僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

UFOロボ グレンダイザー

UFOロボ グレンダイザー (St comics)

GRENDIZER
著:永井豪
刊:大都社 StCOMICS 1995(連載1975-6)
☆☆★

 

マジンガーZ」「グレートマジンガー」に続くマジンガーシリーズ3作目、のアニメじゃなく永井豪漫画版の方。

 

コミカライズはいくつかあるようですが、これはテレビマガジンで連載されてたもののようです。単行本には初出とか書いて無かったので、wikiで調べる限りは。

 

TVアニメの方は多分、見た事無い。グレンダイザーはスパロボで知ってる程度。ただ、もしかして記憶に無いだけで、再放送は見たりしてたのかな?1975年って生まれる前ですけど、幼少期の記憶で、家に所謂ジャンボマシンダー版のグレンダイザーが居た記憶があるんですよね。ただそれで遊んでた記憶は無い。なんか棚の上で誇りかぶってそれが置いてあったような。

 

単純に記憶に残って無いだけか、或いは親戚とかが流行りのおもちゃとして買ってくれたり、誰かのお下がりでもらったけど、大して興味無くて遊んで無かっただとか、そういうものなのかも。

自分が憶えている限りの一番古い記憶って、そのジャンボマシンダー版グレンダイザーと、「宇宙刑事ギャバン」のアクションフィギュアみたいなやつで、それの関節がスプリングで覆われてて可動軸が隠れるようになってて、上手く出来てるギミックだなぁと子供ながらに感心した記憶と、後は「大戦隊ゴーグルファイブ」の絵本で、単純にサンバルカンよりデザインとかがダサくなったなぁ、みたいな記憶があって、その3つが自分の中で憶えてる記憶の中で一番古い記憶。

ギャバンとゴーグルVは1982-83くらいで同時期なので、多分丁度その世代って事なんだと思うけど、グレンダイザーのみちょっと謎です。

 

そんなおっさんの昔話はさておき、グレンダイザーと言えば「マジンガーZ」の主人公・兜光児が引き続き登場するものの、マジンガーには乗らないサポート役なので、マジンガーのシリーズ作としてはあまり語られない作品、っていう半端な知識くらいでした。

そしたらこの漫画版、普通にマジンガーZグレートマジンガーも出るのね。勿論、主役はあくまでデューク=フリードとグレンダイザーですけど。

 

こりゃあ子供も大喜びじゃん!スーパーロボット同士で手を組むなんて最高にワクワクする瞬間でしょ?私も今回初めて読んだので、おおっ後のスパロボを彷彿とさせて燃える展開じゃん!と思いました。

 

が!そこは永井豪だ。豪ちゃんクオリティというか、グロ注意!グロ注意!な展開になっていく。序盤からモブが円盤獣にけちらされるとことかはグロ描写で描かれてますが、後半、話の展開にもメインでグロ描写が大量に発生。

 

敵ライバル幹部みたいなのが登場して、フリード星での過去が明かされる虐殺シーンで、武器を渡せば奪った子供は解放する、と命にはかえられんと言う通りにした所、じゃあ約束を守ってやろうと、敵は空から子供達を落とす。落下してグチャグチャに潰れる子供達とかを入念に描く。ようこれテレビマガジンの連載でやったな。トラウマ物じゃんか。

 

さらに研究所の署員を誘拐、奪ったグレートマジンガーの全身に張り付けて、どうだこれで攻撃出来まい、でもこっちは攻撃するけど~ってパンチをかますと、指に括りつけられてた5人が血みどろでペシャンコに潰れるとか、何だこれ。

 

いやもう永井豪の世界だなこれは確かに。私は大人になってから名作と名高い漫画版の「デビルマン」とか読んだけど、正直あまりピンと来なかった。これは発表された当時はあまりこういう描写も無く、そういう意味で衝撃だったんだろうな、くらいでした。私はもういっぱい映画見たり漫画読んだりした後でしたしね。


確か漫画版「マジンガーZ」辺りも似たような時期に読んでたはず。興味深い描写とかは沢山あって、別にどれもつまんなかったとかではないのですが、系譜とか歴史の上で興味を持った、ってくらいでした。石川賢のゲッターもそんな流れで読んだはず。

 

相変わらずさぁ、俺たちの戦いはこれからだエンドで放置ですし(そういう意味じゃ最後まで描き切ったデビルマンは確かに凄い)どうせまた、漫画に魂を吸い取られてこれ以上書けなかったとか言いわけするんでしょ?とかついつい悪態をついてしまいたくもなりますが、連載や企画を何本も同時に抱えて体力的に無理をしていたっていうのは確かだと思いますし、アイデアを思いつくのは得意だけど、それを纏め切る能力には欠けるっていうのは、もう永井豪の作風として、そういう人だよね、ぐらいに今は思ってるので、意外と楽しめました。

 

さて次は「グレンダイザーギガ」です。つーか「ギガ」を最近確保したので、確か昔のも確保だけしてたけど読んでないはずだなと、押し入れからこの本を発掘してきたというのがホントの所でした。


つーわけで「ギガ」に続く。確かグレンダイザーは桜多悟作版が面白いって聞いた事があった気がするけど、そっちは持ってなかったはず。機会に恵まれればその時にでも。

 

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タスクマスター:失われた過去

タスクマスター:失われた過去

TASKMASTER:UNTHINKABLE
著:フレッド・ヴァン・レンテ(作)
 ヘフテ・パロ(画)
訳:ケン・ローズ、川田達也
刊:MARVEL 小学館集英社プロダクション ShoProBooks
アメコミ 2015年
収録:TASKMASTER v2 #1-4(2010-11)
☆☆☆★

 

生徒諸君!
レッスン開始である。

驚異の記憶力を持つ傭兵の哀しき宿命…“
写真的反射能力(フォトグラフィック・リフレクシズ)”を武器に、数多のテロリスト集団や犯罪組織で戦闘教官を務めたトニー・マスターズことタスクマスター。
ある日、アベンジャーズに与しているという噂を流され、10億ドルの賞金首となってしまう。自ら育てた教え子達に命を狙われる…
そんな戦いの中で、自身の記憶にまつわるとんでもない事実が明らかになる!

 

ドラマの「ロキ」も楽しみですが、次はようやく本当に公開されるであろう「ブラックウィドウ」です。待ちきれない気持ちを高めるべく、メインヴィランなのかは不明なものの、登場が確定しているタスクマスターのミニシリーズとして刊行された単独誌をチョイス。

 

ブラックウィドウ:プレリュード」にも初登場回が収録されてましたが、邦訳版のみの範囲でも、ちょこちょこ出番のあるタスクマスター。自分が表に出る事は嫌うものの、傭兵ですので、何かとヒーローの前に立ちはだかる事も多く、その能力故に、うわ!タスキーじゃんか、これはヤバイ!あいつクッソ強いんだよなぁという感じになる辺りが面白味。

 

今回の話では、初登場時に語られてたのとはまた別のオリジンストリーが描かれる。まあ、いかにもな後付け設定という感じで、この設定って他のタイトルにヴィランとして出てきた時に生かされてるのか?とちょっと疑問もありますが、単独で読む分には面白い。

 

そもそもこいつの写真的反射能力(フォトグラフィック・リフレクシズ)ってミュータント能力なのかなと思ってましたが、今回の話を素直に受け取ると、超人兵士って事で良いのかな?


邦訳としてそこの話は出てませんが、今回の作中でも、ジョン・ウォーカーを育ててスティーブをキャップの座から引きずり落とそうとしたってエピソードが語られてますけど、MCU「ファルコン&ウィンターソルジャー」でジョンがどさくさにまぎれて拾った超人血清を使ってた部分は今回のタスクマスターと共通してますね。もしかしてオマージュだったのかも?

 

同じドクロマスクのドン・オブ・ザ・デッドとの繋がりも明かされたり、全体的にちょこちょこと変なギャグが入ってきたり、シリアスと軽いノリの両方があってなかなか面白い。

 

あと今回出てるアベンジャーズは説明が無いけど、これ「シークレット・アベンジャーズ」なのかな?キャップのマスクを脱いだコマンダースティーブ・ロジャース率いる形で、ヴァルキリー、ブラックウィドウ、ムーンナイトとか割と珍しい顔触れで、極めつけはアントマンが3代目のエリック・オグレディ版。もしかして邦訳だとこれ以外出て無いような気が。私も全部を読んでるわけでもないので不明ですが。

 

戦闘教官としてあらゆる悪の組織のいわゆる戦闘員を育ててきてるのがタスキーなので、戦闘員全員集合なのも面白いポイント。東映の集合映画か!って言いたくなる。

 

最初から全4話で描かれたいわゆるミニシリーズなので、きちんと話も完結してますし、深みがあって面白い一冊です。

 

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ロキ:エージェント・オブ・アスガルド

ロキ:エージェント・オブ・アスガルド (MARVEL)

LOKI:AGENT OF ASGARD
著:アル・エウィング(ライター)
 リー・ガーベット(アーティスト)
訳:秋友克也
刊:MARVEL ヴィレッジブックス
アメコミ 2017年
収録:ALL-NEW MARVEL NOW!POINT ONE #1.NOW(2014)
 LOKI:AGENT OF ASGARD #1-5(2014)
☆☆☆★


かの悪名高き欺瞞の神ロキが、美青年に転生!?

「シージ」の戦いで散った欺瞞の神ロキは、死の女神ヘラとの取引で無垢なる少年に生まれ変わった。数多の冒険を経て青年へと成長したロキは、かつての罪を帳消しにしようと、母なる女神達オールマザーズの下僕となって、任務達成のために世界を駆け巡る。その名は「エージェント・オブ・アスガルド」!生まれ変わったロキがスパイとなって暗躍する娯楽作!

 

MCUドラマ3弾「ロキ」スタートしました。2話まで見たけど、これ大丈夫なの?ケヴィン・ファイギよくこれ許したなってくらい設定的に色々と踏み込んでて凄い。ロキは面白いキャラだけど好きかどうかっていうと、そんなでもなかったので、期待度はあまり高く無かったのもあってか、逆に序盤から非常に面白いです。

 

ドラマ版は完結してから書きますが、こちらもロキが主役のシリーズ。ドラマの原作ストーリーとかではないですが、共通する部分もいくらかあって、イメージソースの一つくらいにはなってるのかな?

 

MCUではトム・ヒドルストン演じるイケメンキャラですが、そもそもの原作のロキは基本的に醜悪な容姿で描かれるのが基本でした。
(「ソー&ロキ:ブラッド・ブラザーズ」参照)

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今回は映画に合わせてイケメンロキで、ヒーローに転向。まあMCU絶好調だしね、人気が出たものをコミックに逆輸入とか昔からあるし、こういうのはこういうのでしょうがない部分あるよね・・・とか思ってたら、見事にやられました!

 

いやそんな単純な話じゃねーぞ、とビックリさせられます。いやこの辺はアメコミらしく、絶妙なシナリオ展開だなぁと唸らされます。

 

詳しくは言いませんが、イケメンロキと、昔ながらの醜悪なロキと両方が出てきて、単純に片方が偽物だったとかじゃない。

 

映画から入った人をコミックに呼び込みつつ、ちゃんと延々と続く原作のロキもイメージを壊さず両方からのアプローチをしてくるという流石な展開。しかも今の時代で新しいロキの部分を描きつつ、アスガルド時代の「テイルズ・オブ・アスガルド」的な古いファンタジー世界みたいな部分も絶妙にリンクさせてくる、という手堅い作り。

 

「勇者ソー アスガルドの伝説」の時にもちょっと触れましたが、アベンジャーズ合流後のマーベルユニバースの中のソーと併録で「テイルズ・オブ・アスガルド」というバックアップストーリーも連載されてて、そっちはバリバリのファンタジーだったんですね。個人的にはそんなに面白いとは思わなかった部分ですが、そういう部分もまたソーというキャラクターを特徴付けるものであったのも確か。

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なので、そこをちゃんと生かしてある辺りがなかなかに面白い。

 

そしてロキと言えば、裏切りの神様とかいたずらの神様とか言われてるように、どこまでが本心で、どこからが嘘かがわからないというのが魅力。そこはドラマの方とも共通してますが、何もそれはロキ個人に限った話じゃなく、ストーリーそのものも、どこまで真実かよくわからない、コミックを読んでいる、或いはドラマを見ている私らユーザー側の方がまるでロキに騙されているかの如く、ここは本当の事を言ってるのかな?いや違うかも?みたいに翻弄されるのが面白味です。

 

今回のコミックでロキはオールマザーズ、ドラマだとTVAのエージェントになってるわけですが、ロキだけでなくそいつらも怪しくなってくる、という辺りが非常に面白いし、逆に全てが嘘なのかと言えば、いやこの部分は本心じゃないか?なんて、見ているこちらが揺さぶられてしまう面白さ。

 

まさしく欺瞞の神の掌の上で弄ばれてる感じで、非常に面白い一冊でした。

 

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映画 プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法!

映画プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法!(DVD特装版)

監督:土田豊
脚本:村山功
日本映画 2016年
☆☆☆☆

 

プリキュア映画20作記念(20周年記念じゃないよ)作品。
春のオールスターズ映画としては8作目。
TVシリーズ13作目「魔法つかいプリキュア」が初登場の春の新人研修映画。

 

監督は現行TVシリーズ「トロピカル~ジュプリキュア」を手掛ける土田豊が担当。ただし、その監督のカラーが強く出た作品というよりは、前年のオールスターズ映画「春のカーニバル」の雪辱戦と言った意味合いが強い。

 

前作もミュージカル的な作品を目指して作られたものの、過去キュアのTVシリーズの曲がメインで、どちらかと言えば歌番組的な作りになってた。
そこは春カニの感想の方でも書きましたが、「オールスターズ」として作るにはあまりにも人数が増えすぎて、万遍なくどのプリキュアにも見せ場を作るというのには限界が来ていた為、少し方向性を変えようという意図があったためです。
そこでセリフが無くても歌って踊るミュージカルなら、エンディングのCGダンスもプリキュアの代名詞でもあるわけだし、親和性は高かろうと。

 

勿論、「アナ雪」の大ヒットに始まるディズニープリンセスの台頭もあるので、ミュージカルは子供もきっと喜んでくれるはず、という思惑があっただろう事は安易に想像が出来ます。

 

が!実際やってみたら、そんなに甘い物では無かった。
ミュージカル映画は実は物凄く手間がかかる。


ストーリーに合わせて曲を作って、そこに合わせたダンスも作らなければならない。しかもダンスの作画なんて、会話劇と比べたら作画カロリーも相当に高い。プリキュアは着ぐるみでのミュージカルショーも伝統としてやってきてますが、あれは実際の所、ボーカルアルバムの曲を使ってるだけなので、歌って踊るのには間違いは無いものの、言う程ミュージカル作品として完成度の高いものではない。


アニメのオールスターズでそれをやってみようとなったものの、春秋と年に2回のプログラムピクチャー的にやっているプリキュア映画とは時間も予算も手間も考えれば、実はそんなに相性は良くないというのが実際の所でした。

 

でも一度の失敗くらいではめげないのがプリキュアです。倒れたって何度でも立ちあがる。じゃあ今度は本気のミュージカル映画をやってやるぞと、前年の雪辱を果たしたのが今回の作品。

 

特にコメントやソースがあるわけではありませんが、多分この作品、過去作よりもずっと手間と時間をかけて作ってると思われます。ミュージカルパートは作詞とプロデュースを森雪之丞を外から読んでくるという気合の入れよう。それに伴って、ゲストも前作のオリラジとは違って、新妻聖子山本耕史という実際にミュージカル畑で活躍してる人を連れてくるというガチっぷりです。ただそれっぽいものを作るんじゃなく、本気で作ったのが「みんなで歌う♪奇跡の魔法!」という作品になります。

 

本気で作った分、それに見合う完成度と面白さ。数あるプリキュア映画の中でも、唯一無二の個性を持つ特異な作品になったと言えましょう。個人的にも好きな作品の一つです。

 

でも、毎年この路線でやるのは無理があると判断されたのでしょう。凄く良い作品なんですけど、この路線は「春のカーニバル」と「みんなで歌う奇跡の魔法」の2作のみで終了。「DX」シリーズや「NS」シリーズのように3部作的な形にはなりませんでした。うん、よっぽど大変だったんでしょうね。

 

それだけが原因では無く、オールスターズ人数多すぎ問題もあってか、翌年からの春映画はオールスターズの括りでなくなり、直近3作品に絞ったクロスオーバー作品としてこの後は作られていく事になります。一応、後の「HUGプリ」の時に15周年記念として秋映画とTVでも特別に復活はしましたが、「プリキュアオールスターズ」の一連の流れとしてはこれが最終作という扱い。いや次からの春映画もほんのちょっとだけ全員集合しかけるけど、未遂に終わるとか、色々と工夫もあるのですが、それはまたの機会に。

 

今回から「魔法つかいプリキュア」が初登場になるわけですが、まほプリ語りは秋映画とかドラマCDとか小説とかで語ってまたコンプリートブックで多分、延々と語る事になると思いますので、その辺はまたよかったらおつきあい下さい。

 

勿論、タイトル通りまほプリは「魔法」が彼女らの個性になるわけですが、今回の映画もちゃんとその辺に絡めてあるのが面白いとこです。

 

魔女のソルシエールが師匠から「究極の魔法」を教えてくれなかった事から歪んだ存在になってしまう、という話ですけど、サラッとネタバレしちゃえば、歌こそが究極の魔法だった、というオチになるわけですが、ミュージカル映画でそれをやる、というのがにくいし上手いですよね。

 

歌詞にも出て来ますが、歌は人の心を動かす事が出来る。言葉やメロディには不思議な魔力が宿っているし、時にそれは奇跡を呼び込む究極の魔法なんだと。特に歌を生業にしてる人なんかにとっては、これ以上無い答えですよね。「魔法つかいプリキュア」と「ミュージカル」をミックスさせたこの作品で描くに値するテーマなのが流石です。

 

後は今回、全員声ありなのは現行のまほ組とその前のゴープリ組は当然ですけど、その前のハピネスチャージとドキドキも全員声ありで、それ以前はピンクプリキュアのみで、初代はブラックとホワイト両方、という感じになってる。

 

でも今回のブラック、「みんな行くよ!」的なまとめ役の掛け声はやるけど、初代はそんなに目立たないポジションになってるんですね。何と言っても一番最初ですから、初代って優遇されるのは当然ですし、これまでのオールスターズでも大きい見せ場は優先してあったんですけど、そこを今回抑えてあるのが逆に良かった。

 

勿論、偉大なる初代様なのは確かにそうですし、私もブラックもホワイトも好きですし、NS3の活躍とかメチャメチャ燃えましたが、そこばっかでなくともな、他のプリキュアも同列であってほしいみたいなのはあるので、ピンクカルテットと名付けられた、ピーチ、ブロッサム、メロディ、ハッピーの4人組は物凄く楽しかった。

「あ、合わない」も最高でしたし。ピーチとメロディの男前コンビとか、ブロッサムとハッピーのスマギャンコンビも見てて楽しいです。

 

そしてオールスターズ恒例のマリンとハッピーのコメディ要因っぷりもとても好き。短いながらもこういう所がオールスターズの醍醐味ですので、ミュージカル要素にステータス全振りとかでなく、普通にオールスターズ映画としての面白さもちゃんと兼ね備えてるのが素晴らしいのです。

 

そして三度登場のキュアエコーもメチャメチャ嬉しい。「NS」シリーズではプリキュアに憧れる、プリキュアになりたい女の子=見ている観客の女の子というメタ要員だったエコーさんですが、それを今度は成長して新人の子を叱咤して導く存在になってくれてたのがとても嬉しい。ファン心理としては「NS1」「NS3」「みんなで歌う奇跡の魔法」としてキュアエコー三部作と言っても過言ではありません。

 

で、EDダンスに流れ込むわけですよ。
TVシリーズのレギュラーではないエコーさんはCGモデルがこれまではありませんでした。が、ついにここで来た!最後の最後に初代に導かれて登場、そしてエコーさんは画面のこちら側に手を差し伸べる。あなたもプリキュアだよって。こんなの泣いちゃうじゃんか。

 

EDテーマ「みんながいるから☆プリキュアオールスターズ」
歴代タイトルが入る曲もメチャメチャ好きです。しかもこれね、比べるとわかるんですが、当時先行公開されてたPVだと普通にみんなでコールしてるだけですよね。
「NS3」EDの「プリキュアメモリ」も歴代タイトルが入っててメチャメチャ好きな曲でしたし、今回もこのパターン来た!って私は公開前からPV何回も見て聞いてたんです。


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実際に流れるEDバージョンはその歴代タイトルのとこは担当ピンクキュアの声が目立つように作ってある。

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あれっ?歴代主人公の声がする!嬉しい!とか思ってた瞬間にエコーさん登場したので、初見の時はもう私もイエーッって叫びたくなるくらいでした。もうね、このEDだけでも十分に満足。


同じ曲で冒頭に流れる歌詞違いの「あなたがいるから」も良いですよね。とっても好きな曲です。決して「沖縄になる」じゃないぞ。

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そんなこんなで数あるプリキュア映画の中でも満足度の高い一本。ソルシエールさんもね、良い歳したお姉さんがフリフリした可愛い服を着てるってとこも実はちょっとツボだったのですが、後から設定知ったらソルシエールさんって18歳って設定でした。一応、敵役というのもあって、声をわざと低めに出してたんだそうで、ちょっとおばちゃん声っぽいのが逆にギャップで面白いなと思ってたんですけどね。設定上もプリキュアでは無いですが、ダークヒロイン系譜としても印象に残る可愛いキャラでした。

 

といった所で、着ぐるみミュージカルDVDはここからもう出て無いので、次はまほプリ関連として秋映画かドラマCDか小説のどれかを語ります。

 

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アブソリュート・カーネイジ

アブソリュート・カーネイジ (ShoPro Books)

ABSOLUTE CARNAGE
著:ドニー・ケイツ(作)
 ライアン・ステッグマン(画)
訳:吉川悠
刊:MARVEL 小学館集英社プロダクション ShoProBooks
アメコミ 2021年
収録:FREE COMIC BOOK DAY 2019 (SPIDER-MAN/VENOM) #1(2019)
 ABSOLUTE CARNAGE #1-5(2019)
☆★

 

最悪(ヴェノム)VS最凶(カーネイジ)
完全虐殺(アブソリュート・カーネイジ)を生き残れ!

 

数カ月の間、マーベル・ユニバースから姿を消していたカーネイジが、ニューヨークに帰還しようとしていた。シンビオートの宿主を根絶やしにする完全虐殺(アブソリュート・カーネイジ)を目論む殺人鬼に、ヴェノムとスパイダーマンが手を組んで立ち向かう! 血で血を洗う激しい戦いは、他のヒーロー達をも巻き込んで泥沼化していくが……果たして彼らの運命は!?


「シルバーサーファー:ブラック」「サノス・ウィンズ」メチャメチャ面白かった。ドニー・ケイツって人凄いじゃないか!今度はどんな新しい物語を読ませてくれるんだ?と、ちょっと期待しすぎたかな。

 

映画の方の「ヴェノム」公開に合わせてヴェノム押しの時期だったっぽくて、ヴェノムのレギュラーシリーズと、大量に出たタイイン誌を纏めるクライマックスの部分のストーリーのようです。

 

30年前にスパイダーマンヴィランとして登場して以来、人気キャラとしてただのヴィランからダークヒーロー的な位置にまでになってきたヴェノムですが、「ヴェノム・インク」なんかでも描かれてましたが、これまで散々嫌な思いをさせられてきたスパイダーマン/ピーター・パーカーは流れで度々共闘はするものの、どうしてもヴェノム/エディ・ブロックとはわだかまりがあり、打ち解ける事が出来ていなかった。しかしここに来てついに和解を果たす、というストーリーなのでヴェノムが好きな人はもう感涙ものなのでしょう。

 

が、ごめんなさい私はヴェノムもカーネイジもあまり好きじゃない。っていうか思い入れが無いというのが正直な所でしょうか。邦訳版も確保はしてるけど、ヴェノム関係はほとんど読んで無いのです。

 

なんかマッチョ思想であまり成長しない感じが苦手な理由なのですが、まさしく今回がそのエディの成長を描いてるわけで、私はそこの過去の積み重ねがあまり無かったから楽しめなかったんだとは思う。

 

マーベルユニバース全体を巻き込む壮大な戦いに!っていう煽りに期待したんですが、基本的にピーターとエディ以外のキャラは顔見せ程度でした。過去にヴェノム化した人達には、特殊な因子が埋め込まれていて、それを回収していく事で邪神ヌールが復活する、というストーリーで、ヒーロー側だけでなくヴィランでヴェノム化したキャラクターも総登場という感じですので、ヴェノムが好きな人なら集大成のストーリーという感じで楽しめるのかとは思います。

 

凄くどうでもいい話をしますけど、スパイダーマンは好きなんです。それはサム・ライミ時代から含めて映画がずっとどの作品も面白かったから。

 

でも最初の出会いって私は90年代邦訳本からアメコミに入った人なので、スパイダーマンは「マーヴルクロス」からだったりするんですね。初登場のアメイジングファンタジー16号と共にスパイダーマンの連載も始まって、そこが確かヴェノム編からだったかと思います。正直あんまりそれが面白く無かったのと、当時の大スター作家で人気だったトッド・マクファーレンの絵も好きじゃ無かった。(その後の「スポーン」も読んではいたけど正直あまり・・・)

 

なので、あまりスパイダーマン関連は好きでも無かったのですが、やっぱり映画が面白かった。でも残念ながら「ヴェノム」は映画の方もちょっと微妙で、2も勿論見ますけど、そんなに期待はしてません。

 

ただ、他のヴェノム関係の邦訳本を読みあさったり、映画の今後が面白ければ、この本の評価も変わる可能性は大いにアリなので、今回はちょっと私的にはタイミング的に合わなかったかな、という感じだと思われますので、その辺りは誤解無きよう。

 

しかし偶然ながら「虐殺器官」「虐殺のスイッチ」と随分最近は虐殺物が続いてしまいました。私は別にそういうのが好きなわけじゃないぞ。

 

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 ドニー・ケイツ作

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機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ


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Mobile Suit GUNDAM Hathaway
監督:村瀬修功
原作:富野由悠季
日本映画 2021年
☆☆☆☆★

 

「待っていたよ、クスィーG」


という事で昨年から延期が続いていた「閃光のハサウェイ」やっと公開になりました。待っただけの甲斐がありました。うん、震えた。
普段は「冒頭○分先行公開」みたいなのは見ない派、予告編だけに留めるタイプですが、「逆襲のシャア」の公式配信でそのまま流れたのでついつい見てしまいました。

非常にハイクオリティな作画で、その上物凄く富野リスペクトに溢れたセリフ回し。原作の富野由悠季は一切関わっていないからこそ、これは逆に新しいものが見れるんじゃないか?という期待があったわけですが、もうこれがドンピシャ!まさしくそここそが今回の作品の最高に面白い部分でした。

 

あ、一応最初にお断りしておきますが、一本の映画として素晴らしかった、とかではありません。サブタイトルであるとか、「第一章」みたいな肩書もついていませんが、一応これは3部作映画として作られると言う事はアナウンスはされてます。ただ熱心に情報を集めるようなファンとかでなく、なんとなく「へぇガンダムの新しい映画やってるんだ、せっかくだし一応見てみようかな?」みたいな一見さんを、敷居が高くなる3部作とは思わせないように、或いはどうせ途中で終わるなら完結してから見よう、みたいに思わせない為のちょっとズルイ策だと思われます。

 

あはははは、ちょっと耳が痛い。私も、元々自分が追っかけてるようなものならともかく、なんとなく興味がある程度のものだったら、どちらかと言えば、「じゃあ完結してからまとめて見るわ」と思っちゃう方。今回の「閃光のハサウェイ」もね、正直言えばまともな映画とは言い難いですし、感覚としてはドラマの1話目。導入編でしかありません。映画的に2時間或いは90分とかで起承転結のあるようなものではない。

 

つーかさ、私は昔からずっと言ってるけど、ガンダムって所謂そういう普通の映画って、1本も無いんですよね。「逆襲のシャア」だってやっぱり過去のアムロとシャアの因縁を知ってるからこそ楽しめる作品であるし、「F91」は単品映画には近いんだけど、実質TV用のストーリーを短く纏めたような作りだし、単品映画としての完成度はあまり高くは無い。他のガンダム映画とかもそうだけど、どれも面白いし、映像作品としては素晴らしい物はいっぱいあるけど、結果的に映画館で上映された作品だからカテゴリーとして映画って事になってるだけで、見る側に何の前提も無く、それ単体で成立する一本の映画って何も無いのが現状。

 

最近は深夜アニメ完結後の劇場版アニメ作品とかも多いですが、例えばジブリだの細田守だの新海誠だのとの作品とはそういう意味でやっぱり単体として成立する映画なのかどうかって部分では違ってくる。

 

逆に言えばガンダムだってそこは前例の無い部分だから、チャンスだと思うんだけどなぁ。ガノタであると同時に、一応はシネフィルのはしくれでもある私はその辺はちょっと気になる部分。

 

なのでまず最初に言っておく事として、単品で楽しめる映画として素晴らしい物ではなく、あくまで連続ドラマの一本目として見た時にメチャメチャ面白い作品だったな、という感じです。

 

勿論、そういういわゆる普通の映画なんて言ってるものであっても、何も完璧な完成度が前提なのかと言われると実はそんな事は無くて、色々ツッコミ所は多いけど、あのシーンだけは他ではこれまで見た事の無い凄い部分だったから、それだけでも十分な価値のある映画だ、なんてのはザラにあるので、あんまり深く考えてもしゃあないのですが。

 

で、ここからはシネフィルであると同時にガンオタ、或いはかつて富野に魂を惹かれた者としてのファン目線で語ります。

 

まずは「閃光のハサウェイ」という作品と私の出会い。中学校の頃だったかと思います。アニメじゃない、小説でしか読めない、小説でしか出てこないガンダムがあるんだよって友達が教えてくれて、小説を貸してくれたんですね。

 

時代的には「ガンダムセンチネル」の方が先ですし、プラモは出てたのでおもちゃ屋でそのパッケージとかは見てたし、センチネルは割と早めにSDガンダムの方でMSは知ってました。でも「閃光のハサウェイ」は権利的なものなのか、SDガンダムとかそういうのでも使われるようになったのは、ずっと後年になってからですよね。まさしく小説でしか読めない、自分の知らないガンダムだったわけです。

 

どんなガンダムが出てくるんだろう?読みにくい文体で書かれた小説を頑張って読んだ中学生の頃の私。ええ、さっぱり理解できませんでした。


当時はガンダム好きだと言ったって、ほとんどMSにしか興味がありませんでしたし、大した戦闘シーンがあるわけでもない「閃光のハサウェイ」は異形のデザインのMS絵だけが印象に残る、よくわからないガンダムだった、っていうぐらいだと思います。閃ハサでよく語られるオチも、別にハサウェイに感情移入なんかさっぱりなかったので、ふ~ん、こういう話なのね、以上のものはありません。むしろブライトさんだけは知ってるキャラだったので、ブライトさんはどんな気持ちになったのかな、ぐらいに思ったのはおぼろげながら思った記憶があります。

 

で、後は大人になってからです。「クロスボーンガンダム」の記事にも書きましたが、その当時に見れたアニメのガンダムや富野アニメは全て制覇した。でもまだまだ食い足りないよ~って後は漫画とか小説も全部を制覇しようとなってた時期があったんですね。で、小説版とかも全部を読みました。


閃光のハサウェイ」もこの時に改めて読み返してるはずです。あまり深くは憶えて無いですが、確かこの時の印象としては、映像作品だと色々なしがらみとかもあって、全部を自分の好きにやれるわけではないから、自分一人でやれる小説でやってやろう、的な作品なんだろうな、ぐらいの印象でした。同時期ならむしろ「ガイアギア」の方が好きだったかな。

 

ガンダム以外の富野小説も全部集めて読んだし、「Vガン」「ブレンパワード」「∀ガンダム」「キングゲイナー」辺りの時期が、この辺りの自分の経験とも重なって、メチャメチャ富野信者としての私のピークです。富野、最高だなぁと。

 

今でも勿論、富野は大好きですが、大体ここで読みつくしたりしたのと、この後の「リーンの翼」「新訳Z」近年の「Gレコ」辺りはペースも落ちてきたし小説とかも出なくなってきましたし、私もまあますますおっさんになって、逆にずっと広い視野を持つ事が出来るようになってきたと。

 

富野に対する視点も、あこがれの先生、人生のお手本を教えてくれている尊敬すべき心の師匠、的な存在から、ただの面白い偏屈なじいさん的に思えるようになってきたと。Gレコ見ててもね、面白いのは面白いんだけど、これは伝わらねーわな、と思えるようになってしまった。

 

富野由悠季という人はね、確かに偉大な人だし、最高に面白い人でもある。でもね、この人ってちょっと可哀相な人なんだよな、というのも見えてきた。永野護がね、自分は富野さんに育てられた部分もあるし恩義も感じてるから、堂々と富野さんに意見もするし、本気で喧嘩するよって昔言ってたんです。こういう人ってね、実は物凄く貴重。

 

「それは違うんじゃないの?」って堂々と正面から言ってくれる人って実は凄く貴重な存在ですよね。やっぱり人間って批判されるとあまり良い気分では無いとは思うし、なるべくならそういうのは避けたい気持ちというのは誰にでもある。特に今の時代の若い子なんかはちょっとキツイ事を言ったりするとすごく打たれ弱いっていうのはよく耳にしますし、私も仕事なんかで中間管理職とかやってると、その辺は凄く感じる部分ではある。勿論、時代が違うんだから昔の価値観をただ押しつけるというのはNGだし、その辺に関しては話をして互いに歩み寄るのが一番大切じゃないかなと私は思ってたりする。

 

まあそんな話は置いといて、富野由悠季という人の周りには、そう言う永野護みたいな人がほとんど居なかった。そこは富野が性格的にどんどん排除していった、という悪い部分もあるかもしれないし、富野は自分の事は差し置いて下の世代にもダメ出しばかりしている怖くて近寄れない人ってイメージがついたのもあるんでしょう。

 

でもね、そういう人が周りに居なかったから、今でも独りよがりになってる。だから作品も独りよがりなものになる。でも富野本人はそれに気付かない。おかしいな?理屈や理論の上では間違って無いはずなんだけど、なんでこれが世間には理解されないんだろう?と思ってる。Gレコも、本人的にはあれで受けると本気で思ってるんですよ。だからとても哀れな人に思えてくる。

 

イデオン」の時にリンク張った「WOWWOWぷらすと」って番組でも指摘されてたけど、富野の喋り方って物凄く孤独な人の喋り方をするんですね。自分で先に行った事に対して、それはつまりこういう事です、と自分で説明する。これ、やっぱり典型的な、周りに誰も居ない人の喋り方ですよね。


正直ちょっと可哀相な人だなと思う。それが作品にも表れてしまっているし、私みたいに無責任に傍から覗いてるだけの人にとっては、そこもまた富野らしさとして面白い部分ではあったりする。

 

宮崎駿鈴木敏夫が居たり、押井守は自分を抑えて商業性重視した作品の方が面白かったり、富野にもそれをコントロールしてくれる人が居た方が、実はもっと世間には評価される作家になってたでしょう。

 

大河原邦夫「メカニックデザイナーの仕事論」にもあったんですけど、大河原さんと富野さんって仲悪いんですか、ってよく聞かれるって、本当に仲が悪かったらその後に何度も仕事してないよ、お互いにプロだと思ってるからそこは好きじゃないって互いに素直に言えるし、ベタベタした関係は無いけどそこは互いに認め合ってるよ、的な事を言ってました。多分、安彦さんも似たようなスタンスでしょう。湖川さんはちょっと違う印象だけど、ビジネスパートナーというような立ち位置とはまた違うし、変な話、イデオンでこの二人は互いにもうこれ以上は無いくらいまでやったというのもあるでしょう。

 

富野由悠季が若い才能に嫉妬したりダメ出しをするのは、実は自分もそうしてほしいからです。ただこれがファンからのダメ出しとかだと、流石に素人意見ですし、富野が認めた、自分でこの人凄いなって思う人からのダメ出し、じゃないと聞けない。ここが富野のウイークポイントだったりする。それが無いから言葉にしても作品にしてもひとりよがりなものになってしまっている原因。これね、サンライズ側に敏腕プロデューサーでも居ないと難しいし、今更そこはちょっと厳しいですよね。

 

そこ考えると永野護って実は貴重な存在だったんだけど、彼は彼で富野のパートナーでなく、自分の世界を表現する方に行っちゃったし、その後に福井晴敏とか本広克行とかが出てきてもね、彼等は批判的な目で富野作品を捉えるよりファン目線で作品を作っちゃってるから、ただの劣化コピーや富野の出涸らし程度のものしか作れない。多分、彼らの作品は彼らなりにヒットしてるし、富野もそこは認めるだろうから、そこから「富野さんここおかしいですよ」って言ってくれれば富野も、「そうか?じゃあちょっと考えてみるよ」ってなるはずなんだけど、彼等はただの富野信者として接しちゃうから「富野さん凄いですね」とゴマする事しかやらない。(そこ考えると私は片渕須直ってメチャメチャ凄い人だと思うんだけど)

 

長々と「閃光のハサウェイ」から外れて語ってますが、ここからが閃ハサの一番凄いし一番面白い部分です。今回の監督の村瀬修功は富野にダメ出しをしたんです。

 

勿論、直接ではありませんよ。あくまでただの結果的にそうなったって話です。富野由悠季が書いた小説を「原作」とする、というだけで、今回は富野は一切関わってません。監修とかアドバイザー的な立場としても関わっていないでしょう。

ここで自分の書いた小説なんだからって出しゃばってたら多分こんなに面白い作品にはなってません。

 

原作小説は映画の方の立場からしたら脚本の第一稿みたいなものかと思います。元々の小説もアニメ版ガンダムからは設定の差異もありましたし、ある程度変更や時代に合わせたアップデートなんかは必要という判断は最初からあったのも大きかった気はします。原作小説の持っている面白さやテーマのエッセンスは最大限に生かしつつつ、あとは映画として作り変える。

 

つまりはそれって「富野さん、ここはこうした方がもっとわかりやすくなりますよ、こういう描き方の方がもっと面白く見せられますよ」って言ってるのと同じじゃないですか?

 

実際に富野のパートナーとして村瀬監督が二人三脚で作ってるわけではない、でも結果的にそれと類似するような形になった。今回の映画「閃光のハサウェイ」はそこが圧倒的に面白かった。

 

富野由悠季と言う作家の持つ面白い部分をちゃんと抽出して、逆にウィークポイントを補強、そこを現代性もちゃんと描きつつ、村瀬監督が自分の作家性で纏めたと。これ100点の仕事じゃないですか?ハッキリ言って最高でした。富野作品でありつつ、富野作品以上のものもちゃんと盛り込む。凄くね?

 

これ、何かに似てるなと思ったのですが、「クロスボーンガンダム」ですよね。いや作品の方向性は180度違いますよ。同じガンダムでも方向性は全く違う。でもね、富野由悠季が持つ面白さ、ポテンシャルを引き出しつつ、ちゃんと富野にある意味でのダメ出しをして、ここはこうした方が絶対に良いですよって、自分のカラーで纏め上げた長谷川裕一と構造的には近い物がありますよね。あれも富野がプロットを書いたものを長谷川が自分なりにアレンジして漫画にしてたわけですし、「閃光のハサウェイ」も富野のプロット小説を村瀬監督がアレンジして自分の映画にしたと。

 

富野的な面白さをただの劣化コピーにしか出来なかった上に、ファン目線すぎて設定の回収とかどうでもいい事に注力した「ユニコーン」との違いはそこにある。ゴメン、UCも部分部分では楽しめたけど、全体的にはなんだかなぁ感の方が強かったし、私が見たかったガンダムはUCじゃなくこれ(閃ハサ)だったんだ!と思いました。

 

中学校の頃に読んで「わけわからん」という感想しか持てなかった私に言ってやりたい。君はまだ子供だ。大人になった時にアニメでそれも見れるし、最高に面白い作品だよって。

モビルスーツにしか興味の無かったガキの私、その当時の私にこのアニメを見せても、MSもっと出せよ、しかも暗くてよく見えねーし、って不満を持つかもしれない。でもね、今の私にはこれくらいの分量でも十分でした。

 

ここにカッコいいMSなんて居ない。恐怖の対象として描かれるのが凄く新鮮で面白かった。40数年分ガンダムを見てきてですよ、「MSって怖いんだな」なんて思えたのは初めてかもしれません。

 

流れとしてはね、「F91」の序盤のコロニー内での戦闘に近いものはある。私も感想であの濃密な富野演出の面白さとしてそこを例に出して語ってますよね。まさしく富野的なエッセンスなわけです。あれも怖い演出ではありますが、言葉や理屈として怖いのであって、今回みたいに、見ていてこれやべーなって心で単純に思わせてくれるものではなかった。


今回はテロの話ですし、20年30年前よりそれはより身近に感じるものになった今の時代に、こういう演出で描いてきた。これはまさしく映像表現の進化ですよ。今回は絵も全般的にハイクオリティで綺麗でしたが、単純に絵が綺麗なだけじゃない。こういう見せ方の工夫がしてあった。そこが凄いなと。そして面白いなと。

 

量産機のメッサーでそんな「巨人の恐怖」を描きつつ、更にその上で最新鋭機としてペーネロペーの異常さが際立つ面白さ。怪物、或いは悪魔的な存在にすら見える空を自在に飛び回る異形の存在。やべーぞこれ、感が凄い。

 

で、それを駆るパイロットのレーン・エイムの純朴さ。いや~青いね。人質など自分のプライドが許さない。自分は自分の力だけで栄光を勝ち取ってみせるんだっていう青臭さ。まさに純朴でイノセントだった、かつてのハサウェイですよ。

 

まだそれなりに若いながらも、そんなに世の中単純じゃねーよ、っていう老獪さを持ち合わせているケネス・スレッグ大佐。世の中は綺麗事だけじゃ動かない、時には自らの手を血に染める覚悟も必要と知ってはいるものの、ちょっとした市民の声とかについ心を動かされそうになるハサウェイの大人と子供の狭間に未だに居る感じ。そして男を翻弄するファム・ファタールかと思いきや、何気に少女の部分を覗かせるギギ・アンダルシアの2面性。

 

この辺のメインキャラのね、本音や建前、2面性とかもありつつ、会話劇での駆け引きも面白ければ、ちょっと素が出てしまってるさりげない仕草とかそういう演出がとにかく面白い。

 

ガンダムだからヒーローロボットの活躍を描かなければならない。
ガンダムだから戦争の恐ろしさを伝えなければならなない。
ガンダムだから少年の成長を描かなければならない。

そういう要素は拾いつつも、そんな「ガンダムだからこうしなきゃならない」みたいなものに縛られていない感じがいい。

 

そこは「0080」なんかにもちょっと近い物がありますね。「ポケットの中の戦争」って初の非富野ガンダム作品です(アニメではね)あれって富野の呪縛からガンダムが解き放たれた記念すべき作品でもありますが、同じように今回も、ガンダムだからこうしようぜっていうのはあんまり意識してない感じがする。これがガンダムらしさだよなっていう作品もそれはそれで面白いし、好きではありますが、そこに縛られない作品の魅力もある。

 

ちょっとだけ全く関係無い話をしますが、Zガンダム外伝で「アドバンス・オブ・ゼータ」という作品群がありますね。(略称「AOZ」)


1作目が「ティターンズの旗の元に」でガンダムで法廷劇を描くと言うコンセプトでした。(結局作品としてはメカしか残らなかったけれど)
2作目が「刻に抗いし者」で、これがすごくガンダムのテンプレみたいなストーリーを
展開して、正直人気はあまり出ませんでした。
3作目が「ガンダムインレ」で、ただのメカ設定に終始するだけでした。


でも個人的には2作目がメチャメチャ好きです、私。テンプレ展開ながら、安心感があったのか、実は2作目が一番楽しめました。

 

だから、いかにもガンダム的な話も面白いものは面白いですし、今回の「閃光のハサウェイ」みたいな、この路線あんまり今までやってなかったな、っていうのも、新鮮で良いなと思える。いかにも富野的な部分も存分にありつつ、ガンダムの歴史で、単純に年表的な意味で無く、これまでになかったまた新しい新鮮なものが見れるのか!という驚き。メチャメチャ面白かったし、次も期待せざるを得ません。

 

いや~、富野は昔から10年早いって言われ続けて来ましたけど、30年前の小説が、こうやって今改めて語られるってそこも面白いですね。

 

プロデュサーが村瀬監督はドライな作風なのでって言ってましたが、元の小説がウェットすぎて感情の電波がほとばしるような作品だったので、「虐殺器官」程にドライで頭でっかちに終始するわけでもなく、絶妙なバランスの作品になってて、予想以上に面白い作品でした。2作目3作目の出来にもよるだろうけど、これはまた後々まで何十年と語られ尽くされる作品になったんじゃないかと思うし、ガンダムの歴史に刻まれる大きな作品をこうしてまた目にする事が出来たのはこの上ない幸せです。

 

いやしかし、最後に俗っぽい事行っちゃうけど、ギギ役の上田麗奈最高だな。もし自分がこの世界に居たら、絶対に骨抜きにされるわこれ。

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虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか?

虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか (出版芸術ライブラリー)

著:森達也
刊:出版芸術社 出版芸術ライブラリー001
2018年
☆☆☆☆

 

急に活字本も読みたくなったので、積ん読本の中から森達也をチョイス。
2018年の本なので、コロナのコの字も無い頃ですが、コロナ関係の報道とかオリンピック絡みの報道とか森さんに書いて欲しいな~と思う。東京オリンピックが開催されてもされなくても記録としてドキュメンタリーとか作って無いのかな?森視点だと面白い物がつくれそうですが。

 

指導者への忖度が
始まった社会
は危ない!

なぜ人は人を殺すのか?
大量虐殺の仕組みとは?
オウム、アウシュビッツ
キリングフィールド……。
多くの虐殺現場を取材
した著者の眼に見えて
きたもの。それは加害者
側の声の重要性だった!

 

という事で今回の本は「虐殺」がテーマ。
いわゆるタブー的な所に踏み込んで、取材して本にするっていうのが森達也の特徴でもあるわけですが、そこは単純にスキャンダラスなものとかショッキングなものに踏み込んでいくっていうより、今回の本の中でも編集者に唆されてとか書いてますが、最初に森達也の名前が知られる事になったオウム関連の取材から脈々と繋がっていって、次のテーマに踏み込んでいくという感じですね。

 

ここの少し前だと「死刑」をテーマとして扱っていて、何冊か書いてましたが、その流れで、じゃあ人はなぜ人を殺すのか、みたいな所から虐殺の歴史を紐解いていくというような感じ。

 

「A」シリーズの時からそうでしたが、世間的にはオウムは人の道を踏み外した「殺人カルト集団」という肩書がつけられて、そういう報道以外は世間も受け入れなかったけど、実際に取材をしてみると、なんか思ったよりずっと普通の人達の集団だった、という所から森達也の取材テーマが始まってる。

 

前に森達也の著書「FAKEな平成史」の感想を書いた時にもちょっと触れましたが、私はNPOに参加してた時に山形に纏わるミニコミ誌を作るにあたって、「A」から森達也の世界に入ったのですが、書籍版の方はともかく、「A」「A2」とか見たいと思ってもレンタルとかまず置いてないですよね。確か私はその時は山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局のライブラリーに行って見たんだっけかな?今もやってるかわからないですが、無料でドキュメンタリー映画祭の出品作品は見れるようになってたので。今だとサブスク配信とかされてるのかな?是非見ておいてほしい作品なんですが。

 


何故人は人を殺すのかっていうテーマの流れで、じゃあ「生き物の命は殺してもいいのか」っていう章で触れられてるのが、「ザ・コーヴ」というイルカ漁のドキュメンタリーもとりあげられてて(私も公開当時観ました)、ちょっと面白いのは、クジラ食は日本の文化なんだから、伝統文化を他国にどうこう言われる筋合いは無い、みたいな反論がよくあると。

 

私が子供の頃はあったっけかな?確かまだ私の頃は給食でクジラの大和煮、みたいなものが出ていた気はするし(本とかで読んだのを自分もそうだったって記憶にすりこんでるだけかも?)、クジラベーコンとかは癖があるけど、私は意外と嫌いではありませんでした。

 

なのでやっぱりね、そういう文化はあるんだと思ってた。うん、でも実際は文化なんてほどのレベルじゃなかったんですね。戦後の食糧不足でタンパク源の補給として一時期に豚・牛・鳥の変わりにクジラ食が多少普及したっていう程度で、日本古来のものでもなんでもなかった。50年も無い歴史で文化もクソも無いわな。そんな短い期間しか無いものより、間もなく50年、半世紀を迎えようかって程の「ガンダム」の方がよっぽど日本人の文化です。

 

しかも生態調査用としては捕鯨が許可されてるし、そこに関して保護団体がどうこう言ってるわけでもないのに、何故か調査用として実質食糧用の捕鯨が行われ、かといって実はそんなに消費もしないので、実は余って廃棄してるという始末。なんだこの実状。調べるとこんな風になってるんですね。言葉は適切では無いかもしれませんが、正直面白いです。

 

あと個人的に面白いと思った部分がもう一つ。
「もとからモンスターである人などいない」という章で、例えば少年が突発的な大量虐殺を起こした事件などがあった場合、外国ではその親に対する同情の意見が集まったりする。例え家族であってもその親が殺人をしたわけではない。ある意味では親も被害者だ。「あなたもつらいよね」という同情の声が集まるというのはわかる話ですよね。

 

でも日本は何故かそうならない「親も責任をとれ、家族も責任をとれ」と攻め立てる。確かにそうだ。何故か日本はそういう風潮がありますよね。マスコミにしても、その対象であるマス(大衆)もそういう民意になりがちです。

 

今のコロナ禍でも、なんか同じだった。ここまで感染者が増えると、もうどうしようも無くなってきてる気はしますが、その県なり地域、最初の感染者はどうだったでしょうか。私も噂話でしか聞いてないので実状はどうだったかは知りません。とある地域の最初の感染者の家族は村八分にされ、引っ越さざるをえなかったと風の噂に聞きました。マスコミは報道しませんが、おそらくは自殺したようなケースもあっただろうとも思います。犯罪者を抱えてしまった家族でならそういう例はきっとあるでしょう。そこは凄く日本っぽいと感じる。

 

どこにでもいる大衆が、人を自決にまで追い込む。それが正しいと思ってやっている。怖くないかそれ?

 

オウムは殺人狂のモンスター集団でなければならない。あんな事をする奴らは、自分とは違う人間なのだ。アドルフ・ヒトラーは人間の皮をかぶった悪魔なのだ。もし自分と同じ普通の人間であったなら、あんな非道な事は出来るはずがないからだ。

 

でも実際はそうじゃない。同じ人間でしかない。じゃあその人殺しのメカニズムはどういう仕組みで成り立っているのか、というのを丁寧に追っていくのが今回の本でした。またまた適切な言葉ではないかもしれないけれど、とにかく面白いです。

 

人間の脳には古来より受け継がれる本能として「虐殺器官」と呼ばれるものが・・・

 

あるわけねーよ!

 

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