い内に「スーパーマン」見返そうかと思います。クリストファー・リーブは大分前に亡くなられましたが、ヒロインのロイス役のマーゴット・キダーも数年前に亡くなられてて、映画スーパーマンを愛するライムスター宇多丸も、自分が思っていた以上にショックを受けたってラジオで語ってました。リチャード・ドナー、91歳だったそうで、年齢的には十分に生きたかなとは思える歳ですが、やはり自分にとって特別な作品を手掛けた人が亡くなるというのは、色々と思う所があります。

 

で、こちらのアメコミなのですが、そんなリチャード・ドナーがコミックの方の脚本を手掛けた作品です。今回、追悼として読んだわけではなくて、本当にたまたま数日前に私はこれ読んでたんですね。それがまあこんな偶然もあるのかと。

 

映画版の続きをコミックでやった、とかではなく、レギュラーシリーズの一編としてドナーが参加したシリーズです。勿論、突如ファントムゾーンから抜け出したゾッド将軍との戦いが描かれると言う事で、映画、特に「スーパーマンII冒険編」を意識した作品ではありますが、このストーリーのみのミニシリーズというわけではなく、コミックの設定に合わせたストーリーになってます。

 

ラストサン=クリプトン最後の生き残りのスーパーマンではなく、実はもう一人、クリプトンの子供が生き残っていた、という話。

 

どこからともなく突如現れたスーパーパワーを持つ子供がクリプトン人だと確信したスーパーマンは、自分の子供として彼を迎え入れようとする。クラークが彼につけた名前はクリス。(勿論、クリストファー・リーブのオマージュ!)

 

ロイスは最初は戸惑うものの、政府に管理されようとする彼を知り、やがては母親になる事を受け入れようとしていた矢先、ゾッド将軍らが襲来。彼はゾッドの息子だったのだ。

 

しかし、自らの子供を道具としてしか扱わない姿を見たスーパーマンは、血の繋がりでは無く、何を成すかで、例え悪の血が流れていようと、何者にでもなれるのだと、ゾッド将軍からクリスを奪い返そうとするも、ファントムゾーンからゾッドの部下の多くも復活していた。

 

スーパーマンの危機に、ジャスティスリーグも応援に駆け付けるが、クリプトン人の
強大な力に敗北し、全滅してしまう。仲間を失ったスーパーマンだったが、辛くも一時を逃げのび、次の一手を打つべく、レックス・ルーサーに助力を求める。長年戦ってきた相手だが、そんなルーサーだからこそクリプトン人への対抗手段をいくつも持っている事をスーパーマンは知っていたのだ。

 

レックス・ルーサーの軍団「スーパーマン・リベンジ・スクワッド」と共にゾッド軍団へ最後の抵抗を試みるスーパーマンだったが・・・。

 

と、なかなかに熱いストーリーになっております。

 

この時点ではクラークとロイスはもう結婚してる時期のストーリーなんだけど、孤独の要塞で亡き父と話をする中で、地球人とクリプトン人の間で子供を作る事は不可能だって断言されてたりする。

 

映画とかだとね、ロイスとかラナとかとのロマンスとか描かれますが、その先の結婚まですでに描かれてるコミックだと、ロイスとの間に子供は持てないみたいな所まで描いて、よりスーパーマンの孤独な部分とかをテーマとして描いてる辺りが、コミックならではの部分だなぁと思います。

 

まあぶっちゃけて言えばコミックの方が映画以上に何でもアリの世界ですし、そんなのどうとでも出来るでしょって感じではありますが。超人も宇宙人も別にスーパーマン一人じゃ無く山ほど居る世界だしね。

 

ただね、クリプトン人のジョー=エルの息子カル=エルとしてでなく、地球人のケント夫妻に育てられたからこそスーパーマンという道に至った、クリプトン人ではなく地球人のクラーク・ケントこそがスーパーマンの本質なんだ的な事は、これまで山ほど描かれてきた、ある意味スーパーマンの一番面白い部分ではあるので(だからみんなこの部分をテーマにリメイク作を描くのよね)、じゃあ彼が今度は親の立場になったら?というちょっとひとひねり加えた設定で話を作るっていうのがなかなか面白い部分でした。

 

ロイスは最初ちょっと怖気づいちゃうのね、という辺りがまた人間くさくて面白いです。

 

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ゴジラvsコング


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原題:GODZILLA vs. KONG
監督:アダム・ウィンガード
アメリカ映画 2021年
☆☆

 

<ストーリー>
モンスターの戦いによって壊滅的な被害を受けた地球。
人類が各地の再建を計る中、特務機関モナークは未知の土地で危険な任務に挑み、巨大怪獣の故郷<ルーツ>の手がかりを掴もうとする。そんな中、ゴジラが深海の暗闇からその姿を現し、フロリダにあるハイテク企業エイペックス社を襲撃、世界を再び危機へと陥れていく。ゴジラ怒りの原因は何なのか。
エイペックス社CEOのウォルター・シモンズ(デミアン・ビチル)はゴジラの脅威を訴える。モナークとエイペックスは対抗措置として、ネイサン・リンド博士(アレキサンダー・スカルスガルド)やアイリーン博士(レベッカ・ホール)のチームを中心に、コングを髑髏島<スカルアイランド>から連れ出し、怪獣のルーツとなる場所を探ろうとする。
人類の生き残りをかけた争いは、ゴジラ対コングという最強対決を引き起こし、人々は史上最大の激突を目にすることとなる。


モンスターバース4作目、一応は今作で一区切り、という事らしいですが、本国では大ヒットを記録したらしいので、間違い無く次も作られる事でしょう。

 

私は「ゴジラ」も「コング」もそうですし、怪獣とかほぼ興味が無いのですが、このシリーズの過去3本、割と面白く見れていて、特に前作の「キングオブモンスターズ」は非常に楽しめました。怪獣を太古の「神」であると解釈した部分が特に面白味に感じました。

 

なので今回も割と楽しみにしてたのですが・・・
う~ん、怪獣プロレスなのはわかる。でもさ~、これ、プロレスだっていうのなら

 

「しょっぱい試合ですみませんでした!」


ってやつですよねこれ。

 

夢のドリームマッチってね、やっぱり夢のままにしておいた方が良かったのかな?と、正直思ってしまった。いや私観てないけどゴジラ3作目の時点で「キングコング対ゴジラ」ってあるみたいですけど。

 

プロレス話をするなら馬場vs猪木でも、三沢vs武藤とかでも何なら鶴田vs前田とかでも良いんですけど、そういう実現しなかったドリームマッチっていうのがある。そこは夢が膨らんで、妄想でいくらでも語れちゃうわけですよ。そこは勝手な想像だから。もしそういうものが実現したとしたら、凄い試合になった可能性もあれば、まあこんなものだよね、でも顔合わせが見れただけでも良かったなぁ、とか自己弁護しなきゃならなくなる可能性だったあったわけで、そこはね、難しい所かなと思います。

 

今回の映画も、えっ?どんな試合になるんだろう?ワクワクするなぁって待ってる時が一番楽しかった。「エイリアンVSプレデター」とかもそうだったんですが、別につまんなくはないのよ。うう~ん、まあこんなものかな。夢の中で想像してた程では無かったかも、ぐらいの塩梅でした。

 

かと言って単純な駄作かと切り捨てるものかと言えばそんな事も無くて、こんな企画の時点で面白いし、実際に見るまでのわくわくも含めた、しょっぱい試合なりに語れる試合、という印象かなぁ?

 

前作で面白いなと思った神としてのアプローチじゃなくて、今回はむしろ普通に巨大生物っぽい路線でした。そこで、私はあの面白い部分を捨てちゃったんだって乗れなくなってしまったし、その生物アプローチがあるからこそ、感情がよくわからないんですよね。特にコングの方が。

 

ゴリラってね、なまじ人間に近い造形と言うか人間に近しい存在だからこそ、特にアメリカとかで数ある動物の中でも凄く人気があるわけですよね。

 

故郷に戻って、王座に座るコングは何を思ったのでしょう?そこが私はよくわからなかった。露骨にでは無いけどなんとなく安心とか喜びの方の感情として描いてるように感じたんですけど、いやそこ逆じゃね?と私は思ってしまった。

 

なんか虫とか鳥っぽい怪獣は居ましたけど、自分に近いような同類は居ない。例え故郷に戻ったとしても、そこは孤独感を募らせるだけだった、という悲哀の感情であったのなら、子供と心を通わせるっていう所に説得力も出たような気がするし、ゴジラとの戦いでも、せめてこちらがわの頂点でありたいという悲しい感情とか出せたんじゃないかなぁ?コングが何を考えていたのかっていうのがよくわからなかったのが怪獣プロレスにしても乗れない原因の一つでした。

 

プロレスなんて大男が取っ組み合いをして迫力満点ならそれで良いんだよ、っていう人も居るかもしれませんが、それはプロレスをバカにしすぎです。その背景や感情があってこそプロレスというのは面白くなるもの。プロレスはただの見世物でもただの競技でもなく、ドラマですから。

 

そこ行くとゴジラの方はまだ理解できたかな?人間が神様に楯突こうとしてるぞ、お前らふざけんなって制裁として動いてるわけですから。そこに噛みついてくるコングに対しても、お前何もわかってねえよひよっこめ。という、まさしく王者の風格が漂っていて、そこは終始貫いてあったのでブレる事無く、かくあるべし、っていう感じで良かったです。

 

でもね、プロレスってどちらかというより、挑戦者側の方がドラマとしては面白くなりがちで、例え試合に負けても株を上げるっていうようなケースも発生するのがプロレスの面白さです。ただの勝負論や結果が全てじゃない辺りがプロレスの面白さや特色。

 

そういう意味ではある種卑下した意味や、バカにした意味での「怪獣プロレス」であって、プロレスそのものはこの監督はわかってねぇな、という感じでした。

 

終盤に乱入してくるアイツは、まあ噛ませ役ですよね。王者を惹きたてるただのいきがってる悪役に徹していたのは非常にプロレス的だったとは思います。

 

あとは細かいとこで言えば、地球空洞説とかは面白いし私としても好きなネタではあるんですけど、そこに行く時の描写のワープゲートみたいなのはいただけない感じ。何でそこSF描写っぽくするかなぁ?そのくせ出てくる時はそういうの無いし、あんな時空をこえるエフェクトみたいな描写無しで良かったのに。普通に怪獣が開けた穴とかで、空洞世界への道が地続きで繋がったんだ、と言う方が私はワクワクするかな?

 

おさわがせ3人組みたいな人達も、陰謀論を信じてるようなバカ集団と思わせておいて、実際に凄い陰謀があったんだ!みたいなのは面白いのですが、そこはやっぱり地続きでストレートに繋がってた方がリアリティラインがあって面白かった気が。

 

小栗旬が、白目剥いてアヘ顔晒すだけのギャグ要因ってのも面白かったし、あれはちょっと小栗旬のイメージとは違う感じはしますけど、要は怪獣オタクは怪獣を想像して白目剥いてエクスタシーに達するような人達だよね、っていうのを入れたかったんだと思うけど、前の3人組のオタク君が、実はここ一番でその知識を生かして頼りになるっていうオタクキャラ描写の定番をあえて外すっていうギャグだったので(「HTMLならいじったことあるよ」「何十年前だよ!」って笑えました)小栗旬も日本アニメ的な凄腕メカパイロット風に思えて実は役立たずだったという外しなのかなと。

香港の街並みから見上げる巨大な存在ってのはサイコガンダムっぽくて面白い画でしたが、もっと画面が引くとビルがネオン管で彩られてるんですよね。なんだこのサイバー空間は。昔のグリッドマンかよ、と割と楽しげな画ではあったのですが、互いにぶつけあって壊れるビルと、打ちつけられてダメージになるビルも違いがよくわかんなくて、そこは見ていて凄くモヤモヤしました。質量的にギリギリって設定なのかなぁ?簡単に壊れる建物は手抜き工事で、叩きつけられてダメージになるような硬い奴はちゃんとした建物って事?その辺のリアリティラインがよく理解出来て無くて、素直にバトルも楽しめなかった。

 

最初に私は怪獣に興味無いって言いましたけど、最初のゴジラなら戦争や原爆のメタファー、シンゴジなら震災の暗喩、KOMなら神に翻弄されて信者みたいになってる描写とか、そういうのは面白くて良いなと思うんです。

 

そういう部分では、前作までと比べてしまうと、なんかとても食い足りないと感じたし、プロレスとしてもね、あんまり上手くないなぁという残念な印象の映画でした。

 

日本語吹き替え版で見たんですけど、普通に原語クレジットの後で別に吹き替えキャストクレジットとしてマンウィズアミッションの曲が流れるのは良かった。マンウィズのシュールなビジュアルも面白いし、日本版テーマって大概は元のクレジットで流れてる曲を消して重ねちゃうので、そこはいかがなものかと前々から思ってましたし、こうやって別枠でやってくれるのならそれは大歓迎です。

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前田建設ファンタジー営業部

前田建設ファンタジー営業部 (特装限定版) [Blu-ray]

監督:英勉
原作:前田建設工業株式会社
  『前田建設ファンタジー営業部1 「マジンガーZ」地下格納庫編』
   永井豪 『マジンガーZ
日本映画 2020年
☆☆☆☆★

 

<ストーリー>
ことの始まりは、とある会議室。高度成長期のころ、ダム、トンネル、発電所など、数々の大プロジェクトに携わってきた前田建設工業株式会社の一室で、上司アサガワが言い放った一言から始まった。「うちの技術で、マジンガーの格納庫を作ろう!」それまで何気なく仕事をしてきた若手サラリーマンのドイと部員達が、上司のムチャぶりに巻き込まれ「マジンガーZの地下格納庫」の建設に挑む物語だ。ただし、実物としては作らない―。彼らに課されたミッションは、実物を作るのと全く同じように取り組むこと。そう、これは心の中に建設するという、日本の技術の底力を駆使したとんでもない無謀なプロジェクトだった!しかし、あまりに突拍子もないプロジェクトのため、なかなか社内の協力を得られない。 加えて、現実世界の常識では到底理解できないアニメ世界の途方も無い設定や、あいまいで辻褄の合わない設定に翻弄されるばかり…。 果たしてファンタジー営業部は、無事に「地下格納庫」の設計図と見積もり書を完成させ、プロジェクトを成功させることができるのか―。

 

ヤバい、メチャメチャ面白いぞこれ。
実話物ですが、実際の企画の方は私は知りませんでした。予告編で見て、割と面白そうだなとは思いつつ、大衆向けのベタな路線で、あくまで一般人視点から見るオタクの面白さやある意味での滑稽な姿みたいなのを描いてるんだろうなという感じもして、私みたいなガチオタな人間が見ても、ああはいはい大衆から見るオタクってこういうイメージなのね、ぐらいで終わる作品なのかと正直タカをくくってる部分はありました。なので結局映画館ではスルーしちゃったんですけど、実際見てみたらこれが異常に面白かった。

 

全体的な人物造形や、序盤の展開はやっぱりちょっとベタかなぁとは思うのですが、マジンガーZオタク=アニメオタクだけを描いてるんじゃなくて、掘削オタクのヤマダさんとか、ダムオタクのフワさんとかが出てきた辺りからグッと面白くなる。

 

いわゆるアニメとかに出てくるものを現実的に考えたらどうなるか?みたいなのって「空想科学読本」とかでやってますよね。私は読んだ事ありませんし、空想科学読本の方向性がいかなるものかはよくわかってませんが、その辺りを足がかりにして、アニメの表現なんて嘘っぱちなんだぜ、現実では不可能で、実際にやったらこんな無残な結果になるんだよ、的な論調って結構ネットだと見かける事が多い。

 

ガンダムでもプリキュアでもヒーロー物でも何でもいいんですが、現実を盾にしてフィクション作品をバカにするような論調が私は嫌いなのです。(逆に言えば、フィクションをフィクションと割り切った上で、それがいかに現実に影響を与えるのか、みたいな方向だとむしろツボ)

 

その辺りの心配がこの作品にもあったのですが、そこは杞憂に終わりました。フィクションの中の出来事を実際に考えたらどう実現できるのか、を真剣に考えるんですね、この作品。

 

そこで先に挙げた掘削マニアとかダムマニアとか、違うジャンルのオタクが、過去にこんな事例があるけど、そこは参考になるのでは?とか真剣に向き合ってくれるし、違うジャンルのオタクなりの面白さやカッコ良さとかが随所に出てくる。おお!ジャンルは違えどこれがオタクだよな、と私は嬉しくなってしまいました。

 

私は浅く広くの人ではありません。好きな物は徹底的に極めたいタイプ。すげぇ変な話ですが、私よく普段から思ってる事があるんですよ。自分が世界一だとか日本一だとかは思わないし、そんなレベルに達するのはおこがましいとは思うので、全国大会とまでは言わないものの、せめて県大会で一位をとれるくらいは極めたいというか、町で一位とか学校で一位、少なくともそのジャンルの中の100人の中のトップをとれるくらいのものは極めていたいと思うし、そのくらいなら誰でも自分が自信もってるもの、極めてるものってあるでしょ?と常々思ってたりする。

 

だから私は結構人に聞くんですよ。これを語らせたら自分の右に出るものはなかなかいないよっていうもの何ですか?って。いや実際それ聞くと、9割はいや~そこまではっていう答えしか返ってこないんだけどさ、別に全国1位でなくても町内会1位でもいいからさ、あるでしょ?って思うんだけど、これを読んでるあなたはいかがでしょうか。

 

私は何かを極めてる人が好きですし、極めてる人の話って面白いんですよやっぱ。まあ極めてるっていうと大袈裟かもしれませんし、ただの自分のこだわりとかでも良いんですが、ちょっとこれは他人には負けない自信があるよっていうものくらいなら、誰でも持ってるんじゃないかと私は思うんだけどなぁ。なんなら専門家のご意見くらいでも別に良いし。

 

逆にこれは自分の悪い部分でもあるんだろうなとは自覚してるけど、普通とか人並みとか、みんなと同じっていうのが大嫌い。そういうのが無い人に対して薄っぺらくてつまんねえな、とかすぐ思ってしまうのが悪い癖です。まあだからこうやってネット内でも自分のブログって城を作って内弁慶になっちゃったりしてるわけですが。

そりゃあ古くは2ちゃんねるは便所のらくがき、ってのと同じで、ネットとかSNSなんてね、つまんないものに溢れすぎててその中で光るものなんてほんの一部しかないじゃないですか。ゼロとは言わないけどノイズが多すぎてその中からこれはって思えるものを探すのって大変じゃないですか?それみんなよく出来るなぁって感心もしてます。しかも私だってそのノイズの一つでしかないんだよっていう自覚もありますし。

でもさ、世の中には自分と全く同じ人間なんか誰一人居ないわけですよ。そこ考えたら絶対誰もがその人しか持ってないものってあると思うんだけどなぁ。

 

って、話がずれた。
映画に話を戻すと、そのプロフェッショナルな部分が抜群に面白くて、いわゆる「お仕事物」という感じで見れるのが非常に面白かった。

人が真面目に働いてるのに、ファンタジー営業部とか何やってんだ?ふざけるのもいいかげんにしろよ、っていう外野の冷たい視線もすごくわかるし、それはそれでね、やっぱり現実の仕事と向き合ってる人にとってはまずそこを大事にしないとっていうのは実際そうだと思います。

 

と同時に、私も管理職とかやってると、優秀な人と残念ながらそうでは無い人の違いみたいなのも結構見えてきたりするものです。凄くありがちですが、やらない理由を探す人と、やる理由を探す人の違いってやっぱありますよね。これだけの理由があるからこの仕事は引き受けられません、それを探すのは簡単なんですよ。でも、大変だけど、やる事で得られるメリットとかを探してやる人の方がさ、悪いけど使える人だわな、というのは実感として凄くある。

 

人は誰でも簡単な道を選びたいです。そこは私も思いっきり同意します。でも、そうじゃない道も選択肢としては常にあって、少なくともそれを視野に入れておくくらいの事はしておかないとまずいよな、ぐらいの感覚は持っていたいよなぁとは思う。

 

ミケーネ帝国が、機怪獣が、あしゅら男爵が、Drヘルが攻めてくるんだろ?だったらやるしかねーじゃん!
私もそう言えるような人間になりたいですわ。

 

うん、ていうか、そういうマジンガーZへのアプローチもまた面白いなと思った次第。

私は作品内の事だけしか見ないっていうのは凄く勿体無いと思ってる人ですし、作品内も見るし、その作品から見える現実の部分、メタ要素なんていかにもな部分まで行かなくとも、作者や時代背景、そういうバックボーンまで含めた視点が一つの作品を見る上で最も面白い部分だと思う方だし、今回の映画はあくまで「前田建設ファンタジー営業部」の映画化企画だとは思うんですが、同じく原作にクレジットされてる「マジンガーZ」の映画化がこれでも別に良いと思うんですよね。

 

というか例えばマジンガーZを映画化しましょうって企画の始まりがあったとして、いきなり今回の話みたいな脚本を持ってきても良いと思うんでしょね。お前変わってるけど面白い考え方を持ってる奴だな、ってなりません?

比べたって仕方ないとは思うけど、「マジンガーZインフィニティ」と、もし比べたら、私はこっちの方がずっと面白いと思うし、これはこれできちんとマジンガーの魂みたいなものが十分に感じられる作品だと思った。

 

しかもね、建設業って大きい所は今でも勿論成長を続けていってる所はあるんでしょうけど、土地開発みたいなものって、やっぱり成長経済の時代が最も発展の度合いが大きかったはずですよね。

 

だって日本の侵略戦争だって、あれってもう日本は開拓しつくしたから中国とかアジア全域を侵略して俺たちの国にしてしまえっていう話じゃないですか。満蒙開拓団とかああいう奴ね。で、日本はその侵略戦争に負けて、日本国内で開拓していくしかなくなったから、じゃあ高層ビルを立てて上に開拓していこうってなったわけでしょう?そんな歴史を踏まえると、じゃあ空想の中で開拓・開発していくんだっていう次の段階を選んだって、メチャメチャ面白い流れじゃないですか?

 

単純に一つの企業だけの話でもなければ、マジンガーの斜めアプローチだけでもない、そういうのを含みつつ、ちゃんと時代や社会の変化みたいなものも作品に落とし込んである。何気にそこ凄くないですが?仕事から社会がちゃんと見えるような作りにしてある所に一番感心しました。ただのオタクいじりだけの映画じゃ無いじゃんこれ、っていう。メチャメチャ面白かった。

 

それでもキャストが仮面ライダー龍玄のミッチーじゃんか!とか、結局最後は超合金Zだよりかい!雑だなおい、でもそれがマジンガーテイストで笑えるじゃんか、と結局はオタクっぽいところに反応しちゃう私でした。


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 永井豪

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