僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

わんだふるぷりきゅあ! 第1話 はじまりは「わんだふる!」

WonderfulPrecure!
シリーズディレクター:佐藤雅教 
シリーズ構成:成田良美
プロデュサー:髙橋麻樹
TVアニメ 2024~
☆☆☆☆

www.youtube.com

プリキュアTVシリーズ21作目「わんだふるぷりきゅあ!」スタートです。
キャッチコピーは「みんな なかよし!わんだふる〜!

 

シリーズディレクターは佐藤雅教監督。私はあまり聞いたこと無い感じの方ですが「おしりたんてい」の監督をやってらした方のようですね。

note.com


こちらのインタビューを読むと「デジモン」にあこがれて東映に入った人っぽいので、「おしりたんてい」もそうですが、東映の子供向けの真っ当な奴を作りたいタイプのかたなのかなと思いますし、20周年を経て大人に向けた施策も試みてる中で、基本のTVシリーズはあくまで子供達に向けたものを全力で作る事はブレさせないという意味での、そこを目的としてる人の抜擢なのかなと思います。

 

こういうとこがね、プリキュアのというか東映アニメーション全体としての作風というか、よい所ですよね。

プリキュアの父と言われる鷲尾Pも、子供達に向けたものを無くしてしまったらアニメーションは絶対に自分達の首を締める事になるし、しりつぼみになるから、それじゃ結局自分達も食べていけなくなるよ、という警告をしてるし、そこは老舗である東映が守らなくちゃいけない部分なんだって必死に頑張ってる。

 

そんな部分では「わんぷり」もこれまでのプリキュアと同じように、大人が見たときに不満や物足りなさを感じる部分は大なり小なりある作品になるのは間違いないと思います。でも、そこがまたプリキュアの面白さなんだと私は思ってますし、「あくまで子供向けなんだけど大人が見ても面白い」ぐらいがプリキュアプリキュアらしい良さだと私は信じる。


そしてシリーズ構成はお馴染みの成田良美さん。成田さんには「オトナプリキュア」の時に私はちょっと不満も洩らしましたが、逆に言えばそんな昔から今まで、あんまり変わらないのが成田さんなので、時代に合わせて風変わりな部分を入れてくるような事もなく、今まで通りのお馴染みな感じで話を描いてくれつのかなと。ガワや設定が変われば過去と同じ話でもそこに新しさはちゃんと生まれるので、ただの古臭いものになったりはしないだろうし。

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プロデューサーは前年の「ひろプリ」に続いて髙橋麻樹さんがそのまま続投。ひろプリは色々変わった展開でしたが、そこで見えた景色を参考にしつつも、基本的にはスタンダード路線に戻すのかなという気はするけど、実際の所はどうなる事やら。

 


という所での第1話。
鷲尾さんも、動物とお話できたらなんて、誰もが一度は夢見た事あると思うし、子供達もきっと喜んでくれると思う的な事を言ってましたし、東映側じゃなくABCのプロデューサーが

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現実世界では、動物と人間は言葉を交わし合うことはできません。本作で語られるこむぎのセリフは、どこまでいっても想像の域を超えません。「犬はきっとこんなことを考えている」 これは人間のエゴなのかもと不安になることもあります。

人が都合良く解釈しているだけのエゴイスティックかもしれないという自覚はありつつ、それでも挑戦してみたいと。

言葉を交わせないからこそ、私達は動物の気持ちをとことんまで考える必要があるのではないでしょうか。大事なのは、相手のことを知ろうと努力すること。その先に、相手の幸せを願う「思いやり」が生まれるのだと思います。そして何より大事なのは、気持ちを押し付けず、理解し合うことです。

 

ただのファンタジーでは無く、その先には違う種族だからこその相互理解みたいなものが描けるんじゃないか?という想像力を働かせる事が出来るなら挑戦する価値はあるかもしれないって発想が良いですよね。もしかして系譜としては異星人との出会いを描いた「スタプリ」なんかに近いのかもしれない。

 

1話目がね、キュアワンダフルな所がやっぱ凄いなと。
作品としてはダブル主人公的な部分もあるのかもしれないけど、まず人間の女の子である犬飼いろはがキュアフレンディに変身して、今回はパートナーのワンちゃんがプリキュアに変身しちゃうんですよ!っていう展開じゃ無く、まずワンダフルから始める。

 

1話目は良かったけど、動物っぽい感覚を残したまま人間化するプリキュア化するって結構バランス難しそうだなとも感じたので、そこは上手くやってほしい所。アニマルモチーフで共通項があるからか、わんぷり記念で「プリアラ」がyoutubeで無料公開されてますが、例えばキュアカスタードのリスっぽいちょこまかした動きがね、初変身回では上手く描かれてて面白かったんですが、それ以降はそんなに特徴って程でも無くなっちゃってて、あれはちょっと勿体無かったなぁと私は思ったりしました。ゆかりさんの気まぐれな猫っぽい性格とかは唯一個性として十分すぎるくらいに描かれてたんですけどね。

 

そんなゆかりさんついでに言えば、私は思いっきり猫派です。
生まれ変わったら猫になりたいと思ってる人。
猫の何が良いかってね、やっぱり何にも縛られないあの自由さですよ。

 

人間のパートナーという視点で言えば、犬の頭の良さや忠誠心みたいな所もね、凄くリスペクトする部分はあるのですが、もし自分が犬だったらとか考えてしまうと、あのロープが物凄く窮屈に思えるんだろうなと想像してしまって、常日頃から何かに縛られるのを極端に嫌う私としては、自由な猫が好きなのです。

 

月1くらいで他県へ遠征とかしょっちゅうやってるのは、日常からの解放。自分を知ってる人が周りに誰ひとり居ない、孤独という自由が物凄く、物凄く心地良いのです。いやそれどんだけ日常に圧迫感を憶えてるんだって感じでもあるけれど。

 

今は居ませんし、アパートに住んでた時期とかもあるので、人生の内ずっとっていうわけではありませんが、子供の頃から実際に猫と過ごしてた期間も長いので、猫がいる生活も凄く好き。以前は家に2匹居たのが、二人とも亡くなってしまってね、その悲しみも大きかったのでここ数年は居ない期間がちょっとあるのですが、またいずれ一緒に暮らしたいなとは思ってるし、もしかしたら「わんぷり」がその切っ掛けになるのかもしれないなとも予感してたり。

 

というわけで、猫派としてキュアニャミー、キュアリリアンには大いに期待してます。
キュアニャミー役・松田颯水さん、まさかの直近「ひろプリ」ベリィベリーさんからの転生で、何気に「ヒープリ」ではキュアフォンテーヌの家族の沢泉とうじ君もやってたっぽい。

 


そしてキュアリリアンは遂に来た上田麗奈
うえしゃま、私的には「閃光のハサウェイ」ギギ・アンダルシア「SSSSグリッドマン」新条アカネ「プリパラ」あじみ先生「サクラクエスト」四ノ宮しおり辺りが馴染み深いキャラでしょうか。
私は沢山のアニメを見てるわけではないので、狭い範囲ではあるけれど、知ってる女性声優の中で多分実力はこの人がトップなんじゃないかとか感じさせてくれた人で、発表された時はメチャメチャテンションが上がりました。

 

勿論、「スパイファミリー」のアーニャで人気の種崎さんとか、もう異常なレベルであちこちに引っ張り凧な人が出てるのも強いし(東映的には「ダイの大冒険」で主役のダイをやてもらったから、そこで東映スタッフに絶大な信頼を得たのでしょう)色々と私的にもフックになる部分は多いです。

 

情報初解禁の時は、だいぶ低年齢層に振りきる感じかなぁ?となると私の好みとは外れちゃうかなと少し心配でしたが、1話を見てしまえば、わ~いここから1年間またよろしくね、と素直に思えるのでした。

 

ええ、自由な猫になりたいとか気取ってるけど、その実東映に「お手」と言われたら条件反射で手を差し出してわふわふしちゃう、忠実にしつけられたプリキュア犬ですから私。

わん!

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ひろがるスカイ!プリキュア

ひろがるスカイ!プリキュア 【Blu-ray】vol.1 [Blu-ray]

HIROGARUSKY!PRECURE
シリーズディレクター:小川孝治 
シリーズ構成:金月龍之介
プロデュサー:髙橋 麻樹・鷲尾 天
TVアニメ 2023~24 全50話
☆☆☆☆☆


プリキュアTVシリーズ20作目「ひろがるスカイ!プリキュア」、全50話完走。
「ヒープリ」「トロプリ」「デパプリ」が結果的に45話のシリーズになったので、フルに1年間に戻ったのは久し振りだなぁと思うし、決して世の中は平穏な日常を取り戻したとは言えない世界ですけど、私たちは、そしてプリキュアを見ている子供達はこんな世の中、こういう世界を生きていかなければならない中で、プリキュアの価値や意味はどこにあるのか?というのはやっぱり意識してしまいますね。

 

10周年記念作品だった「ハピネスチャージ」の時も、割と1周した感、次の段階・ネクストステージに進む感がありました。ハピチャ作品内の世界のプリキュア、各国にプリキュアが存在するみたいなのは、それだけ世の中にプリキュアという作品、コンテンツが普及・浸透したという事なんですよ、っていうメタ的な意味もあったんですけど、そこから更に10年。

 

私が「ひろプリ」が始まる3年前に書いたこの記事

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ヒーローとしてのプリキュアとは何か、みたいな事を最初に書いてますけど、後出しじゃなく、ずっと前に私が書いてた事を後のプリキュアがテーマとしてとりあげる事になったのは、あながち私の視点も的外れな物では無かったんだなと思えてちょっとホッとしてます。
それなりにロジカルな視点でいつも書いてるので、理屈的には間違って無いはず、という自負はあるものの、何分賛同者も居ないのでもしかして間違ってる?とか心配になる時も稀にあるので。

 

でも、そこの記事で書いたように、実質的にはスーパーヒーローでありながら「ヒーローでは無くヒロイン」という言葉を使わなければならなかったプリキュアが、

www.youtube.com20年の時を経て、堂々と「ヒーロー」を名乗れるようになったのは時代の変化ですよね。

 

因みに「ヒーローガール」っていう言葉、何気に新しい言葉です。勿論、造語とかではないので文献とかを漁れば使われたケースは全くないっていう事は無いでしょうけど、メジャーな所で使われたのって多分2015年の「DCスーパーヒーローガールズ」からだと思われます。

 

私はアメコミも趣味の一つなので、やっぱりその辺りの時期に、最近はスーパーヒロインって呼ぶんじゃなくて、スーパーヒーローガールって言われるようになってるんですよ的な事を目にして(耳にして)、へぇ~そうなんだと思った記憶があります。


ヒーロー=英雄と呼ばれるのは男だけっておかしくない?というごく普通の感覚ですよね。そしてそれを近年、しかもほんの数年前まで誰も訂正しないのが世の中っていう事ですよね。

 

80年近い歴史のあるアメコミヒーロー物でもフェミニズムとは並走してきた歴史があって、史上初のスーパーヒロイン(スーパーヒーローガール)の誕生はDCの「ワンダーウーマン」ですし、マーベルだって男は既婚未婚に関わらず「ミスター」で構わないのに、何故女だけ既婚未婚で「ミス」と「ミセス」を使いわけなきゃいけないのか?それって差別だしおかしくないか?という観点からどちらでも使える「ミズ」という敬称を主張したのがマーベル側の「ミズ・マーベル(後のキャプテンマーベル)」だったりします。

 

そういったジェンダーフェミニズム文化の歴史みたいなものを、プリキュアは独自の文化圏として20年の歴史で描いているって、物凄く面白い部分じゃないですか?これまで何度も書いてきたけど、世界の文化と比較しえる文脈を持つプリキュアの凄さって私は物凄く特別な事だと思ってるし、意識の低い(ように個人的には思える)日本アニメ文化の中でもプリキュアは特別なケースで面白いものだと思う。

 

特に言及されては居ないと思うけど、今回のひろプリでヒーローガールという言葉が使われたのは、多分ですけど最近はヒロインじゃなくこういう言葉で表現されてるらしいですよ、みたいなのが耳に入って、そこから「ひろがる」と語感も重なるし、じゃあ改めてヒーローとしてのプリキュアを再定義してみようか?ってなったのでは無いかと思われます。

 

しかも結果的にですけど、先に触れたとおり「ヒープリ」「トロプリ」「デパプリ」が短縮する形になってしまった3シリーズという枠で考えると、その前の「スタプリ」までが夢や未来への希望を描いていた作風だとすると(最終回に大人姿が見れるのもそこに起因する意図的なもの)以降の3本が今を必死に生きる為のバトロワ時代のサバイブ(或いはアライブでも良いかも)3部作、だったと私はこれまで何度も定義して来ました。

 

多少強引な解釈ですけどファッション=衣という意味で「トロプリ」、食の「デパプリ」、環境問題という意味での住が「ヒープリ」で、衣食住のプリキュア。生活に根差したテーマ。生活とは「生存して活動すること、生きながらえること」という意味です。

 

私はアニメ全般に詳しいわけじゃないので、あまり深い事は言えないけど、コロナ禍のおかげで商業的に成り立たなくなったのもあって、確かここ数年でプリキュア以外の女児アニメ全滅したんですよね。実写の「ガールズ×戦士」シリーズも終わったし。(プリティーシリーズは今春に早速復活とかするみたいだけど、一時期TVでの放送が一度終わってしまったのは事実)

 

そこをプリキュアは今をサバイブしてきたわけですよ。ひろプリのOP歌詞にもあるけれど、つながるキセキ(奇跡&軌跡)がプリキュアを生き伸びさせたと。
いやサバイブつっても、「デパプリ」が食の大切さとかを描いていたのかと言えばそうじゃなく、シェアする事の大切さだったり、トロプリのメイクだって、生活必需品とかではなく、気持ちを上げるのがメイクなんだっていう、ちょっと捻りの効いた描き方こそがプリキュアらしい魅力なわけですが。

 

でもってそんな時代が一段落済んだ、ネクストステージが「ひろプリ」という作品。そこで「ヒーロー」という原点回帰を選んだわけですが、プリキュアが「ヒロイン」という肩書きから「ヒーロー」と言える時代に変わった事と同じように、時代の変化によるアップデートを試みたのでしょう。

 

今回は所謂プリキュアのお約束、シリーズを重ねてきた事によって生まれた蓄積を一度見直すという作業。1~4話にかけて4人のプリキュアが変身。1クール目の終わりにアイテム出現。2クール目の終わりに追加戦士、3クール目にかけてパワーアップと最終大型アイテム。みたいなのを今回はとりあえず無視して良いよと。

 

おかげで、食玩でマジェスティが出て無いとか、商品展開で割を食ってしまった部分もあったりするのですが、おそらくですが商業展開・成績に関しては今年は20周年イヤーでのメモリアル商売で補うので、TVシリーズはそこまで成績気にしなくて良いよ、みたいな感じだったのかなぁと。
かと言って「ディケイド」「ゴーカイジャー」みたいなTVで1年通してメモリアル商法やるよっていう路線に行かなかったのは何気に英断。

 

オールスターは映画やイベントに集中させて、TV本編ではむしろセンターを人間界じゃない異世界出身の青にする、男の子なおかつマスコットキャラのプリキュア、成人プリキュアとか、まさに時代の変化を見据えた別ベクトルで冒険するというか、ある意味今後の土台作り、地固め的な部分もあったのでしょうか。厳しい状況の中でも、目先の商売に走らない辺りがプリキュアの戦略的センスだなと思えてそこも面白いです。

 

でもってその映画の「オールスターズF」は「プリキュアとは何か?」がテーマでした。と言っても映画の方の田中監督、TVシリーズの初監督作品「ゴープリ」で実はそれもうやってるんですよね。「プリキュアとは何か」「プリンセスとは何か」「ヒーローとは何か」って実は全て同義語です。だから監督本人の中での自分の答えを先に描いてはいるけど、他のシリーズには他の考え方もあるわけで、「映画F」に関しては、そういった他者の視点も組み込んだ上での再定義が行われた作品でした。

 

映画でのキュアシュプリームは「最強の力」こそがプリキュアではないのかと考えますが、この部分に貸してはTVシリーズ「ひろプリ」とも重なる部分ですよね。ひろプリ最終決戦、アンダーグエネルギーの化身であるスキアヘッド(ダークヘッド、ダイジャーグ)がラスボスポジションでした。彼もシュプリームと同じで「力こそが全て」という考え方。

 

この「力こそが正義」っていうパターン。ありとあらゆるフィクションで使われてきて、1ミリも新しさとかは無い定番のよくあるやつって感じですけど、プリキュアシリーズにおける力の否定という文脈は割と特別な物です。これを理解しているのとしていないのでは印象も変わってくると思うのでそこは解説しておきましょう。

 

前述の通りプリキュアフェミニズム思想っていうのが初代の時点から根本にあります。そこを大々的なテーマとして意図的に掲げてきたわけではないのですが、当時の初代のムック本とかインタビューとか見てても、男性優位みたいに思える描写はなるべく避けたいよね的な気の使い方はものすごく当時なりに考えてやっている事が読みとれます。作ってる人達本人が、当時はフェミニズムなんて言葉使って無かったよとか言うけれど、作品を誠実なものにしたいが故に、こういう描写は嫌だよね的な事を一つ一つ丁寧に向き合って作ってる。

 

そういう観点から、「世の中は力が全て、力なきものは踏みにじられるのが真理」みたいなものにNOを突きつけるのがプリキュアの基本になってる。物理的な力、或いは権力的な力、そういうものを振りかざされた時に、女性はどうしても不利になってしまう場合が多いわけです。
だからこそ力を振りかざしてくる存在にはNOを表明して、例え力が無くても私たちはそれに従ったりしないし、それに屈する事は無いという気持ちを表明するのがプリキュアの基本みたいなものになっている。

 

プリキュア初代の最終決戦、圧倒的な力の差をみせつけられ、なすすべもなく敗れてしまう二人。あ~あ負けちゃった、もう全部終わりだねって嘆くブラック。それに対して、ホワイトは気付く、世界の全てを奪われてしまったけれど、私の心の中の気持ちだけは誰も奪えない、私の心の宇宙は誰からも支配されない自由なんだとそこで初めて認識して、それが反撃の糸口となる。

 

心がある限り、どんな力による支配からも自分は束縛されないんだ、というのがプリキュアの最初からの主張。力の否定はこういう考えの上で連なっていったものです。だからプリキュアは相手を打ちのめして力で上回ることでの勝利(或いはそれに伴う優越感とか)ではなく、「勝つ事」ではない「負けない心」を抱えているのがプリキュアという存在で歴代の歌詞とかでも「負けない心」とかが多用されてるのでそこを知ってると凄く熱い部分。

 

ジャニーズ事務所とかもそう、吉本興業とかもそう。力がある奴は何をやっても許されるんだっていう世の中だったわけじゃないですか。現在の与党である自民党だって、「弱肉強食こそがこの世の中の真理。弱い奴は努力を怠っただらしない人間だから全て自己責任。そういう人間は生きる価値が無い。文句が言いたいなら相手をねじ伏せられる力を身につけてから言いなさい」っていう価値感。

 

私はそんな世の中嫌だなって思う。だから、力での支配なんかに絶対に屈しない!っていう主張をするのがプリキュアで、そこが好きです。

 

でもってちょっと面白い記事があったのですが

nlab.itmedia.co.jp

「はい論破」みたいな事が持て囃される事に疑問を呈していて、そういうのとは違うヒーロー像を描きたいというのがあったようです。

 

はたしてプリキュアのメインターゲットが「ひろゆき」とかああいうのをヒーロー視するものなのか?とメチャメチャ疑問ですけど、以前どこかで親が子供に何か言っても、子供が「それあなたの感想ですよね」とか言って親を黙らせるケースが多くなってるらしい、みたいなニュース記事をどこかで読んだ記憶がある事を思い出しました。まあ子どもの人気職業でユーチューバーとかもあるし、youtube全盛期ならではなんですかねぇ。

 

ディベートってロジカルな考え方の訓練にもなるし個人的には凄く良い文化だと思うんですけど、ショー的な奴だとロジック以上に瞬間的な判断力が重要なものだったりするので(ひろゆきなんてその場で上手くやってるのが凄いのであって、ゆっくりあとから動画でロジックを検証すると、そこで戦って無いのが結構簡単に分析できますよね)論破文化はいかにロジカルな思考を構築できるかよりも「相手を打ち負かす、勝つためのテクニック」が重視されてるように私は感じます。

 

勝つ事が目的、相手を打ち負かす事が目的、それによって自分の優位性を誇示するって言っちゃうとさ、そりゃあプリキュアがこれまで描いてきたものとは対極だよね、と思う。

 

実は昔からプリキュア説教、プリキュア構文みたいなのは揶揄されてきた歴史っていうのも何気にあって、よく例に出されるのが敵が「騙される方が悪いんだよ。弱いからそうなるんだ」みたいな主張に対してプリキュアは「騙す方が悪いに決まってるじゃない!」って無根拠な返しをする。それが正義の押しつけだって揶揄される半面、それを根拠なんか考えずに言いきっちゃうのが正しい子供番組の在り方で良いんじゃないかというような言われ方をされてきた。

 

子どもは大人と比べて経験もそうだし語彙力だってそんなにありません。力では親に敵うはずもない。でもそんな子どもが「それあなたの感想ですよね」と言って親を黙らせる、親に一矢報いたように感じさせる魔法の言葉。
論破って多分そんな感じなんだと思うんですけど、男の子が力を持つ大人に対抗する手段として変身ベルトや巨大ロボを欲しがるように、女の子が魔法の変身パクトやステッキをほしがるように、大人に拮抗しえる(と錯覚させる)論破というマジックを与えたくない、という思考は多分そんな感じでしょうか?

 

勝つための力がそんなアンダーグエナジーだとすると、ラス前の話でアンダーグエナジーにとりこまれてダークスカイ化したのは、「オールスターズF」と同じように黒と白のプリキュアという初代オマージュ要素もありつつ、相手を打ち負かせる力へのあこがれは誰の心にも芽生えるものという風にも思えるし、そこに染まってしまった子供という部分もあったのかなと。

 

で、そこに対抗しえるのが、スカイを信じるプリズムの光というのがましろん好きな私的にも嬉しいのですけど、力を求めるアンダーグ帝国に拮抗しえるプリキュアのロジック、いくつか提示されたソラちゃんの思い描くヒーロー像の中で私が好きなのは「弱い存在に手を刺しのべるのがヒーロー」(泣いてる子をほっておけない!はピーチとイースにも通じるものがありましたね)と「立ち止まるな、ヒーローガール」の二つの部分でしょうか。後者は要するに思考停止するなって事ですよね。

 

これが答えだ、なんていう安易な正解は無いから、常に考え続けろと。それはプリキュア20周年だけど、全ての物を根本から見なおして、これは本当に必要なのか?何故こうなっているのか?これを変えるとどうなるのか?プリキュアならこうだっていう安易な考えに染まるなっていう企画にも表れてるし、そこは「ひろプリ」としての他には無い個性になったように思います。集大成的なまとめではなく、この先もこの景色が続いていくようにと、空は無限にひろがっていくんだからと、再び未来を見据えたプリキュアになってたんじゃないかなぁ?

 

唯一、これはいかがなものかと思ったのは、カイゼリンに対してスキアヘッドが「あれは嘘だ」と言い放ったのが流石に作劇としては反則に感じました。言葉のみならともかく、キュアノーブルがカイザーアンダーグを殺めるシーンとか絵として描いちゃってるし、視聴者を騙すのはいかがなものかと。もしかして悪い奴は嘘つきなんだっていうヘイト的なものを強調したかったのかもしれませんが、あの描き方だけはちょっと印象悪かったです。

 


キャラとしては増刊号の感想にも書いたのですが、私はましろん押し。
勿論!全員好きですよ。ひろプリは全員好きになれるキャラでした。でも特異な個性や属性を持ってるプリキュアばかりの中で、唯一の普通っぽいましろんが、みんなみたいに私は特別じゃないけど、それでもみんなの隣に私も立ちたい。それがやがて自信にもなって誇りにもなる。
「プリズム」は反射する光です。それ単体で輝きを放つものでもない。でも何色にだって染まれるし(それは白というメインカラーも同じ)その反射がまた周りに輝きを届ける。そんな構図が凄く良かった。

 

ソラちゃん、どこまでもまっすぐだった。でも、それがゆえに心が折れてしまった事もあった。一人じゃない、自分一人が全てを背負わなくても良いんだよ、と気付いた時にまた立ちあがる事が出来た。倒れたってまた立ちあがればいい。立ち止まるな、ヒーローガール、自分の求めるヒーローを目指してどこまでも。

 

ツバサくん、他の人と違ったっていい、自分が出来る事を、自分にしか出来ない事を、知識と勇気をもって羽ばたけばそれはきっと誇りになる。シリーズ的にやっぱり特異な存在ではあるんだろうけど、立派にその役割を務めてくれたなと思います。

 

あげはさん、多分子供達にとってこうあってほしいという大人像だった。本人はまだまだって謙遜するけれど、最強の保育士の片鱗はもう十分すぎるくらい。大人だって悩みや不安は当たり前にあるけれど、お姉さんとしてカッコつけさせてよ!っていう部分はグッと来ます。

 

エルちゃん、使命を受け継ぎ、みんなを巻き込んじゃったかなってきっと少し思ってるだろうけど、一人じゃない、みんなが居るからそれは特別な絆、チームになった。みんなを繋いでくれてありがとうって言いたい。

 

とりあえずはこんな感じでしょうか。
準備する時間が無かったので、最終回見終わってから一気に書いたので、支離滅裂な部分もあるでしょうけど、そこは勢いと熱で勘弁して下さい。

 

勿論!まだまだひろプリは終わりません。
次は「感謝祭」楽しみにしてます!

 

※ちょっと追記

コメントをいただいて物凄く重要なポイントに気付きました。

 

他4人と比べて特殊な属性を持たないましろん、TVを観ている小さい女の子達の投影だったんだと、今更気付きました。
ましろ異世界から来たソラちゃん=キュアスカイと出会う。子供達がプリキュアという作品、プリキュアという概念に初めて出会って、カッコいいな、可愛いな、憧れるなって気持ちを抱く。

 

そしたらね、今度はあなたの番だよと。あなたもプリキュアになれるんだよとプリキュアと友達になって、その一員になって一緒に戦うの。
きっとTVの前でプリキュアを応援してる子供達は、衣装だったリ玩具だったりで自分もプリキュアになりきって、一緒になって戦ってる気持ちになってるんじゃないかなぁ?

 

最終回を迎えて、TVのひろプリは今日で終わりですよってなって、みんなとお別れなんかしたくないよ!って悲しくなっちゃうけど、じゃあ明日もまた会おうね、会いたくなった時にはいつでも会えるから!って言ってくれるんですよ?

(最後のあっさり再会は初代のシャイニールミナスオマージュもありそうですが)

ひろプリってそういう話だったんだ。と一気にストンと腑に落ちた。
プリキュアを見ている子供達の、プリキュア体験みたいな所まで意識して話に組み込む。何これ超エモくない?

 

ボーイ・ミーツ・ガール的な言い方をするなら、ガール・ミーツ・プリキュア
プリキュアに出会って、プリキュアに憧れて、プリキュアになった女の子の物語。

 

こういうメタ構造を持つプリキュア作品が過去にもありました。
「オールスターズNS」の坂上あゆみちゃんです。
キュアエコーとはそういう存在でした。
TVで見るプリキュアに憧れる女の子のお話。

 

「NS1」は別の人ですが、「NS2」「NS3」はひろプリの監督の小川さんです。NS1も監督という立場では無いけど関わってはいて、そこでエコーに思い入れがあったから、次は自由に作って良いよと言われた時にNSを3部作にした事は過去のインタビューとかでも語られてます。

凄い。ちゃんと文脈が繋がった。

 

そう!キュアプリズムとは、もう一人のキュアエコーとも言えるわけです。
「エコー」とはやまびことか、こだま、反響とかの意味。
NS1では自分の声を届ける為に変身したから「想いよ届け!キュアエコー!」という名前になったんだと思わせてくれました。でも恐らくはそれだけでなく、ダブルミーニング的に「反響する存在」でもあったんじゃないかと。

 

作り手が視聴者に作品を届ける。それを受け取った視聴者をキャラクターに置き換えて作品内に登場させて、メタ的な意味合いを持たせる。

 

そして「プリズム」もまた光の「反射」や「分散」のメカニズムの事を指す。ただの反射じゃ無く、分散というのが「ひろがる感」があって面白いです。

 

私はメタ構造というのが大好物でしてね。作品内だけに留まらず、見ている視聴者まで意識してそれも含めた物語になっているとか、これはちょっと凄い感じなんじゃないかと。こうなるともはやひろプリは100点を越えて1億点です。視点を変えればどこまでも世界はひろがっていく!それを改めて教えてくれたのがひろプリですから。

 

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魔法少女はなぜ世界を救えなかったのか?

魔法少女はなぜ世界を救えなかったのか?

著:ペク・ソルフィ、 ホン・スミン
訳:渡辺麻土香 
刊:晶文社 2023年(原書:韓国 2022年)
☆☆☆★

 

魔法戦士に変身して戦う姿は少女に自信を与えるのか、
それともミニスカートにハイヒール姿の性役割を植えつけるのか?
少女文化コンテンツがもつ二面性への問いを発端とし、
ディズニープリンセス、おもちゃ、外遊び、ゲーム、魔法少女アニメ、文学、K-POPアイドルまで、
子どもたちが触れるコンテンツが内包するジレンマ、問題点を洗い出す。

 

たまたま本屋で見かけて、あら面白そうなタイトル。
手にとってパラパラめくってみると、私の好きな「プリキュア」にも多少触れてる部分もあるようでしたし、作者がそもそも韓国のかたで、あちらで出版されたものをわざわざ翻訳して出してるんだから、中身薄っぺらで読む価値も無いような研究書じゃなかろうと、そのまま購入。

 

作者の一人のホン・スミンさんは埼玉の大学に在席していたようで、そこで「東映魔法少女アニメーション50年史」という論文を書きあげたそうな。むしろ私はそっちの方も読みたいぞ。

 

そういった経緯もあり、基本は韓国の文化をベースに語られますが、日本の文化も「海の向こうから見た日本文化」ではなく、ちゃんと日本で研究した上で語られてるようで、その辺りは興味深く読めました。

 

基本、フェミニズム視点での文化論ですが、基礎が児童文化・消費文化軸のようですので、結論としても「結局ただの消費文化じゃないか」というのがおおまかな結論。

 

各分野、それぞれの項目で面白い部分は沢山あったのですが、まずプリオタな私的にはまずその辺りに関しての感想とかツッコミ。

 

国産TVアニメ最初の作品(短編や単品ではなく、TVで毎週流す30分番組という枠での話)は「鉄腕アトム」というのは割と知ってる人は知ってる知識。
日本特集のリミテッドアニメ(ディズニーとかがやってた秒間24コマのフルアニメーションに対してのリミテッドです)が生まれた瞬間で、同時に今現在へと続くアニメーターは安月給で働かされるという悪しき習慣まで作った、今にして思えば誕生の瞬間から闇を抱えた文化でもありました。

 

それはさておき、じゃあ国産TVアニメで女児向けの一番最初の作品って何だったんでしょう?


私もあらためてそういうのは調べた事無かったなと思ったけど、1966年「魔法使いサリー」だったんですね。今回初めて知りました。

魔法少女」という言葉はずっと後年になってから生まれた言葉ですけど、それに属するものが国産女児アニメの元祖だったのか。

 

「アトム」から1年近く後ですが、それでも同年(1963)内に「エイトマン」「鉄人28号」が放送されたりしてますし、もうアニメ史誕生の瞬間から「男はロボ」「女は魔法」みたいにレールが敷かれていたというのは面白い話ですね。あ、ちなみにロボどうのとかはこの本には書かれてません、そこはあくまで私が勝手に解釈した部分です。

 

ただその「魔法使いサリー」魔法の力を人間に見られてしまったら、魔法界に帰らなければならないため、常に力を隠さなければならない。力を行使して敵を倒したり出世して行くような貴種流離譚・ヒーローストーリーとはベクトルが全く異なり、それはもし女性が力を持っていたのだとしても常に男性を立てて女性は男性の後ろをついていくのが女性らしさとされていたような当時の男女感が表れているのではないかと。

 

いや絶対原作者の横山光輝先生はそんな事を考えて無いと思うけど、文学や文化評論の現代的な基礎としては「作者がこう考えている」とかではなく純粋に「例え作者が意図していなくても作品からこう読みとれる」の方が評論としては重視されるものなので、こういう読み方もそれはそれで面白いんじゃないかと思います。

 

「男の子は派手で暴力的なものを好むけど、女の子はおしとやかな物の方が好きだよね」という発想自体が無意識の上での差別意識となるわけです。

 

昔と違って読書感想文は「作者の考え方を述べよ」ではなく「作品の描写からこういう解釈が出来る。こう読みとれる」というのが今の時代は基本なんですよ。
たまに「作ってる方は絶対そんな事考えてねーだろ」って言う人居ますけど、そこが重要なんじゃないんですよ。結果として描写から何が読み取れるかが重要。意図していないからこそ、無意識に潜む本質や問題が浮かび上がってくるわけです。

 

そして、「サリー」が放送されるまでの「アトム」以降3年間はTVアニメの主人公は全員男だった事になる。じゃあそこで何故サリーちゃんが生まれたのかと言えば、それは当然、他の作品との差別化であり、マーケティングの産物という事になる。

 

今までは男の子向けばかりだったけど、じゃあ今度は女の子向けに作ったら、男の子向けと同じくらいにヒットするだろうという目論見だったんだろうなと思います。

 

勿論、サリーちゃんはヒットこそしましたが、ここでまた今に至るまでのマーケティングの問題点がこの時点で誕生する。

 

男の子が主人公の物語は、男の子も女の子も見る。
女の子が主人公の物語は、女の子は見るけど男の子は見ない。

数字の上では50対50のイーブンではなく、100対50になるという、ある種のマジック!魔法少女だけに!いやそれ違うか。

 

マーケティングの上では、女の子物は男の子向けよりは弱いという判断をされてしまう。ここ、面白いですよね。いや世の中の女性にとってはザケンナコラ!って感じかも?

 

そんな「魔法使いサリー」から3年後、「ひみつのアッコちゃん」が登場。テクマクマヤコンテクマクマヤコンってやつですね。こちらも原作は赤塚不二夫だったりしますが、ここでの最重要ポイントは変身コンパクト。サリーちゃんにはそういうのが無かった(魔法のほうきとかはアイテムっぽいですけどねぇえ)

 

ここで作者はこれぞという事を言ってくれてます
「アニメに登場する魔法のアイテムとそっくりなおもちゃを手にすることで、現実とアニメの境界を崩せるという点が子どもたちの心をつかんだのです。」

そうそうこれこれ!私もプリキュアの変身アイテムいくつか持ってますが、自分もプリキュアに変身したい!とかよりも、彼女達はこれで変身してたのか、みたいに思えるのがなんか楽しいんですよね。ただアニメを見るだけでなく、劇中で使っていたアイテムと同じものを手にすることで親近感や現実感が湧く面白さがあるというか。その辺りはフィギュアやキャラクターグッズともまた違う良さだと私は思ってます。

 

で、そこからの衰退期は一気に飛ばして(本文中では多少はその間も触れられてはいます)、次が90年代の「セーラームーン」ですよ。国内のみならず、世界中で大ヒット。歴史的な記録を打ち立てます。「ディズニープリンセス」とかが明確にブランド化する前の時代ですから、女の子向けコンテンツではセーラームーンが世界で一番売れていた時期があったそう。

 

そんな新時代の女性のシンボルみたいな存在が生まれて世界は変わったのか?

 

「こうして強力な女性ヒーローがテレビに登場したばかりか、全世界の市場まで席巻したのですから、新世紀における日本の女性たちの社会的地位には何かしらの変化が訪れるのではないかと思われました。ところが・・・」

世界男女格差レポート(ジェンダーギャップ指数。
2006年は115カ国の中で79位
2021年は156カ国の中で120位

 

そうそう、フェミニズム論でこのジェンダーギャップってよく数字出されますけど、日本って他国に比べて女性の地位が異常なほど低いんですよね。まあ政治家の発言とかもヤバいレベルのものがメチャメチャ多いし、最近TVを賑わせてる芸能のゴシップとかもね、酷い事この上ない。

 

世界を制覇した「セーラームーン」を生みだした日本の女性の地位の現実はどうなの?一度は頂点に立ったのに、何故世界を。女性達を救ってくれなかったの?っていう論調です。

 

例えばアメコミならDCの「ワンダーウーマン」、マーベルなら「キャプテンマーベル(初登場時はミズ・マーベル)なんかがフェミニズム文化と密接に結びついたキャラクターで、最近はここにハーレイクインなんかも加わる感じでしょう(勿論、旧設定のジョーカーの情婦という所から脱却した後)。

 

セーラームーンがそういう意図で生み出されたキャラクターでは無いにせよ、そういった辺りと肩を並べる、或いはそこより上に一時は登りつめたわけです。で、その結果は?っていう事なのでしょう。

 

作者的にはそこに生まれたのは「市場フェミニズム」でしかなかったと。女性の消費欲求、自分達のための存在という所だけを刺激されて、結局現実の問題には向き合わない消費文化でしかなかったと。

 

プリキュアセーラームーンの後に少し触れられてる程度ですが、「女の子も暴れたい」とか「男の子も女の子も本質は変わらない」的な綺麗事を並べて煽っておいて、アニメのヒロインに近づきたければ、何十種類もの玩具を買わなければ変身できませんよ、という商業主義に染まった上っ面だけのアニメだと、プリキュアに対しては思いっきり批判してます。

 

しかもTVシリーズで女性に監督をまかせたのは17作目の「ヒーリングっどプリキュア」が初めてで、そんな古い考えがずっと続いているシリーズだと散々な言い方をしてます。

 

東映アニメ50年史」とかいう論文を書いてる人なら、当然もっと詳しい所まで調べてるに決まってますし、そこは知った上でわざとこういう自分の論拠に導く為に都合の良い情報だけを抜き出してるんでしょうけど、わざわざ「TVシリーズ」と肩書きをつけているのは、当然他のは違う例もあるわけで、劇場作品として「映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?」は松本理恵監督で、プリキュアにおける女性監督は割と早めに出てますし、その翌年のスイート映画だって、それこそヒープリ監督の池田洋子氏が担当してます。

 

しかも松本理恵監督って、後の「ハケンアニメ」でも主人公のモデル、イメージソースになってるのが松本理恵監督だって公にされてるようですし、それは業界内でもちゃんと注目されてたって事だろうし、プリキュアに詳しい人なら、女児アニメならもっと女性の感覚を生かすべきっていう部分での監督以外でのスタッフ起用とか色々あるの知ってるはずだし、この本におけるプリキュアの扱いはほんの少しのみですから仕方ないとは言え、プリオタとしては色々と言いたくなる部分ではある。

 

プリキュアじゃなくてもね、東映アニメ史における女性スタッフうんぬんっていう部分ね、少しでも調べたら関弘美プロデューサーの事を知らないはずもないでしょう。
ママレード・ボーイ」以降の少女漫画アニメ枠の立役者ですし

news.mynavi.jp

プリキュアの一つ前の「明日のナージャ」だって、関さんがキャリア初期からずっと温めてきた、自分の企画だったという事じゃないですか。

spice.eplus.jp

デジモン」「どれみ」だって関プロデューサーあってこそだろうし

www.excite.co.jp

mantan-web.jp

 

そういうのを知ってる上であえて無視するのもいかがなものだろうかとは思う。勿論、この本が東映アニメ史を語る本では無く、世界のジェンダー史におけるその中の一つの例として「セーラームーン」を一部分取り上げているというだけの話なので、そこはいたしかたないのでしょうけれど。

 

本に限らずですが、こういうのものは全て「一視点では」みたいなの前提なので、とりたててこの本がおかしいとか悪意があるとかではないのですが、本とか普段読まないタイプの人だとね、「本に書いてあった」とか結構何でも鵜呑みにしちゃう人も結構居る印象なので、その辺りは気をつけたい所。
今の年配の方だと「TVでそういってた」とか、ニュースとか新聞で言ってる事を安易に鵜呑みにしがちなのと同じ感じで、そういう人って結構居ません?そこら辺はリテラシーの問題なんですけども。

 

そういう意味ではね、アイドル(主に取り上げられているのはKポップアイドルですが)の項目の部分で、「アイカツ」や「プリティーシリーズ」にちょっとだけ触れてる部分があって、これはAKB以降の日本のグループアイドル文化の系譜を女児コンテンツに落とし込んだものなんだけど、ミニスカートをローアングルからなめるようなカメラワークまで子供向けコンテンツに何も考えず移植してあるとはいかがなものか、的な事をこの本では主張してたりします。

 

いやぁ、この辺ってどうなんでしょうね。私はアイドルはもう完全に専門外で興味の無いジャンルですし、例に上がってるようなアニメもプリティーシリーズの一つの「プリパラ」だけ好きで見てたんですが、ジャンル全体としては全く詳しくないので、そこに関してどうこう突っ込める知識や思想も無いです。

 

ああ、プリパラに関してはメインキャラ6人の内の一人が、男の子設定なので、プリキュア以上に多様性の面では先進性があるって論調で語られるケースも割とあるのですが、基本的には「そういう設定」なだけで、劇中内でそこが物語的に語られたりするケースはほぼ無いので、(私が記憶してる上では4年分の内、1~2回しか無かった気が)あれはあれで素晴らしい作品だし、意義深さもあるんだけど、作品としての主張はそれほど強く打ち出していたわけではないと思う。後半の方で普通に男子アイドルとかもライバル枠?として出たりしたけど、ぶっちゃけ最後まで影薄かったですし、そこに特別レオナが絡むわけではないし。

 

まあ、詳しくないのを前提で掘り下げても仕方ないのですが、そんなアニメやアイドルに関わらず、例えばの話ですが「ミニスカート」って可愛いじゃないですか?それを性的消費うんぬんみたいな視点で考えたときに、どう受け止めたら良いのか、っていうのは私も割と昔からの疑問としてある。

 

男性目線で、ミニスカートにうひょー!とかなっちゃうのって、助平な目線が全く無いと言えばそれはそれで嘘な気もするんですよね。別に露骨にそんな目線でばかり見てるわけじゃないと思うけれど。
でも、女性から見てもミニスカート可愛いとかはあるじゃないですか?あれって下心がある感じでは無いと思うんだけど、あれって何なのでしょう。


例えば親になって、子供が居たとして、小さい子供がミニスカート可愛いから履きたいとなった時、親目線ではきっと少し心配もするじゃないですか?可愛いけど、下着とか見えちゃったら困るからあんまり履かせたくは無いとかそういうの。
じゃあまた別の視点、子供は別に男性を誘惑したいからとか、そういう発想なんかそこにはあるわけないですよね?

 

なら、ミニスカート可愛いって言うのはどこから生まれたもの?メディアの植え付け?これは他の項目でも出てきた女性=ピンクが好き、みたいな問題と多分同じで、いやそれは押しつけだろう、みたいな「トクサツガガガ」でもやってた問題にも共通するけど、女性向けだから何でもピンクにしておけっていうような安易さには辟易するけど、同時にピンクでかわいい~って言ってしまう客も居るのは事実で、もはやそこはどこからどこまでが自己判断なのかわからない、みたいなのもあるんですよね。

 

個人的に「アイドル」は苦手意識がある分、勝手にフィルター掛けちゃってるのも自分でわかるんですけど、性的消費されるの前提な割に、女の子も同性のアイドルにあこがれるし、自分もあんな風になりたいって思う辺りが私にはよくわからない世界です。

 

他にも、最近よくCMで耳にするアンコンシャスバイアスみたいな部分にも通じるのかな?「スターウォーズ」の新3部作の方で、レイっていう女主人公になったけど、女のアクションフィギュアなんか売れないから、ハズブロ社は主役だけ出さないで他のキャラやメカだけ玩具を出すといういびつな商品展開になってた事をこれみよがしに糾弾したり、それでいて近年のマテル社のバービーの多様性重視の商業展開による成功例を対比として上げてたりするので、映画の「バービー」やっぱり見ておけば良かったと思う反面、文学に関する項目では「若草物語」の事も取り上げつつ、韓国の結構カオスな状況(昔は正式なライセンスとらずに出版してたとか)なんかも知れて、なかなかに面白い。

 


基本的にはね、商業主義に対する批判が全体的な論調・主張になってましたが、個人的にはそこを批判するのはあんまり好きではない。
いや、私もよく「仮面ライダー」の商業主義を批判したりするけれど、じゃあ主義や主張を掲げる為にありとあらゆる作品は作られるべきなのかと言えば、それこそ夢物語というか現実的じゃないわけで、商業ベースではあるんだけど、その中で伝えて行ったり考えて行ったりする事も同時にしていく所に私は価値を見出す方。

 

だってさ~「ひろプリ」で男の子プリキュアを出して、そのコスチュームが商品化されていない事で色々ニュースを賑わせたりしてたんですが、それが出来ないなら最初から男プリキュアとか出すべきでないとか言われたらさ、もう何も出来なくなっちゃうじゃん。その方が私はずっと保守的なものが続いて停滞する原因になると思うんですけどね。いきなり100かゼロかどっちか選べとか、そういう事では無いんじゃないの?と思うので、安易な商業主義批判もいかがなものかと思ったりします。

 

玩具買っても1年間しか遊べないとか言いたい事もわからんではないけれど、1年ごとに更新して行く事で、毎回新しい個性を肯定してあげられるのは素敵な事なんじゃないかと気付いたって、それこそヒープリの悠木碧も言ってたし、ネガティブな面だけを強調して、多面的な部分に目が届かないのもそれはそれで問題。

 

とまあ、一つ一つを取り上げていくにはちょっと掘り下げ不足な感は否めませんが、全体的には面白い部分もたくさん読めて、満足度は決して低くは無いです。

 

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全プリキュア20Th Anniversary LIVE!

2023年1月20日(土)1月21日(日)
横浜アリーナ全3公演

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吹き荒れよ!幸せの嵐!
プリキュア!ハピネスハリケーン

 


す す スミキッタァ~ッ

 

なんという幸せの洪水
幸せ満開だよ~っていう気持ちにさせられました。

 

何の話か?
はい「全プリキュアライブ」です。
3公演分配信で参加しました。

 

なんかね、もう幸せしか無い時間でした。プリキュアずっと好きで良かった。
全部のプリキュアを見て、全部が好きで良かった。

 

あのシリーズはクソ、あんなのプリキュアじゃないとか日頃から言ってる人にはこの幸せは噛みしめられまい。

 


今回は「みんなに響け!わたしたちの主題歌(うた)!」というコンセプトです。
劇場版の方は含まず、TVシリーズの方の主題歌53曲を3回の公演で全部やる、という企画。


残念ながらフルサイズではありません、基本TVサイズ。普段のライブだとね、TVサイズだとちょっと物足りなくて、フルで聞かせてよ~っ!って思っちゃいがちですけど、今回ばかりはTVサイズでも満足感が半端無い。
だって、全部主題歌ですよ!?OPにせよEDにせよ、もう何十何百回と聴いてきたいわばメインディッシュの曲ばかりが、これでもかれこれでもかと続く。

 

もうアドレナリンが出っぱなしです。緩急なんか必要無いとばかりに、うぉ~!うぉ~!の連発ですよ。ランナーズ・ハイならぬ、プリキュア・ハイみたいなものかと思いました。

 

会場は一万人のファン。配信はおおまかにですけど、初日は5万人、二日目午前のファミリー公演?は2万。ラストの二日目夜は私の見間違いじゃないなら11万人くらいじゃなかったですか?

 

ファンも歌手も声優も、全員ニッコニコですわ。満開スマイルとはまさにこの事かと。もうね、うれしくて キラキラですよホントに。この幸福感。

 

Xとか見ててもね、参加出来なかったプリキュア声優さんとか、妖精とか、更にはヴィラン側まで配信見てで応援してる人も沢山居て、うわなんとプリキュアって素晴らしいのかと本当に改めて、かみしめるようにすっごい幸せな空間でした。

 

 


プリキュアシンガーもね、何曲も歌ってるもうお馴染みの人はともかく、中には1曲のみって言う人もそこそこ居たりするんですが、例えその1曲、しかもTVサイズの90秒と短い尺でもありながら、それでも全員かけつけてくれて、凄く大事にそして嬉しそうに歌ってくれてるの見てね、ああ本当に有難いなと思った。

 

特に「ドキドキ」OPの黒沢ともよさん、アイマスとかもやってるの知ってるけど、確かどこかのインタビューをたまたま見たときに、個人の音楽活動としてはもっと大人っぽい方向性を本当はやりたいみたいな事をおっしゃっていて、プリキュアとか主題歌オーディション通ったから歌っただけで、あんまりこういうのは好きじゃないのかもしれないな、とか勝手に実は思ってたんですけど、メッチャ楽しそうに歌ってて、こっちまで嬉しくなってしまった。

 

なかやんとか、花凜ちゃんとかもそう。普段あまり見慣れて無かったっていうのもあるかもしれないけれど、私はシリーズ通して何曲もは歌って無いし、この1曲だけだけど、だからこそそれを全力で歌うし、誇りを持ってるよ!って言ってるように見えて、物凄く良かった。

 


そしてそんないつもとは違う光景がもう一つ。
エンディング曲の嬉しさ。
近いシリーズだとOPもEDも同じくらいの扱いだけど、シリーズが古くなってくると、番組の顔であるOPの方がどうしても優先されて、EDが歌われにくくなっていくんだけど、今回の3公演の中でテンションがマックスに達したのってもしかして初代ED「ゲッチュウ!らぶらぶぅ!」だったかもしれない。

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この行進をね、プリキュア達と、声優と、歌手の全員でやるの。
いやもうPCの前で「ヴォ~ ヴォ~」って野太い声でコーラス入れてしまう!
ダンスとかじゃないから、これ誰でも出来る行進だし、歴史を越えて原点に立ち返るエモさ!そして声優陣とかも、あの初代のプリキュアに自分も参加してる!みたいにニッコニコなんですよ。幸せだ。なんて幸せな空間なんだ。

 

欲を言えば、わがままを言えば、今回でも100点満点中50億点くらいなんですけど、劇中の合唱コンクール再現で、なぎほのが途中からフェードインしてくるみたいな演出だったら2兆点超えたかもしれない。見たくないですか?劇中再現とか。
もし次の機会があるのだとしたら、そんな演出もお願いしたい。

 

そしてそして!EDと言えばですよ!?
DAY1はキュアミラクル高橋李依、りえりー参加
DAY2はキュアエール引坂理絵、ひっきー参加

 

CURE UP↑RA♡PAPA~ほほえみになる魔法~

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魔法アラ・ドーモ!

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HUGっと!未来☆ドリーマー

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HUGっと!YELL FOR YOU

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どちらもチーム代表して一人だけの参加なので、全員での完全版とは行かないながらも、それでも本人+プリキュアシンガーズという形でね、ライブでやってくれるというのは超貴重。

 

ああ因みに2日目の昼公演、声優さんの参加無しなのですが、そっちでもプリキュアシンガーズで1曲づつですが披露してくれてて、それはそれでまた貴重で楽しかった。

 

2日目の昼公演、声優さん無しだから私も最初スルーしようかなともちょっと思ったんですけど、いや2度と無い機会で4千円ケチってどうすんだと。
現地入りしてる人なんて、新幹線代やらホテル代やら、グッズまで買って4~5万程度じゃ収まらない出費ですよね。もし後からソフト化が仮にあったとしても、3回分で1万2千円とかより安いはずが無いし、今ケチんなよと思い留まりました。

 

昼公演は昼公演でね。ショー仕立てになっててメッチャ楽しかったです。
まさかナルシストルーさんとチョンギーレさんに今更会えるとは思って無かったし。

 


声優さん関係で言えば、現行の「ひろプリ」は当然として、
「デパプリ」「トロプリ」「ヒープリ」「スタプリ」まではプリキュア声優全員での参加。

 

トロプリは「シャンティア~しあわせのくに~」

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そしてスタプリ、ミルキーが「あの子に届け」と
「Twinkle Stars」を披露

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デパプリは「キズナスペシャリティ」

www.youtube.comhttps://www.youtube.com/watch?v=4CfxUKtKTfU


と全員曲が劇中で使われてるシリーズは強い。

ヒープリ組は全員曲が
「Ready Steady →プリキュア!!」

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なんだけど、劇中で使われて無いのでちょっとマイナー気味。悠木碧は前にラジオで思い入れのある曲って言ってましたし特別な曲である事は間違いないのですが。
でもね、ヒープリ組はコロナ禍の影響を露骨に受けたチームなので、こうして沢山のお客さんの前に出てこれてありがとうを伝えられたのが何より嬉しいって言ってたのがね、グッと来ました。

 

あとは声優さんで言えば、初日の方、キュアハート生天目さんとキュアラブリーまめぐちゃんが居るのに、いや何故そこで「プリキュア~永遠のともだち」をセトリに入れぬ。エンディングの時にBGMとして使われてただけで、3公演中に一度もこれ歌われなかったのは100点満点のライブの中での唯一の不満だったかも。

 

TVシリーズの主題歌メインの中で
「キラキラkawaii」「プリキュアモードにSWITCH ON」「Come on! プリキュアオールスターズ!」辺りは大事に使われてただけに、永遠のともだちが無いのは、う~んちょっと悲しい。

これじゃあ卒業なんてまだ出来ないよ満足と呼べるには小さくて。

 

出演者の挨拶とかが無かったのはもう仕方ない。一人1分だとしてもそれで1時間近くかかるし、昼公演が2時間半、夜公演が3時間半ノンストップでしたからね。

 

15周年記念ライブは配信もされなかったしソフト化もされませんでしたし、今回、配信という形ででも参加出来て良かったです。
実は先週、体調崩して熱出してたりしたのですが(病院も行ったけどコロナとかインフルでは無かったんでそこはまずマシでしたが)、プリキュアのおかげで身も心も復活できました。

 

不満じゃなくて、今後の要望なんですけど、もし、もし可能ならプリキュア劇中内シンガーの再現コーナーとかもしあったら死ぬほど嬉しい。

 

これまでね、宮本佳那子さんが常連のプリキュア歌手としてやってきたけど、他のシリーズとかの時は、パープルカラーは親近感ありますね的なギリギリ匂わせくらいはしても、そのシリーズに気を使って「キュアソード」である事は触れない方向で来たわけですよ。あくまで今はそのシリーズの主題歌を歌ってる宮本佳那子なんだと。

 

でも今回、ドキプリコーナーのとこでねなばちゃんと一緒に堂々と勇気の刃!キュアソードを言える嬉しさ。
可能であるなら、まこぴーとして「ソングバード」「こころをこめて」とか歌ってほしいわけです。そしてまこぴーコールがしたい。
春日野うららに歌ってほしい。ツインラブ!ルールーとえみるを応援したい!宇宙アイドルマオにゃんを!あやねさんとあおちゃんを!

 

まあ最後はプリアラのライブで見れるけど、最初に書いた合唱コンクールの再現じゃないですが、リアルに劇中要素を持ってくることで、自分達がプリキュアの世界の一部になれるような気がして、そういうのも面白いかなと。

 

ガンバランス3連発とか、面白い仕掛けもありましたし、みんなが幸せになれた空間が、ホンっとに心地良かった。

 

出演者、観客、きっとスタッフも、プリキュアが好きで良かったと心の底から思える最高のライブでした。

ありがとう&あいしてる!

 

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キボウノチカラ〜オトナプリキュア'23〜

【Amazon.co.jp限定】キボウノチカラ ~オトナプリキュア’23~ Blu-ray 豪華版<アクリルスタンド付>vol.1 (L判ブロマイド3枚セット付) [Blu-ray]

Power of Hope
シリーズディレクター:浜名孝行
シリーズ構成:成田良美
TVアニメ 2023年 全12話
☆☆☆★

 

プリキュア20周年記念の特別企画として発表された、初の大人向けプリキュアアニメ企画「キボウノチカラ」全12話終了。

 

う~ん・・・個人的には最後がちょっと私の苦手&嫌いなパターンが来てしまったのと、結構設定とか投げっぱなしにして終わってしまったので、最後の最後に評価を下げちゃったかなぁというのが正直な所。

 

とは言え企画自体は良かったですし、1クールと短い作品でしたが、その間は本家ニチアサ枠とこちらとで週に2本、しかも土日で週末ですから、物凄く楽しい時間を過ごす事が出来て、そこは素直に感謝したい。

 

私は基本そんなにTVアニメとか沢山見る方では無いので、毎週色々なアニメやドラマ見てる人は、いつもこんな感じなのかなと久々に思いだしました。ニチアサは習慣みたいなもんですが、他のアニメとかたまに見ても、ついつい溜めちゃってね、土曜日の仕事帰りに映画館に寄らずにまず帰ってきてオトナプリキュア見てからその後の行動をとる、ぐらいには毎週楽しみにしてました。

 

まず最終回で一番良かった所。
ブンビーさんが「あの子達(プリキュア)はこれまでずっと頑張ってきたんだ。これはこの街の問題なんだから、人に頑張れって言う前にあなたが頑張りなさいよ」的な事を言うのがド正論で面白かったです。

 

子供時代はミラクルライトを振ってね「プリキュアがんばれ~」って言ってれば良かったけど、あなたももう大人なんだし、プリキュアに何かしてもらうだけじゃなくて、自分で出来る事あるだろうし、それを探そうよ、みたいな感じでちょっと笑ってしまいました。少しは成長しろよと。まあそういう事だよねぇ。

 

逆にここが一番ダメだったというのが、まあ世の中的には賛の方が多いんだろうなと思うんですけど、のぞみとココの結末です。
私は頭が固いのか?ココに「初めて会った時からずっと好きだった」みたいな事、言わせちゃダメだと私は思うんですよね。

「5」絡みの記事を書く時、これまでも何度か私書いてきたはずなんですけど、5のスタッフインタビュー集「プリキュアシンドローム」に置いても、中学生と教師の恋については、少女漫画的な感じであこがれる要素だよねっていう人と、いや現実的に考えたらそれ犯罪でしょ?あまりリアルには受け取らないでほしいって、作ってる人達の中でも二つの意見があって、なんか逆に面白いなと思ったんです。

プリキュア シンドローム!〈プリキュア5〉の魂を生んだ25人【描き下ろしポストカード3枚付き】

 

ココの中の人の草尾さんもラジオの中で、のぞみとココの話ではないけれど、先生と生徒の恋愛とかは、あこがれのドキドキとかはいいけど実際に行動に出るのは絶対に止めた方が良いですよ。とハッキリ言ってます。

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勿論、お話の中では「のぞみとココは結ばれて幸せになりました」っていうのはハッピーエンドだと思うし、そういう関係性ではあったのだけれど。絶望の中に居たココにのぞみが希望をくれたし、幼いのぞみの成長をココは上手く導いてくれたのだから、そこに気持ちが芽生えるのは決して変では無いと思うしね。

 

でも、初めて合った時からうんぬんみたいなセリフって、一見ロマンチックに思えて結構な悪手だと私は思っていて、これまた同じような部分で物凄く拒否反応が出た「劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデン」を露骨に思いだしてしまいました。
あれもねぇ、紆余曲折の果てに二人が結ばれるのは決して悪くは無いと思うんですけど、同じように最初からずっと愛してたみたいな事を言うんですよ。で、回想シーンが入って、その最初の出会いがヒロインの少女時代、まだ世の中の事を何も知らない10歳くらいの少女に対して当時から抱きしめたいと思ってたとか言っちゃうんですよ。

 

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この辺の日本のアニメの異常な倫理観とかに気付かずに「感動した」とか言うの、私は正直問題あるように思えて、もうちょっと表現考えようよ~ってつい思っちゃう。

 

しかも今回、大人向けですよ。これまた考え方は二分するでしょうけど、現実の辛さや上手く行かなさなんか身に染みて毎日経験してるんだから、アニメの中でくらい現実逃避させてよ、ファンタジーじゃん?

そういう考え方もあるのはわかるし、それはそれで否定はしないんだけれども、それ言っちゃったらさ、今回の「オトナプリキュア」なんか成立しなく無い?アニメの中で社会問題とか説教とか入れないでよ、って、今回のテーマ全否定にならないですか?

 

或いはですよ、今回は超不自然なくらいにこまちとナッツの関係には一切触れないんですよね。私は「5」だと昔からこまち押しです。ココのぞだけ幸せになりやがって!とかそういう事じゃ無く、こまちとナッツこっちのカップルは結局その後、立ち場や環境の違いで離れてしまった、みたいなのをむしろあえて入れて欲しかった。上手く行く恋もあれば、上手く行かない恋もある、そんな酸いも甘いも経験してるのが大人だよねって言う比較にしてくれれば良かったのに。

 

夢見る少女だけが女性の魅力じゃないよ、夢破れて現実を生きてる大人の女性も、日々頑張ってるんだしそれもまた魅力の一つですよ、という描き方が何故できないのか?こまちびいきだって思うかもしれませんが、実はこまちさんのラストカットとかあれはあれで凄く良いなと思ったんですよ。小説家になる夢は叶えられていないけれど、日々大切な日常に囲まれ、王子様じゃなく近所のおばちゃんと仲良くなったそれもこまちの大切な物語を描いてる最中ですよ、って普通に素敵じゃ無い?

 

逆に言えばSDGsうんぬんっていうテーマの方も描きかたが正直平凡だし、意識高い系を目指しながら、表面だけをなぞった薄っぺらいものになってたように感じるし、その薄さがプリキュアの関係や設定に関しても同じように薄く感じた。
1クールという短さもあるし、基本5とSSの二人の個人回を一人づつやって回したというのもあるけど、テーマというよりは懐かしコンテンツの方向に舵を切ったという感じなのかなぁと。

 

いや最初はね、番組スタートする前は、もうプリキュアに変身は出来ないけれど、そのプリキュア魂があれば大人でも誰かを助けたり問題を解決する事が出来る。プリキュアの本質とは変身する事じゃ無く、その精神性にあるんだよ、だからこれを見ている大人の貴方たちも、かつてプリキュアに憧れた子供時代をもう一度思いだして、現実の世界でも誰かの心のプリキュア、そして自分の心の中にあるプリキュア魂を忘れないでいてね、という作品になると、勝手に思い込んでいたんです。

 

そしたら本当にプリキュアに変身して敵と戦いはじめた。
え!そういうのなの?ってビックリですよ。

 

しかも変身すると当時の姿に戻る。いやそこは大人なまま変身してよ!これ最終回で大人変身くるかなぁと密かに期待しましたが、結局そういうのはありませんでした。まあハートキャッチでもキュアフラワーがおばあちゃんから若い姿に戻ってましたしねぇ。

 

この「子供に戻る」っていうのもそれはそれで独特の面白さは秘めていて、昔の魔女っ娘物、魔法少女物って子供が大人に変身して問題を解決するみたいなのが多かったんです。それは男の子向けで言えばロボット物にも共通する文脈で、子供のままでは力が足りず世間に相手にされないけれど、ロボットという力を手にする事で世間に一人前の存在として扱ってもらえる、あるいは社会に何かしらの爪痕・影響を与える事が出来るようになる、そういうメタファーだったわけです。


女児物にせよ男児物にせよ、そういう文脈で魔法やメカがまだ小さい自分が大人への対抗手段を手に入れるという成長や社会と向き合う物語になっていた。

 

そういう文脈を踏まえればですよ、今回大人が子供の姿に戻るって、それはそれで色々な意味を持たせられそうな設定じゃ無いですか?昔は、子供のままでは戦えないから大人に変身したのに、今の時代は大人では戦えないから子供に変身する。

 

これって面白いテーマだと思いません?
本当の意識高い系プリキュアならそこをちゃんと意味のあるものに描いてたと思う。
今回はそういうとこもまた「意識高い系」を装ってるだけで、実際はそうじゃない感じが見え隠れして、そこが残念ポイントでした。

 

だってね、そもそも「HUGっとプリキュア」で凄い事をちゃんとやったじゃないですか。大人だって何でも出来る、男の子だって、おばあちゃんだろうがおじさんだろうがその心があれば誰だってプリキュアになれるっていうのをもう描いてるのにですよ、大人はそのままの姿でプリキュアにはなれないって、テーマが後退してないか?HUGを経て今更これなの?と正直思ってしまった。

 

ただ、そこでまた思いました。プリキュア20年分の変化やテーマや描き方を全部見てきてるのはお前が(私が)プリキュアオタクだからだろうと。そもそもが「HUG」より後退してないか?なんて思うのは私がオタクだから。

 

わ~プリキュア5子供の頃に見てたよ、懐かしいね!こうしてのぞみちゃんたちと再開できて嬉しいね!今のプリキュアは知らないけど、私のプリキュアはこれだったよ!っていう人達に向けた作品ですよねこれ。

 

プリキュアのメインターゲットは未就学児というのと同じように、キボウノチカラのメインターゲットは子供の頃にプリキュア5を見ていて今は大人になった世代。
そんな人達に対して「HUG」と比べてうんぬんとか言ったってさ、なんかニュースサイトで男の子がプリキュアになったとか見た気がするな、ぐらいしか知らないだろうし、むしろそれが普通、それが大衆で大多数かなと。

 

今回は「5」と「スプラッシュスター」がメインで、初代も最後だけ少し。プリオタ的には鷲尾P期、最初の5年間の、いわばプリキュアのファーストジェネレーションを軸に扱った作品。この時代って、意識高い系要素ってエッセンスとしては最初から入ってはいたものの、そんなにね、そこを軸にどうこうっていうのはあまりなかった世代。

 

それこそジェンダーとか多様性とかの切り口で語られる事が多くなった意識高い系プリキュアは「HUG」辺りがきっかけで、近年はその流れにあったわけで、しかもその切り口が世界水準に匹敵する所が私はプリキュアの本当に凄い部分だと思ってる人ですが、まあオタクじゃない普通の人はそこまでは意識なんかしてるはずも無いでしょう。

curez.hatenablog.com

そこにこそジェネレーションギャップが生まれるわけですが、そんな「プリキュアでジェネレーションギャップを語る状況」こそが面白味ですよね。そもそもが20周年特別企画なわけですから。それは「男プリ」も賛否あるの前提で新しい事をやりますよ、という意味ではきっと同じです。

curez.hatenablog.com

 

なので、ちょっと描き方が浅いんじゃないか?と文句は言うけれど、別にこれが失敗だったとか、こんなのはプリキュアじゃないとか、そういう事を言うつもりは一切無いです。一つの挑戦、ユニークな企画を楽しませてもらいました、とは言えますし。

 

冒頭に書いたブンビーさんだけでなく、満・薫を独特のポジション(ただの仲間ポジだけでなく、闇の存在から生まれた人では無いもの設定が生きてるのが素晴らしい)で使ってくれたのは良かったものの、え~じゃあみのりちゃんは今何やってるのよ?とか気になる部分はありました。

 

大人「デジモン」とかは見て無いのでどういう設定なのかは知らないけど、スーパー戦隊とかの10イヤーズ系、現実のそのキャラの演者の状況とかが何と無くリンクしてたりするのがこの手の時間を置いたアフター物の面白味です。

 

今回プリキュア勢の中では唯一咲が既婚してましたが、実際に中の人の樹元オリエさんも実際に結婚されて、声優としては咲以外の役はほとんどやっていない半引退状態なのでプリキュア現役復帰には二の足を踏んでたし、逆に舞役の榎本温子さんは、「Gレコ」の主役で有名な石井マークと結婚したけど、その後に離婚されてて、今は仕事の方をバリバリやってる印象。そういうのもあってか、舞の方は付き合ってた彼氏と別れる話を振られたりと面白い話になってました。

 

TVシリーズでは恋愛要素として描かれた和也お兄ちゃんには触れないのかと思いつつ、(ココのぞだけあんだけやっといて)咲の旦那にせよ、舞の彼氏にせよ基本的には画面には見えない散在として男性ファンにも気を使ったんだなと思いつつ、ここはやっぱりみのりちゃんの成長した姿が見たかった。お母さんなり咲なりが「みのり~」って呼んだら、みのりちゃんが返事するんだけど、画面にはクマのぬいぐるみが置いてあってそれに隠れてみのりちゃんの姿は見えない、みたいなモフルンネタを期待するわけですよ、こういうアフター物には。

 

人気の「初代」と「5」に挟まれ、やや不遇なポジションの「SS」ですが、それがこうやって大きくクローズアップされたのは素直に嬉しいし(私はSSも好きですので)ありがたい半面、変身バンクでフラッピチョッピが画面に映るのに、そこに何も触れないとか、不自然さにも程がありました。

 

そういう設定があるとかではなく、ただの俺解釈ですが、タイムフラワーはあくまでその人の記憶にある過去の時間に戻す力、だからプリキュアに変身すると当時の姿になるし、見た目だけのタイムスリップみたいなもの、だからフラッピチョッピら精霊(妖精)がそこに実際に居るわけじゃない。変身解除後に「チョッピ、いつかまた会いたいな」みたいに昔を忍ぶ描写とかあれば100億点だったんですけどね。「リュウソウジャー」のその後でういちゃんを思いだすみたいな。
もしそんな私が考えたような設定であれば、過去に囚われるんじゃ無く未来を見ようよみたいな描き方も出来ただろうしとか勝手に考えてしまいました。

 

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あとは今回のラストには合わなかったとは思うけど、やっぱりこの世代なら最後にガンバランスを流してほしかったかなぁとか、さなえおばあちゃんが昔からこの街に居るみたいな設定にしたことで、「初代」「SS」「5」が同じ街か少なくとも隣町くらいの距離感になってしまって、そこはオリジナルの世界観ブチ怖しだなぁと思ってしまいました。

SSは港町だからこその舞台設定とメンタルだと思うし、逆に言えば初代と5はこんなに海が近いとそれはそれで変なのです。作中内では直接繋がって無いけど、メタ的に近接した作品群として隣組だったんだね的な落とし所を上手くやってくれれば良かったのですが。

 

う~ん、まあ言いたい事は大体こんな感じかなぁ?
TVシリーズみたいに後からまとめ本とか出たりするのかな?

 

という辺りで、来年は企画枠こそ違えど「魔法つかいプリキュア2」です。
新たな敵でもいいし、魔法で日常のハチャメチャだけでもどっちでも良いですが、今回の「キボウノチカラ」見てて思ったんですよね。ある意味魔法で何でも出来ちゃう世界ですから、他のプリキュア世界におじゃましま~す!みたいな事も出来んじゃね?今回は3世代分のプリキュアを集めたわけですから、それ以降「フレッシュ」から~とかせめて「まほプリ」前後くらいでも良いけど、あっちはあっちで実は同じようなオールスター企画なんですよ、とかだったら嬉しいかもしれない。


実際どうなるかは今の時点では知るよしもありませんが何にせよ、わくわくもんだぁ!の気持ちで待ちたいと思います。もし予想が外れても、それはわざとだし!

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キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜エンディングテーマソングシングル

キボウノチカラ〜オトナプリキュア'23〜エンディングテーマソングシングル (通常盤) (特典なし)

発売レーベル: Marvelous
2023年
☆☆☆☆

 

M1:雫のプリキュア
  歌:キュア・カルテット(五條真由美うちやえゆか工藤真由、宮本佳那子)
  作詞:只野菜摘 作曲:高木 洋 編曲:馬瀬みさき

M2:夢でいっぱい
  歌:春日野うらら(CV:伊瀬茉莉也
  作詞:只野菜摘 作曲:間瀬公司 編曲:馬瀬みさき

M3:夢でいっぱい~Acoustic Ver.~
M4:雫のプリキュア(TVサイズ)  
M5:雫のプリキュア(オリジナル・メロディ・カラオケ)
M6:夢でいっぱい(オリジナル・メロディ・カラオケ)
M7:夢でいっぱい~Acoustic Ver.~(オリジナル・メロディ・カラオケ)

 


さて、「オトナプリキュア」も多分あと残り1話。
なんかもう毎週泣かされてしまって、メチャメチャ楽しんでる半面、個人的には色々と言いたい事もあったりするのですが、まあそこは最終回後に改めて感想は書くのでそちらにまとめます。

 

OPはいきものがかりの「ときめき」で、そっちはオールスターズFの主題歌とカップリング収録済み。

curez.hatenablog.comプリキュアでは一般アーティストとのコラボは珍しい部類ですが、エンディングの方はちゃんとプリキュアシンガー枠。

 

アニメは勿論、これまでにない企画で新しい物ですが、内容的にはぶっちゃけ「なつかしコンテンツ」の方に寄った印象が強い。その賛否は後のアニメの感想に譲るとして、そういう方向性という意味では初期の鷲尾P期(初代~5GoGoまでの5年間)のプリキュアシンガーの集大成としてのキュアカルテットを持ってきた判断は正しい。

新しい層へ向けた作品じゃ無くて、昔のプリキュアを見てた人向けの作品ですしね。

 

キュア・カルテットは
五條真由美うちやえゆか工藤真由・宮本佳那子の4人。

5GoGo後期ED「ガンバランスdeダンス〜希望のリレー〜」

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プリキュア5周年記念ソングとして作られ
DSのゲーム「Yes! プリキュア5GOGO 全員しゅーGO! ドリームフェスティバル」で使われたプリキュアモードにSWITCH ON!」が有名所

 

www.youtube.comDSのやつね、3世代が使える格闘アクションなのですが、オリジナルのストーリーとか楽しめるのは良い部分ですけど、操作性が悪いのが難。この辺まではプリキュアも色々な形のゲームが出てたけど、次のフレッシュ以降はマーケティング重視の作風になったので、以降はミニゲーム集ばっかになっちゃったんですよね。そこは残念。

 

そしてガンバランス!今回のCDに入って無いので可能性は低そうですが、2023年バージョンのガンバランスで最後は締めて欲しいなぁ。
SSの後期ED、5の後期ED、GoGoの後期EDと3年もバージョン違いのガンバランスを使ったのは、プリキュアと言えばこの曲!みたいなブランドとしての印象を持たせたかったからとか言ってたはず。初代の「DANZEN」はまさしくそんな感じですけど、プリオタ層以外には「ガンバランス」はそこまで取り上げられる印象では無いかも。
CG化するフレ以降のダンスEDですけど、やっぱりインパクトはCG化してからプリキュアのEDは超絶クオリティのCGダンスってイメージになったし、そこままさしくブランド化に成功できたという事ですが。

 


それはともかくまずは
「雫のプリキュア
作詞は「5」ならお馴染みの只野菜摘さんですが、作曲が高木洋さんというのはちょっと珍しい気がします。高木さん、ドキ~まほまでのTVシリーズ4作品の劇盤担当なので、プリキュアに馴染みはありつつ、後のシリーズの人という印象が強い。

 

逆に言えば、昔のイメージのままの曲というより、今の新しい曲という印象だし、OPにしろEDにしろ子供向けの明るいイメージの曲とはまた違う感じ。まあ歌詞も大人向けに書いてますし、まさにオトナプリキュアという難題にアーティスト陣も向き合った感じになってるのかなという気がします。

 

しっとりだし、あえてネガティブな感じの部分も含めた歌詞ですが、そこをプリキュアシンガーの持つ強さで補ってる感じが個人的にはグッドなポイントです。

「ひとりきりの希望とは思えない」
演者やスタッフ、アーティストのみならず、プリキュアを愛してくれている人達が居れば、きっといつかそれは、みたいな感じでねプリキュアを信じる力、虚構の物語を信じられる力はきっとあるし、それは希望に繋がるよ、と言われてるようで私は好きです。


そしてカップリング曲「夢でいっぱい」
最初はカップリング曲ふせられてたのですが、レモネード回でまさかのうららが歌うという展開でした。

 

そう、5と言えばTVシリーズの時も劇中の話とリンクさせてうららの「とびっきり!勇気の扉」がキャラクターシングルとして発売されました。

とびっきり!勇気の扉


今回のジャケットもそれの大人版というコンセプト。

ついで言えばGoGoの時も「ツイン・テールの魔法」というキャラクターシングルが、うららのみ出てました。

ツイン・テールの魔法


伊瀬さん、今でも売れっ子声優ですが、5当時は現役高校生でね、そりゃあきっとわけもわからぬままただ必死にやってたのでしょう。キャラソンとか今聞くと顔から火が出るほど恥ずかしいそうですよ。

そしてこれでも語ってるし

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5本「プリキュアシンドローム

プリキュア シンドローム!〈プリキュア5〉の魂を生んだ25人【描き下ろしポストカード3枚付き】

でも詳しく触れられてましたが、伊瀬茉莉也脱走事件というのがありまして、今回のオトナプリキュアのレモネード回でも、もしかしてそれをネタに考えたりした?みたいな話にもなってました。

 

ただ、個人的には私は5だとこまちさん派なので、こまちとうららという割と珍しい部類の組み合わせの話が確か1度だけあって、将来にこまちが書いた物語でうららが女優をやるみたいな未来もあるよね、的な話をするシーンが私は好きです。何話だったかな?確かGoGoの方だったと思うけど。

 

うららって基本的には女優を目指してる人で、アイドルとかではないので、歌ってどうなんだろう?みたいなのは旧TVシリーズ見た時から思ってましたが、そういう道を見つけるとかではなく、歌は歌で好きみたいなので、好きな物で心が晴れる、という描き方をしてたのは面白いなと思いました。

 

私は音楽的な素養やこだわりは一切無いのだけれど、単純に歌を聴くだけでもね、気持ちに変化が生じるっていうのは実際あると思うし、まあ私も辛い日々をプリキュアソングで乗り切っているみたいなとこありますから。
劇中だと健太と優子の子供がうららの曲で泣きやむとかもありましたしね。
・・・わしゃ子供と同じか!

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アニメージュ 2024年1月号増刊 ひろがるスカイ!プリキュア特別増刊号

『ひろがるスカイ!プリキュア』特別増刊号 アニメージュ増刊2024年1月号 [雑誌]

Animage HIROGARUSKY ! PRECURE SPECIAL ISSUE
徳間書店刊 2023年
☆☆☆☆

 

ちょいと一週間程体調を崩してしまい、ブログも放置してました。
そろそろ復帰できそうなので、こちらもボチボチ行こうかと思います。
感想書いてないものも溜まっちゃってね、少しづつでも。

 

という事で毎年恒例、アニメージュプリキュア増刊。
今年は情報もギリギリまで出なかったし、本誌の方で二回くらいプリキュア表紙ありましたし、もしかして増刊は無しなのか?と思ったけど無事に出ました。

 

「ひろプリ」増刊というのもあってか、本誌再録記事では「F」の記事はあっても「オトナプリキュア」の方の記事はこっちには載って無い。そこはちょっと残念。

 

サブキャラまで含めた声優さんのインタビューとスタッフインタビューと、映画の方のラストまで含めた上での話と、構成は基本的に例年と同じ。

 

あれ?でもプリキュア五人の座談会はあるけど、悪役チームの座談会が無い。個別のインタビューは各自あるけど、基本的には敵幹部&ボスもいつも座談会やってて、そこはコンプリートブックの方には無い面白味だったのに!ちょっと勿体無い。

 

あと、スタッフインタビューもいつもと比べるとやや薄めな印象。今回のひろプリは、いわゆるプリキュアのお約束や範例みたいなのにはあまりこだわらず作っているというのは以前のインタビューにもありましたが(二人目以降の登場が遅いとか、玩具を売る為のパワーアップフォームが無いとか)、全体的な作りとしてもテーマ性はあまり重視せずにキャラクターのドラマで魅せる方向性で作ってるそう。

 

ソラちゃん自身はヒーローとは何かとか葛藤しつつ成長していく物語にしてあるけど、「ひろプリ」という作品の全体テーマとして、今の世の中にヒーローとは何かを問うみたいな事まで踏み込んだり描くとかじゃないよっていう事なのかな。

 

個人的にはプリキュアに限らず私はありとあらゆる作品における「テーマ性」って割と最重要視するタイプなので、そこはちょっぴり残念ですが、作品によって色々な方向性があるのは当たり前の事なので、今回はこういう作風なのね、というのは素直に受け止めたいと思います。

 

基本的にはプリキュアなんて「プリキュア可愛い」ってだけを見れば良いんじゃないの?大人の小難しい理屈を並べるのは嫌いっていう人の方が割合としては8割9割なのかなと思いますが、じゃあ自分は1割2割の方で結構だし、そこを重視して語る事で他人とは違う自分のカラーをそこで出せるなと思ってますし、そもそも私には作ってる人達が「ただ可愛ければ良い」なんて思いながら作ってるようにはとても思えないので、その部分の面白さや魅力をちゃんと拾う人が居なければ、とか思いながらプリキュア記事を書いてます。

 

まあおかげさまで

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このクッソ長い記事がウチの人気記事として定着してくれてるのでありがたいですし、私のプリキュアに対するスタンスみたいなのはそこで色々書いてるのでその辺りを参照していただければ。

 

でもそこの記事で私最初に書いてるじゃないですか、基本的に私はヒーロー物としてのプリキュアに一番の魅力を感じるって。

その流れで行ったらね、私はキュアスカイ、ソラちゃんに一番肩入れしそうなもんじゃないですか?遂にヒーローを自ら掲げるプリキュアが来てくれたかと。

でも不思議なものでね、勿論ソラちゃんも好きですけど、何気にひろプリで私の一番の押しは、実はましろんです。

 

1話始まった時点では、好きなアニメ(サクラクエスト)の主役やってた声優さんだからあげはさん、バタフライ押しかなぁとか思ってたんですが、

curez.hatenablog.com開幕時は正直一番ノーマークだったましろんの成長が見てて可愛くってね、今ではすっかり最押しキャラになりました。

 

はい、なので作ってる人に、去年のデパプリで言う「ごはんは笑顔」みたいなテーマ性はあんまり重視しない方向で作ってますと言われて、ちょっと残念だなぁと思う反面、ひろプリはひろプリで全然楽しんでるから大丈夫です。

 

むしろタイトルだけ公開された来年のぷりきゅあがちょっと心配。「ここたま」とか一時期結構勢いがあったので、あの辺りのもっと更に低年齢層狙いに行かれると流石に困るかも。

 

そんなTV本編じゃなく「オールスターズF」
こちらも新規のインタビューが載ってますが、最後発のインタビューになるのでという事で、色々と細かい情報も監督がサービスしてくれてます。

 

シュプリーム・オリジン(モンスター形態)は何とノイエジールがモチーフだそうな。田中監督、富野信者なのでそこから引っ張って来そうなものですが、まさかの「0083」精神が具現化されたようなデザインっていう所に面白味を感じてるようです。

 

そして私が解釈が難しいと2度ほど書いた、プーカとのどかの関係。何とあのシーン、のどかの指先が少し消えかけてるんだとか。いやちょっと凄いよねぇ。優しさがのどかの強さだし、ヒープリにはキュアタッチがあるのでそこを重ねたっていう事で間違ってはいなかったようです。

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いやここは「女の子は何でも受け入れてくれる女神じゃないよ」という主張をしたヒープリの本質をわかってないのでは?という批判をしても良い場面かなと私は思う反面、その上であそこで手を差し伸べる事が出来るのがのどかなんだって言われると、その解釈もアリだなと思えて、ますます面白い。

 

あと、まだ見切れてるキャラも居るみたいですけど、プリキュア全員集合&サブキャラ集合シーンも小さいコマながら結構細かく載ってます。

 

いわゆる番外プリキュアもほぼ集結してるのね。HUGの全員プリキュア以外のは大体居るのかな?
ハピチャはミラージュ、テンダー、アローハはまあ順当としてモブキュアもちゃんと拾ってる辺りが流石。

ロイヤルキャンディ、ペコリン、モフルンと並んでるの何だろうと思ったらコメコメか。そしてオアシスさんは劇場でも確認出来たけど、そっちに並んでるのはエンプレス、トゥモロー、ルミエルさんに先代プリンセス。
そして正規プリキュアチーム分けも非常に楽しい、実際は10秒もないホントに1カットのみとかですけども。

 

ああそうそう、集合パートじゃないけど、ミルキィローズが倒れてるカットをお願いしたらキュアミルキーが倒れてる絵が上がってきたというのは面白いネタです。長くやってるとね、そりゃあ全部知ってる人ばっかりじゃないわな。

 

 

あと、今回の増刊号用の記事じゃ無く、再録記事の方ですが、EDが最初から前期と後期で合わせて作ってたので「ヒロガリズム」の時点で「Dear Shine Sky」もあって歌入れも実は近い時期にやってるとかいう話にちょっとビックリ。そうか、前期で朝から昼、後期で夕方から夜という時間のイメージで作ってたんですね。そこはなるほどと感じた。朝の9時から夕方や夜のイメージってどうかと思ったけど、そういう事だったんですね。

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まるで「ナイト」「ドーン」「デイ」と来てるんだから「トワイライトオブザデッド」を完結作として作るべきじゃないか?という考えに近いですよね。

え?何を言ってるんだって?
いやだって私の名前のキュアZのZってゾンビの事ですから。

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