僕はこんな事を考えている ~curezの日記~

見たもの読んだものなどの簡単な記録と感想のチラシ裏系ブログ

ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット

ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット(字幕版)

原題:Zack Snyder's Justice League
監督:ザック・スナイダー
脚本:クリス・テリオ
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2021年
☆☆☆☆★

 

劇場公開版完成間近に家族の不幸により企画から降板。そちらはジョス・ウェドンが引き継いで完成させたものの、興行成績・評価共に振るわず、ファンからはザック・スナイダーの復帰を望まれるも、スタジオもそう簡単には首を縦に振らなかったが、後にHBOの配信映画の目玉企画として、劇場公開版2時間の倍の4時間映画として作り直される。

 

劇場公開版より10分長いディレクターズカット版とかよくあるじゃないですか。今まで見た事の無いシーンが追加されてて、じゃあそれで作品の印象が劇的に変わる程なのかと言えば、ファンの人はバージョン違いを楽しんでね程度が大半。個人的な感覚では今回もそんな感じかなと思いつつも、もはや別物という声も多かったので、半信半疑でこれも見てみたいなと思ってました。

 

いやこれは凄い。2時間映画が4時間映画になったんだから、尺的には2本分です。元と違って、章立てになっており、配信用に作られたというのもあって、ドラマに近い感じになってるのかと思ったら、思った以上にちゃんとした映画になってました。

 

本筋そのものは大差無いものの、一つ一つの描写を丁寧にやっていく事で、色々な部分に深みが出る。

 

例えば冒頭のワンダーウーマンの故郷のセミッシラの描写が単純に長い。ここは尺を調整するに当たっては短く切るのは当然だなと思う所だけど、結構なアクションシーンだったのにそれを切ったのは勿体無いというのもあるけど、メインヴィランであるステッペンウルフの強さの描写と、キューブの説明なんかも兼ねていたので、劇場公開版との差はその辺りに出る。

 

そしてもう一つ、サイボーグのオリジンやテーマの丁寧な描写。アクアマンも描写は結構増えているものの、どちらかと言えば設定の説明や単品作品への布石みたいな描写が多い。フラッシュは二人と比べるとそこまで出番は増えてないけど、やはり設定面や自作への布石が多少追加されてる。

 

アクアマンとフラッシュはそうやって次の作品も企画されてたからまだ良いけど、サイボーグは元々単品映画の企画が無かったんだから、ここで描写するほかない。なのにそこを劇場公開版では切っちゃったので、ややどういうキャラなのかがわかりにくかった。そこが補強されるのは作品として深みが増します。

 

いやね、サイボーグってジャスティスリーグにおいては他の5人と違って決して古参じゃないのよ。アニメとかだとティーンタイタンズの方に入ってたキャラだし。恐らくは黒人枠。コンプラ的に人種バランスを考えた上でのJLへの起用だったはず。昔からの馴染みじゃ無い分、今のジャスティスリーグには彼が重要なポジションとして必要なんですよっていうのを、より丁寧に描かなきゃならなかった。劇場公開版では切られて、スナイダーカットでは深く描かれてるという、一番大きな差かもしれません。

 

あとはJL側じゃなくヴィランのステッペンウルフ。ここも何気に濃くなってる。劇場公開版だと一つのセリフと一つのイメージカットで処理されたダークサイドが今回はちゃんと出てくる。そこはマーベルで言えばサノス的な、今後出てくるラスボス的なポジションですよというのを認知させるのと同時に、ステッペンウルフは先兵でしかない。一人でもこんなに強くて倒せない敵をなんとか退けたとしても、その先にもっと強い奴が背後に居るんだよという描写。だからこそスーパーマン無しではキツくないか?と自然と思わせる作りになってるのが何気に上手い。

 

ここ、ジョス・ウェドンザック・スナイダーの考え方の違いが如実に表れてる部分じゃないですか?スーパーマンを神に見立てるのはどちらにも共通しているんだけど、まず劇場公開版(ジョス・ウェドン版)は前作「ジャスティスの誕生」で地球に神は必要無いとしてバットマンがスーパーマン不要論を唱えていたが、それは自分の(人間の)エゴだったと過ちを認め、この暗い世界を明るく照らす良き神の存在が必要なんだと気持ちを改めたから、バットマンはスーパーマンを復活させようとする。それが劇場公開版のジャスティスリーグ

 

対する今回のザック版。そこが何気に変わっていて、ヴィランの深堀りがされると同時に、ヒーロー側も一人一人の個人の力で立ち向かう為だけじゃダメなんだ、今こそ手をとりあい、同盟を結ぶ時なんだ、というチーム物として必然性のあるテーマになってるし、その中にスーパーマンも必要なんだという作りになってる。

 

要するにジョス・ウェドン版は、人類を導く神としてのスーパーマンの位置付けなのに対して、ザック・スナイダー版は神であるスーパーマンでさえも、人種や性別、立場を超えて共に戦う仲間、共に寄り添う存在として描いてある。

 

ここの差ってメチャメチャ大きくないですか?
あ、ザック・スナイダーすげぇ!って思ってしまった。

 

ぶっちゃけ、私はザックの事舐めてました。「ドーンオブザデッド」にせよ「ウォッチメン」にせよ、どの作品も楽しませてもらったけど、その解釈じゃないんだよな~って思う人でした。でも今回は素直にザックの言ってる事は正しいと思えた。

 

スーパーマンは神にも等しい存在である。けれど、上(空)から人間を見下ろし導く
存在なんかではなく、人の横に立ち、肩を並べ共に手を取り合い、寄り添う存在なんだと。このスーパーマンの解釈は本当に良いと思うし、ジャスティスリーグ=正義の同盟という作品で扱うには完璧なテーマなんじゃないかと。だって今回はあくまでチームを描く作品なんですから。

 

ヴィラン側、ステッペンウルフが縦社会、上下の立場ありきなのに対して、ジャスティスリーグはテーブルは円卓にしようという言葉の通りに、上下関係の無い横並びの共同体=ユニオンを結成する。時代性もバッチリじゃないですかこれ。

 


凄い。見事なくらいにブラッシュアップされてますね・・・というか元からそうだったものが色々とそぎ落とされちゃったという事なのか。

 

実際の二人の政治的思想がどうなのかはわかりませんが、ジョス版が保守で、ザック版がリベラル的な考え方の差があるように思えて、そこはメチャメチャ面白い部分でした。

 


今回、4時間一気に見れて全然ダレる所も無く、4時間が面長に感じなかったくらいに密度は濃かったんですが、じゃあバットマンの悪夢部分(エピローグも含め)とか必要か?と言われたらぶっちゃけいらなかったし、今更「もし」の事を言っても仕方無いとは思うけど、これをベースに短くして3時間ぐらいの映画にして当時に元から公開していたら歴史が変わっていたのでは?とか思わなくもありません。

 

こっちにしか出番のないマーシャン・マンハンターとかジャレット・レト版ジョーカーとか、顔見せや今後の展開の為の布石なだけで、今回の物語的には特に必要無いキャラでした。ダークサイドも含め、そこはザックなりの今後のプランがあったのでしょう。黒いスーパーマンを含めて、私個人としてはそれを見たいかと言えば、そこまでは・・・というのが本音ではありますが、「ジャスティス・リーグザック・スナイダーカット」という単品で見る分には、或いは劇場公開版として比較してみる分にはメチャメチャ良かったとだけは言っておきます。

 

前にも触れた「ペットセメタリー」ネタとか、真実の投げ縄でアクアマンが本音をしゃべったりとかああいうコミカルで可愛いシーンは一切無し。あの辺はやっぱりマーベル的なコミカル要素も受ける要因としてDCにもねじ込んだ感じだったんでしょうね。あれはあれで私は好きなんですが。

 

2時間と4時間では流石に違うの当たり前ですし、ただのロングバージョンという違いではない、同じ素材でありながら違う監督の違う編集による別のアプローチによって作られた稀有な存在としても面白いケースでした。

 

DCEUは実験みたいなものとして、次のフェイズはもっと上手くやってくれればと思います。考えてみると、矛盾は承知の上で設定変更をしながらも一つの継続した世界としてずっと続けているマーベルと、定期的にリセットをかけてやり直すDCという、コミックの歴史でやってきた事が、映画ユニバースでも作風の違いとしてそのまま引き継いでるの面白いですよね。

 

ザック・スナイダーカット、一見の価値はあるんじゃないかと。

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ジャスティス・リーグ

ジャスティス・リーグ [Blu-ray]

原題:JUSTICE LEAGUE
監督:ザック・スナイダー
脚本:クリス・テリオ、ジョス・ウェドン
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2017年
☆☆☆★

 

ジャスティスの誕生」から、スーサイドスクワッド旧とワンダーウーマン1作目を挟んでのDCEC6作目。

 

こちらは2017年の劇場公開版。監督のクレジットはあくまでザック名義になってるんですね。撮影も終盤、あとはこれから編集作業に入るくらいの時期に、ザック・スナイダー監督の身内に不幸があり(娘さんが自死)、もう仕事が出来る精神状態じゃないと降板。

 

アベンジャーズ」のジョス・ウェドンが急きょ雇われて代わりに入る事になり、スタジオの意向で元は3時間で予定していた上映の尺も2時間にしたいとの要望を受け、再撮影で話を調整して完成。そんな経緯もあり、本来の形での完成形が見たいとの声がファンから多く上がり、数年後にザック・スナイダーが復帰した4時間のディレクターズカット版が作られた。

 

そこの話はそっち見た時の感想に書くとして、まず出版社としてライバル関係にあるDCとマーベルですけど、「アベンジャーズ」の監督が「ジャスティスリーグ」も監督するって結構面白いケースじゃないですか?

 

勿論、映画監督はDCなりマーベルの社員じゃないので、普通にありえるケース。「ガーディアンズ」のジェームズ・ガンが今後のDC映画全体の指揮をとる事になったり。MCUやDCEU以前には、「X-MEN」のブライアン・シンガーがシリーズ途中で離脱して「スーパーマンリターンズ」の監督をして更に後にはまた戻ってくるとか、え?そんなんアリなんだ的な話は以前からある。

 

映画の話じゃなく原作コミックの方だって、昔からDCとマーベルはアーティストなりライターの移籍や引き抜きは何度も繰り返されてきた話です。そういう意味では非常にアメコミらしい部分だと言えなくもない。

 

因みにジョス・ウェドンさん、マーベルの方はスタジオからの要望が多すぎて自分の作品に出来なくなってきた的な不満を漏らしつつのDC行きだったわけですが、まず最初の仕事が残務処理。またもやスタジオの要望をまず形にしてくれ的な仕事で、勝手な想像、あくまでおそらくはの話ですが、まず雇われ仕事をこなしてくれたら、次からは自分の作りたい作品をやってくれて良いよ的な感じだったのかなぁと。

 

けれど、結果的に評価も振るわず。サイボーグ役の人からは訴えられたり、ワンダーウーマンの人にも、あの人の振る舞いはちょっと問題があった的な事を言われ、険悪な関係に。結局ジャスティスリーグは再集結する事無くDCEUは終わってしまったと。

 

私個人としては、そこまでの低評価って程じゃ無かったんですけどね。ヴィランのステッペンウルフがぶっちゃけ何の魅力も無い悪役なのが残念ですが、単純にね、ジャスティスリーグ横並び。ヒーローがずらっと並ぶとことかはやっぱりテンションが上がりましたよ。

 

変に悪役のキャラを立てるより、まずはヒーロー集合だけを楽しんで欲しい的な感じにあえてしたんだと、そこは好意的に解釈。そしてねぇ、フラッシュ君がすげぇ良いんですよ、この時点では。

 

シリーズのゴタゴタ、俳優のゴタゴタがあって「ザ・フラッシュ」は気持ち的に私は全く乗れなかったのが残念だったのですが、この「ジャスティスリーグ」の直後にフラッシュが単体で活躍するマルチバースとかじゃない普通の単独作が作られてたらなぁと悔やまれる所。フラッシュはTVドラマ版の方が上手く行ってたし、その辺の兼ね合いもあったのかなぁ?今更言っても仕方ないですが、凄く勿体無い。前後の「ワンダーウーマン」「アクアマン」「シャザム」が上手く行ってただけに尚更。

 

お話的には、前の話で死んだスーパーマンを今回は復活させる話と言うね、ある意味アメコミらしいとは言え、冷静に考えたらこんな話ねーな。アリかナシかで言えばナシの方向で、とつい言ってしまいたくなるのも確か。

 

スーパーマンは自分を犠牲にして地球を救ってくれた。本当はスーパーマンは地球に必要な存在だったんだ!だから禁断の秘術で命を復活させよう。

 

う~ん、ないわ~。

 

キリストの死と復活に重ねてスーパーマンを聖人にしたかったのはわかる。フラッシュ君がそれって「ペットセメタリー」じゃないの?って何度も言ってるのはおかしかったけれど。

 

でもそれ考えたらサイボーグの方も一度死んで生き返ってる存在だよね?スナイダーカットの方ではその辺りをより深堀してくる感じでしょうか?

 

そしてそれは「ジャスティスリーグ」或いは「DCEU」という枠にも同じ事を望みます。今回は失敗に終わったけど、そこの反省点を生かしてね、次はまたもっと面白いものになって復活すればそれで良いんじゃないかと。

 

70年も80年もあるコミックの歴史だってそんな浮き沈みの繰り返しでしたし、マーベルも含めた「スーパーヒーロー映画疲れ」もある意味では実際にあるのでしょう。もうそろそろ飽和状態で、ヒットしなければ作品本数も絞られて行くのは仕方ないと思う。でもアメコミって基本、終わらないコンテンツですからね。また次の波が来るまでファンは待ってると思います。

 

という事で次は初見のザック・スナイダーカット版を見てみようかと思います。
章立てで区切られてるらしいので、映画と言うよりドラマ的な感覚で挑めば良いのかな?

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バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 [レンタル落ち]

原題:BATMAN v SUPERMAN: DAWN OF JUSTICE
監督:ザック・スナイダー
脚本:クリス・テリオ、デヴィッド・S・ゴイヤー
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2016年
☆☆☆

「マン・オブ・スティール」から続くDCEU(DCエクステンデッドユニバース)2作目。前作から続けてザック・スナイダーが監督。

 

原題だと「VS」じゃなく「V」の一文字だったり、「ジャスティスの誕生」という変な邦題ですが、ドーンオブジャスティス=正義の夜明けという言葉からアメコミファン的には当然「ジャスティスリーグ」前夜というのを期待させるタイトル。

 

前回、スーパーマンをこのトーンでやったらバットマンとの対比、緩急や落差が出せないんじゃないか?と危惧した通り、一応バットマンは夜のシーンが中心には描かれるものの、全体的に暗いトーンのまま続くし、そもそもの冒頭が前回のスーパーマンのラストバトル部分をたまたま近くに居たブルース・ウェインも巻き込まれており、大量の一般人が巻き込まれて凄まじい犠牲者が出た、というマイナスの感情からスタート。

 

このまま異星人を地球にのさばらせてはおけない、というブルース=バットマンの行動理念と対立軸を明確にするわけですけど、いやそこで何故バットマン?って話だわな。原作を知ってる人は良いですよ。ああ今回は「キングダムカム」みたいな話をやりたいのね、っていうのは察する事が出来る。

 

でも、一般層のバットマンのイメージって犯罪者と戦うイメージですよね。「ザ・フラッシュ」の時にも自分の感想で書いたけど、あっちのブルースもいきなり世界平和のために戦う存在に思え無くて、感情的に乗れなかった部分がありました。

原作ファンやジャスティスリーグを知ってるファンなら良いですよ。でも映画って考えると、一般的なイメージとしては90年代のティム・バートン版映画。あるいはこれの直前のゼロ年代クリストファー・ノーラン版のダークナイト3部作の大ヒット高評価が記憶に新しい中、何でバットマンがスーパーマンを敵視するのか?という部分が話の都合で無理矢理やってる感じがどうしてもしてしまう。

 

全然、これは間違ってるとかそういう事じゃないんです。映画しか知らない人だと、バットマンは孤独のヒーロー(アルフレッドと言う味方は居る)というイメージが強いと思うけど、原作ファン的にはバットマンはファミリーの要素が強い。ロビンは何人も居るし、バットマン系列の仲間も山ほどいる。そう言うイメージの差みたいなものがあると私は思うし、今回の映画や次の「ジャスティスリーグ」でも、この要素を今回は映画化したのねと私は思えるけど、世間一般的には、結構ポカーンとしちゃう展開だったんじゃないかなぁと思う。

 

いや勝手な想像だけどさ、スーパーマンにしてもバットマンにしても、自分達が知ってるヒーローが激突なりチームアップしてるというワクワク感じゃなく、ただ演じてる俳優が今までの人と違うだけでなく、知らないスーパーマンと知らないバットマンがなんか戦ってるけどこれ何?みたいな印象になっちゃったんじゃないのかなぁと。

 

スーパーマンバットマンが戦うとか言われても、そんなのまともに正面からやりあったら勝てるわけなくない?こんなの勝負になるのかな?

っていうのは逆に魅力や興味を惹く部分にもなりえると思うんだけど、なんかそこもあんまり生かし切れて無いというか、この世界この映画ではこうなのね、ぐらいの感覚しか持たせられないのは凄く勿体無い気がする。

 

当時の評価もそうだった気がするし、私も確かこう思った気がするんだけど、ワンダーウーマンの登場が一番盛り上がった部分だったり。昔のTVドラマ版とかはあるけど、スーパーマンバットマンと違ってちゃんとした映画とかはこれまで無かったですしね、その二人と違って、自分の知ってるキャラと違うとかいう感覚は生まれにくいわけです。これが噂のワンダーウーマンなのか!カッコいい!もっと見たい!早くジャスティスリーグを!そしてワンダーウーマン単独作を!と、素直に思わせてくれました。

 

スーパーマンバットマンワンダーウーマンのトリニティが集結!
その相手はドゥームズデイ

 

ドゥームズデイと言えば原作でもスーパーマンを殺したヴィランとして有名。
けど・・・う~ん、なんかただハルクみたいにパワーで暴れるだけだし、あくまで今回のヴィランレックス・ルーサーであって、ラストバトル用に無理矢理作らされただけの存在。しかも最後はスーパーマンが死んでね、はい原作にあるイベント消化しましたよ~感が凄い。

 

ホントにザック・スナイダーって原作コミック好きなんでしたっけ?と疑ってしまいたくなる。いや、当然好きに決まってます。
でも感覚的には「原作の面白さを映画で表現する事」が目的じゃ無く、「俺なら原作をアレンジしてこう作るぜ」という、自分の作家性を前面に押し出した形がこの一連の3部作になったのかなという気がします。

 

「マン・オブ・スティール」の時に書いたけど、アレンジはアレンジで面白いと思うんですよね。でもアレンジって、基本形や王道的な本筋があってこそ、そこからの変化を楽しむものだと思うんですよね。

 

今更言っても後の祭りでしかありませんが、まずそんな基本や王道を衒いなくやってほしかったかなぁという気がします。

 

要所要所に「ダークナイトリターンズ」と同じカットを入れて再現してて、DKR好きなのはわかるけどさぁ、何か違うくない?という違和感は拭えず。考えてみればザックの映画版「ウォッチメン」もそうだったなぁと思いますし、よくぞここまで再現してくれた!の半面、ラストとかこれ意味変わってこないか?という、あちらも同様に「良くも悪くも」な作品でした。

 

そういや母ちゃんマーサネタはマニア的には定番のネタなのかな?私が邦訳とか読んでる範囲では出た事無い気がするし(そこまでDCは読んで無いけど)言われてみればそうだ!と思った半面、重要な場面で使うにしてはネタっぽくてちょっと笑ってしまいました。


今後の新DC映画の中核を担うジェームズ・ガンは「ガーディアンズ」にしろ「新スーサイドスクワッド」にせよ、アウトローを描く作品でしたし、その前の「スーパー」もカウンター的な作品でした。そこ考えると、大丈夫なのかなって思ってしまう部分もあるけれど、ただ外せば良いだけでなく、ちゃんとその中に王道の良さにも帰結させてくる上手さのある人でしたし、その辺りは上手くやってくれると信じたい。スーパーマンからのスタートみたいですし、そっちではまず王道的なのを是非お願いしたい。

 

って、ジャスティスリーグ前になんか締めくくってしまいましたが、次は劇場公開版ジョス・ウェドン版「ジャスティスリーグ」を見ます。
流れ的にはザック・スナイダーカットの方が本来ザックがやりたかった3部作の形なのかなとも思うんですけど、実際別バージョンとして形になったのって、ザックが色々あった後の話ですからね。本来想定していたものの再現とか出なく、変化した気持ちも当然あると思うので、ここはあえて劇場版→ディレクターズカット版と見て違いを確認してみようかと思います。

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マーベルズ (MCUその47)

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原題:THE MARVELS
監督:ニア・ダコスタ
原作:MARVEL COMICS
アメリカ映画 2023年
☆☆☆★

 

MCU劇場公開映画としてはガーディアンズ3に続いて33本目。
「キャプテンマーベル」のパート2と言う位置付けながら、ドラマからミズ・マーベル、モニカ・ランボーも集結するという所からタイトルは複数形のマーベル<ズ>。

 

原作にも同タイトルの「マーベルズ」という有名作品がありますが、あれとは無関係。そっちのマーベルズはマーベルユニバースの歴史を一人のカメラマン視点から映し出す脅威(マーベル)の超人たち、或いは驚異の世界みたいな意味でした。


「キャプテンマーベル」1作目は露骨にフェミニズムがテーマの作品でしたし、そこは原作の存在としてそういう部分ありきで語られるべき作品だったのと、映画のキャプテンマーベルがMCUの21作目として作られたものの、その前に20本も映画が作られながら、女性ヒーローをピンで作ったものがまだ1本も無かったという現実もあったわけで、独特の立ち位置の映画です。

 

エンドゲームの一つ前の作品でねぇ、エンドゲームが公開される時にはまだソフトや配信もされてなかったから、エンドゲームを見るに当たって、キャプテンマーベルなんてスルーしてたよとか言いだす輩が多くってね、まあ世間的にはそんなもんだろうなという印象でした。

 

それはともかく今回の「マーベルズ」
エンドゲームの時も、散々「もうあいつ一人でいんじゃね?」と散々言われましたが、まあ実際にフィジカル的なパワーでは最強レベルなのは間違いない。それこそ魔法とか別ベクトルで勝負しないと勝敗は目に見えている感は否めない。

 

そんな最強キャラを今回はどう描くのか?となった時に、彼女の弱さをあえて描いてくるのはなかなかに興味深かった。キャプテンマーベルはスーパーマンに匹敵するくらいの物凄い能力ながら、彼女はスーパーマンにはなれない。スーパーマンのような高貴な精神は持ち合わせていないのだ。

 

前作の時から、はすっぱな感じの性格は描かれてましたし、未熟な所から成長していく過程が描かれてましたが、フィジカルに対してメンタルが追い付いていない。

 

フューリーとの友情は続いているが、組織には属さず、一匹狼として孤高の存在を貫き、行動の判断も自分で決めている。

 

後半の方のネタバレになるけど、彼女がある種の間違った選択をしていた、というのはなかなかに衝撃的でした。

 

自身もかつては所属していたクリー帝国。クリーは超AIであるスプリーム・インテリジェンスをトップに置いた国家であり、今回のヴィランであるダー・ベンはキャロルの事を追い、彼女を破壊者と糾弾する。

 

クリー人にはクリー人の考え方があり、それが文化でもあり、そこには家族だってある。そしてスクラル人を難民に追いやった過去もある。

 

今回は話の中で語られるだけで直接に描かれるシーンは無かったものの、AIの支配する世界など間違っていると、キャロルがスプリームインテリジェンスを破壊。良かれと思ってした事だが、その結果、国は分断してしまい、環境破壊まで進みクリー人にとっては最悪の結果を生んでしまう。スクラル人と同じように難民化している様子。

 

自身の考えを他の文化にまで押しつけてしまうのは本当に正しいのか?それはサノスと何が違うのか?一方では救世主やヒーローと呼ばれ、一方では破壊者であり逆の視点から見ればヴィランにもなりえる。

 

基本的にはライトな作品ながら、こういう部分をきちんと入れてくる辺りは凄くマーベル的だなぁと思います。

 

そしてカマラとモニカ。


カマラちゃん、冒頭のアニメ風の絵で描かれますし、基本的にはキャラクターをドラマから引っ張ってきてるだけで、話の方は全然ドラマの延長とかではないので、「ドラマを見て無いとわからん」とか言うほどじゃないかも。

 

とゆーかモニカの方が「ワンダヴィジョン」の方だと、何故か突然能力が備わった、以上のものは何も無くて、話は今回が初みたいなもんですしね。


直前の「シークレットインベージョン」だって今回に繋がる要素ゼロでしたし。おまけ要素のとこだけホークアイ観てないとこの人誰ってなるかもしれんが。

 

で、そんなモニカにとっては、母を病気で亡くした後にキャロルに居て欲しかった、キャロルおばさんも家族だと思ってたのに、放置されたのが距離をおく原因になった。
対するカマラはファンとして好き好きオーラで近づいてくるけど、キャロルにとってはそんな自分に憧れてくれるのはありがたいけど、実は心に負い目がある、というのが今回の話。

 

ただねぇ、今回は意図して時間を短くしたらしいですし、ドラマよりもアクションやビジュアル重視。そしてガールズヒーローのワチャワチャ感(フューリーは完全に脇役)で押し切ったのもあって、楽しかったでしょう?じゃあそれでOK!みたいな変な割り切りで作ってる感が強かったかな。

 

ヤンキー姉御肌のキャロル、オタクなカマラ、インテリなモニカと三者三様なキャラクターは楽しかったし、次々と入れ換わるビジュアルも面白い。でも、じゃあその入れ換わる能力を駆使して最後に相手の裏をかくとかロジカルな戦い方があるわけでもないし、結局、各惑星はどうなったの?ちゃんと平和に戻ってる?とか、スクラルのあれはちょっと悲惨だったなぁとか思いつつも、最後はその辺スルーしたりと、う~んこれで良いのか?とちょっと思ってしまった。

 

多分突っ込んだらダメな部分だろうけど、シリアスに行くならカマラちゃんスクラルの犠牲を出したとことかトラウマになりそうだけどね。
よ~し!ヤングアベンジャーズのメンバー探しちゃうぞ!フューリーの真似して「自分一人だと思ったか?君は大きなものの一つだ」とかやってる場合かよ、とか思ってしまった。いや勿論チーム結成とか最大級のワクワクなわけですが。

 

そしておまけがもう一つ。トランスフォーマー:ビースト覚醒!
じゃなくて、Xなあの人が。

 

まあねぇ、MCUとしては次の作品が「デッドプール3」になるわけですから。というか、ストライキの影響とか、マーベルスタジオ制作体制の見直しとかで、来年2025年は映画はその「デッドプール3」になっちゃったみたいです。


ドラマは「エコー」が年明けに配信開始の告知が出てるし、もう一つくらいはあるんじゃないかと思うし、ソニーの方のスパイダーマンユニバースが「クレイブン・ザ・ハンター」はもう完成してるっぽいし、そっちももう一つくらいあるんでしたっけ。

 

スーパーヒーロー疲れとか散々世間からは叩かれましたし、DCも含め来年は本数少なめの小休止期間になるのかな?
私はヒーロー物以外にも映画は好きなので、他は他で見たいものには困る事無いですし、それはそれと割り切って今後の展開にも期待して待ちたいと思います。

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ロキ シーズン2 (MCUその46)

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原題:LOKI season2
監督:ジャスティン・ベンソン&アーロン・ムーアヘッド
原作:MARVEL COMICS
配信ドラマ 2023年 シーズン2全6話
☆☆☆★

 

ドラマ的には「シークレット・インベージョン」に続いて「ロキ」のシーズン2が公開。
シーズン1の時は、特にシーズン制というのは明確にされておらず、「ワンダビジョン」「ファルコン&ウィンターソルジャー」が基本ドラマのみで完結していた流れで、最終話がクリフハンガーでシーズン2に続く!で終わってました。

 

いや海外ドラマの何が私は嫌いかっつーと、人気ある限りどこまでも続けますよ。シーズン最終回では次の展開を残したまま終わりますよ(宙吊りクリフハンガーってやつですね)っていうのが嫌なんです。商業的な理由でね、興味を持続させたいっていうのは当然の話ではあるんだけど、見てる方としては区切りとかつけたいじゃないですか。


60年70年話が続いてるアメコミ読んでる奴が何を言ってるんだかって話ですが、エピソードや章ごとの区切りみたいなのあるじゃないですか。一つのまとまった話として見たいのに、ロキだけ唯一「シーズン2に続く」で終わらせたのがちょっとイラっとさせられました。

 

大きな枠で言えば「インフィニティサーガ」が終わって、次の「マルチバースサーガ」の扉を開いたのがまさに「ロキ」のシーズン1のラストでしたので、ロキというキャラクターを掘り下げるより、新章への準備の為に作った作品だったかと、個人的にはあまり良い印象は持てない作品でした。

 

そんな印象のまま、シーズン2が開幕。
序盤は、メビウスやケイシーら前回からの継続組みに加え「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」で俳優復活を果たしたキー・ホワイ・クワンをTVAの技術の今回を作ったウロボロスというキャラクターに据え、TVA崩壊を防ぐ「チーム・ロキ」的な展開。

 

言い忘れてましたがネタバレは全開で語るのでその点はご注意のほどを。

 

仲間という概念がそもそも無いであろうロキが、こんなチームを率いる事になろうとはと、そこはなかなかに感慨深い。

 

剪定を止めた為、無限に広がるマルチバースの衝突を防ぐため時間織機の容量を増やさなければならないというミッションに挑む。

 

前シリーズの、謎が謎を呼ぶ的なミステリアスな展開とはまた別で、ラヴォーナ・レンスレイヤーやミス・ミニッツらとは対立しつつも、チーム・ロキがミッションをこなして行く感じが個人的には前シーズンよりは面白いなと感じた。

 

そこに来ての5話。
シルヴィを説得しに行った先での、あなたは何をしたいのか?という問いに、ついに「友達を救いたいんだ」と口にするロキ。何これ!涙無くして見れない一言だぞこれは。

 

あのロキが本心から「友達」って言葉を口にするんですよ。いや友達の居ないタイプの人間の私にとっては、ロキ頑張ったよ、成長した、こんなに変われたのかと感無量でした。

 

よし、ここからみんなで力を合わせて問題を解決するぞと思った瞬間、時間は待ってくれずに崩壊していく世界。

 

自分にとって友達という大切な存在を認識し、それを失いたくないという気持ちに気付いた時、ロキは一つ成長したのでしょう。翻弄されるしかなかった時間を自らコントロールしてみせる。ロキが遂に覚醒。

 

か~ら~の~最終回6話。
物事は簡単には運ばなかったが、タイムスリップ能力をコントロール出来るようになった覚醒ロキは、ドクターストレンジ・・・というより、人間タイムストーンと化して何とか時間織機を完成させようと、100年がかりで技術を身につける。

 

いや、シーズン1の時にさ、インフィニティストーンを文鎮がわりに使ってて、こんなのありふれた物でしか無いよとか言ってたのが、ある意味伏線なのかな?ロキ自らそれに匹敵するくらいの能力に覚醒しちゃうんだから、石なんかいらないんだよと、そういう風にも受け取れるなと思ってたら・・・シーズン1の時系列にもガンガン介入していく。


シーズン1と2では監督とかメインスタッフ違うはずなんだけど、そこまで含めたストーリーアークにしたのかこれ。

 

「在り続ける者」を殺して、また会おうと最後に捨てゼリフを残したのは、一人殺した所でマルチバースの世界では他の世界のカーンが無限に増え始める。別の私に会えるだろう的な意味で(それこそアントマン:クアントマニア」に続くみたいな)言ったと思ってました。

 

が、そうじゃなかった。在り続ける者はここに再び戻ってくる事を確信していた。自分が殺させるのも、イベント的に楽しんでいただけだったのか。結局、世界は「在り続ける者」以外には管理できない唯一無二の存在だった?

 

メタ的な事を言えばね、在り続ける者、征服者カーンを演じたジョナサン・メジャースさん。色々と問題を起こしちゃって、この後の起用が無くなるんじゃないか?マーベルもサーガのボスをカーンからドクター・ドゥームに変える検討をしているとかいう噂が出てたりする。まあそんなのはゴシップの範疇であまり本気にしても仕方ないですが、かつてのハルクとかローディでサラッと俳優チェンジしたのと同じように他の人に変更というのは普通にありそう。サンダーボルト・ロス将軍も亡くなって変更になりますしね。

 

なんかそういうのもあって、シーズン1でカーンを広げようとしたけど、シーズン2では自らの作品で収束させちゃったのかなという印象も受けました。そんな意味では、シーズン1が前篇、シーズン2が後編みたいに、前後編に分けただけで、「ロキ」というドラマは両方合わせて一つの作品ですよ、という感じになってるのが個人的には凄く良かった。

 

そしてそんなロキ君。いや原作だと、近年になってから「物語の神」とかいう変な属性が追加されたんですよ。MCUが始まる以前のロキはね、ソーのライバルヴィラン以上の存在感は無かった。


でも、MCUがスタートしてロキの愛されキャラとして人気が爆発。原作でもそんなロキ人気にあやかって、ただのヴィランから、もう少しヒーロー寄りというか、単純なヒーローでもヴィランでも無い独特のポジションのキャラクターとして売り出して行く形に設定も変化していきます。

 

演じたトム・ヒドルストンの人気のおかげで、原作にも影響や変化をもたらし、そこで新しくなった原作のロキの設定を、再度実写ドラマの方に影響させていく、という結構複雑なツイストがここにはある。

 

映画の人気や知名度は大きいから、昔から映画の設定を原作にフィードバックするみたいなのはちょくちょくあったんです。X-MENのコスチュームが原色タイツから黒のレザースーツに原作でも一時変わったりしてました。

 

ロキの場合、その影響の仕方が独特で、なんかまさしく原作コミックとMCU世界でマルチバース同士の複雑な絡み合い方って感じですよねぇ。非常に面白い。

 

そしてラスト、これまで時間軸をの流れで描いておいて、最後はそれを縦に束ねる演出のセンス。あれって多分、ユグドラシルの樹ですよね。

ソーの映画の中でビジュアルとして出てきてましたっけ?説明はあったはずだけど、ビジュアルで描かれてたかは憶えていないけど、ソーの世界観というか北欧神話の世界ではアスガルドやミッドガルド(地球)らそれぞれの9つの世界がユグドラシルの樹で結ばれている、という世界観になっている。

 

地球人にとっては、アスガルド人は北欧神話の元になった神に等しい種族ではあるけれど、マーベルユニバースという世界で見た時は、アスガルド人よりもっと上位の本当の神様や概念そのものが形になった存在も居るし、アスガルド人は単純に人間よりずっと長命で身体的にも頑丈だったリするけど、実際には別の宇宙に住む別の種族的な存在でしか無い。神のような存在であっても、実際はデミゴッド(半神)的なものでしかないはず。

 

が、今回の成長でロキは時間を超越する術を身につけ、世界樹あるいは宇宙樹・次元樹とも呼ぶべき時間を束ねる存在に進化した。
ここはきっと原作で言う嘘の神様だからこそ「物語(=フィクション)の神」という部分のインスパイアなのでしょう。

 

友達の世界や物語を守るために、一人時間も空間も存在しない世界に留まったロキ。ソーもヘラも、オーディンすら成しえなかった本物の神に等しい存在になった。

 

これこそがロキの物語である。

 

すげぇまとまった。最初からこの結末を目指して作ってたのなら何気に凄いぞこれ。


果たしてこの先にロキの物語はあるのか?
意外と、本体はそこに居ても、どのユニバースでもどの時間軸でも自分の分身を自由に飛ばせるよ~とかなら今後も出れそうですが、おそらくはロキに関してはここで終わりなのかなぁ?だとするとやっぱりちょっと寂しい。


いやそもそもこっちのロキはエンドゲームで逃げて来た奴だから本人はそもそも死んでたりするわけだけどさ。発表されてる「アベンジャーズ:カーンダイナスティ」「アベンジャーズ:シークレットウォーズ」でマルチバース問題を解決する鍵として、ここぞという時に登場してくれたら嬉しいんですけどね。

 

次のドラマは年明け早々に「エコー」が配信の予定。
隠し玉でまたホリディスペシャル的なのは今年は無いんでしょうか。

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マン・オブ・スティール

マン・オブ・スティール [DVD]

原題:MAN OF STEEL
監督:ザック・スナイダー
脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー
原作:DC COMICS
アメリカ映画 2013年
☆☆☆☆

 

DCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)1作目。

 

新作が公開されるわけでもないのに突然なぜこれかというと、「ダンシングスタープリキュア」ライブを見る為にU-NEXTに加入。

私はこの手のサブスクはディズニープラスとアマゾンプライムに入ってますし、お試し無料期間だけ楽しんで退会する予定ですが(月額2000円越えは高い!)じゃあまあその1カ月だけでも他のサブスクで見れない奴を楽しもうかと。


そんな中、「ジャスティスリーグ」のザックスナイダーカットを発見。ブックオフとかでね、通常版と間違えてこっちを同じ値段で置いてないかなぁと前から探してたりしたのですが、これは良い機会。アマプラだと無料なのはジョス・ウェドンの劇場公開版のみで、こっちは別料金払わないと見れないやつですので、せっかくだから見ておこうと。

 

の前に、話の流れ的にまずは順番通り「マンオブスティール」「ジャスティスの誕生」くらい見てからにしようかと思い、今回はまずスーパーマンの方を。ブログに感想も書いてないですしね。勿論、初見ではなく劇場鑑賞済みですが、マーベル系と違ってこっちは何回も見てはいない。

 

2013年制作だからまさしく10年ぶりかぁ。なんだか久し振りに見たのもあって凄く面白いじゃないですか。

 

当時見た印象では、それなりに面白かったけど、う~んこの路線をスーパーマンでやるの?なんか違うような、と思った記憶がありますが、そこに関しては今も同じ気持ちではあります。

 

でも、そこから10年。DCEUも実質終わって、スーパーマン役、ヘンリー・カヴィルも離脱済み。ここから始まるシリーズのスタート作品として見るのではなく、もう終わってしまった過去の作品として見ると、これが逆に新鮮。

 

原作でもね、長期連載物・オンゴーイングのシリーズとは別に、作家ごとに「自分の考えるスーパーマン」みたいな単発物が沢山出ています。この映画も、前者では無く後者と捉えると、この映画なりのオリジナルアレンジ作品。作家の個性を生かした単発作品みたいな視点で見る分には、凄く面白いんじゃないかと感じました。

 

ザック・スナイダーとしては以降の作品も含め、「神としてのスーパーマン」を描きたいのは一目瞭然。

 

よく、DCは神話的な路線で、マーベルは現実主義みたいな比較が昔からありますし、神としてのスーパーマンというテーマで描かれた物語もいくつかあります。そういう意味では決してこの路線も決して間違いとかではない。

 

ただね、スーパーマン単品としてはこれはこれで面白いアレンジや描き方だとしても、ここからDCユニバース全体を描くとなった時に、陽のスーパーマンと陰のバットマン的な対比構造、キャラの立て方と考えた時にやっぱりいささかバランスが悪くなる。映画のおかげでDCは暗くてシリアス、マーベルは明るくて楽しいみたいに散々言われたのは(デップーなんか映画でネタにしてたし)やっぱりそういうとこなのでしょう。

 

単品映画として、今回はこうアレンジしてきたか!と言う分には凄く面白いんだけど、私もスーパーマンは基本的にこういうのじゃなくない?と正直に思います。

 

ああ「今回は」ダークなアレンジしてきたのね、ヒーロー物というより宇宙人とのファーストコンタクト物的な面白さがあるし、そんな中で地球人に育てられたクラークの人の良さとかも生かされてて面白いね!と素直に思う。が!マーベルに例えて申し訳ないけど、これ「アルティメットユニバース」に近くないですか?リアル路線に振り切ってギスギスしたヒーローを描く。私は「アルティメッツ」とか読んでて正直キツかった。いや現代的でリアルなのかもしれないけど、私が読みたいのはこういうのじゃないな、と素直に思いましたもの。

 

かつての映画でクリストファー・リーブが演じた、どこまでも好青年なスーパーマン。或いは「ヤング・スーパーマン」のカンザスの田舎者だけど、純朴で真っ直ぐな少年。そしてアニメとかでよく見せた、スーパーマンウインク。ピンチをニヤリと笑って切り抜ける、あの明るいスーパーマン。私にとってのスーパーマンはやっぱりその辺りの方が馴染み深い。

 

何度も言うけど、単発のアレンジとしては今回のスーパーマンもこれはこれで面白いと思う。

 

制作側の方のゴタゴタでね、ヘンリー・カヴィルさんも災難だったなと同情してしまうけど、これはこれと割り切って次のキャリアを頑張って欲しいし、新DC映画ユニバースの新スーパーマンも、これを教訓にして、みんなが納得できて、みんなが幸せになれる新しいスーパーマンを作ってくれればと思うし、成功を祈ってます。

 

皆ね、スーパーマンバットマンどっちが好きかと言われたら、やっぱり圧倒的にバットマンの方が人気があると思うんですよ。(というかマーベル含めアメコミの世界では人気でバットマンに勝てるキャラは居ない)陰と陽で対になる存在なので、基本的にアメコミ読んでる奴なんか陰に決まってますしね。


でも、スーパーマンはスーパーマンでアリだよなと少しでも思わせられたらそれが「勝ち」だと思う。何だよあいつ良い子ぶっちゃってさ、どうにもいけすかねーよな。・・・でもあいつ、根っからいいやつでさぁ、嫌いだけど認めざるを得ない。みたいな。

 

まあだいぶ偏見も入ってますが、おおまかにはそんな感じで。陰のあるスーパーマンも単品ではアリだけど、これがやっぱりチームとかユニバースとかになった時に対比としてのキャラクターが生きてこなくなる。スーパーマンバットマンもどっちも陰キャではね・・・・。

 

久々に見て、こんなに面白かったっけ?と思った半面、10年経ってDCEUが終わった今だから言える事かもしれないけど、最初に暗いスーパーマンを作って、それを世界全体の起点にしちゃったらさ、明るい未来なんかこないわな。やっぱり初手の時点で間違ってた気がします。

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アベンジャーズ:チルドレンズ・クルセイド

アベンジャーズ:チルドレンズ・クルセイド

AVENGERS:THE CHILDREN'S CRUSADE
著:アラン・ハインバーグ(作)
 ジム・チャン他(画)
訳:吉川悠
刊:MARVEL 小学館集英社プロダクション ShoProBooks
アメコミ 2023年
収録:UNCANNY X-MEN #526(2010)
 AVENGERS:THE CHILDREN'S CRUSADE #1-9(2010-12)
 AVENGERS:THE CHILDREN'S CRUSADE-YOUNG AVENGERS #1(2010)
☆☆☆☆

 

若きヒーロー、ウィッカンの現実改変能力が暴走!?
解決の鍵を握るのは……スカーレット・ウィッチ!

若手ヒーローチーム、ヤング・アベンジャーズ。そのメンバーであるウィッカン(ビリー・カプラン)の現実改変能力が暴走し、制御不能となってしまった。その状況を危険視したアベンジャーズは、彼を監視下に置こうと動き出す。
一方でウィッカンは、行方不明になっている“母親“スカーレット・ウィッチ(ワンダ・マキシモフ)を捜すことを決意した。しかしワンダの捜索を開始した彼の前に立ちはだかったのは……X-MENアベンジャーズ、そしてドクター・ドゥームだった!?

 

一応「ヤングアベンジャーズ:ファミリー・マターズ」からの続きという事になってますが、刊行まではしばらく間が空き、ユニバース全体の話としては「シビルウォー」「シークレットインベージョン」「シージ」辺りのイベントをヤングアベンジャーズもくぐり抜けてきた流れ。ただ、キャロルがまだミズ・マーベルで、キャプテンマーベルになってない時期くらいのタイムライン。

日本語版は
1「ヤング・アベンジャーズ:サイドキックス」
2「ヤング・アベンジャーズ:ファミリー・マターズ」
3「ヤング・アベンジャーズ&ランナウェイズ:シビル・ウォー」
4「アベンジャーズ:チルドレンズ・クルセイド」(今回の本でここまでが1期)
5「ヤング・アベンジャーズ:スタイル>サブスタンス」(ここから第2シリーズ)

という感じか。

他の本の時にも似たような事を書いた気はしますが、デビューの時は話題になったものの、その後は正直泣かず飛ばず。若手枠として重宝はされたものの、結局その枠も後のカマラとかマイルス君らチャンピオンズにスライドしちゃったという感じかなぁ。

 

MCUでもメンバー揃ってきてるし、ワンダ復活の為にここのストーリーラインを生かせそうな気するけど、なんかあっちもあっちでゴタゴタしてるからなぁ。でも私はMCU版ヤングアベンジャーズも見たいです。

 

それはともかく、今回のコミックの方。タイトルがヤングアベンジャーズでなく普通にアベンジャーズになってますが、本家アベンジャーズの方はそんなに活躍するシーンも多く無く、実質はヤングアベンジャーズの方がメインとして描かれます。

 

ウィッカンとスピードの存在を知ったマグニートは孫として二人に会いに来る。そしてウィッカンの能力があれば、マグニートーにとっての娘、ウィッカンにとっては母親となる行方不明になっていたワンダ・マキシモフ/スカーレットウィッチを探せると。

アベンジャーズの制止を振り切り、辿りついた先はラトベリア。
記憶を失ったワンダは、ドクター・ドゥームの妃として迎えられようとしていた!

再び記憶を取り戻したワンダの処遇を巡り、対立するアベンジャーズとX-MEN。
その混乱の最中、ドゥームの本当の狙いが明らかになり・・・。

 

「ディスアッセンブルド」事件でワンダに殺されたアントマン/スコット・ラングが復活するも新たな力を得たドゥームに今度はキャシー/スタチュアが死ぬ事になる。キャシーと気持ちが通じ合っていたアイアンラッドは時間軸の移動でそんな事は簡単に無かった事に出来ると時間操作を試みようとするも、その表情は自分がそうなりたくないと望んだ征服者カーンに近づいていた。

 

解説書にも書いてあるけど、ヒーローの挫折。若さゆえの暴走と失敗。青春のほろ苦さ的な作風に結果として落ち着くというのが、ある意味独特のカラーでもあって、カタルシスには欠けるけど、これはこれで話としては面白い。

 

いやぁ、アメコミ特有の死んだキャラが生き返ったり、逆に安易に他が死んだり、設定改変のゴタゴタとかが今回てんこもりで、これが名作かと言えば全然そうは言えないけど、すげぇアメコミっぽくて面白いです。

 

ここで綺麗になったドゥームさんが、シークレットウォーズに繋がる感じかな?
あと「ハウスオブM」(M-DAY)事件で能力を失ってXファクターに身を寄せていたリクターが今回能力を戻してもらえてたけど、ずっと前のアベンジャーズで失った能力のエネルギーが一人に収束したとかいう話やってませんでしたっけ?コレクティブだっけかな?あいつ結局どうなったんでしたっけ?コズミックビーイング化して宇宙の果てに飛んでったんだっけかな?全然違う?


この辺、刊行順もバラバラで、今回のチルドレンズクルセイドも急に古いタイムラインの話なので、その辺りが凄くゴッチャになります。

 

邦訳タイムライン、昔少し自分で作ってたんだけどめんどくさくなっちゃって作りかけで放棄。日本語版しか追って無い人もそれなりに居ると思うので、需要ありそうなんですけどね。誰か作って下さい。

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